第5話 振り返った二人。

 振り返った二人。

 一人は…正義感の『富樫』さん…

 もう一人は…


「……」


 あたしが感激で頭の中を真っ白にしていると。

 富樫さんが…戻って来た。


「何か?」


「あ……」


「?」


「あの……」


 あたしの視線は富樫さんを通り越して…先生に釘付け。

 それに気付いた富樫さんが、先生を振り返った。


 …ああ…

 先生…

 最後に見掛けた時より…精悍な顔立ち…


 あたしと富樫さんの視線に気付いた先生は、少しだけ首を傾げてあたしを見て…


「…小田睦美さん?」


「!!!!!!!!!!!!!」


 ま…

 まさか…!!

 まさか、覚えてくれてるなんて――――!!!!!

 なんで――――!?

 なんでなんで!?


 だっだっだっだっだって!!

 あたしのクラスの体育は、先生じゃなかったし!!

 一度だけ、代理で来て出席を取られた事があるけど…


 一度よ!?

 たった一度!!

 先生があたしの名前を呼んだのは、あの一度だけよ!?


 なのに…!!!!



 あたしが泡を吹きそうになってると。


「小田切さん、ですよ。」


 富樫さんがあたしのネームを見て、先生を振り返って言った。


「!!!!!!!!」


 ぎゃ―――!!

 あたしバカ!!


「ちっ…」


 違うんです!!


「ああ…結婚されたのかな?」


 先生が笑顔で近寄って来る。

 ちが…ちが―――う!!


 あたしは慌ててネームを取ろ…取り…とっ…取れないっっっ!!


「よ…よよよよよく…あたしの事なんて…」


 ネームを掴んだまま、うつむき加減でそう言うと。


「一度口にした名前は忘れない自信があるからね。」


 先生は優しい声でそう言った。


 …一度口にした名前は忘れない…


 パチパチ…と、瞬きをする。


 …じゃあ、あたしだけを覚えてた…ってわけじゃないんだ…

 無駄に正義感の強い富樫さんと、無駄に記憶力のいい先生。

 いっそのこと、本当に二人とも警察にお勤めされたらどうですか。

 そう言いそうになって…飲み込む。


 …何だろ、あたし。

 思い焦がれてた人に…やっと会えたのに。

 用意してたセリフも出て来ない。

 せっかく覚えてもらってたのに、それがあたしだけじゃないと分かると…いきなり特別感が消え去った。



「ここで働いてるの?」


 …それでも先生の声だと思うと…それはやっぱり嬉しくて。

 うつむいてた顔をゆっくり上げる。


「……はい。」


 目が合うと…その姿はやっぱり…あたしの想い続けてた人であるわけで…


「先生…」


 ああ…やっぱりカッコいい…

 素敵だ…

 この三年間は残像だけを強く想い続けて来たけど…

 それよりもずっと…ずっとずっとカッコいい…!!



「あの…」


「ん?」


 あれだけ毎日違うセリフを用意して来たのに…

 頭の中が真っ白過ぎて、何も出て来ない。

 あたしはひたすら先生を見つめた。

 すると、富樫さんが時計を見て…


「すみませんが、あまり時間がなくて…」


 申し訳なさそうな顔でそう言った。


 …はっ。


「あっ…そっそそそそうでした。あの、もしかして…『きな粉のまんま』をご注文されましたか?」


 あたしは店員としての任務を思い出して背筋を伸ばす。


「ああ…うん。でも明後日にならないと入荷しないって。」


「それが、隣町の倉庫にある事が分かりました。20分程お待ちいただく事は可能ですか?」


 あたしが先生と富樫さんを交互に見ながらハキハキと言うと。


「20分…それなら大丈夫でしょう。」


 富樫さんが先生に言った。

 あたしは先生が何かを言う前に。


「では、配送するよう連絡いたします。店内にイートインがございますので、そちらでお茶でもしてお待ちいただけますか?」


 まだこの地に留まって欲しい。

 その一心で、言葉を放った。


 …が。


「いや…車で待つよ。」


 先生はそう言って、車を指差した。

 ああ…車かあ…残念。

 イートインなら話も出来たのに…

 そしてすかさず富樫さんが。


「では、その頃に私が支払いと共に、受け取りに伺います。」


 キリッとした表情で言った。


「…分かりました。すぐに手配いたします。」


 残念な気持ちは表に出さず、あたしは先生と富樫さんに頭を下げて店内に戻る。

 倉庫のスタッフに連絡をして、すぐに届けてもらうように指示をした。

 Aさんにも該当者が見つかった事を話し、倉庫から商品が配送される事を店長にも伝えた。



「……」


 胸のバクバクが収まらない。

 トイレに駆け込んで鏡を見る。

 …いつだって抜かりはない。

 この日のために、ずっと…きちんとして来たんだもの。


 連絡先を聞いて…

 今後、お付き合いを始めるために…何か…

 …考えただけで、吐き気がするほど緊張した。

 あれほどシミュレーションして来たと言うのに…

 いざその時が来ると…人間てなんて弱いんだろう…



「…に、しても…」


 洗面台に手をついて、首を傾げる。

 富樫さんと先生って…

 どういう関係?

 今夜海外へ経つってAさんから聞いたけど…

 先生は富樫さんの事『富樫』って呼び捨てだったし、富樫さんはずっと敬語だった。

 主従関係?

 先生、社長にでもなってるのかな。

 それとも、富樫さんも教え子?



 気合を入れ直して、あたしはイートインで人気のお茶を二つ買うと、車まで運んだ。

 あたしの姿をミラーで確認したのか…

 車から降りて来たのは富樫さんだった。


「お待ちいただいてすみません。お茶でもいかがですか?」


「今ちょうど買いに行こうと思ってたので、お支払いします。」


「えっ、これは…あたしからのお礼って事にして下さい。」


「いえ、とんでもないです。」


「お願いします。あなたがいなかったら…誰もあのお客様を止める事は出来なかったんですから。」


「…腕、大丈夫でしたか?」


「え?」


「ちょっと失礼します。」


 すっ…と、富樫さんの手があたしの腕に伸びて来た。


「…少し腫れてるのでは?」


 シャツの上から触れただけなのに、富樫さんはそう言って眉間にしわを寄せる。

 お茶を受け取ってくれた富樫さんに促されるようにして、あたしは袖を捲って左腕を見た。


「これは…病院に行かれた方が。」


 痛みなんて感じてなかったのに、内出血をして腫れてる腕を見た途端…痛い気がして来た。


「いえ…大丈夫です。後で湿布でもしておきますから。」


「今後の仕事に差し支えてしまったら大変ですよ?」


 や…優しい人だな…

 あ、そうか。

 無駄に正義感が強いんだっけ。


「ケガ?」


 あたしと富樫さんの押し問答が気になったのか、先生が車から降りて来て…あたしの腕を見て顔をしかめた。


 …ああ!!

 こんな腕を見られるなんて―――!!


「あっ…たったた大したことは…」


「いや、これは病院に行った方がいい。」


「えっ…?」


「富樫。」


「はい。」


「え?」


 何が何だか分からないけど…

 先生が名前を呼んだだけなのに。


「行き着けの整形外科は?」


「え?あ…そこの…」


 あたしが店の二軒隣にある病院を指差すと。


「行きましょう。」


「はい?」


 富樫さんが、あたしの背中にやんわりと手を添えて歩き始めた。


「えっええええ?あのっ…大丈夫ですよ!?」


「店長にはボ…先生が伝えて下さいますから。」


「いやっでもっ…」


「さあ、急いで。」


「え?えっ?まっ…」



 何なの―――!!

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