第3話 パンパン。

 パンパン。


 今日もあたしは玄関に作っている神棚に手を合わせる。


「小田切先生に会えますように…」



 先生が桜花にやって来たのは…あたしが三年生の秋だった。


 高校生活もあとわずか。

 しまった。

 出席日数は足り過ぎてるはずだし、単位も落としてない。

 今から派手に問題を起こして留年…いやいや、そんな事したら留年どころか退学だ。


 あの時ほど、本気で自分の真面目さと丈夫さを呪った事はない。



 だけど留年したとしても、先生は産休育休の代替え教員。

 いつまで桜花にいるか分からない。


 あたしは仕方なく、普通に卒業した。

 もう、これで会う事はないかもしれない…

 そう思いながらも、あたしはあきらめなかった。


 トミヨシに就職して、元担任に近況報告に行ったり。

 学祭にも行った。

 小田切先生は…いた。

 その翌年も。

 さらに…その翌年も。

 そして、その翌年は担任までしていた。


 臨時教員から正職員になったのなら、会うチャンスも増える。

 と、浮かれかけたけど…

 その翌年、先生はいなくなってた。

 どこかで見かけるなんて事もなくなった。


 普通なら…ここで諦めるのだろうけど…

 あたしは諦めない。

 偶然どこかで再会するという奇跡を、あたしは信じてる。


 毎晩寝る前には強く祈り、毎朝出勤時もこうして拝み倒す。

 先生が桜花を去った後の行く先は…全く掴めていない。

 だけど…『転職して多忙な日々を過ごされている』と、あたしの元担任が教頭と話しているのを聞いた。


 …こんなに清く正しく美しく強く生きているんだ。

 きっと…神様はご褒美をくれるはず…!!



 こんなあたしの日常は誰にも知られていない。

 知られたら、きっとドン引きされるだろう。

 一目惚れした、言葉も交わした事のない教師との再会を生き甲斐にしている女。

 さらには…結婚までする気でいる女。


 再会をキッカケに、全てをスタートさせる気でいるあたしは。

 カバンの中身と化粧のノリをチェックし。


「今日出会えたら…『この日を待っていました』でいこう。」


 毎日違う『再会時のセリフ』を心に決め、颯爽と家を出た。




「いらっしゃいませ。」


 今日も姿勢に気を付けて仕事に励んでいると。


「あー。」


 ベビーカーに乗った可愛らしい女の子が、商品を手にあたしを見上げた。


「……」


 あたしは…その子に目が釘付けになった。


 な…なんて可愛い子…!!


「こ…こんにちは。」


 可愛らしい女の子の目線までしゃがみ込んで、笑顔を返す。


「ぴちゅー。」


 ぴちゅー?


 尖った唇がこれまた愛らしくて…あたしは職場ではめったにこんな事にならないんだけど…

 メロメロになってしまった。


 金髪に青い目。

 ママはどんな人だろう?


 その子のママは、あたしと反対側の陳列を必死で眺めてる。

 何か探してる…?



 あたしは立ち上がると。


「何かお探しですか?」


 声を掛けた。


「えっ?」


 振り向いたその顔は…まあ、整ってる美人…でも、この子のママ…?


「あっ!!」


 ママは女の子が手にしてる商品、『きな粉のまんま』を見て。


「す…すいません…握りしめちゃって袋がしわしわに…これ、買います…」


 申し訳なさそうに頭を下げた。


「いえ、気になさらないでください。」


 ママとあたしの間で行き来する商品を見上げる女の子の目が…クルクルと動いて可愛い…!!


「とても可愛いお子さんですね。」


「ありがとうございます。リズ、可愛いって。嬉しいね。」


 リズ…って事は、パパが外人さんかな。

 金髪に青い目だもんね。

 それしかない。


「あゆー。」


 あゆー?

 もう、何言っても可愛い…

 ほんっと、子供って癒される…


 あたしはひとしきり『リズちゃん』の笑顔に翻弄され、手を振ってレジへお見送りをした。


「…あっ。」


 きな粉のまんま、持って行かれてしまった!!


「お客様っ!!」


 あたしがリズちゃんのママに声を掛けると。

 何ともふわっとした雰囲気のママは首を傾げて振り返った。


「あの、先ほどの商品ですが…」


「あっ、きな粉のまんまですか?美味しそうなので買います。」


「えっ?」


「美味しかったら、また買いに来ますね。」


「あ…ありがとうございます。」


 特別…超美人!!ってわけでもないんだけど…

 でも、雰囲気がとても優しくて、心惹かれる女性だなと思った。


 …ふむ。

 あたしが男なら…こういう女性に癒されたいかも。


 再びリズちゃんに手を振って、あたしは持ち場に戻る。



 …小田切先生は、どんな女の子がタイプなのかなあ。

 そんな事を思いながら、残像の『リズちゃんのママ』を真似るように、少しだけ首を傾げてみた。





 可愛らしいリズちゃんが握りしめたがために購入されて行った『きな粉のまんま』という商品。

 どうやらリズちゃんとママは、あの翌日も来店して…10袋もご購入下さったらしい‼︎

 あまりの可愛らしさに、近くにいたスタッフ全員が覚えていて。


「来週、ベビーフードフェアもあるので来てくださいって誘ったら、『今は里帰り中なんですが明日自宅に戻るんですよ』って。」


 と、Bさんが残念そうな顔で言った。


 あたしももう一度会いたかったなあ…リズちゃん…



 そんなこんなで始まった『ベビーフードフェア』は、御贔屓にして下さってるお客様はもちろん…

 ネット広告を見て足を運んだというお客様にも大好評だった。

 あたしは呼んだ覚えはないけど、イリア(母の幼馴染『はーちゃん』の娘)が上の子二人を連れて来て。


「むっちゃん!!お誘いありがとう!!えっ、この粗品くれるの!?ありがとう~!!」


 と、おひとり様二個までの粗品を五つもバッグに押し込んでいた。


「……」


 上の子二人の手を引いて、笑顔で去って行くイリア。

 その背を見送ってると、少しだけ…寂しい気持ちが湧いた。


 一つ年下のイリアは新婚気分を味わう事なく母親になったけど…

 かけがえのない愛しい存在を、たくさん手に入れた。

 24歳で四人の子持ちなんて、きっとなりふり構わずな生活に違いない…って、バッグに粗品を詰め込むイリアを見て思ったけど。

 子供達と帰って行くイリアの後ろ姿は、『るんるん』って吹き出しが見えるかのようだった。


 帰ったらパパに教えてあげようね。って話してるのかな。

 粗品(小さなガーゼハンカチ)は五個だから、パパには秘密だよ。って笑いあってるのかな。


 ……今まで、小田切先生の事に心も頭の中も占領されてて。

 自分の人生を真面目に考えた事がなかった。

 いや、先生と結婚する。って本気で夢見てるけど。


 それでも…

 …何だろ。

 今までこんな事、一度もなかったのに。

 急に寂しくなっちゃった。


 会えるかどうかも分からない想い人。

 その人との結婚を夢見続けてるなんて…バカなのかな…

 バカだよね…

 気付いてるけど、追い続けたいのよ。

 だって…

 一目惚れだったんだもん。


 屋上で、タバコを取り出した寂しそうな後ろ姿。

 先客だったあたしは、それを見た時『どこの不良が!?』って思った。

 だけど…制服姿じゃなかったし。

 かすかに聞こえた溜息。

 あたしは息を飲んで気配を消した。

 ずっと見ていたいと思ったから。


 その…寂しそうな後ろ姿を。

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