第3話 「……」

〇二階堂 泉


「……」


朝起きると、男はいなかった。


名前も知らない…何も知らない。

ただ、顔が好みで身体の相性もいい男。


…ふむ…

あいつ、また尾行してくれないかな。

今日とは言わないけどー…

いいタイミングで現れて、お互いの都合よく寝れたりしたらいいのになー。


そんな不埒な事を考えながら、シャワーを済ませてシモンズに向かう。

そこには、予告通りモーニングプレートをオーダーして窓際の席に座ってる富樫がいた。



「おはようございます。」


あたしが席に着くと、富樫は立ち上がりたいのを抑えた風に…座ったまま挨拶をした。


…いい加減慣れろっつーの。

一般客もいる店。

あたし達は『同僚』ぐらいに見られてないとね。



「おはよ。これ、ありがと。」


あたしがコーヒーを手にして言うと。


「……」


富樫はなぜか…少しだけ赤くなって目を逸らした。


「…何。」


「いえ…」


「何よ。気持ち悪いから言って。」


「…あ…すみません。」


「何。」


「…いえ…」


「……」


小さく溜息をついて、トーストにかじりつく。


「…お嬢さん…何かいい事がありましたか?」


富樫が照れくさそうに言った。


「…は?」


「何だか…その…今日…」


「……」


「とても…お綺麗だな…と思いまして。」


「………は?」


トーストを持ったまま、自分の姿を見下ろす。


「…いつもと同じ格好だけど。」


「格好は関係なく…その…表情と言うか、雰囲気と言うか。」


「……」


「…はっ…」


あたしが何も言わないのに、富樫は勝手に何を察したのか。


「ゆ…ゆゆ夕べ、志麻が…?」


まだ志麻とあたしが続いてると勘違いしたのか、早口でそう言って顔を外に向けた。


「…志麻はドイツでしょ。」


「はっ…そ…そうでした…」


志麻の訪問はあり得ない。

それが分かった途端、富樫はホッと安心な顔をした。

…分かりやすいよ…あんた。



以前、志麻に付けられたキスマークを富樫に見付けられた事を思い出した。

さりげなくシャツのボタンを気にする。

シャワーした時にチェックしたけど…見える場所にキスマークはなかった。

あたしは…あちこちに色んな痕を残してやったけど。



それにしても…

あたしと誰かにだけバレたっていう尾行。

あいつ、どこの組織の奴なんだろ。

攻撃して来なかったから、敵意はないと踏んで…の連れ込みだったんだけど。


…こんなのバレたら、大事件だね。

警戒心ゼロだ。って叱られてしまいそう。


ま、誰にも言うつもりはないし…バレる事もないとは思うけど。



食べ終えて外に出る。

富樫はあたしの隣を歩きながら。


「お嬢さん。」


「ん?」


「ちょっと…失礼します。」


そう言って、あたしの髪の毛に触れた。


「?」


「はねてました。」


「あー、手ぐしだったからな…ありがと。」


別に少しぐらいはねてても構わないんだけど。

そう思いながら並んで歩いてると…


「……」


ふと、嫌な予感がした。

そして…


「富樫!!」


突然、頭上から鉢が落ちて来て。

富樫を突き飛ばして、二人で転がる。


「はっ…お…お嬢さん!!大丈夫ですか!?」


「あたしは大丈夫だけど…あんたどうよ。」


「私は無事です。これは…」


二人で見上げる。


そこには、あたし達の無事を確認して泣き始めた女性がいた。


「……調べておきますか?」


富樫が不審そうな声で言った。


「…手が滑ったんじゃないの?」


割れた鉢を手にして、あたしは苦笑いする。


「ですが…」


「富樫、あれから過敏過ぎ。」


「っ…」


「さ、行くよ。」


慌てて駆け下りて来た住人に、一応注意をして。

あたしと富樫は本部に向かった。



…割れた鉢から、かすかに匂った。

…あいつめ。


やっぱ…敵なの?



これって…





宣戦布告?





〇富樫武彦


「……」


「富樫。」


「……」


「…富樫。」


「…あっ…はいっ。」


「どうした?」


私とした事が…

今朝の出来事を考えて、ボスに呼ばれている事すら…気付かなかった。


「いえ…少し気になる事があって…失礼いたしました。何か?」


立ち上がってボスの前に立つと。


「気になる事とは?」


ボスは首を傾げられた。


「…とても小さな事です。」


「小さな事でも気になるなら調べろ。」


「…そうですね。分かりました。」



今朝…

時々そうしているように、お嬢さんとシモンズで朝食をとった。

その後、並んで本部に向かっていると…頭上から、小さな花の鉢が落ちて来た。

気付いたお嬢さんに助けられて、事なきを得た。


…自信過剰なわけではないが…そんな落下物、私が気付かないわけがない。

だが気付かなかった。

お嬢さんの様子がいつもと違って思えたから、それに気を取られていたのか…?


自問自答したが、それならますます周囲に注意を払っていたはずだと思う。

お嬢さんを危険な目に遭わせたくない。

常に私は…守る側でいるはずなのに。



ボスから調査の許可をもらい、私は鉢を落とした女性のアパートに向かった。



「今朝は本当にごめんなさい…」


女性は三階の住人で、毎朝出窓に花を置くのが日課だと言った。

窓に目をやると、気持ちほどではあるが…滑り止めの敷物と、鉢を置いてもその高さを越える事はなさそうな鉄柵があった。


「今朝、どのような状態で鉢を落としたのですか?」


鉄柵に手を掛けたが、どこかが壊れている様子も、緩んでいる様子もない。


「それが…言い訳になってしまうのですが…」


「いいですよ。あった事を話して下さい。」


私の言葉に女性は少しだけ安心したような顔になって。


「そこに置こうとした瞬間、何か眩しい物が目に入って…気付いたら手が滑っていたと言うか…」


自分が鉢を持って歩いた今朝の事を思い出しながら、同じようにして見せてくれた。


…眩しい物が目に入って、手が滑った…


「それは光ですか?」


「何かしら…よく分からないわ…」


「どの方向で感じましたか?」


女性の隣に立って、窓の外を見る。

向かい側には似たようなアパートやビル。

通りにはキッチンカーやカフェが並ぶ、割と賑やかな場所。

どこかの何かに太陽光が反射して…と言った事もないとは限らないが…


『気付いたら手が滑っていた』


それに引っ掛かった。



「鉢は処分されましたか?」


「ええ…あの後すぐに。」


気になったついでに、鉢も調べてみようと思い。

私は女性に許可をもらって、鉢を持ち帰る事にした。


アパートの裏にあるダストボックスに行き、そこを覗いたが…


「……」


そこにあるはずの割れた鉢がなかった事で。

鉢が落ちて来たのは意図的だ。

そう、確信した。


ただ、それを実行したのは…


…誰だ?




「あれー、富樫さん。どうしたんですか。」


その足で薫平の家に行くと、薫平は足元に猫を従えて庭いじりをしていた。


「…いや、ちょっとそこまで来たから。」


「へー。ちょうどいいや。俺もそろそろ誰かと話したいなって思ってたとこだから。」


その意味深な言葉に少しだけ目を細めてると。

薫平は軍手を外して。


「おはじき、中に入るよ。」


猫の頭を撫でてそう言った。



薫平は…お嬢さんが桐生院聖氏と別れた後、少しだけ恋人関係にあった…はずだ。

実際、志麻とお嬢さんがくっついてしまいそうになった時…薫平はそれについて反対をしたし…

私や志麻の前で堂々とお嬢さんに告白もした。


おまけに…

お嬢さんから『彼女がいるのに、他の女の子と寝る男の心理』について聞かれた事があった。

あれは…薫平の事だったと思われる。


その件について、ハッキリと聞いた事はないが…

気付いてからと言うもの、ずっとモヤモヤとしているのは…間違いない。



私がここに来るのは初めてだが…

招かれて入ったリビングは、どこか懐かしさを感じさせるような…居心地のいい空間だった。


昔のアメリカのホームドラマを彷彿させる、時代遅れとも取れる壁紙の模様。

それが、目の前にいる最先端の技術を駆使する薫平とはかけ離れて思えるが…

そのギャップは憧れを感じさせる物でもあった。



「泉、元気ですか?」


有無を言わさずレモネードを注ぎながら、薫平が言った。

まだ四月だというのに、白いリネンシャツに膝丈のパンツ。

一人だけ夏を満喫しているような薫平は、向かい合って座ったものの…私と視線を合わせない。


「…会ってないのか。」


「会ってないですねえ。」


「…あの事件以来?」


「そ。たぶん泉…めちゃくちゃ怒ってるし。」


「……」


「メールは二回来ましたよ。どうして二階堂に戻らないのか…って。それと…」


「…それと?」


首を傾げて薫平を見つめる。

薫平は少し寂しそうに伏し目がちになると。


「…いつまでも、仲間でいたい。って。」


つまらなさそうに…つぶやいた。


…仲間…


「ま、俺も一瞬泉と結婚したいなんて夢見た事もあったけど、現実問題やっぱ無理だなーって気付いたとこだったし。」


溜息まじりにそう言った薫平は、少し背筋を伸ばして私に向き直ると。


「せっかく二階堂から抜けたのに、二階堂の者と結婚しなくたって、ねえ。」


やっと…私の目を見て、ニコリと笑った。


「…現実問題、無理なのか?」


確認するわけじゃないが…そう問いかけると。


「…俺、誰の息子だと思ってるんですか。」


「……」


「ま、泉の事、好きは好きですよ。可愛いし、天邪鬼で不器用だったりするとこも全部。」


「…そうだな…」


「あ、認めた。やっぱ富樫さんも泉の事好きなんだ。」


ケラケラと笑われたが、否定する気にはならなかった。


お嬢さんを…好き…

…好きだ。

だが、こんな気持ちを持ってしまった事を、後悔もしている。



「いんじゃないですかー?こっちをボスに任せるとしたら、日本の方を泉と富樫さんで回すようにすれば安泰でしょ。」


…薫平の母親は…高津紅。

一条紅だ。

今も一条が躍起になって奪還したがっている女性。


その息子である薫平…瞬平にも。

危険はゼロではないはずだ。



…だが…


「富樫さん、あの件以来何か動きないんですか?」


「…部外者には教えられない。」


「えー!!冷たい!!」


「戻らなかったクセに、普通に聞いて来るなんて…図々しいぞ。」



あの件も含めて…今朝の鉢の件も…



…薫平の仕業ではないか…と。





疑っている…私がいる。

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