第33話 「……」
〇里中健太郎
「……」
「どうした。怒鳴らないのか?」
目の前の高原さんが笑顔で俺に言う。
「そんな…俺がいつも人を怒鳴ってるみたいに…」
「怒鳴ってるんだろ?里中が何も言わなかったなんて、聞いた事ないぞ?」
「うっ…」
今日は…高原さん直々に『ボイトレ』の申し入れがあった。
そんなの、俺に頼まなくても…高原さんなら自分でできるだろうし、誰かに頼むとしても…
神とか?
知花ちゃんとか…
…さくらさん?
適任者は他に色々いるわけで…
「…なんで俺なんですか?」
困った顔で問いかける。
「そんなに困ってるのか?」
「いえ…光栄ではありますけど…俺なんかじゃ…」
「どうした。随分自分を下げて見てるんだな。」
「はい…?」
「おまえは出来る男だ。自信を持て。」
「……」
た…高原さんに、正面切ってそう言われると…
勘違いしてしまいそうになる。
それでなくてもビートランドの社長という、とんでもない椅子に座らせて。
すでに若干勘違いが始まりそうになってると言うのに…
「…聞いていいですか?」
ポロンポロンと鍵盤に指を落としながら、小さく言う。
「…どうして急に録音なんか?って?」
「……」
スタジオに入った時から、俺がそんな顔をしてたのか…
高原さんはクスクスと笑いながら。
「残したくなったんだよ。」
優しい笑顔のまま、言った。
「…残したくなった…」
それは、何とも…胸のざわめきを誘う言葉でもあり。
そして…当然の想いだという確信でもあった。
この人は、まだアーティストなんだ。と。
「当然、以前と同じ歌い方は出来ない。」
「…はい…」
「それなら、今の俺で…Deep Redの最後の作品を作ったっていいかなと。」
「…あの。」
「ん?」
「て事は…オリジナルメンバーで…ですか?」
俺はてっきり…ソロアルバムなのだと思ってしまった。
神から『高原さんが』と言われた事と。
高原さんの声が、すでにバンド向きではないと思ったからだ。
「意外か?」
「いえ…んー…はい。意外ですが、楽しみです。」
Deep Redが聴ける。
歳を重ねてもなお、後退する事を知らない、朝霧さんのギター。
そして、今も世界中の鍵盤奏者に支持される、島沢さんのキーボード。
「ま…曲調もガラリと変わるけどな。」
「…あ…」
調子に乗って妄想して、しまった…と思った。
きっと俺は昔のDeep Redを描いて…ワクワクした顔だったのだと思う。
それに気付いた高原さんは苦笑いで。
「それでも…間違いなく最高の作品にする。」
年齢を感じさせない…力強い目をした。
〇桐生院華月
「今日が最後なんて残念だなあ。」
そう言って溜息をついたのは、スタジオのオーナーで父さんとはTOYSで盟友だったマサシさん。
「そう言ってもらえて嬉しいですよ。」
詩生はアコースティックギターのチューニングをしながら笑顔になった。
あたしと詩生は、マサシさんのスタジオで二週間練習させてもらって。
明日…渡米する。
あくまでも、あたし達はサプライズでフェスに出たいし…
そのためには、何としてもアメリカ事務所から選出されなくちゃならない。
「おまえはいいよ。毎日聴いてたんだろ?」
「…うるさいな。シークレットなんだから、仕方ないだろ?神からお許しが出ただけでもありがたく思えっ。」
「神も神だよ。ここを使うんなら俺にも教えてくれたって…」
いくつかの言葉のやり取りがあった後。
「あー、はいはい。うるさいおまえら。」
父さんが、パコンパコンって二人の頭を丸めた紙で叩いた。
「あてっ。」
「いたっ。」
その二人とは…
マサシさんと、TOYSでドラムを叩いてたタモツさんこと大野 保さん。
それでなくても、今日は最終日で…父さんが見に来るって言うから緊張してたのに…
ゲストまで連れて来ちゃって。
「…この流れって、まさかアズさんも来るとか…?」
詩生が威張ったように座ってる父さんに問いかけると。
「いや、あいつに知れたら世界に言いふらされるからな。」
父さんは真顔でそう答えた。
「間違いない。」
「あはは。後でアズが知ったら泣くな。」
…何だか…
お二人は父さんの『友達』って感じで、新鮮。
いつも一緒にいるのはバンド仲間の人達だし…
里中さんは友達に近い感じはするけど…でもやっぱり仕事関係の人だし。
お二人も昔のバンド仲間ではあるけど、すでに現役は引退されててもっぱら聴く側だそうで…だからなのかな…
並んで座ってる姿を見ると、どうしても父さんだけすごく若く見えちゃう。
人に見られる職業だから…?
「さ、始めてくれ。」
椅子に座って足を組んだ父さんに言われて、何だか緊張してしまう。
いつもマサシさんは一緒に踊ったり…最近では口ずさんでもくれてたから…
『…華月、やるぞ。』
詩生がマイクの前に立った。
『…うん。』
ドキドキするけど…ステージに立ったらこなんもんじゃないはず。
免疫がつくと思えば…いい。
すぅ…と息を吸って。
詩生のアコースティックギターと共に歌い始める。
あたしは…父さんみたいに迫力のある声じゃないし。
母さんみたいに、信じられないほど幅広いキーが出せるわけでもない。
だけど。
あたしは、あたしなりに。
あたしの歌い方で…詩生の楽曲を大切に歌って…みんなに好きになってもらいたい。
二曲目を歌ってると、サビの部分でウズウズしてるマサシさんが視界に入った。
…ふふっ。
いつもこの曲で踊ってくれるものね…
何だかそれだけで楽しくなって。
父さんの前で緊張してたけど…すごくほぐれた。
「…思ったより良かった。」
全曲通したところで、父さんが低い声で言った。
『ほんと?里中さんには怒鳴られっぱなしなのよ?』
「あいつはめったに人を誉めないからな。」
『…父さんが言うかな…』
「まあ、今後向こうでどういうスタイルにするかは、里中とも話し合っておけ。」
『うん…え?帰るの?』
立ち上がってドアに手を掛けた父さんに言うと。
「何だ。寂しいのか?」
父さんは振り返って嬉しそうな顔。
『…ありがとう…』
目を細めてそう言うと、父さんは小さく舌打ちをして帰って行った。
「いやー!!踊りたくてウズウズした!!」
父さんが帰った途端、マサシさんが両手を握りしめた。
あたしはマイクを置いて詩生の隣に座る。
「何だよ…おまえ、いいおっさんが…」
「おまえだって膝叩いてたじゃねーか。」
「えっ、そんな事してたか?」
「自覚ないとか怖いぜ。」
マサシさんとタモツさんのやり取りに、詩生と笑ってると…
「お父さん、塾の申し込み書いてって言っ…た…の……」
突然ドアが開いて、女の子が入って来た。
「あ。千春…」
「おー、千春ちゃん、大きくなったなあ。」
「……え……っ!?」
マサシさんの娘さんらしい『千春ちゃん』は、あたしの顔を見て目を見開くと。
「か…かかか華月ちゃん!?」
大声を出して、両手で口を押えた。
「…何だ…おまえ、何で知ってるんだ?」
「なっ…!!父さん知らないの!?モデルの華月ちゃんよ!!」
「えっ…」
あ…マサシさん、何も知らなかったんだ…
あたしは首をすくめて立ち上がると。
「はじめまして、華月です。お父さんにお世話になってます。」
千春ちゃんに笑顔で挨拶をした。
「はっ…はははははーっ!!」
千春ちゃんは真っ赤になってマサシさんの後ろに隠れると。
「可愛い!!どうしようっ!!あたっあたし…!!」
「…おまえ、そんなに…」
後ろから千春ちゃんに抱き着かれる形になってるマサシさんは、戸惑いながらも嬉しそう…
「は…はじめまして…じっ…次女の…千春です…」
「高校三年でね、短大に行きたいから塾に行くって急に言い始めて。」
「もうっ!!父さん!!そんな話いいからっ!!」
千春ちゃんは赤い顔のまま、マサシさんをバシバシと叩く。
「いてっ。いててっ。」
「ふふっ。」
二人の様子が面白くて笑うと。
「あ…ああ~…夢みたい…やだ…父さん…どうして知り合いなの…?」
相変わらずマサシさんの後ろに隠れたままの千春ちゃんは、キラキラした目でマサシさんに問いかけた。
そうこうしてると…
「はっ…!!」
千春ちゃんの視線が、詩生に。
「でぃ…っ…DEEBEEのシオ!!…くん!!」
「…どーも。お父さんにはすごくお世話になってます。」
詩生も笑顔で挨拶をして、千春ちゃんは大興奮だったけど。
「これ、シークレットだからな。おまえ絶対誰にも言うなよ?」
真顔のマサシさんに少し圧倒された後。
「…握手と…サインもらえるなら…」
可愛い上目使いでそう言った。
あたし達は絶対秘密にしてね?って約束をして…
握手とサインをした。
帰り間際にマサシさんが。
「…娘があんなに話してくれたの、何年ぶりだろ。ありがとね。」
あたしと詩生に、小声でそう言った。
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