第35話 頭の決めた女性と結婚する。

 かしらの決めた女性と結婚する。

 それは自分への戒めとして決意した事。


 それなのに…


 悶々とした。



 お嬢さんが俺の子供を妊娠して、すでに八ヶ月という事は…順調にいけば、あと二ヶ月。

 もし何か不調を訴えてしまえば、いつ産まれてもおかしくない状況。


 …なぜ、お嬢さんは…逃げるようにいなくなった俺の子供を産む気になど…



 海君を妊娠された当時の事を思い返し、俺は自分に腹が立って仕方がなかった。

 なぜ…俺は…抑えられなかったのだ。

 恨まれても憎まれても、お嬢さんを拒むべきだった。


 …今そんな事を思った所で、時は巻き戻せない。


 お嬢さんに対して何か…など。

 今の俺には、何一つ出来る事はない。

 ただひたすらに…お嬢さんが健康で過ごされる事を祈るしか…



『環、昨日の報告書が上がってないぞ。今すぐ持ってこい。』


 頭からそう連絡があったのは、俺が現場を終えジェットで帰っている最中だった。


 昨日の現場の報告書…?

 それはとっくに提出したはずだったが…

 何か手違いがあったのかもしれないと思いつつ、再度報告書を持って本部の頭の部屋に行くと…


「座れ。」


 頭は…俺をソファーに座るよう促した。

 そして、目の前に広がるのは…


「どういう女が好みだ。」


 テーブル一面に、写真。


「……」


 瞬きもせず…写真の背景にばかり目を取られた。


 どういう女性が好みかと聞かれても…

 とっさに思い浮かぶのは、二人で過ごした時に見たお嬢さんのさりげない仕草や笑顔。

 一緒に月を見たあの夜の横顔。

 一緒にツリーを飾った、あの時の笑顔。

 海君を抱く時の優しいまなざし。

 あどけない寝顔…


 …忘れなければならないのに…



「……」


 うつむいてギュッと目を閉じた後、小さく息を飲んで顔を上げて。


「頭のお勧めくださる女性なら、どなたでも。」


 キッパリと言う。


「…そうか。じゃあ、織に似合う男はどんな奴だと思う?」


 頭は俺の前から立ち上がると、ご自分のデスクの上に並んでいた写真をまとめて、俺の前に投げられた。


「……」


 それは…FBIやCIAのトップクラスと呼ばれるメンバーの写真で。

 そこには、個人データも付けられていた。


 …両親共に優れた能力で…学歴も申し分ない。

 解決した事件や関わった任務も数知れず…輝かしい経歴の持ち主ばかりだ。



 二階堂は、影の組織。

 それゆえに…いくら優秀であろうと、表立って評価される事はない。

 …俺がどれだけ頑張った所で…

 親が誰か分からない時点で、お嬢さんの隣に並ぶ事は許されない。



「あなた…あら、環。」


 不意に姐さんが入って来られて。


「……」


 並んだ写真に視線を落とし、あからさまに溜息を吐かれた。


「まるでイジメね。」


 姐さんはそう言いながら、俺の手元にある男性の写真を手にして座られた。


「何がだ。」


「織のお見合い相手を環に選ばせてるの?それとも、このエリートぶりを見せ付けてるの?」


「姐さん。」


「環、いいからもう行きなさい。」


「…ですが…」


 姐さんと頭を交互に見ると。

 頭は無言で俺を見下ろして。


「…行け。」


 低い声で言われた。


「……」


 一触即発な雰囲気に、部屋を出る事をためらったが。


「何をしてる。早く行け。」


 頭が、語気を強めて言われて。


「…失礼します。」


 頭を下げて…部屋を出るしかなかった。



 頭の部屋を出てからも、お二人の様子が気になって…

 用もないのに廊下をうろついたりしていると。


「あ、環。」


 部屋から出て来られた姐さんが。


「ちょうど良かった。これから任務は?」


 笑顔で俺に言われた。


「え?あ…いえ、特にありません。」


「予定も?」


「はい。」


「じゃ、ちょっと付き合って。」


「え?」


 姐さんは笑顔で俺の腕を取ると。


「紗良。」


 部屋から出て来て声をかけられた頭に。


「べー、だ。」


 ペロリと舌を出した。



 ヒヤヒヤしながらも、姐さんに腕を引かれて外に出る。


「車出して。」


「はい…」


 後部座席に姐さんをエスコートし、運転席に回る。

 車を発進させると、不機嫌そうな顔で仁王立ちされた頭が正面入り口に立たれているのが見えた。



「…良いのですか?」


 ルームミラーで頭を見ながら姐さんに問いかけると。


「いいの。」


 姐さんは。


「飲みに行きましょうよ。」


 少しワクワクした顔で言われた。



 飲みに行きましょうよ。と言われたが、俺は運転手。

 姐さんは『タクシーで帰ればいい』と言われたが、そんなわけにもいかない。

 断固として譲らない俺に、姐さんは『カタブツねえ…』と溜息を吐かれた後。


 仕方なく…



「…すみません。」


「ほんと、融通効かない男ねえ。」



 結局、二階堂御用達のホテル…

 つまり、俺が部屋として使っているホテルにあるラウンジで飲む事になった。



「変わり映えしなくてつまんない。」


 姐さんからはブーイングだが、俺にも飲めと言われると…ここしかない。

 いや…

 本来、姐さんと酒を酌み交わす事も許されないのに。

 ここなら、二階堂の人間ばかりゆえ、何もやましい事がないのを証明出来て…


「環、今この状況の言い訳を考えてるでしょ。」


「……」


 するどい指摘に肩を強張らせると。


「もう…もっとリラックスしてよ。私、夫以外とお酒を飲んじゃいけないなんて、誰にも言われた事ないわよ?」


 姐さんは唇を尖らせて愚痴をこぼされた。


「…失礼しました。」


「ねえ、聞いてもいい?」


「なんでしょう。」


「あの時、織とどこに出かけたの?」


「…あの時?」


 首を傾げて問いかける。


「ほら、海の健診に行った後、二人きりにしてあげたじゃない。」


「……」


『二人きりにしてじゃない』…?


 姐さんの考えがそうだったとすると…

 俺は、あの時すでにお嬢さんに想いを寄せていて。

 それが周りに…こともあろうか、姐さんにもバレバレだった…と言う事か…?



「織ったら全然教えてくれなかったのよね。」


「…そうですか。」


「ねえ、どこ行ったの?」


「……」


 お嬢さんが話されてなかった事を、俺が話していいのだろうか。

 そう考えていると…


「環、全然お酒進んでない。飲んで。」


 ぐいぐいと、姐さんからグラスを押し付けられた。


「あ…はい…いただきます…」



 お嬢さんは妊娠中。

 相手である俺は逃げるようにアメリカに来たというのに…

 酒なんて飲んでる場合じゃないのに…



「…まずは、お茶を…」


「うんうん。それで?」


「それから、お嬢さんの服を買いに…」


「ああ、あの花柄の服ね?あれ、環が選んだのね。」


「そして、テーマパークへ行って…」


「えっ!!パレード見たの!?いいわねえ!!」


「ハンバーガーを食べながら、花火を見て…」


「青春だわ~。」


「少し早く帰ってしまい…塀をよじ登って、別館へ…」


「ええええ?環の部屋で何してたの。」


「いっいいいえ、何もしてません。お嬢さんは疲れてお休みになられました。」


「なんだ…」


「…姐さん?」


「で?どうしてこうなったのかな。環、無理やり押し倒しちゃうような事しないでしょ?」


「……」


「ほら、もっと飲んで。」


 ぐいぐい。


「…私は…」


「うんうん。分かるわ…」


「…お嬢さんと海君を…一生お守りしたかったです…」


「……」


「私は…なんて事を…」



 本当に…



 俺は…


 なんて事を…。

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