第16話 俺が勝手に怪我をしたような物なのに

 俺が勝手に怪我をしたような物なのに、それはお嬢さんを庇っての名誉の負傷のように扱われ。

 お嬢さんは、俺への罪悪感からか。

 頭と姐さんにお会いになる覚悟を決められた。


 周りからは俺のおかげだと言われたが、怪我のせいでのそれだとしたら…俺としては不名誉だ。

 怪我なんて汚点でしかない。


 …まあ、あれで森魚が納得して帰ったのだから、勉強だったと思えばいいのだが…



 ともあれ、お嬢さんは坊ちゃんと共にご両親に会い、俺との勝負のために武術の技にも磨きをかけられた。


 だが、それもこれも…俺との勝負のため…だけじゃない。


 坊ちゃんには夢を追わせて、自分が二階堂を継ぐ。と宣言された。

 それを周りにも認めさせるために…お嬢さんは毎日弱音を吐く事無く、稽古に励んでおられる。

 その熱は、尊敬に値する。



 引っ越された頃は、お二人が頭と姐さんの大事な存在とは分かっていても…

 どこかに、『子供の世話なんて』という思いがなかったわけではない。

 まだまだスキルを高めたいばかりの自分は、もっと有効に時間を使いたいのに…と。



 それでも今は…

 庭に花壇が欲しい。と言ったお嬢さんの。

 友達とバンドを組む。と目を輝かせた坊ちゃんの。

 俺にはない視線に、誰にも言えない胸の奥を突き動かされている気がする。


 二階堂の者は個人の夢を持たない。

 だからこそ…お二人を眩しく感じ、強くしてさしあげたい。と思うようになった。



「環、勝負よ。」


 それは、和館の一室で頭と将棋を指している時だった。


 道着姿で勢いよく襖を開けたお嬢さんは、強い目で俺を見下ろす。


「こら、織。父さんが勝負してるんだぞ。」


「あたしは、一年前から約束してるのよ。」


 一年前と聞いて、もうそんなに経ったのか。と心の中で笑う。

 なんてあっという間だったのだろう。


「組長との勝負が終わったら、行きます。」


 目を見て答えると。


「父さん、早くケリつけてよ。」


 お嬢さんは、頭の背後に回って両手で背中を叩いた。


「そ…そうせかすな。」


 そう言いながらも…娘に触れられるのが嬉しいのか。

 頭の口元は一気に緩んでしまった。


 …思考も緩んだようだ。


 ああ…そこでいいのですか?



「いただきます。」


「あっ…待った、今のは…」


「だめよ、父さん。さ、環。」


「おまえがせかすから、負けたんだぞ。」


 頭の泣き言を無視して、俺は立ち上がる。


「着替えてきますから。」


 そう言うと、お嬢さんは帯をギュッと締め直して。


「待ってるから、早くね。」


 闘志にみなぎった目で言われた。


 …ふっ。

 楽しみだ。



 別館に向かって歩いてると、小さいが…違和感を覚えた。


 この感覚…


「……」


 塀を視線だけで見渡す。

 けれどそこに姿を見せない事は分かっていた。


 …森魚が来てるのか?



「ちーっす。」


「……」


 部屋に入ると森魚がいた。

 窓枠に座って、漫画を読んでいる。

 こいつは…なんだってこんなに堂々と…



「勝手に入るな。」


「ほい、柔道着。」


 投げ渡されたそれを手にして、首を傾げて森魚を見る。


「あ、別に針仕込んだり糸を抜いたりしてねーよ?」


「当たり前だ。そんな事したら親父さんに全部言う。」


「うはっ。それだけは勘弁。普通に殺されるっ。」


「……」


 スーツを脱いで着替え始めると、森魚は漫画を閉じて。


「…傷、残ってねーの。」


 小声で言った。


「あ?」


「血…出てたから。」


「……」


 森魚は自分の頭をトントンとしながら、俺の目は見ずに…少しバツの悪そうな口調で言った。


 着替え終えた俺は無言で森魚に近付くと。

 髪の毛を分けて、少しだけ残っている傷跡を見せる。


「五針縫った。」


「…マジか…」


 俺の頭をかすめた銃弾は、まるで刃物で切りつけたかのように、スッパリと傷跡を残してくれた。

 そこまで大げさな物じゃないと思っていたが…

 森魚の存在を伏せているだけに、俺にこの傷を残したのは…あのチンピラだと言う事になっている。


 …どうでもいいようで、どうにも嫌だと思っている自分がいる。

 が、もはやそれも仕方のない事。

 そのおかげで、この未知の能力を持つ若者が生きているなら。



「余計な事はするなよ。」


 森魚の手元を見ながら言うと。


「しねーし。」


 森魚は恐らく沙耶の部屋から持って来たと思われる漫画を、バサッとベッドに投げた。


「ちゃんと戻しとけ。」


「ういー。」


 面倒臭そうにはするが、一応言う事はきいてくれそうだ。


 漫画を手にした森魚は窓から外を見て。


「陸は新しいダチと遊んで、織はあんたと勝負とか…なーんか理不尽な夏休みだなー…」


 大きく肩で息を吐いた。


 …お嬢さんが継ぐ事を知ってるのか。


「おまえも地元で夏休みを満喫しろ。」


「あー、そーだなー…」


「舞とはどうなってる。」


「高校離れたし、元々あいつも護衛でしかなかったし。」


「会ってないのか。」


「あいつ表面上は一般人だしな。夏休みをどーでもいー友達と遊びながら、陰では特訓してるし。そんな時間ないって。」


「……」


 少なからずとも、舞は森魚に好意があるように思えたが。

 それも表面上だったのか?


 舞は森魚を一般人だと思っている。

 だとしたら、都合のいい駒として使っていたとも考えられるが…

 時折見せた好奇の視線は、何の感情を織り交ぜていたのだろう。



「ま、二階堂の中にしかいねーあんたらには分かんねーだろうなあ…この駆け引きっつーかさ…」


 森魚のセリフに首をすくめる。


 16歳に何を言われようと気にはしないが、『二階堂の中にしかいない』と言われると…

 望んでそうしているクセに、少し痛い気もする。



「とにかく、甲斐さんにも迷惑かけるような事はするなよ。」


 部屋を出ながら釘をさす。


「はいはい。」


 ドアを閉める直前に見えたのは。

 森魚が窓から身軽に飛び立つ背中だった。



「それでは、始めます。」


 俺とお嬢さんの間に立つのは、主審の浩也さん。


「始め!!」


 お嬢さんは軽やかに跳ねながら、俺の様子を伺っている。

 道場の周りには、どこから集まったのか…多くのギャラリー。


 …まあ…

 今やお嬢さんは二階堂の人気者だ。

 ここに来た頃に比べると、誰に対しても笑顔で、まだ花の一つもない殺風景な庭の掃除も手伝われる。


 今日はずっと道場で色んな奴を相手に乱取されていたはず。

 花壇を賭けた闘いは、お嬢さんに勝たせてあげたい反面…

 二階堂を担っていただくためには、そう簡単に勝たせるわけにはいかないと思うのが常。


 それなら俺は…



 お嬢さんの袖を掴んで、跳腰を仕掛ける。


「きゃっ!!」


 耳元で聞こえた声に、胸の奥に痛みのような物が走った。


 …聞き慣れない声を至近距離で受けたせいだ。


 軽い悲鳴を上げたものの、お嬢さんは俺の技を凌いですぐさま戦闘態勢に入って。


「やあ!!」


 懐に飛び込んで来た。


「っ!!…なかなかやりますね。」


 背負いをかけると見せかけての大外刈り。

 沙耶より上手い。


「まだまだ、こんなもんじゃなっ…きゃっ!!」


 !!


 不意に、お嬢さんが何かに躓いて俺の脇に突っ込んで来た。

 避ける事も出来るが…それだとお嬢さんは顔から突っ込んでしまう事になる。


 お嬢さんが畳に向かってその顔を打ち付ける寸前、袖を引き寄せて俺の身体を下に巻き込もうとしたが。

 すでに帯が緩んでいたのか…

 引き寄せた袖は簡単にお嬢さんの身体から離れてしまい、俺はすかさず道着の中にあったTシャツを引っ張ってしまった。


 ガッ


 それは俺の顔に落ちて来た。

 お嬢さんの顎だ。

 そして…その寸前。

 大きく開いてしまったTシャツの襟ぐりから…



「あたた…大丈夫?今あたしの顎で顔うたなか…」


 俺が目の下あたりを押さえてうずくまると、お嬢さんが顔を覗き込んで来る。


 …いや、何もなかった。

 何も見なかった。

 て言うか…


 お嬢さん…

 なぜ…し…下着をつけておられないのですか…!!


 いっ…いや、見たわけじゃない。

 白い…白い肌が見えただけで…



「大丈夫ですか?」


 浩也さんの問いかけに、元気に頷くお嬢さん。


 俺は無言でゆっくりと立ち上がって…

 精神統一を…


「じゃ、もう一度。始め!!」


 浩也さんの声と共に、なぜか…道場の外に目が向いた。

 …森魚がムッとした顔で俺を睨みつけてる。


「!!」


 あ。


「一本!!」


 きれいに内股をキメられてしまい。


「すごい!!お嬢さん!!」


 俺は畳の上に転んだまま、飛び跳ねる沙耶を見上げた。



 …俺もまだまだだ…


 うなだれながら礼を済ませると。


「…手抜いたの?」


 お嬢さんが詰め寄って来た。


「…まさか。そんな事はしません。」


「……」


「花壇は、必ず作るように段取りしますから。」


「ねえ。」


「はい?」


「見たわね。」


「!!」


 目を見開いて食いしばると。


「手入れも手伝わせてあげるからね。」


 お嬢さんが俺の顎を人差し指で持ち上げた。


「…喜んでお手伝いさせていただきます。」


 溜息と共に頭を下げる。



 …ああ…!!




 お嬢さんとの対戦を終え。

 俺に勝ったお嬢さんの周りに人だかりが出来ている間に、俺は自分の部屋に戻る。

 するとそこには、森魚が漫画を読んでいた時と同じように窓枠に座っていて。

 …明らかに、不機嫌そうな顔で俺を睨みつける。



「…見ただろ。」


「…何を。」


 冷蔵庫からお茶を出して飲もうとすると、すかさず森魚が俺の手からグラスを奪った。


「織の胸。見たよな。赤い顔したもんな。」


「…胸を見たぐらいで動揺すると思うか?俺は23だぞ?」


「どうせ二階堂は未成年の間は訓練ばっかやってんだろ!?女の裸、見た事あんのかよ!!」


 むっ。


「てか、キスもした事ねーんじゃ!?きっと二階堂の男、みーんな初体験は用意された女なんだろーな!!」


 むむっ。


「二階堂の23は盛りのついたオスだ!!」


 むむむっ。



 いちいちピキピキと頭に来たが、それに反応するのも大人気ない。

 確かに未成年の間…特に12歳までは訓練ばかりしていて。

 早熟だった沙耶に比べて、俺は性に関して興味を持ったのは遅かった。

 それも…女性の事を『二階堂の者として優秀な人材を生み出す存在』としか捉えていなかったため、万里と沙耶にその話をした時は『カタブツ!!』とゲラゲラ笑われた。


 何事も経験。なんて言われて、浩也さんと飲みに行った先で知り合った女性たち。

 それについても…健全な気持ちで至ったものではなかった。


 万里と沙耶が恋愛を楽しむ反面。

 俺は常に自分の気持ちよりも、二階堂に対する気持ちが優先で。

 もしかしたら…だが…

『初恋』と言われるそれもまだ。

 そして、そんなものはなくてもいいとさえ思う。



 自分を『盛りのついたオス』と言われて腹が立つと言うより、『二階堂』がバカにされたような気がする事にイラつくあたり…俺は『自分』を持っていないのかもしれない。


 それに俺は、二階堂の中でも古株の人達に可愛がられる。

 考え方が古いから、意見が合うと言われるのだろう…



「…言っておくが、もし俺がお嬢さんの胸を見てしまったとしても…あれがなければお嬢さんは顔を畳に打ち付けてたんだぞ。」


 道着を脱ぎながら言い捨てる。


「……」


 森魚は唇を突き出して、どうにも解せない様子。


「それより、こっちにいる事、親父さんは知ってるのか?」


「…知ってるよ、たぶん。」


 拗ねた口調で自分の足元を見下ろす森魚は、スーツに着替えた俺に。


「…あんたさ、見た目いいし自分が思ってるよりはまあまあ出来る奴なんだから、もうちょっと自信持てば。」


 何かよく分からないが…励ましのような言葉をつぶやいた。


「…どうした。急に。」


「…別に。」


 森魚は勢いよく窓枠から立ち上がると。


「織が思うような花壇、早く作ってやれよ。」


 そう言って、姿を消した。


「……」


 森魚が消えた窓を無言でしばらく見つめていると。


『環。』


 廊下から万里の声。


「…何だ?」


 ドアを開けると、万里は首を傾げて。


「落ち込んでないか?」


 部屋に入って来て、俺の顔を覗き込んだ。

 その言葉に一瞬うなだれたような顔をして。


「負けるとは思わなかった…」


 万里の肩に頭を乗せてみる。


「ははっ。ま、すっ転んだ後の動揺ぶりが響いたな。」


「別に動揺なんてしてない。」


「いーや。おまえらしくない顔してた。」


「……」


 別に、16歳の平たい胸に動揺なんて…


 俺がそう考えながら無言でいる事を、万里は違う意味に捉えたのか。


「…俺はおまえがあんな顔してるの、なんか嬉しかったぞ?」


 そう言って…俺の頭をポンポンと撫でた。

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