第37話 「マジかよ。いつの間にそんな技、使えるように…」
「マジかよ。いつの間にそんな技、使えるように…」
「技って。こんなの陸はすぐ出来るだろ。」
「俺のはアームついてるから、わざわざそんな事しねーけど。」
「あっ…そっか。」
「レスポールって使いこなすの難しくないか?」
「…俺の愛機をあっさり弾きこなした陸に言われると、若干堪える…」
「全然弾きこなしてなんかなかったぜ?」
俺が見てるのは…坊ちゃんと早乙女千寿のやりとり。
坊ちゃんのバンドに加入した早乙女千寿は、音楽屋でバイトを始めた。
ギターを試し弾きしながら語り合う二人は、目を輝かせている。
「…君たち、バイト中なの分かってるかな?」
「はっ…」
「すみませ~ん…」
店員に注意され、ギターを置いてコソコソと移動するも…
「今度
「えっ…
「おう。俺、一回だけギター部屋に入れてもらった事があんだけどさ、すげーぜ。震えるぜ。」
「…恐れ多いけど…それは是非行ってみたい…」
本当にギターが好きなんだな…と思わされる会話が続いた。
織と気持ちを通わせる事が出来、共に二階堂を背負う事になった。
俺は今まで以上に仕事に励み、もちろん育児も手伝い…何の不満もない、そう…『幸せ』というものを手に入れた。
だが、ずっと喉の奥に何かがつっかえたまま。
それが何か…気付いたのは…
『環、おめでとう』
思いがけない電話に、俺は目を見開いた。
それは…お嬢さんの婿候補として二階堂にまで足を運んでいたロブからだった。
『愛しい人と可愛い娘を他の男に取られなくて良かったな』
その言葉を聞いて、もしあの時俺の気持ちをロブが引き出してくれなかったら…と思った。
彼には感謝しかない。
その後、仕事の話を延々とし、ロブとは妙な信頼関係を築いた気がした。
そして…
「ちゃまきーっ。」
俺に飛びついた海を見た時…『他の男に取られなくて良かったな』という言葉が浮かび、胸に痛みが走った。
そうか。
俺はずっと…早乙女千寿の事を気に掛けていたのか。
ここ数日で、早乙女千寿の行動パターンを把握した俺は。
「公園に行こうか。」
一緒に鶴を折って遊んでいた海の手を取って、公園に向かった。
「ちゃまき、もう、じゅっとおうちにいゆ?」
俺を見上げる海。
離れている間も、ずっと俺の事を誰かに聞いていたらしい。
環はいつ帰って来るのか、と。
おかげで、この一ヶ月…毎日聞かれてしまう。
『もう、ずっとおうちに居る?』と。
「…いるよ。ずっと。」
その返事に、海は満面の笑み。
「上まで行けるかな?」
「いけゆよ!!」
公園への近道の階段。
いつだったか…織に『ついて来ないで』と言われた思い出の場所。
そんな事を思いながら、小さく笑う。
海は俺の手を持ったまま、一段ずつ必死に階段を上る。
「もう少しだ。頑張れ。」
「うん!!がんばゆ!!」
頬を赤くして、んっしょ、という声が可愛らしい。
その姿に…たまらない愛しさを感じる反面。
こんなに愛くるしい子を息子と認める事が出来なかった早乙女千寿に…同情と同時に罪悪感も湧いた。
…俺は、護衛の身でありながら、織と結ばれた。
彼は…
「……」
そんな事を思ってみた所で、状況は変わらない。
頭を一振りして、海が最後の一段を上り切るのを見守った。
「ちゅいたー!!」
「よーし。頑張ったな。」
しゃがんで目線を合わせると、赤い頬が俺に抱き着く。
「ちゃまき、おみじゅ。」
耳元をくすぐるその声に笑いながら、海を抱えて立ち上がる。
織は海に俺を『父さん』と呼ばそうとしているようだが、俺はさほど気にならない。
ずっと『環』と呼ばれて来た。
そばにいれるだけで、呼び方なんてどうでもいい。
「おはなしゅごい。」
目線の高くなった海が、届かない桜の枝に手を伸ばしながら微笑んだ。
「本当だな。すごく綺麗だ。」
「ちゃまき、かあしゃんと、しょらにもみしぇたいよー。」
「母さんは来れるけど、空はまだ無理かな。」
「いくちゃんは?」
「いくちゃんは学校だ。」
「じーじとばーばは?」
「…母さん、呼ぼうか。」
俺は海にそう言いながら。
前方のベンチに座っている…早乙女千寿に目を向けた。
「あの…すみません。」
ベンチで桜を見上げている早乙女千寿に声を掛ける。
「…はい。」
振り向いたその顔は、次期茶道家元として…そして、ギタリストになる夢を掴むために織を諦めた時の彼とは、少し違って見えた。
俺は海を抱えてる腕に少し力を入れた後。
「ほんの少しの間、見ててもらえますか?」
そう言って、早乙女千寿の隣に海を座らせた。
「え?」
「そこで電話かけてくるんで。」
「え…え?」
持って来た折り紙をポケットから出して、海の頭を撫でながら手渡す。
海は少しだけ不思議そうな顔をしたが、俺が『電話をかけてくる』と言った事で、織を呼ぶと納得したようだ。
落ち着いた顔で折り紙に視線を落とす海とは裏腹に、早乙女千寿は慌てた様子で俺と海を見比べて中腰になった。
さっさと公衆電話に向かって歩く。
「ちゅくって。」
背後から、海の可愛い声が聞こえて来た。
ふっ…
早速折り紙をせがまれたか。
その光景を見たいような見たくないような…しかし織が来るまで怪しまれても困る。
俺は電話をかけながら、さりげなく二人に視線を向けた。
『はい』
「…俺。」
『環?え?どうして電話?』
家の電話が鳴るのは、二階堂を秘密組織とは知らない一般人からのみ。
俺達は普段通信機器を常に装備している。
「オフだから何も持って来てないんだ。」
『あ~、確かにね。絶対呼び出されちゃうもの』
「…今公園にいるんだけど、桜がすごくきれいなんだ。来ないか?」
『海と一緒?』
「ああ。空は寝てるんだろ?」
『うん。父さんがベッタリ』
「ベンチにいるから。」
『分かった』
声だけで分かる。
織は…俺の誘いを喜んでくれた。
分かるだけに…少し胸が痛む。
だが、織も抱えて続けている痛み。
それが少しでも…和らぐなら。
ベンチを見ると、早乙女千寿が折り紙と苦戦中。
その手元を海が覗き込んでいる。
…血の繋がった親子。
その光景を眺めていると、背後に気配を感じた。
もう一度二人を見てから…俺は場所を移動する。
「いつこっちに。」
その気配に視線を向ける事なく声を掛ける。
「…今朝です。」
気配の主…森魚は憮然とした声で答えた。
俺と織が結婚した事は、坂本さんから伝わっている。
後ろめたさがないわけじゃないが、俺は森魚を出し抜いたわけじゃない。
今はそれより…
「邪魔しないで欲しい。」
「……しません。」
「なら、どうしてここに来た。」
「…なぜこんな事を?もし織の未練に火が着いたらどうするつもりですか?」
織の未練。
まさか森魚がそんな事を言うとは思わなかった。
俺は小さく笑いながらベンチに目をやる。
そこには…現れた織に驚いた顔の早乙女千寿がいた。
…向こうから俺達の場所は見えない。
「織は彼に未練はないよ。本気で…彼が成功する事を願ってる。」
「…だからと言って…あの男に…子供と共に会わせるなど…」
「…おまえにも、子供が生まれたんだろ?」
「……」
坂本さんに聞いた。
森魚の残子は成功して、男の子が生まれた、と。
「いくら影の存在でも…子供に対する愛情はゼロではないはずだ。お前の父親だって、物騒な事を口にするわりに、いつも心配していた。」
「……」
「邪魔がしたいなら、堂々とあの場に行って…顔を晒してならしてもいい。」
森魚は何か言いたそうに、だが何かに気付いて息を飲んで…無言を通した。
…大方、織に対して『まやかし』を使った事を思い出したのだろう。
ベンチにいる二人は…最初こそぎこちなかったものの、笑顔が見える。
少しだけ切なさの入り混じった目の早乙女千寿が、ゆっくりと…愛おしそうに海を抱えた。
「……」
胸を締め付けられた。
それは、嫉妬ではなく…彼の気持ちに寄り添ってしまったのかもしれない。
腕の中にいる焦がれた存在。
目の前にいる忘れられない女性。
ずっと不機嫌そうな気を出し続けている森魚とベンチを眺めた。
やがて海が眠ってしまい、それまで談笑していた二人の間にも沈黙が落ちる。
「そろそろ行く。」
「……」
「もう、来るな。」
「…あなたが織を泣かせるような事があったら…現れます。」
「…心しておく。」
森魚とは、それで別れた。
ゆっくりと歩いて二人に近付くと、俺に気付いた早乙女千寿が海を差し出した。
「…ありがとうございました。」
俺と目を合わさない早乙女千寿。
一瞬噛みしめた唇を見て、ああ…もしかしたら早過ぎたのかもしれない。
そう思った。
しかしその後。
海にも織にも会いたくはないはずなのに、坊ちゃんが堂々と彼を二階堂に連れて来た。
複雑な想いをさせてはならないと思い、こちらは毅然とした態度を取ったが、自分の方が戸惑っている気がした。
海が彼と接するのを、まさか…我が家で目の当たりにする事になるとは。
戸惑っている俺達をほったらかして、坊ちゃんは自分の部屋に行ってしまった。
「しゃおとめ、いくちゃんより、おっき。とうしゃんより、おっき。」
海が早乙女千寿の膝に向かい合って立つ。
空を抱えたまま、俺は…胸の奥に痛みが走るのを感じた。
「海君も大きくなったな。前に会った時より、背が伸びてる。」
…海は、俺の息子だ。
そう思う反面、この光景を見ると…彼の息子に違いない事がストンと胸に落ちた。
すると、さっきまで感じていた胸の痛みが消え去った。
…そうだ。
父親が二人いたって…いいじゃないか。
実際、彼には二人父親がいる。
そのどちらにも愛されて、幸せに違いない。
それなら俺も。
彼と一緒に海を愛せばいい。
じゃれつく海を優しい目で見たり…血の繋がった息子を『海君』と呼び、あくまでも…自分の子供ではないと言い聞かせている風なのは、その目を見ていれば分かる。
そんな彼を見て、俺は…意外にもこの早乙女千寿自身に好感を持っている事に気付いた。
穏やかな雰囲気の持ち主。
二階堂には、いない。
「……」
ゆっくりと織に視線を向けると、俺の気持ちが伝わったかどうかは定かではないが…織は目元を緩めた後、小さく頷いてくれた。
「早乙女君大きいから、海も大きくなるだろうな。」
俺がそう言うと、早乙女君は目をパチパチとさせた。
「ね。」
織のあっさりとした同意にも、動揺を隠せない。
「…あの…あの、俺の事…」
早乙女君は海の手を持って、動揺したままの目で俺達を見て…言葉を詰まらせた。
「いつか話すつもりだよ。」
「え…?」
「海の心が育って、色んな事を受け入れられる年齢になった頃に。」
「……」
「厚かましいかもしれないけど…親を知らずに育った俺としては…父親が二人いる事は、幸せだと思う。」
…本当に。
二階堂では…両親を知らない人間は少なくない。
俺も今更ながら、自分の父親はどんな人間だったのだろう…と、気になる事もある。
特に…自分が子供を持った今、その存在は以前より強く脳裏に浮かぶようになった。
「もちろん、今後早乙女君が海と関わりたくないと言うのであれば…」
「そっそんな事はないです。こんな事、言える立場じゃないかもしれませんが…苦しくて忘れたいと思っ時期もあったけど、今日こうして会って…」
「……」
「あなたの息子だ。って認識出来たと同時に…愛しく想う事ぐらいは許されたい…と、素直に感じました。」
「…良かった。」
俺と早乙女君が話しているのがつまらなかったのか。
「しゃおとめ、おちゃにしましゅよ?」
海が俺と早乙女君の間に割り込んで言った。
「ふふっ。ヤキモチ妬いてる。」
織の言葉に俺達も笑う。
そうこうしていると…
「おう、セン話したか?」
坊ちゃんが戻って来た。
「え…っ、いや…」
その後の会話で…
早乙女君には、好きな女性が出来た…と。
その女性は柔道家で、稽古場を探している…と。
うちの道場で練習させてもらえないか…と、坊ちゃんから申し入れがあった。
調べてみると、その女性の名は
全国大会二連覇の実力の持ち主。
正直…彼の力になりたいと心から思った反面…その女性のために動く彼に、思いの外…ガッカリしている自分がいた。
なぜだろう?
もしかすると、彼にはずっと織の事を好きでいて欲しかったのかもしれない。
…俺も随分勝手な奴だな…。
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