第36話 パチッ
パチッ
目を開けると、眩しい陽射しが降り注いでいた。
少し唖然とした後、勢いよく起き上がる。
俺は…昨日と同じ格好のまま。
…ベッドで…眠っていたらしいが…
…ちょっと待て。
何も覚えてないぞ…?
姐さんに勧められるがまま酒を飲んだが、俺はそんなに弱くない。
そして…一杯しか飲んだ記憶がない。
それがなぜ…こんな事に?
「……」
腑に落ちないが、シャワーを浴びる事にした。
しかし、その間も頭の中には…
姐さんに失礼はなかっただろうか。
何も覚えていないが、何を喋ったのだろうか。
そして…
もしかして、姐さんは俺に何か薬を…?
このモヤモヤとした思いを晴らしたく、姐さんに色々伺いたい所だったが…
「え?」
頭と姐さんは…今朝早く、イタリアに飛ばれた…と。
「何かの任務ですか?」
「人探しとおっしゃってましたが。」
「……」
そうか…
結婚相手を…
気になる事は多々あるものの、今俺がやるべきことは任務の遂行。
現場に出て、迅速に解決する日々を重ねた。
そうしている内に…四月がやって来た。
もうすぐ…海君の誕生日。
お嬢さんは元気なのだろうか…
そして…
出産は…されたのだろうか…
そんな思いを消し去ることが出来ず、いつもより現場に手間取ってしまったある日。
「環、部屋に来い。」
約二ヶ月ぶりにお会いした頭が…顎でしゃくるようにして、俺に言われた。
「はい。」
頭について部屋に入ると、そこには…
「はじめまして。」
「……」
つい…見惚れてしまった。
そこには、金髪の美しい男性が立っていたのだ。
「あ…はじめまして。」
男性に見惚れるなんて初めてだ。
それほどに、目の前に立っている…
「ロベルト・アバーテです。よろしく。」
「加納 環です。」
「環、どうだ。ロブはいい男だろう。」
頭が自慢そうにそう言われた。
…本当に。
見た目だけでも文句はないが、この優しそうな笑顔からは…人柄も滲み出ている気がする。
…お嬢さんを幸せに…
「……」
つい溜息を洩らしそうになって飲み込む。
そんな俺の表情を見た頭は。
「今からおまえも一緒に日本に帰るぞ。」
笑みを消して…低い声で言われた。
「…えっ?」
「命名式に間に合うように帰る。ロブも一緒だ。」
命名式…
という事は、お嬢さんは無事に出産されたのか…
その事実に安心した自分と。
俺の子供が…と、一瞬、思ってはならない事が頭をよぎった。
「…で…ですが、私には任務が…」
「全て他に回した。おまえには日本で見合いをしてもらう。」
「……」
呆然として返事も出来ずにいると、『ロブ』が切なそうな顔で。
「…ボス、それではあまりにも…」
頭に何か言いかけた。
「ロブ。」
「……はい。失礼いたしました。」
…何も、言う事はない。
俺は頭の言う通りに、見合いをして結婚する。
そして、目の前の『ロブ』が、お嬢さんと…
…それがベストなんだ。
「お前達はここで待て。」
命名式で賑わう二階堂の和館。
俺とロブは隣の部屋で待機する事になった。
少しガッカリしたような表情の姐さんが頭について廊下に出る寸前…
「……」
じっ…と、俺の目を見られた。
「……?」
何だろう…と思ったが、姐さんはそのまま廊下から隣の間に入られた。
「…環、君はこのままでいいのかい?」
「え…?」
ロブが声を潜めて、だが…俺の肩をぐっと掴んで言う。
「お嬢さんを、愛しているのだろう?」
「……」
「なぜ、そう言わない?」
「…俺がそう言った所で…」
「君は優秀じゃないか。どうしてそんなに自信のなさそうな事を?」
「……」
「お嬢さんを想う気持ちに自信がな」
「まさか。」
ロブの言葉を遮る。
「お嬢さんへの気持ちだけは…誰よりも強い。だが…」
「二階堂を変えたい。ボスはそう言われた。」
「……」
「それは君じゃなくても出来るかもしれない。」
「……」
「だけど、君でも出来るかもしれないって事だ。」
「……は?」
「お嬢さんへの愛だけで、二階堂に立ち向かうのもありじゃないかって、僕は思うけど。」
「……」
口を開けてロブを見つめた。
この男…突然何を…
「二階堂に立ち向かうなんて…」
「実際そうだ。二階堂が変わる事を嫌ってるのは古参だからね。頭だって、変えたいと言いながらやってる事は古い。」
「……」
「君は、僕みたいなよそ者にお嬢さんを取られていいのかい?」
「……」
「それでいいのなら、今すぐこの場から立ち去って欲しい。」
「え…?」
「一生、お嬢さんとも子供とも会わない。そう約束して欲しい。」
「……」
俺は…
唇を噛んでロブを見据える。
「俺は…お嬢さんを愛している。」
「……」
「二階堂を…変える力など…俺にはないかもしれない。だが…お嬢さんの事は…一生お守りしたい。」
ロブはふっと口元を緩めると。
「それが聞けて良かった。それじゃ、僕はこれで。」
そう言って、廊下に…
「えっ…ロブ?」
俺が戸惑っていると。
『そこで、だ。今日は延び延びになってたお見合いをしてもらう。』
隣の間から、頭の声が聞こえた。
…って…ロブを連れ戻さないと…
『入れ。』
俺がロブを追おうとすると、隣の間に続くドアが開けられた。
そして、そこに立っている頭は…なぜかロブが不在な事には気にも留めず。
ただ…呆然としている俺を見て、優しく笑われた。
「えっ!?環!?」
「えええええ!?」
「何だよ親父!!」
驚きの声が上がる中。
俺は…その中央にいるお嬢さんを見付けた。
「……」
大きく見開かれた目。
そして…そのそばには…海君と…赤ん坊が。
「…環。」
「…はい…」
「娘を……」
「……」
「…二階堂を、頼むぞ…」
頭はみんなに背中を向けたまま、俺に小声でそう言って。
ポン…と、肩を叩かれた。
「何だ何だ、二人とも。ああ、二人にしてやるから、ゆっくり話しなさい。それで気が合うようならこの縁談はまとめよう。」
呆然としている俺とお嬢さんを囃し立てるように頭がそう言うと、坊ちゃんや万里が俺の背中を押して…
お嬢さんと、洋館の二階に。
そばにいるのに、夢のような感覚で。
「…敬語はやめてね。」
お嬢さんの言葉に。
「…努力します。」
苦笑いしながら、小さくつぶやいた。
「…まだ信じられない…」
遠慮がちに、俺の胸に頬を寄せるお嬢さん。
俺は…ずっとこの人を傷付けて来た。
だけどこれからは…
これからは、一番近くで。
一緒に幸せを味わえる。
それは二階堂らしからぬものかもしれない。
だが…
「好きだよ…織。」
初めて、気持ちを口にした。
背中に回した手に力をこめると。
お嬢さんは照れくさそうに身じろぎしながら。
「…あたしも…大好き…」
そう言って俺を見上げて…目を閉じた。
「…織。」
あの夜、頑なに呼ばなかった名前。
頬に触れて、唇を重ねる。
「織…」
ついばむようなキスの合間に、何度も名前を呼ぶ。
二階堂に尽力する。
その想いは今も、これから変わらない。
だけどそれ以上に…この幸せも、決して
…もう何があっても離さない。
* * *
「あははははは!!」
「……」
俺は呆然としてそのディスプレイを眺めた。
リビングには、頭と姐さんと、坊ちゃんとお嬢さん。
大笑いしてるのは坊ちゃんで…
頭と姐さんはニヤニヤと笑い、お嬢さんは…
俺同様、赤くなっておられる。
映し出されているのは…ホテルのラウンジに座っている姐さんと俺。
そしてそこに…頭が現れた…!!
「えっ…?いつ来られたのですか?」
「見ての通り。おまえが二杯目を飲み終わった頃だ。」
「……」
俺はその映像で。
『お嬢さんは私にとって完璧な女性です。』
『一緒に生活させていただいていた頃は…言って下さる我儘全部を叶えてさしあげたくて…』
『お嬢さんをお慕いしています。ですが、私のような者に想われても…お嬢さんには迷惑でしかないはずです。』
『なぜ…産む決意をされたのでしょう…私はお嬢さんを傷付けてばかりです…いえ、お嬢さんだけじゃない…ご家族の皆様を…』
『今すぐ帰って私がお守りしますと伝えたいです…お許し下さい…私が…お嬢さんを好きになってしまったばっかりに…』
だ…誰だ…?
この饒舌な男は…
「おい、環が失神寸前だぜ?」
坊ちゃんの声が遠くに聞こえる。
「環…大丈夫?しっかりして?」
そういうお嬢さんは、嬉しさが隠しきれていない。
…喜んでいただけるなら…よし…と…
う…うう…
なぜこんな事に…!?
何も覚えていないなんて…
「これぐらい、罰ゲームだと思えばお安いもんだろう?」
お嬢さんの幸せそうな顔が、嬉しい反面…悔しくもあるのか。
頭は目を細めて、一定のトーンで言われた。
「そ…そうで…いえ、罰ゲームだなんて…と…とんでもない…」
冷や汗を拭いながらつぶやく。
出来れば早く終わって欲しい…
しかし、そう思う時の時間というのは、なかなか進まないもので…
『海君の父親が誰であろうと、愛しくてたまりません。彼の成長を間近で見ていたい…』
そう言った俺は…泣き始める始末…
「環…」
涙目になったお嬢さんが、俺の腕に手を絡ませて。
「…ありがと…」
コツン…と、肩に額をぶつけられた。
「…そろそろお開きにするか。」
頭が映像を停めて立ち上がられる。
内心ホッとしながら、俺も立ち上がって頭と姐さんに頭を下げた。
「このたびは…本当にありがとうございました。」
「何度も聞いたな。」
「何度でも言います。」
「…言葉はもういいから、とにかく…環と織で、日本の二階堂を…守ってくれたらいい。」
「…はい。」
命名式で…
頭は、姐さんと共に拠点をアメリカに移す事を発表された。
二階堂が『影』でなくなる世の中にするために、二階堂を変えていきたい、と。
正直、日本の二階堂を俺が背負っていいものだろうか…と一瞬悩んだ。
大事な人を傷付けてばかりの俺に、上に立つ資格はあるのか、と。
だが…
お嬢さんと海君を、そして産まれて来た娘…空を。
そばで見守りながら、二階堂に尽力出来る事は…俺にとって夢のような環境だ。
期待に応えれるよう、もっと力をつけなくては。
俺が一人決意を新たにしていると。
「それにしても、葛西がくれた自白剤、あんなに効くとは思わなかったわ。」
姐さんが、ニッコリと笑われた。
「…えっ…?」
自白剤…!?
「あ、心配しないで?身体に影響はないそうだから。」
「じ…自白剤…だから私はあんなに…」
「環には効かないかもしれないって言われたから、ちょっと多めに入れてしまったかしらね。」
ペロリと舌を出す姐さんに。
「…女は怖いな…」
頭と坊ちゃんは、同時にそうつぶやいたのだった…。
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