第13話 ドンッ

 〇加納 環


 ドンッ


 その時俺は、沙耶さやにぶつかった中学生を、歩道橋の上から不思議な気持ちで見つめた。


「あっ、すいませーん…」


 頭をかきながら、ペコペコとお辞儀をする中学生。

 その先に、もう一人。



「なーにやってんだよっ、森魚。」


「踊ってたら自分の足に躓いた。」


「バカじゃねーの。」


「陸に言われると本当にバカな気分…」


「こんな往来で踊るかよ。」


「おまえと居たらウキウキすんじゃん?」


「抱き着くなって。」



 俺と沙耶は。

 かしらの命令で、ここ数日尾行を続けている。


 対象者は…

 姐さんによく似た、美形の中学生。


 二階堂にかいどう りく



『二階堂』は秘密組織で。

 頭は…出来ればこの危険な世界に我が子を巻き込みたくなかったようだが、気が変わられた。


 尾行をして、ある条件を満たしていれば。

『二人』を連れ帰るよう…言われた。


 二人。


 二階堂 陸には、双子の姉がいる。



 ある条件とは。

 成績や生活能力。

 そして…こちらが全力で尾行している事を、期日までに気付くかどうか。



 俺と沙耶は、主に二階堂 陸…坊ちゃんを尾行した。

 そして、浩也さんが二階堂 織…お嬢さんの尾行。


 お嬢さんには、甲斐さんの娘である岡本 舞が親友として側にいる。

 もちろん、その存在は知られていない。

 本来、とても能力の高い娘だと聞いた。

 それを隠すのもまた…実力だ。

 彼女は素晴らしく一般人に溶け込んでいる。と浩也さんが言っていた。



「どうだった。」


 二人が帰宅し、俺達も近くの民家に身を潜めた。


 浩也さんが窓の隙間から家の様子を眺めながら。


「お嬢さんの方は人見知りが激しいようだな。教師ですら、担任以外とはほとんど口をきかない。」


 撮った写真をテーブルに並べた。


「坊ちゃんは人気者ですね。下校中に他校の女の子達からも声をかけられてました。」


 沙耶の報告に。


「あのルックスだからな。」


 浩也さんは笑顔。



 頭は、ほぼ笑わない人だ。

 だが、姐さんはとても美しく、誰にでも優しく、笑顔の素敵な方だ。

 美形な二人は姐さんの良い所ばかりをもらったに違いない。

 …口に出しては言わないが、きっとみんなそう思ってる。



「…坊ちゃんの友達が気になるのですが。」


 俺が浩也さんの前にお茶を置くと。


「ああ…坂本森魚。」


 浩也さんは写真の中から一枚を抜いた。


「会話を聞いてると…舞と森魚は両想いになりそうでならない…みたいな感じですよね。」


 沙耶がテーブルに頬杖をつく。

 俺はその隣に正座をして、入れたばかりのお茶をすすった。



「環、何が気になる?」


 浩也さんが俺の前に坂本森魚の写真を置く。


「…沙耶の尾行に気付いたのではないかと。」


 俺の報告に沙耶は大げさに肩を揺らして。


「あれは彼が自分の足に躓いて、体勢を崩したんだぜ?」


 苦笑いした。


 あの時、沙耶は…二人とすれ違って俺の所へ来るだけだった。

 そこへ、急に踊り始めた彼が…体勢を崩してぶつかった。


「坊ちゃんと何の会話もなかったのに、突然踊り始めたのが引っ掛かったんだ。」


「坊ちゃんと居たらウキウキするとか言ってたぜ?」


「……」


 境遇が違い過ぎるから、俺にはその気持ちが分からない。

 だが、突然踊りたくなるものか?



 * * *



「気になるなら調べて来い。」


 浩也さんにそう言われて。

 俺は、坊ちゃんの家の明かりが消えた頃、坂本家に出向いた。



 考え過ぎだろうか。

 だが…気になった。

 自分にない感情だから…というだけではない気もする。


 …坂本さかもと森魚もりお



 自分の生まれを知らなくとも血がそうさせるのか、明るくてもどこか人を見極めているような坊ちゃん。

 その、一番そばに居る男。


 坊ちゃんは誰ともすぐ打ち解けるが、それはうわべだけ。

 親友と呼べる存在は、坂本森魚ただ一人。

 毎日大勢に囲まれていても…最終的に隣にいるのは彼だけだ。


 坂本森魚はクラスでもムードメーカー。

 時折、舞に見せるはにかんだ様子は…思春期のそれに思える。

 だが…本当にそうなのだろうか。


 沙耶と浩也さんには言えなかったが…

 なぜか、彼が…無理をしているように思えて仕方がない。


 …全てにおいて。



「……」


 商店街を抜けて、昼間でも人通りの少なそうな路地に入る。

 一本入っただけで、ぐんと灯りが減った。


 少しだけ目を閉じて、集中する。


 気配が…一…二…


 目を開けると暗闇に慣れたおかげで、気配の正体がわかった。

 すぐそばに、廃業した薬局の人形が二体。


「……」


 小さく笑いながら、その頭に手を乗せようと…


「!!」


 不意に飛んで来た何かに身体を屈める。

 それは俺の頭上を抜け、背後に立てかけてあった波板を音を立てて割った。


「……」


 体勢を低くしたまま気配に意識を飛ばす。

 一つは戦闘態勢。

 一つは傍観してるだけ。


 そうとなると…


「!!」


 俺は次の『何か』が飛んで来ると同時に、足元に落ちていた釘を拾って投げた。

 途端に小さな音がして、釘がそれを割った事が分かる。


 何者だ。


 口に出したい気もしたが…気配から殺気が消えた事で俺も体勢を変えた。

 足元には、俺が投げた釘で割れた小さなビー玉。



「お見事。」


 そう言って暗闇から現れたのは…見覚えのない男。


 言葉を発することなく、じっ…と見据えると。


「うちの坊主を調べに来たのか。」


 男は建物の二階を顎でしゃくった。

 その窓枠に…坂本森魚が肘をついて見下ろしている。



「…何者ですか。」


 敬語で問いかけたのは…この男に何かを感じたからだ。

 誰かに似た…匂い。


「君は加納かのう たまき君だね。」


「……」


「俺は坂本。昔、二階堂にいた。」


「…外されたのですか。」


「いや、抜けた。」


「……」


 それには少し驚いたが、あえて無表情で通した。



 二階堂では幼い頃に適応検査がある。

 そこで適正かどうか調べられるが…

 それは『抜ける』ではなく、『外される』と区別された。

 それに、今まで二階堂を『抜けた』者はいない…はず…



 だが。


 俺に気付いてビー玉を投げて来た。

 最初から当てるつもりはなかっただろう。

 ただ、俺を試しただけ。

 …外された者とは思えない。



かけるとは幼馴染でね。」


「……」


 その名前を呼び捨てにする者がいるとは思わなかった。

 それは、かしらの名前。


 驚きに少しだけ瞬きすると。


「意外そうだね。さっきも言ったけど、これでも二階堂にいたんだよ。」


 坂本…さんは右手に持ったビー玉を指で軽く弾いて、少し離れた場所の看板に命中させた。


 その乾いた音が暗闇に響く。



かけるを筆頭に、俺と紗良さら…三人は二日置きに生まれてね。昔は三つ子みたいだなんて言われたもんだ。」


 頭だけでなく…姐さんの事も呼び捨て。

 本当に二階堂で生まれ育ったのかもしれない。

 抜けた者となると、その情報は上層部しか知り得ない。

 恐らく浩也さんも知らない事だろう。



「何も知らない頃ってのは、幸せで良かったね。」


 暗闇で輝きを増す夜空の星を見上げる瞳は…少しだけ寂しそうに見える。

 この人は…

 二階堂を抜けたのに、なぜこんな事を…?


「ま、そんな事はどうでもいい。君らの内の誰かがうちの坊主を調べに来たら伝えてくれと言われていた。」


「…え?」


 それには、つい…声が出た。


 つまり…

 俺と沙耶と浩也さん…

 誰かが坂本森魚について調べに来たら…?


 そうだとすると…


「誰かに依頼されての事ですか?」


 頭が慎重を重ねて?

 いや、浩也さんがいるのにそれはない。


「甲斐さんにね。」


「甲斐さん…?」


 あっさりと答えられたが、そこに偽りはなさそうだ。


 だが…なぜ甲斐さんが…?



「ここに来て俺に会った事。今夜俺が話す事は、君の胸の内に秘めて置いて欲しい。」


「……」


「きっといつか…『坂本』は君の役に立つ。」


「…どうしてですか。」


 俺の問いかけに坂本さんは小さく笑って。


「うちの坊主の能力に気付いた奴は、あんたが初めてだ。」


 二階にいる坂本森魚を見上げた。


 そして…


「今は一般人を装って、甲斐さんに頼まれた警護を坊主がしてるぐらいだが…俺は二階堂を抜けた時から決めてたんだよ。」


 坂本さんはゆっくりと歩いて来て、少しだけ警戒する俺の腕をポン…と触った。


「…何をですか。」


「坊主の能力に気付いた奴を主にするってね。」


「……」


「翔でもない、二階堂でもない。俺達坂本は…あんた、加納 環を主とする。」


 そう言って、坂本さんは俺の足元に跪いた。

 そしてその隣では、いつの間にかそこにいた坂本森魚が同じように跪いて頭を下げて。


「従います。」


 まだ幼さの残る声で…そう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る