第42話 「……」

 〇桐生院華月


「……」


「……」


「……どうしたんだろ。」


「…ほんと…ね。」


 あたしと詩生は、二人でコソコソと言い合いながら。

 スタジオの隅に座ったまま、何も言わない里中さんを見た。



 フェスに向けて、最終調整の段階。

 里中さんは単身渡米して、あたし達のスタジオに顔を出してくれた…のはいいけど…


 心ここにあらず。


 まさにそれ。



「来た瞬間から様子がおかしい気はしたけど…」


「曲が終わった事にも気付いてない気がする…」



 意を決したような詩生が、里中さんのそばに歩いて行って。


「里中さん。」


 顔を覗き込むと…


「…はっ…」


 里中さんは、あたし達がいた事を忘れてたかのような顔をした。


「あ…ああ、悪い悪い…」


「…体調が悪いとかですか?」


「いや、ちょっと考え事してた。申し訳ない。」


「……」


 振り返る詩生に、ゆっくり首を振る。


 考えてみたら…里中さん、すごく忙しいんだよ。

 それなのに、わざわざこっちに来てくれて…


「里中さん、今日はもう休んでください。」


 あたしも里中さんの前まで言って、そう言うと。


「……」


 里中さんは…なぜか、あたしの顔をじっと見た。


「…何か…?」


 首を傾げて問いかける。


 何だろう…

 ちょっと、今までにない表情…


「…じゃあ、申し訳ないけど…明日また改めて。」


 里中さんは前髪をかきあげながら、大きく溜息をつく。

 それを見た詩生はあたしに。


「じゃ、俺じーさんとこ行って来るわ。」


 そう言って、ギターを片付け始めた。


「あ…それならあたしも。」


 二人で荷物を片付けて、座ったままの里中さんに会釈してスタジオを出る。



「…どうしたんだろうね。里中さん…元気なかったけど。」


「時差ボケにしては…って感じだったな。」


「うん。心配……あ、スマホ忘れて来ちゃった。取りに行って来るから、先に行ってて。」


「向かいのカフェで待ってる。」


「分かったー。」



 髪の毛を後ろに追いやりながら、スタジオに戻る。

 里中さん…まだいるのかな。

 何だか、さっきの表情が気になるな…


 そう思いながらスタジオの前まで来ると…


「…いですから…」


 里中さんが、誰かと話してた。


 あれ?

 あたし、さっきちゃんとドア閉めたのに…開いてる。

 って事は、里中さんが出掛けて引き返したのかな。



「高原さん。」


 …電話の相手、おじいちゃま?


 実は…あたしと詩生のユニットの件。

 家族には打ち明けたけど、おじいちゃまには、まだ。

 サプライズにしたいって、おばあちゃまも言ってたし。


「お願いですから、病院に行って下さい。」


 ……え…っ?


 心臓が、跳ねあがった。


「フェスなんて…無理です。いえ…それは分かってます。でも…俺は…もっと生きて欲しいんです…」


 里中さんは涙声になってて。

 あたしは…



 ガタン



 はっ…


 ついドアに掛けてた手に力が入って、そばにあった椅子にぶつけてしまった。


「……」


 次の瞬間、視界に影が出来て。

 見上げると…無表情の里中さんが…あたしを見下ろしてた…。




 〇高原夏希


「父さん、暑いから無理しないで。」


 広縁から、知花の心地いい声が聞こえる。


「大丈夫だから。早く仕事に行きなさい。」


 麦わら帽子をかぶって、庭の植樹にホースで水やりをする。


「本当に大丈夫?」


「そんなに心配か?三食ちゃんと食って歌も歌ってるんだぞ?」


 笑顔を向けるも…知花は苦笑い。


 …そうか。

 俺はそんなに大丈夫には見えないのか。



「…さくらももうすぐ帰って来る。それでなくてもSHE'S-HE'Sは調整時間が足りないぐらいなんだから…早く行きなさい。」


 まこが復帰して、改良した鍵盤にも…ようやく慣れて来た状態だ。


「ついにSHE'S-HE'Sがメディアに出るんだ。世界中が楽しみにしてる。恥ずかしいものは聴かせられないぞ?」


 エールのつもりで言うと、知花は首を傾げて。


「何をどうしたら恥ずかしくなるって言うの?」


 珍しく…強気な発言をした。


「…ふっ。頼もしいな。」


「父さんの娘だから。」


「…さ、ここをやったらもう終わるよ。」


「ええ、そうして。」


 過保護な娘に見守られながら、ホースを仕舞う。

 広縁に腰を下ろして空を見上げた所で…


「じゃ、行って来ます。何かあったら、すぐ誰かに連絡してね?」


 知花が笑顔で言った。


「ああ。いってらっしゃい。」


 知花を見送って…庭を眺める。



 …ここの主とは、不思議な縁で繋がった。

 会いたくもないはずだったのに、半ば脅されて会い続けて。

 そのうち…不器用な愛情にあふれる男だと知って、放っておけなくなった。


 …そして、俺もまた。

 形は何であれ…さくらと知花に会いたくて。

 ここに通い続けた。



 今思うと、どれもが他人の昔話のように思えた。

 俺は昔からここにいて、桐生院家の一員として…生まれ育ったような錯覚さえした。

 それほど、この屋敷や庭は、余所者であるはずの俺を優しく迎え入れてくれている。


 …今も、ここには貴志と母親が並んで座っているようだ…


「……」


 ゆっくりと仰向けになる。

 フェスまで…一ヶ月を切った。

 大々的に広告も打ち始めたと言うのに…

 どの媒体にも、Deep Redの名前がなかった。

 それに関して俺は…里中を責めた。

 どうして外した?と。


 だが…

 ナオトやマノンからも、フェスには出ない。

 そう言われて…諦めた。

 …祭り好きのあいつらが出ないなんて…

 里中が何か言ったのか。

 それとも…もうみんな気付いてるのか。



 きっと…もうすぐお迎えが来る。

 それなら、好きな事をして終わりたかった。

 確かに…レコーディングは上手くいったが…

 少々無理をし過ぎたせいか、フェスで歌えるほどの声量は、ないかもしれない…

 それは…分かってた…



 なんて往生際が悪いんだろう。

 事務所を作って、色んなアーティストを羽ばたかせて。

 愛する家族、最高の仲間達、信頼できる社員達…

 俺には…これ以上ないほどの宝物がある。


 なのに…

 諦められないなんて…



 右腕を目の上に乗せて、しばらく暗闇を作った。



「……」


 ふいに…涙が浮かんだ。

 贅沢過ぎる人生だった。

 それなのに…まだ足りない。


 心残りだらけだなんて…

 どれだけ貪欲なんだ。



 きっと…そう遠くない未来。

 俺は、逝くだろう。

 だからこそ。

 彰が歌っていたフレーズ…

 やりたい事をやらずに後悔するより、後悔するとしてもやり切ってやる。つまり結果大満足。

 少なからずとも、あれに触発された。


 …いいのか?

 Deep Redのニッキーとして終われなくて。


 …いいのか…?



「…おじいちゃま…」


 突然頭上から降って来た声に驚いて、腕を外してしまった。


「っ……華月…?」


 首にかけていたタオルで涙を拭いながら、ゆっくり起き上がる。


「…どうした…どうしてこっちに?」


 華月は今、詩生とアメリカで暮らしている。

 事件に巻き込まれた詩生のリハビリに付き合ってる状態だが…

 千里が文句を言えないほど、手を取り合って頑張っているらしい。



 華月は真っ赤なスカートを折りたたむようにして俺の隣に座ると。


「…おじいちゃま、泣いてたの?」


 なぜか笑顔で…俺の目を覗き込んだ。


「…あくびしたんだよ。」


 ポンポンと頭を撫でる。


「里中さんと電話してたの…聞いちゃった。」


「……」


 …それを聞いて、華月の頭の上で手が止まった。


 里中との電話…


「病院…行こ?」


「…病院は、行ってる。」


「行ってるの?どこ?」


「大学病院。」


「この事、おばあちゃまは?」


「…たぶん気付いてる。」


「それで?」


「……」


 華月は…真っ直ぐな目で、俺を見る。

 もう…誤魔化せない…な。



「…もう、長くない。」


 華月の頭から手を下ろして、ポツンと答えると。


「でも…前もそう言われて、今も生きてる。」


 華月は…俺の肩に頭を乗せた。


「…おじいちゃま、Deep Redはフェスに出ないのね…」


「ああ…残念だ…」


「でも、SHE'S-HE'Sって楽しみがあるじゃない?」


「…そうだな…」


「自分が出ないからつまんないの?SHE'S-HE'Sの事、もっと楽しみにしてるのかと思ったけど…元気ない。」


 肩で小さく笑われて…俺もつられて笑った。


「…そうだな…自分が出られないから、妬いてるのかもな。」


「ふふっ…正直。」


「…フェスの時には、詩生と帰って来るか?」


 華月の頭に頬を寄せて問いかけると…


「あたし…フェスに出るの。」


 華月が庭に視線を向けたままで言った。

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