第37話 六月に入って二週間。
〇桐生院華月
六月に入って二週間。
あたしと詩生は五月末に渡米。
アパートに戻ってからは、毎日ビートランド以外のスタジオにこもりっぱなし。
里中さんとデータでやり取りしながら、何とかフェス用に5曲用意した。
もしオーディションに受かったとしても、そんなに枠はもらえないから…って事で。
出来るだけ短めでキャッチーな曲。
その中には、300作品の中から選んだ歌詞で出来上がった『ゼロ』もある。
「華月、もっと上の音出るんじゃないか?」
譜面に音符を書き足しながら、詩生がつぶやく。
「母さんみたいにカッコいいシャウトは出来ないよ。」
「別にカッコ良くなくていーの。おまえがこの曲に対して感じてる気持ち良さみたいなのを、ここの大サビでわーっと出してくれたら。」
「…わーっと出す…」
ソングライターからの依頼とは思えないよ。なんて思いながら、あたしはその曲のサビを口ずさむ。
すると、詩生があたしのパートを歌い始めた。
あ…何だろ。
ほんと、気持ちいい。
そう思った途端、あたしは勝手に詩生のキーより上でハモって。
さらには大サビでは、主旋律を歌う詩生に被さらないよう、歌詞の中でも好きな単語だけを選んで高いキーで口ずさむように歌ってみたり、ただハミングしてみたりした。
この曲…『Good-Bye To You』は。
あたしが作詞した。
詩生はあたしには歌に集中しろって言ったけど。
どうしても…書きたかった。
あたしの、決意。
詩生と音楽の世界でやっていく。って勝手に決めて、詩生を追い掛けようって思った時。
あたしは…自分にさよならを言った。
一生モデルだけをやっていく。
あたしはそう決めてたし…ずっとその意思も変えるつもりはなかった。
…だけど、変えなきゃって思った。
自分の生き方を変えてまでも守りたいもの。
それが…あたしにとっては、詩生だった。
あたしなりに、悩んだ。
そこまでして…追う人なの?
あたしは一度裏切られたし、何度も心細い想いをして…それでも信じるしかないからって…色んな言葉を飲み込んで来たりもした。
そんな詩生のために、自分の生き方を変える必要はあるの?
だけど…
そんな自問自答は一瞬だった。
だってあたしは…詩生が好き。
大好き。
詩生の作る曲も大好き。
きっと詩生は、自分の作る曲の魅力を、上手く表現出来てないんだ。
だったら…
あたしがその表現者になる。
詩生の曲を、もっともっとたくさんの人に認めてもらって。
あたし達二人のために、詩生が自信をつけてくれたら…って。
…結局は詩生のためだけじゃない。
あたしのためでもある。
だってあたし…詩生と離れていたくないって…前より強く思ってるもん。
二人でやって行こうって決めてからと言うもの…詩生の生み出す楽曲は柔らかくて愛しい。
ちょっとハードな曲も、あたしが歌うと迫力はないけど…詩生とのハモりで厚みも増すし、何より…本当にどの曲も愛で溢れてる。
…ああ、楽しみだな…
あたしと詩生の曲で、みんなが笑顔になるのが。
歌いながら、マサシさんが踊ってる姿を思い出した。
それだけで心が温かくなる。
…あたし、恵まれてるなあ…
「…バッチリだな。」
歌い終わると、詩生が優しい笑顔で言ってくれた。
「ほんと?」
「ああ。なんか…華月が気持ちよさそうに歌ってるのに、マサシさんが踊ってるとこ想像して笑った。」
「……」
詩生の言葉に目を丸くすると。
「何。おっさんの阿波踊りを一緒にするなって?」
タオルで手を拭いた詩生は首をすくめた。
「ううん…あたしもマサシさんを思い出してたから。」
「あはは。あの人、意外とインパクトあったよなー。」
「そうだよね?父さん、影薄いって失礼な事ばっかり。」
「TOYSは神さんとアズさんが濃い過ぎたんだよ…」
「…言えてる…」
こんな、緩やかな練習で大丈夫かな…って思わなくもないけど。
あたし達は…
アメリカ事務所のオーディションを、三日後に控えていた…。
〇神 千里
「…何か用か。」
会議室の外。
ドアにへばりついてる背中に声を掛けると。
「えっ。」
「あっ。」
「うっ。」
三人はそれぞれ違う言葉を発して。
「はああああかかかか…神さん…っ…」
振り向いてからは、同じトーンで同じように言った。
…さすが三つ子。
「SHE'S-HE'Sの会議が気になるのか?」
三人を前に、腕組みをして問いかける。
「…亜希、紗希、真希…」
左から順に目配せしてみるも…
「……」
「いや、紗希、真希、亜希…」
「……」
「…真希、亜希、紗希……ああ、もう分かんねーな。」
俺がガシガシと頭をかくと、三人は小さく手を挙げて。
「亜希です…」
「紗希です…」
「真希です…」
名前を言った。
「最初ので合ってんじゃねーか。」
「違うとは…」←同時
「無言で睨んだだろ。」
「睨んでなんか…」←同時
この三つ子は…まこちゃんこと、島沢真斗の娘達だ。
長女の佳苗は女優として売れまくってたのに、高校卒業と同時に引退。
彰と結婚して、現在は専業主婦。
そして、この三人…
島沢亜希・紗希・真希、二十歳。
中学生の頃は音楽留学をしていたらしく、まこちゃんもその将来を楽しみにしていた…らしい。
聞く限りでは、声楽での留学。
ゆくゆくはオペラかミュージカルか…華々しく舞台に立つ日が来ると、おそらく誰もが予想していた…はずが。
三人は、桜花の高等部を卒業してすぐ。
アイドルグループを目指して、ビートランドのオーディションを受けた。
それにはギリギリ合格したものの…足りないものが多過ぎて、練習生扱いに。
そんなわけで、三人はビートランドで音楽を学ぶと同時に、広報でバイトもしている。
踊りながら歌う三人は、なんつーか…
本当に悪くはないが、良くもない。
言ってしまえば、インパクトに欠ける。
ドラマで言うと主役と言うより脇役向きだ。
だが、そこを本人達がどう変えていくか…だ。
俺の前では三人ともオドオドしているが、まこちゃんが言うには。
「亜希と紗希はハキハキしてて、真希はおとなしい子です。」
…どう変えていくか…て、言うより。
どう化けるか。だな。
「…まあ、いい。で?何だ。」
俺の問いかけに三人は顔を見合わせて。
「あたし達…SHE'S-HE'Sにコーラスで参加させてもらいたいんです。」
真っ直ぐに俺を見て、声をそろえて言った。
「…は…?」
「父の左手が動かなくなって。」
「知花さんが父のためにキーボードを改良してくださったのは知ってますが。」
「それでも負担は多いと思うんです。」
「……」
三人は、まるで練習して来たかのように、順番に言葉を並べる。
「知花さんのプログラムされたコーラスを、あたし達が歌う事で。」
「父の動作が一つ減ります。」
「瞳さんのバックボーカルの後ろで、あたし達三人を歌わせて下さい。」
「……」
思いがけない提案に、俺はしばらく言葉を失った。
…待て。
今、こいつらは…
まこちゃんの動作を一つ減らすために、自分達がプログラミングされてる知花のパートを『歌う』って言ったか…?
…確かに、あのパートを生の声でやれるとしたら…
迫力は増す。
鍵盤の音が多少減っても、違和感はない。
それどころか…三つ子。
同じ声がコーラスで入れば…
知花と瞳の声を、大いに引き立ててくれる。
「…おまえら、SHE'S-HE'Sの楽曲は。」
「全部入ってます。」
「すぐ歌えるか。」
「はい!!」
「…よし。」
俺は会議室のドアを開けて。
「みんな、スタジオに入れ。」
中で音源を聴きながら、セットリストの打ち合わせをしていたSHE'S-HE'Sを呼び出した。
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