第15話 「学校はどうした。」
「学校はどうした。」
その背中に声をかけると。
小僧はビクッと肩を揺らした後…ゆっくり顔だけこちらに向けた。
「…そんなの、休んでるに決まってんじゃん。」
「早く帰れ。」
「やだね。」
「……」
今日からお嬢さんが登校を始められた。
となると、きっと小僧が現れる。
そう思い、登校路を張ってると…やはりいた。
「おっさん、結構鋭いな。」
「誰がおっさんだ。」
丘の上からこっそり。
このスタンスなら別に悪くはないが…
接触されては困る。
坊ちゃんはともかく、お嬢さんは今もまだ…育った町に戻りたい気持ちが大きい。
突然二階堂の事を話した所で、理解するには時間がかかる。
頭が時期を見て打ち明けるまでは…何も知られてはいけない。
「この距離で見守るだけなら、文句は言わない。」
ずっとお嬢さんの背中を見つめる小僧に声を掛ける。
「だが、存在を知られるような事があれば…どうなるか分からないと思え。」
「…ふっ。俺なんかに頬っぺた叩かれた奴が、よく言うよ。」
「ああ…あれは痛かったな。お返しだ。」
「!!」
俺の言葉に受け身を取る小僧。
その険しい顔を見下ろして、俺は笑う。
「こんな人目に付く所で戦闘態勢に入るな。」
「だっ……あんたが大人気ない事言うから…っ…」
小僧は唇を尖らせて赤い顔。
小声で文句を言いながら、元の位置に戻った。
「…今は見てるだけにする。」
相変わらず唇を尖らせたままで、小僧がつぶやいた。
「賢明だ。」
頭をポンポンとして、俺は歩き始める。
今の間に財布を抜いて、入れ返したが…気付いたかどうかは分からない。
お嬢さんより先に帰っておかなくては。
勝手に護衛をしたなんてバレたら、機嫌を損ねてしまう。
門前で万里がお嬢さんと話してるのを確認して、俺は裏口から戻り。
玄関で靴を脱いでいるお嬢さんに声をかけた。
「おかえりなさい。」
「あ…ただいま。」
学校がどうだったか…と、きっと万里に聞かれたはず。
だとしたら、俺からも聞かれるのは面倒だろうと思い、何も言わずにいると。
「ねえ。」
お嬢さんの方から声を掛けられた。
「何でしょう。」
「うちの庭って、どうしてこう…色気がないの?」
「色気…ですか?」
「そうよ。普通ヤクザの家ってさ、大きな池があって樹齢百何年とかの松の木があって。」
「……」
なるほど…
この家に来て、お嬢さんはほとんど部屋から出て来なかった。
出たとしても縁側に座って空を眺めるぐらいのもの。
庭の景色を楽しむ…
…二階堂にはない習慣だ。
「春にはチューリップ。夏にはヒマワリ…気持ちがなごむと思わない?」
そう言うお嬢さんの目は…今まで見たどれよりも、和らいでいる気がした。
「いいですねえ…」
万里がお嬢さんに加勢して、庭を見渡す。
花壇…
お嬢さんが欲するもの…
「…じゃ、私と勝負しましょう。」
「勝負?」
「私と柔道で勝負して勝てたら、お願いするだけじゃなくて、確実に了解をもらいましょう。そして、立派な花壇を作ってさしあげます。」
坊ちゃんとお嬢さんは、いずれ二階堂を背負って立つ存在。
そして俺達は、そのお二人をお守りし…育てなくてはならない。
「別宅の向こうに道場がありますから、誰かに稽古をつけてもらったらいかがですか?」
「…万里君!!稽古着買って来て!!」
お嬢さんは俺が有段者と知り、若干腹を立てている様子だったが。
話には乗った。
「すぐにとはいかないかもしれないけど、覚悟してなさいよね。環にも、かわいい花壇の世話をさせてあげるから。」
俺の目を真っ直ぐに見て、そう言い放ったお嬢さん。
その後ろで、万里はニンマリと笑って両手でガッツポーズ。
そして俺は…
自分が研修に入った頃、浩也さんもこんな気持ちだったのだろうか。と…
親心のような物を感じていた。
「…チューリップにひまわりに…桜の木か。」
庭を見渡しながら小さく言うと。
「お嬢さんがおまえに勝つとは思えないけど。」
万里は足元を見て小さく笑った。
「俺も負ける気はないけど…話し合わせてくれてサンキュ。」
礼を言うと、万里は前髪をかきあげて『どーいたしまして』と口パクした。
学校に行き始めたものの、相変わらずお嬢さんはすぐに二階の自室に入られたようで。
そこを見上げても窓は閉められたまま。
坊ちゃんみたいに、俺達と庭でバスケでも…というのは難しくても、せめてリビングでお茶でもしてもらえるほどになれば…
「おっ、モテモテくん。」
色々考えてると、帰って来た沙耶が俺を抱き寄せた。
「何だよ。」
「これ、本部の女の子から。」
沙耶はそう言って、ポケットから手紙を差し出した。
「うおおっ、三通も!?」
万里が目を見開いて、俺の首を絞める。
「何でこんなカタブツがいいのかねえ。」
「知るか。」
沙耶は『確かに渡したからな』なんて言いながら、俺のポケットに手紙を押し込む。
「あ、でもおまえ彼女いたっけ?」
…二階堂にいると、相手はどうしても…二階堂の人間になる。
実際、万里も沙耶も、本部の女性と付き合ったりしていたようだが…
俺は…近い場所で揉め事になるのが面倒で。
浩也さんと飲みに出かけた先で知り合った一般人と…遊び程度の付き合いしかした事がない。
むしろその方が向いてる。
色恋に本気になんてなれない。
いずれは二階堂の女性と結婚するはずだ。
頭か甲斐さんが選ぶ女性と。
そして、共に二階堂に尽力する。
それは…俺達全員が思っている事。
だからこそ、今遊んでおくべきだと考える沙耶と。
今の気持ちは大事にする。と考える万里。
俺は…
自分の気持ちなんて…あって無いような物だ…と、思う。
「…いや、先週別れた。」
小僧に平手打ちされた頬を思い出して、そう言うと。
「別れた?あ、もしかして、ここ腫らして帰ってきた時?」
万里がすぐに反応した。
「…ああ。」
「何、別れ話のもつれで殴られた?」
「全身全霊をこめての、いいパンチだったな。」
全く…
あの時の小僧の態度…思い返すだけで目が細くなる。
あいつ、本当に分かってるんだろうな…
しばらくすると坊ちゃんが帰って来て。
俺達は一緒に学校での出来事を聞く。
些細な日常だが、俺達は体験した事がない。
坊ちゃんのそれは、俺達にとって楽しみになりつつあった。
…が。
「…織がいない。」
坊ちゃんが暗い声でそう言われたのは、万里が作った晩飯をテーブルに並べている頃だった。
「探して来ます。坊ちゃんは沙耶とここにいて下さい。」
万里がそう言うと、坊ちゃんは。
「嫌だ!!俺も探しに行く!!」
沙耶の腕を振り切って、外に出ようとした。
その取り乱し方に…胸が痛んだ。
こちらに越して来てからと言うもの…
坊ちゃんは常に俺達に笑顔で接して下さった。
それは、なかなか俺達に心を開かないお嬢さんを『許してやって欲しい』と言わんばかりに…
まるでお嬢さんの分まで、俺達に心を許し、甘えて下さっていたように思える。
…ずっと二人きりで生きて来られた。
何があっても、黙っていなくなるなんて事はなかったはずだ。
坊ちゃんの心中を想うと、やりきれない気持ちになった。
「坊ちゃん、もしかしたらふらっと帰って来られるかもしれません。その時のためにも…私達は待っていましょう。」
普段おちゃらけてる沙耶が、坊ちゃんの肩をぐっと抱き寄せて言う。
「っ…」
その沙耶の真剣さが届いたのか…
坊ちゃんは息を飲んで、唇を震わせながら小さく頷いた。
二階堂に子供がいた事が知れたとして。
狙って来る組織がいないとは限らない。
それが海外だとしても…
そういう奴らは、どこからでもやって来る。
「万里、表にいてくれ。車を回す。」
「分かった。」
万里にそう言って、俺はガレージに向かいながら。
「……頼むぞ、小僧君。」
ポケットからレーダーを取り出す。
さっき財布に忍ばせた発信機。
こんな事に役立つとは。
小僧の居る場所を確認して、車で急ぐ。
SKH66685の倉庫。
万里には目撃情報が入ったと伝えた。
「待機してくれ。」
「OK。」
万里を車に残して、俺は外に出る。
小僧は…と。
「…おい。」
階段の下にしゃがみ込んでいる小僧に声を掛けると。
「…マジかよ…」
小僧は明らかに落胆の顔と声。
「どこだ?」
自分の身体を両手で探って。
「財布。」
俺が倉庫の中の様子を見ながら答えると。
「……ちょっとは出来る奴みたいだな。」
拗ねたような口調で言った。
「何者だ?」
「ただのチンピラ。織を売り飛ばすってさ。」
隙間から見える顔を確認。
…何だってお嬢さんは、あんな奴らと車に…
若干ガッカリしていると。
「あいつ…寂しかったみたいだ。」
小僧がつぶやいた。
「は?」
「寂しいから、あんな…知らない奴について来ちまったんだよ。」
「……」
「そうじゃなきゃ…織は知らない奴になんてついて行かない。」
そう言われて、お嬢さんの行動にガッカリした事を反省した。
自分が15歳の時と、今のお嬢さんじゃ…環境が違い過ぎる。
まだ子供だ。
「助けたいだろうが、おまえは出て来るなよ。」
小僧の肩に手を掛けて言うと。
「なっ…何でだよ。俺だっ」
「素性がバレたら一生会えなくなるぞ。」
「っ……」
「親友のままでいたいなら、我慢しろ。」
「……」
小僧は唇を噛んで、両手をギュッと握りしめた。
「…織に…傷一つ付けんなよ…」
「…分かった。」
小僧と約束したところで…
『環、どこだ。』
万里の声。
「今から入る。」
『表に仲間らしき奴らの車が二台、こっちに向かってる。』
「分かった…非常階段の下にいてくれ。」
『了解。』
小僧を海側の通路に行かせると、単身倉庫に向かう。
寂しかったお嬢さんの気持ち。
それを知りながら会う事を許されない小僧。
…二人の事を思うと、自然と怒りが湧いて来た。
チンピラにもだが…
自分にも…。
「ぐあっ!!」
入口に立っていた男に思い切り一発見舞ってやる。
「誰だ!!」
電話をかけていた男が振り返ったが、そこにもすかさず拳を飛ばした。
「環…」
部屋の隅に、両手足を縛られたお嬢さん。
「そこのドアから出てください。外に万里がいます。」
ロープを切って、ドアに視線を向ける。
「環…どうして、ここが?」
「そんなことはどうでも…お嬢さん…血が…」
チンピラ達に殴られたのか、お嬢さんの口元には血がにじんでいる。
…今まで坊ちゃんと二人、こんな危険とは交わらない世界だっただろうに…
そう思うと、やりきれなくなった。
その血をゆっくりと拭って。
「仲間が来ます、早く。」
俺を気遣ってか、なかなか歩き出そうとしないお嬢さんの背中を押した。
窓からお嬢さんと万里が合流したのを確認して。
俺は小僧の元に戻ろうと…
「やめてくれ!!」
声に振り向くと、俺に殴られた二人が両手を上げて震えている。
その先には…銃を手にした小僧。
「う…撃たないでくれ!!」
「は?これって撃つためのもんだろ?」
「たっただの…ご…ご…護身用だ!!」
小僧を刺激しないように、視界に入るようゆっくりと男二人の背後に回る。
「…邪魔すんなよ、おっさん。」
「だから、誰がおっさんだ。」
俺の声に驚いた二人が、体を大きく揺らせて振り返った。
「はっ…!!たっ助けてっ!!」
溜息をつきながら、二人の腕を後ろで拘束する。
「邪魔すんなっつってんだろ!!」
怒りに火のついた小僧は声を荒げたが。
「こいつらを殺してどうする。」
静かな声でなだめるように言い聞かせる。
「お嬢さんを大事に想うなら、今はその身が無事だった事を喜べ。」
「…殴られて血が出てた。」
「……」
それには俺も若干怒りを覚えたせいか…すぐには言葉を出せなかった。
だが、ここで小僧が誰かを傷付けたら…
…坂本さんは、こいつを消す。
「それを渡せ。」
ゆっくりと手を伸ばす。
小僧は怒りに満ちた目で、俺の背後に視線を向けたまま。
背中を向けていても分かる。
二人のチンピラは…まだ何か隙を狙ってる。
俺としては、そんなチンピラよりも…小僧を止める方が重要だ。
…こんな面倒事、放っておきたかったはずなのに。
「そんな奴らに背中見せるとか、あめーんだよ!!」
小僧の怒りが頂点に達したらしい。
俺の背後に忍び寄った二人のどちらかを狙った小僧。
撃たせてはいけない。
引き金が引かれる瞬間、俺は背後の二人を腕を伸ばしてそのまま仰向けに倒した。
パン
聞き慣れた銃声と、瞬間的な熱が頭をかすめて。
「…あ…っ…」
目を見開いた小僧が膝から崩れ落ちるのが見えた。
「ひいっ!!」
両手を後ろで拘束されたままのチンピラ達は、腰を抜かしたように仰向けのまま這いずり回り。
「環、大丈夫か?」
そこへ…甲斐さんがやって来て。
「…それを置いて、早く行け。」
小僧にそう言うと。
「な…なんでだよ…なんで…」
小僧は震える右手を左手で押さえて呆然とした顔。
「早く、行け!!」
珍しく…大声を出した。
頭から流れ出る熱が、少しだけ気持ちを昂らせる。
「いいか。自分の町に戻れ。もう…こっちでの修行はおしまいだ。」
「……」
「森魚。」
「…分かったよ………環…さん…」
森魚は震える膝で立ち上がると、何度か振り返りながら…倉庫を出た。
「…万里が来るから、もう少し意識を持て。」
甲斐さんはそう言って、チンピラ達のロープをほどくと…
「ぐはっ!!」
「うっ!!」
二人に一発ずつ見舞って…意識を失わせた。
「環!?」
倉庫に入って来た万里が、頭から血を流す俺を抱きとめて。
「何があった!?」
驚いた顔をした。
…そりゃそうか…
ケガなんて…初めてだ。
かすっただけでも、撃たれるって痛いもんだな…
そんな事を思いながら、万里の肩に体を預ける。
その後…憎らしい反抗期の小僧は、ちゃんと町に戻った。
と…甲斐さんから聞いた。
出来る奴だが、感情がむき出しになるのは…いただけない。
そもそも、俺に仕える者なんて要らない。
俺は、その一件で彼の事は忘れる事にした。
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