第34話 「…どうしてここに?」

「…どうしてここに?」


「…そっちこそ。」


 異動して二日目で、イタリアに飛ばされた。

 そして、その任務の現場で…


 森魚に出くわした。



「お…私は、ある組織の調査でここにいます。」


「……」


 ある組織。

 もしかして、坂本は二階堂と同じ組織を調べてる…?

 だとしたら、それは甲斐さんからの依頼なのか?

 …頭は坂本には頼らない気がする。



「環さんは、なぜここに?」


「…異動先からここに飛ばされた。」


「異動先…?」


 森魚の眉間にしわが寄る。

 この話は、とっくに坂本さんに届いていると思ったが…

 甲斐さんは伝えなかったのか。



「アメリカ勤務になった。」


 俺の言葉に森魚は眉間のしわをより深くして。


「じゃあ織の護衛は誰がしてるんだよ。」


 低い声で早口に言った後。


「っ…すみません…」


 小さく謝った。


「…心配しなくても、二階堂には優秀な人材がたくさんいる。」


 そうだ。

 俺がいなくても…みんながいる。

 お嬢さんは、大丈夫だ。



 …あの夜。

 俺は結局お嬢さんの願いは受け入れたが…気持ちは拒絶したも同然。

 最後まで名前を呼ぶことはしなかったし…気持ちも口にしなかった。

 …目の前で服を脱がれて、欲望を満たすためだけに身体を重ねた。

 それだけだ。


 きっと…俺に失望したはず。

 もう二度とお会いする事はない。

 俺は日本には帰らない。



「…今から私が喋る事は独り言です。」


「?」


 不意に、森魚が視線を俺から外して話し始めた。


「父から残子を言い渡されて…少し自暴自棄になった私は、その相手がお嬢さんであれば…と勝手に夢を見ました。」


 その言葉に、少しだけ胸に痛みが走る。


「汚い男です。どんな手を使ってでも…と思いました。それで、あの夜…家にしのび込んで…」


 森魚は小さく溜息を吐いた後、自分の足元を切なそうに見つめて。


「お嬢さんに…『まやかし』をかけました。」


 消え入りそうな声で言った。


「な…!!」


 掴みかかりそうになったが…やめた。

 俺には…そんな資格はない。


「…『まやかし』は、私と体を重ねる想像から始まります。ですが…お嬢さんは…あなたの名前を呼ばれました。」


「……」


 少し驚いて視線だけを森魚に向けたが、俺に表情を見せまいと顔を背けていて…その様子は読み取れない。


「それで…私の気が一瞬抜けた所で…『まやかし』が解けたお嬢さんは、私が誰かも気付く事なく………ふっ…あんなにボコボコにされるとは思いませんでした…」


「ボコボコにされても仕方のない事だな。」


「…そうですね。」


 お嬢さんは…きっと、相手が森魚だと気付いたのかもしれない。

 だから俺にも何も報告されなかったのだと思う。

 そして森魚も…お嬢さんは自分に気付きながら、そうしたと分かっている気がした。



「…出来れば、日本に帰って下さい。」


「……」


「…長い独り言に付き合ってくださって、ありがとうございました。では。」


 森魚はそう言うと、瞬時に姿を消した。



 俺はその気配だけが残る場所を見つめて。

 お嬢さんの涙を記憶から消し去るように…頭を振った。



 * * *



「元気か?」


 二ヶ月滞在していたイタリアの現場から戻ると。

 アメリカにある二階堂御用達のホテルの俺の部屋に…頭と姐さんがいらした。


「え…あ…」


 つい…言葉を失う。


「いつ来てもどこかに飛ばされていて、いつなら会えるのかと心待ちにしていた。」


 頭に笑いながらそう言われた俺は、視線を落として小さく『すみません』とつぶやく。


 俺は…お嬢さんとの一件があった翌日、逃げるように日本を発った。

 目の前にいるこの人達は…俺の育ての親と言っても過言ではない。

 なのに、俺がした事は…裏切り

 懺悔の意味も込めて、今まで以上に二階堂に尽力し、決してお嬢さんにも関わらないと決めた。



 こちらに勤務し始めて八ヶ月。

 頭とは文章のやりとり(報告書)はあったものの、俺は自ら通信不可能な現場に進んで行ったため。

 家族のように育った万里と沙耶、そして…誰とも連絡は取っていない。

 誰にも関わりたくない…というのが正解なのかもしれない。


 任務で厳しい現場に出向く事で、二階堂に尽力しているつもりになっていた。

 そしてそれが、なくなるはずのない罪を隠してくれるのではないかと…錯覚もしている。



「…痩せたわね。」


 姐さんが俺の腕に触れながら、顔を見上げて言われた。


「そうでしょうか。自分では気付きませんが…」


 部屋に入って初めて姐さんを直視して、気付いた。

 俺よりも姐さんの方が心配なレベルだ。

 痩せたと言うより…やつれてらっしゃる。


 ソファーに座っている頭を振り返ると。


「おまえの事だ。ここでも遊ぶ事無く任務に明け暮れているのだろうな。まるでここは無人の部屋だ。」


 一応ホテルではあるが、個人の部屋として契約しているため私物も置いているつもりではあるが…

 確かに見える場所にそれはない。

 こうして見ると、自分が面白みのない人間だと気付く。


 万里や沙耶なら、ベッドに本の一冊でも。

 サイドボードには写真でも飾っているだろう。



「…日本で何か事件でも…?」


 頭も元気のないように見えて、心配になった俺が問いかけると。


「……」


「……」


 頭と姐さんは顔を見合わせた後。


「はあ…」


 深い溜息を吐かれた。


「…飲み物を用意します。」


「ああ…頼む。」


 頭の隣に腰を下ろした姐さんを視界の隅に入れながら、一旦部屋を出る。

 帰って来たばかりの俺の部屋には、飲み物すらない。


 お二人の様子を気に掛けながらエレベーターで降りていると…


「おっ。」


「あ…甲斐さん。お久しぶりです。」


 開いたドアの向こうに甲斐さんが立っていた。


「頭と会ったか?」


「ええ、私の部屋に。」


「そうか…なら良かった。」


「?」


 エレベーターに乗るのかと思っていた甲斐さんは俺と一緒にフロントに行き、そこで頭と姐さんの好きな日本茶を受け取ると。


「お二人は今本宅にいらっしゃらないから…私もあまり会う事がなくてね。」


 苦笑いした。


「…え?本宅にいらっしゃらない?」


「ああ。別宅から本部に通ったり…こちらに来たりドイツに行ったり。」


「…本宅で何かあったのですか?」


 目を細めて問いかけると、甲斐さんは一瞬俺をじっと見つめた後。


「おまえ、お嬢さんへの気持ちは消化出来たのか?」


 低い声で言った。


「…はい。それは、もう終わった事です。」


 目を見て答える。


「……」


「……」


「…そうか。まあ、頭から話を聞くといい。私は…いや、私だけじゃない。二階堂のみんなが…御家族を心配している。」


「…?」


 何かがあったのは確からしい。

 だが、甲斐さんの様子にそれ以上問いかける事は出来ず。


「じゃ、お二人を頼んだぞ。」


 甲斐さんはエレベーターには乗らず、俺の背中をポンポンと叩いて柔らかな笑顔を残した。



 甲斐さんから『お二人を頼んだぞ』と言われ。

 いったい何があったのだろう…と、エレベーターを降りて廊下を歩く足取りが早くなった。



「お待たせいたしました。」


 部屋に戻り日本茶を淹れ、お二人の前に静かに置くと…


「…はあ…」


 どうも…重症なのは頭の方らしい。

 先ほどの溜息よりも、さらに深く重いものが続いた。


「…あなた。いい加減にしたら?」


 姐さんがお茶を一口飲んでそう言われると。


「分かってはいるが…」


 頭は小さく首を振りながら。


「なぜ…と、思ってしまうんだよ。」


 また、ガックリと項垂れた。


「……」


 聞き役に徹しようと、俺からは何も口を挟まずにいたが。

 苦笑いをしたままの姐さんが。


「男親って、こんなものなのかしらね。」


 そう言われた瞬間。


「…坊ちゃんかお嬢さんに何か…?」


 つい、言葉が出てしまって。


「…織がね、二人目を。」


 姐さんが目を細めながらも、柔らかく微笑んでそう言われた。


「……」


 …え?


「…二人目…?」


 一瞬の内に、頭の中が真っ白になった。


 二人目…

 二人目って…



「全く…海の時もだが、今回も相手の名前を言わない。」


 頭は少し苛立ったように顔をしかめて。


「あいつはいつも…大事な時に、こうなってしまう。」


 吐き捨てるようにそう言われた。


「あなた。」


「っ…わ…分かってる。」


「……」


「…環?」


 呆然としている俺の顔を、姐さんが覗き込まれた。


 この会話の流れからして、お嬢さんは…

 …分かるのに。

 それは、分かるのに…

 頭の中が、真っ白で…



「あ…え…そ…その…」


「驚いた?」


「…はい…その…今、妊娠…何ヶ月…」


「八ヶ月よ。」


「……」


 八ヶ月…

 それは…

 まさか…



「驚くのも無理はない…二階堂を継ぐと言いながら、誰が相手かも言えない妊娠を二度もするなんて…」


「あなた。」


「なんだ。おまえだって今回は情けないって織を叩いたじゃないか。」


「それは本心です。でもいつまでもグズグズ言ってるあなたとは違って、私はずっと織の身体を心配してます。」


「なっ…誰がグズグズなんて…!!」


「グズグズでしょう?」


「おまえだって、あれからずっと落ち込んでるじゃないか。私が帰ってみるか?って聞いても帰らないし。」


「それは…」


「それは何だ。」


「…陸に言われた事が…堪えてるんです。」


「……」


「織離れをしなさい、なんて…私達の勝手で二人きりにさせていたのに…あの時陸の言った『ずっと二人きりにさせといたのは誰だ』って言葉。突き刺さったわ…陸は…いつも笑ってくれてたから…」


「…それは…でも…」


「申し訳ございません…!!」


 お二人が俺の前だというのも忘れているかのように、言葉を出し合っておられる最中。


 俺は床に額をこすりつけた。



「…環?」


 頭上から、呆れたような声が降って来たが…

 俺は…


「…お嬢さんが妊娠されているとの事、今の今まで存じ上げませんでした。」


 自分の愚かさを痛感した。


 逃げるようにこっちに来て、あの夜の事を忘れ去るためかのように…任務に没頭した。


「上層部しか知らない事だ。おまえもあちこちに飛んでいたし、知らなくて当然だろう。」


 頭は小さく笑いながらそう言われたが…


「いえ…」


 俺は一度顔を上げて、お二人を見つめた後。


「その…お嬢さんの相手は…私です。」


 そう言って、唇を噛みしめた。


「……………え?」


 お二人から同時に、キョトンとした声が漏れたが…


「申し訳ございま」


「環…!!」


 俺がもう一度頭を下げると同時に。

 頭の足が、俺の肩を蹴り弾いた。


「あなた!!やめて!!」


「環…おまえは…!!」


 頭は仰向けになった俺に馬乗りになると、胸元を掴んで上体を引き上げて。


「どういう事だ…織の護衛でありながら…どういう……もてあそんでいたのか…?」


 今まで聞いた事のない…低く怒りのこもった声と目で俺を制された。


「…申し訳ございません…」


「もてあそんでいたのか!!」


「抑える事が出来ず…」


「環!!」


「やめて!!」


 姐さんが頭を止めようとされたが。

 俺は、されるがままに…頭に殴られ続けた。



 …大事なお嬢さんを…俺は、大事に想っていた人達を…

 誰でもない、俺が苦しめていた。


 何が二階堂に尽力する、だ…



 俺の身体を投げ捨てるようにして立ち上がられた頭は。


「…おまえには、私の決めた相手と結婚してもらう。」


 吐き捨てるようにそう言われた。


「…従います…」


「環、起きないで。手当をするから横になってて。」


 姐さんが俺の身体を支えて言って下さったが…


「そいつに触るな!!」


 頭は姐さんの手を引いて部屋を出て行かれた。


 バタン


 乱暴に閉まるドアの音を聞きながら。

 俺は…

 最低な自分を呪うしかなかった。



 * * *



「あ…」


 頭を冷やそうと屋上に上がると、先客がいた。


「環…」


 俺の顔を見た姐さんは苦笑いをしながら。


「…もう、あの人ったら手加減もしないで…酷いわね。」


 腫れた口元に手を添えかけて…やめた。


「…いえ、私が悪いのです。」


「……」


「…あの…」


「何?」


「……」


 お嬢さんの体調は…

 出産予定日は…

 知りたい事は多々あれども。

 …俺に聞く資格はない。

 なのに…知りたいと思ってしまう自分もいる。


 言葉を飲み込んでうつむくと。


「…環、ずっと織の事、好きだったわよね。」


 姐さんが小さな声で言われた。


「……」


 ゆっくり顔を上げて姐さんを見る。


「ふふっ。」


 冷たい夜風に髪の毛をなびかせながら、姐さんは小さく笑って手すりまで歩かれた。


「…お怒りではないのですか…?」


 柔らかく微笑まれる姐さんに問いかける。


「私は知らない男が相手より、環で良かったって思うけど。」


「ですが…」


「…あの人には、分からないかもね。」


「…?」


「私も最初は護衛みたいなものだったから。だから…環か万里か沙耶とくっついてくれないかなーなんて思ってたの。」


 姐さんはペロリと舌を出して。


「こんなの、あの人に知られたら怒られちゃうわね。」


 俺を振り返って笑われた。


「二階堂を変えたいって思ってるはずなのに…なぜかあの人が一番、二階堂にしがみついてる気がする。」


「それは、トップとして仕方のない事では…」


「…私を選んでくれた時…すごく嬉しかったの。」


「……」


「当然だけど、あの人にもたくさんの縁談話があったわ。それでも…小さな頃から一緒にいた私を、選んでくれた。」


 夜空を見上げる姐さんの横顔は、凛としているのに…寂しそうにも見えた。


「…織への気持ちは、本物?」


「っ…」


 不意に問いかけられて、目を見開いてしまう。


 そんな俺の顔を見た姐さんは。


「ふふっ。環でもそんな顔するのねえ。」


 手すりにもたれかかって、クスクスと笑われた。


「…お嬢さんを…お慕いしています。」


「その事、織には?」


「……」


「気持ちを伝えあってないのに、妊娠するような事を…?」


「申し訳ご」


「あああああ土下座はいいから。」


 俺が膝をつこうとすると、姐さんが両手で肩を掴まれた。


「…まあ、色々あったって事ね…」


「…すみません。私がしっかりしていれば…姐さんがお嬢さんを叩くような事は…」


 本当に。

 この人に…娘の頬を叩かせてしまったのだと思うと…

 どんなに悔やんでも悔やみきれない。

 俺は…なんて最低な男なんだ。



「私が叩かなかったら、あの人が織の事を勘当するぐらい言っちゃいそうだったから。」


 姐さんの想いに胸が締め付けられる。


「環。」


「はい。」


「あの人の事だから…たぶん本気で織にも環にも、結婚相手を探して来ると思う。」


「……はい。」


「それでもいいの?」


「私は、お嬢さんだけではなく…頭と姐さんも傷付けてしまいました。ですから…仰せの通りに。」


「……そう。」


 姐さんは少しガッカリしたように眉を下げられたが。


「寒くなったわ。戻りましょう?」


 俺の背中に手を当てて言われた。


「…姐さん。」


「ん?」


「…本当に、申し訳ございませんでした。」


 土下座は拒絶されると思い、深々と頭を下げる。


「ですが…私の気持ちに偽りはございません。」


 すると姐さんは俺の頭をわしゃわしゃと撫でて。


「お互い頑張りましょ。はい、顔上げて。」


 辛いはずなのに…俺を励ますような笑顔でそう言って下さった。

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