第73話 「あの…っ…」

 〇世良静香


「あの…っ…」


 ライヴ会場を出て、あたしは会長に声をかけた。

 すると、隣にいた朝霧さんと島沢さんと神…さんも同時に振り返った。


「…あ…た、高原さん、朝霧さん、島沢さん、神…さん、お疲れさまでした。」


 …年下の神 千里を『さん』付けで呼ぶ事、実は今も抵抗あるんだけど…

 ここの社員で、神 千里を『君』付けで呼んでるのは…んー…たぶんいないかな…

 いたとしても、客席でドサクサに紛れて声援を送る時ぐらいのもん。


 普段、この男の事をそんな呼び方しようものなら…


『あなた、社員?』


 って…先輩方に睨まれかねない。


 それほど…

 神 千里は、社員から崇拝されまくってる。


 と言うのも…

 まあ、F'sのフロントマンだからってのももちろんあるけど…

 上層部からの信頼も厚いし、世界にだって出てしまってる人物。

 今も、こうして大御所様達と並んでても…全然引けを取らない貫禄。

 そして、いつかビートランドを引き継ぐであろう…って期待感。



「か…会長、ちょっといいですか…?」


 あたしが一歩引いて言うと、高原さんは三人に何かを告げて。


「上に行こう。」


 そう言って、エレベーターに乗られた。


 だけどそれには…


「誓と乃梨子の話だよな。」


 神 千里も乗って来た…!!


 ああああ!!

 無駄に優しい義兄!!


 高原さんは神 千里を見て眉を八の字にすると。


「…まあ…いいか。」


 ポリポリと頭をかいて。


「構わないか?」


 あたしに言われた。


「……」


 正直…この男に知られていいもんだろうか…と思うあたしもいるけど…

 …家族だもんね…


「…はい…」


 小さく頷いた。



 会長室に入って、あたしはすぐに。


「すいません…お休み出来る日に…」


 高原さんに頭を下げる。


「構わない。少し部屋で休もうと思ってたし。で…何だ?」


 高原さんはあたしにソファーに座るよう促して、自身はコーヒーを淹れに簡易キッチンへ。


 ああ…もったいない…


「あの…さっき塚…乃梨子ちゃんに会って…」


 あたしがそう言うと、神 千里がチラリとあたしを見た。


「ああ…一緒にいる所は見えた。」


「それで…さっき連絡先の交換がしたいと言われて…」


「……」


 高原さんは一瞬口をつぐんだ後。


「…千里。あの事…乃梨子は知ってるのか?」


 神 千里を見た。


「さあ…誓が言ってなきゃ知らないと思います。」


「そうか…」


 以前、あたしと乃梨子ちゃんが働いてた広告代理店。

 乃梨子ちゃんが退職したいと申し出た頃、結構な頻度で彼女の父親があたしに会いに来てて。

 あたしはそれにうんざりしていた。

 だから…彼女が退職したいと言った時、正直…胸のつかえが下りる気分だった。

 これで父親も来なくなる!!と。


 あたしに会いに来てたと言っても…結局知りたいのは桐生院家の事。

 すでに悪巧みを知ってたあたしが喋るわけないのに。

 まあ…喋れるほど桐生院家の事も知らなかったけどね…


 彼女があの会社を辞めた後…何かしら、小さくはあるけど…嫌がらせされるようになった。

 出社すると、白紙FAXが届いてたり…

 頼みもしない出前(二人分ぐらいで済んでたけど)が届いたり…


 その内、誰かが『塚田さんじゃない?』なんて言い始めて。

 ちょっと…社内がざわついた。


 なぜ彼女が疑われたかと言うと…

 入社したての頃、何度か間違えてFAXを白紙で送信した事があったり。

 嫌がらせのわりに…少し控えめな感じがしたからだ。



 その小さな嫌がらせは、だんだん…あたしを標的にしてきた。

 会社だけじゃなく、自宅にも無言電話や怪しい手紙、家の周りにあたしを誹謗中傷した張り紙が貼られて。

 ついには警察に連絡もした。

 だけど、どれもが事件性を感じられない事から、『見回りをしてみます』ぐらいの対応しかしてもらえなかった。


 何となく…うっすらとだけど…乃梨子ちゃんの親が絡んでる気がしてどうしようもなかったあたしは。

 思い切って、塚田工務店に乗り込んだ。


 だけどそこにあったのは…おしゃれな喫茶店。

 お店をされてる女性に、塚田孝明さんの事を尋ねるも…


「さあ?どこで何をしてらっしゃるか。」


 と…



 その嫌がらせ。

 一定期間続いたと思うと、ピタッと止まる。

 そして少し間を開けて…また始まる。


 小さな事かもしれないけど、繰り返されると結構キツイ。

 そんな事が一年続いて…あたしは体調を崩して会社を辞めた。


 警察もあてにはならなくて…

 しばらく引き籠って、家族に慰められる毎日を過ごしてた。



 家族全員があたしを甘やかしてくれるのをいい事に、自堕落な毎日を過ごしてたある日…


「しっしっししし静香!!大変!!」


 母さんが血相を変えて階段を駆け上がって来た。

 いつもは、あたしが返事をするまで下から大声で呼んで…いや、あれは叫んでるって感じ。

 いくらハードロック好きでも、家の中でシャウトって。

 普段から少し弾けてる母親ではあるけど、ただならぬその様子にゆっくりと階段を下りると…



「やあ。」


「……」


 あたしは、あの日の衝撃を一生忘れないと思う。

 よれよれのトレーナーを着てるあたしに向けられた、高原さんの笑顔…


 その日はあたしと母さんしか家に居なくて。

 って…平日だから当然なんだけど。

 母さんは小声のつもりでも『あ~どうして今日に限ってこんな格好!!』って、高原さんに丸聞こえなほどの声でつぶやいた。



「少しいいかな?」


「は…はい…」


 そう返事しながらも、あたしは一瞬自分の姿を見下ろして。


「すいません。五分だけお待ちいただけますか?」


 背筋を伸ばしてそう言った。



 それから…本当に五分で簡単に着替えてメイクをして。

 車で待ってくれてた高原さんは。


「気持ちいいほど有言実行だな。」


 さわやかに笑ってくれた。


 そして、あたしは…ただでさえ乗るのも恐れ多いような高級車。

 さらには運転席に高原さんという信じられない夢の助手席に…勢いに任せて座った。


 もう、その嘘のような展開に…

 それまでの嫌な事は、このご褒美のためだったんだ…なんて頭がお花畑になったりもした。



「会社を辞めたと聞いたんだが。」


 いくつめかの信号で停まった時、突然そう言われて。

 あたしはパチパチと瞬きをして、その言葉を頭の中で繰り返した。


 会社を辞めたと…


「えっ…なっなんでご存知なんですか?」


 驚いて体ごと高原さんに向き直ると。


「その後、乃梨子の父親が何か言って来てないか気になって、会社に電話をしてみたんだ。」


 それを聞いて、高原さんって本当…面倒見のいい人だ!!って再認識したし、やっぱり素敵な人だとますます憧れが強くなった。


「…そ…そうなんですか…」


「体調を崩したって聞いたけど…大丈夫なのかい?」


 ああ…あたし…夢をみてるんじゃないだろうか…

 あのDeep Redのナッキーが…あたしを心配してくれてる…


「体は…大丈夫です。家族にも存分に甘やかされて、今は何て言うか…横着病ですかね…」


 恥ずかしいけど、取り繕うのも…と思って正直に言うと、高原さんは青信号で車を発進させて。


「もしかしてとは思うけど、乃梨子の親と関係してる?」


 低い声で言われた。


 …す…するどい…

 でも…


「証拠はないんですが…」


「証拠?」


 あたしは、一年続いた嫌がらせについてを高原さんに打ち明けた。


 今は落ち着いてるけど、今までも休憩みたいな期間はあったから…

 何となくだけど…そろそろ何か始まるんじゃないかと思うと、眠れなくなるあたしがいる。



「…それは大変だったね。」


「社長が何かやらかしたのかって、最初はみんなで笑ってたんですが…うちに同じような嫌がらせが始まってからは…あたしが標的だって気付いて。だけど…それが会社にバレるのが嫌で…」


「……」


「いつFAXにあたしの名前が書かれてしまうんだろうって思うと、朝一で出社して最後まで残ったりして…つまんないプライドって言うか…」


「…人に知られたくないって思うのは、当たり前の気持ちだろう。誰だって自分のせいじゃないと思いたいもんさ。」


 高原さんは前を向いたまま、片手でポンポンとあたしの頭を撫でてくれた。


 ぎ…

 ぎゃあああああああ!!!!

 あたし!!

 今夜頭洗わない!!←洗ったけど




 それから…

 あたしは、高原さんの提案で…


「えっ…あっあたしがですか…?」


「ああ。広報が人手不足でね。」


「あああああたしで…大丈夫でしょうか?」


「それは君のやる気次第。」


「頑張ります!!頑張らせて下さい!!」


「ははっ。頼もしいな。」


 まさかの…ビートランド就職へのお誘い‼︎



 あたしは夢のようなドライヴの間に、悩み事を打ち明けて…就職先もゲットしてしまった。


 それも…憧れのビートランド…!!


 ただ、規約が相当厳しいとの事で…

 高原さんは後部座席から分厚い資料をあたしに渡して。


「これを全部読んで把握して、守れる自信があれば合格。」


 優しく笑ってくださった。


「分かりました。読破いたします。」


「それと…」


「はい?」


「嫌がらせの手紙や張り紙、何か証拠として手元に残してる物はあるかい?」


「……いえ、どれも気持ち悪くて、すぐに捨ててしまいました…」


「そうか…分かった。もしまた何かあったら、その時は教えて欲しい。」


「でも…塚田さんとは関係ないかもしれませんよ?」


「それとは関係なくても、こんな事が続いたら精神的に辛いだろう?」


「そ…それはそうですけど…」


「俺はお節介なんでね。社員が困ってるのは見過ごせない。」


「え…まだ合格してないのに…?」


「読破して納得してくれると信じてるよ。」


「……」


 じーん…

 高原さん…ボーカリストとしてだけじゃなく…

 人間としても、ビートランドのトップとしても…最高の人だー!!



 夢のようなドライヴから帰った後、あたしは本気で分厚い資料を読破した。

 重要とされる規約に関しては、何ならテストされても答えられるほどに暗記した。

 あたしの就職に浮かれてる家族にも、真顔でそれらを説明をした。


 …色んな人に守られてる乃梨子ちゃんが羨ましいな…なんて思った事もあったけど…

 あたしまで…なんて…



 その一週間後。

 あたしがビートランドに初出社の朝。

 まさにそれは…玄関に貼られていた。


『男好き静香』


「……」


 これを高原さんに見せるのは嫌だー!!




 と思ったけど。

 あたしは高原さんにそれを見せた。

 すると…その数日後。


「乃梨子の父親の仕業だった。」


 数日続いた張り紙攻撃。

 その、おそらく三日目ぐらいの現場証拠を手に、高原さんが言った。


「え…えっ…?高原さん、でもこれ…」


 手渡された写真には、うちの玄関に張り紙をしてる男…

 でもそれは、塚田さんじゃない…


「その男は雇われてたらしい。」


「雇われ…」


 人を雇ってまで、こんな幼稚な事を…!?


「そ…それで…塚田さんは…」


「安心していい。捕まった。」


「えっ!?」


 つ…捕まった!?


「色んな余罪があったようだからな…しばらくは出て来れないだろう。」


「……」


 どんな経緯があったのかは知らないけど…

 とにかく、塚田孝明さんと、その元奥さん…二人は現在塀の中…らしい。

 それを…



「乃梨子ちゃん、ご両親の居場所って…」


「たぶん知らねーだろーな。」


 神 千里は溜息をついて。


「ま、でも…今のあいつなら…」


 ポリポリと頬を掻くと。


「親がムショに入ってる事より、ダチがいねー方が心配だ。連絡先の交換、あんたが嫌じゃなければしてやってくれ。」


 あたしの目を見て言った。


 その言葉に高原さんは優しく笑って頷いて。

 あたしは…


「……はい。」


 少し感動して返事が遅れたけど…



 …神 千里。


 あんた、あたしより一つ年下…!!

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