第9話 「……」

 〇二階堂 泉


「……」


「おかえり。」


 ホテルに帰ると、ベッドの上にうつ伏せになってるトシがいた。


「…もう来ないかと思った。」


 ジャケットを脱ぎながら言うと。


「なんで。」


 トシは顔だけあたしに向ける。


 …眠そうな顔。

 いつからいたんだろ。



「今日、あんたがあたし達を尾行した評価が発表されたわよ。」


 そっか。

 任務終了って事か。


 腕時計を外してテーブルに置く。


「あー、あれね。」


 冷蔵庫を開けてビールを取り出すと、窓際に立って外を眺めた。

 毎日見てるようで見てない景色。


「あたしの事、過大評価してくれて嬉しいけど、富樫の評価低すぎない?」


 ビールを一口飲んで言うと、トシは『うーん』って伸びをして。


「誰?」


 枕に顔を埋めた。


「…ND89722の事よ。」


「あー。雑念だらけの奴ね。」


「雑念だらけ?」


「そうでしょ。」


「……」


 あたしはトシの隣に座って、うつ伏せになったままの頭を撫でた。


「…んー…気持ちいー…」


「フルネーム教えてよ。」


「名前好きだね。」


「あたしは二階堂 泉。」


 トシは頭を撫でてたあたしの手を掴むと、ゆっくり起き上がって…もう片方のあたしの手からビールを取った。

 そして、あたしの正面に座って。


「フルネーム知ったら、何か気持ちいい事でもあるの。」


 真顔で言った。


「気持ちいい事…」


 そんなのあるか!!って思いつつ。


「あるかもよ。」


 適当に答えた。


「トシ、管理番号あるの?」


 トシはあたしから取ったビールを飲むでもなく、じっ…と真顔であたしを見つめてる。


「あるの?」


 もう一度問いかける。


「ない。」


「ふーん。なら名前教えて。」


「トシ。」


「苗字は?」


「…坂本。」


「坂本トシ…トシオ?」


「違う。」


「トシヒコ。」


「違う。」


「トシノリ。」


「違う。」


「トシカズ。」


「違う。」


 確か…曽根さんは『ヒトシ』なのに『トシ』なんだよね。

 それを思い出して…


「ヒトシ。」


 曽根さんの名前を言ってみる。


「ひねるんだ。」


「て事はひねらないんだ。」


「試された。」


「試してないよ。」


 あまりにもじっと見つめるから、あたしも見つめ返してたけど…

 なかなか名前を教えてくれないから、つまんなくて。


 チュッ


 軽くキスして立ち上がろうとすると…


「なんで泉には効かないんだろ。」


 トシはあたしの手を掴んだまま、首を傾げた。


「何が?」


 浮かせかけた腰をもう一度降ろす。


「俺のまやかしが。」


「俺のまやかし…」


 トシの言葉を聞いて、頭の中に色んなものを開いた。


 じーちゃんに聞いた事がある。

 昔、二階堂では記憶を消す術があった。って。

 そして…『まやかしの術』の使い手が、数人…いた。って。


 まやかし。

 トシ…二階堂じゃないけど…

 まやかしの使い手なんだ…?




「…どうしてあたしに効かないか、知りたい?」


 あたしはトシの手からビールを取ると、それをサイドボードに置いてトシの腰を抱き寄せた。


「理由、知ってるの。」


「知ってるよ。」


「……」


 出逢って初めて…トシが瞳を揺らした気がした。

 ある意味、こいつも二階堂みたいなもん。

 どこかの組織で影として動いてる。



「…知りたい。」


 じっ…とあたしを見たままのトシ。

 相変わらず、あたしに『まやかし』を試してるらしい。

 そんなの本当に効くのか?


「じゃ、交換条件。フルネーム教えて。」


「…そんなに重要なの。」


「あたしにはね。」


 顎にキスをして言うと、トシは少しくすぐったそうに目を細めた。


「…坂本トシゾウ。」


 それまでより随分小さな声。


 もしかして…


「…名前が古風だから言いたくなかった?」


 上目遣いに顔を覗き込むと。


「…バカにされるの嫌いだから。」


 トシは拗ねたように唇を尖らせた。


 ははっ。

 可愛いなあ。


「トシゾウって、どんな字?」


 背中に手を回して抱きしめる。

 するとトシは素直にあたしを抱きしめ返して。


「…土方歳三と同じ漢字。」


 相変わらず小声で答えた。


「カッコいいじゃん。新撰組。」


「そっかな。でも先祖は複雑かも。」


「先祖?」


「坂本龍馬。」


「えっ?」


 驚いて体を離してトシの顔を見ると。


「うそ。」


 トシはニヤリと笑って額をくっつけた。


「あっ、なんだ。もー…騙された。」


「で?まやかしが効かない理由、教えてよ。」


「…『坂本歳三』は本名?絶対本当?」


「俺、話してない事はあっても嘘は言ってないよ。」


「…そっか。なら教えるか…」


 あたしはトシの頬を両手で挟んで、至近距離で見つめる。


 まやかしが効かない理由なんて…本当は知らない。

 だけど、もしかしたらそうなんじゃないかなー…なんて。



「トシのまやかしが、あたしに効かないのはね。」


「うん。」


「トシが、あたしを好きだからよ。」


「……」


「だから、効かない。」


 あたしの言葉にトシは絶句したけど。

 しばらくそうやって見つめ合ってる内に…


「…初めてなんだ…」


 トシがつぶやいた。


「何が?」


「ちゃんと…体でセックスしたの。」


「…え?」


「それまで、まやかしでしか、した事なかった。」


「……」


 …だから?


 あたしがここに連れ込んだ夜…

 トシ、あたしを押し倒した後、ソファーに座ったよね。

 その後、あたしがベッドに誘っても…体が反応してなかったよね。

 たどたどしかったり、がっついたり…


 …なるほど…



 何だか…急にこいつが愛しくなってしまった。


「…どうだった?初体験。」


「すごく良かった。」


「だろうね。」


「泉…俺、何人目?」


「初めて質問したね。」


「知りたくなった。」


「知ってどうするの。」


「全員殺」


「教えない。」


「……」


 トシの物騒な答えを遮って、ギュッと抱きしめた。

 きつくきつく抱きしめて…


「…あんたみたいに危ない奴、ほっとけないね。」


 耳元でそう言うと。


「じゃ…俺と行こうよ…SS…」


 トシは…あたしをベッドに押し倒してそう言った。

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