第70話 「…塚田さん?」

「…塚田さん?」


 その声に振り返ると、そこに居たのは…


「チーフ…?」


 あたしは目を丸くしてチーフを見た。


 チーフ。

 世良静香さん。

 あたしが広告代理店にいた時の上司だ。



「あっ、もう塚田さんじゃないわね…ごめんなさい。」


 チーフは首をすくめて苦笑いをすると、隣にいる誓君にもペコリと頭を下げた。


「あ…え…ええと…チーフ、今日は…?」


 何だか思いがけない場所で会った気がして問いかける。

 確か、チーフは高原さんの大ファンだったけど…今日は社員とその家族限定と聞いたし…


 あたしが目をパチパチさせながらチーフを見てると…


「実は、ここの社員になったのよ。」


 チーフは社員証をチラリと見せながら言った。


「えっ!?」


「色々あって、あの会社を辞めた後…高原さんの方から『うちに来ないか』って言って下さって。」


「え…ええええええ…!?」


 あたしは…めちゃくちゃ驚いていた。

 チーフ、あの仕事大好きだって言ってたのに…

 いや…

 その前に…


「チーフ、いつの間に高原さんとお知り合いに…?」


 以前、会社の前で会った事はあるけど…

 だからって、いつの間に就職のお誘いをされるほどの知り合いに…?


 あたしが目を丸くしたまま問いかけると、チーフは一瞬能面のような顔をして。

 目だけを動かして…誓君を見た。


「……」


 何となく…何となく、だけど…

 ここにも両親が関係してる匂いがした。

 そこまで悪人だと思いたくなかったけど…

 うちの両親、どこまで他人を巻き込んでるんだろう…


 だけど今はグッと飲み込んだ。

 久しぶりに会うチーフは、ビートランドの社員で。

 今日は…遊んでいい日。



「チーフ、今日は…どこで遊ばれるんですか?」


 モヤモヤを押し込めて笑顔で問いかけると。

 チーフは強張った表情を元に戻して。


「もちろんライヴ観るわよ?おたくの御家族、本当すごいんだから。」


 あたしの肩を軽く叩いた。


「あー、一曲でもいいから、高原さんが歌ってくれるといいんだけどな~。」


 チーフがそう言ったかと思うと…


「それはその時の気分次第だな。」


 まさに、高原さんご本人が登場して。


「わっ!!あっ!!かっ会長!!おはようございます!!」


 チーフがペコペコと頭を下げる。


「ああ、おはよう。誓、乃梨子、会場の花を見たぞ。リクエストのイメージを超えた素晴らしい物をありがとう。」


 高原さんはそう言って、誓君の肩をポンポンとして。


「今日は長丁場だろうから、余力を残す程度に楽しんで帰れよ?」


 あたしに笑いかけてくれた。




「わあ…」


 会場に入ると、昨日セットした花がステージの両脇に置いてあって。

 あたしはつい…それを見て声を上げて。

 自分の声が思いの外、響いてしまった事に驚いて、慌てて両手で口を押えた。

 誓君はそんなあたしに小さく笑いながらも。


「ライトが当たると、スケール大きく感じられるなあ。」


 自分の生けた花々を見て、目を輝かせた。


 色んなイベント会場でもライトアップはするけど…

 ちょっと、この…ビートランドは他の会場の物とはレベルが違う。



 客席にはテーブルがいくつかあって、そこにお酒やジュースが置いてある。

 椅子もあるし、ここで観るのもいいかも?って思ってると…


「ここで座って観ようって思ってるかもだけど、すぐにみんな前の方に行っちゃうから、ここからだと座ってたら見えなくなるかも。」


 誓君が首をすくめて言った。


「モニタールームって?」


「あそこ。」


 誓君が指差した方を見ると、ステージを見下ろせる位置。


「なるほど…あそこからだとステージ全体が見下ろせそうでいいなあ。誓君の花、どんな風にステージと融合するのか見て見たいし…」


 モニタールームとステージを交互に見てそんな事を考えてると。


「…乃梨子、今の思ってただけ?」


 誓君が、少しニヤニヤしながら言った。


「え?今のって?」


「…花とステージの融合が見たいって…」


「えっ!!あたし、口に出してた!?」


「…うん。」


 きゃー!!

 もう何年もそんな事なくなってたのに!!


「…嬉しい。」


 ふいに、誓君があたしの頭を抱き寄せる。


「えっ…えええええっ…ひっ人がいるよっ…?」


「うん。でも嬉しかったから。」


「……」


 誓君…何が嬉しかったのかな?

 あたし、そんなに喜んでもらえるような事、言ったかな…


「じゃ、上行ってみよっか。」


「うん。」


 笑顔の誓君が、あたしの手を取って歩き始める。


 何だか…付き合い始めた頃を思い出しちゃうな。

 結婚してからは、ちょっと…色々気持ちのすれ違いがあって、こういうほんわかした気持ち…忘れてた気がするし。



 モニタールームのドアを誓君がノックしてみたけど、中には誰もいなくて。

 あたし達は貸し切りかな?なんて言いながら、はめ殺しのガラスの最前に椅子を引っ張って座った。



『各階で色んな催しの最中ですが、11時より中ホールにてライヴがスタートします。あっと言う間に終わるらしいので、見逃さないように。なお、カメラ、録音機器の持ち込みが発覚した場合、即刻退職となりますので、お気を付けください。』


 そんな館内放送が流れて。

 あたしは誓君と顔を見合わせた。


「…即刻退職って。」


「あー…姉さん達、顔出し禁止にしてるからね。」


「すごい…徹底してるのね。」


 放送があって五分も経たない内に、客席にゾロゾロと人が集まって来た。

 そして、出されてた椅子がなぜか両端に片付けられてく…

 …座ってる場合じゃないって事…?



「お邪魔していい?」


 背後でそっとドアが開いて。

 義姉さんがひょっこりと顔をのぞかせた。


「姉さん、時間大丈夫?」


 誓君が立ち上がってドアに向かう。


「あたし達はもう少し後だから。えっと…バックステージにいた人達連れて来ちゃったけど、一緒にいい?」


「うん。僕達はいいよ。ね?乃梨子。」


「はい。どうぞ。」


 あたしは椅子を用意する。

 何人ぐらいだろう。


「お邪魔しま~す。」


 そう言って入って来たのは…


「麗?」


 笑顔の麗ちゃん。


「桐生院に居るって言わなかったっけ?」


「おばあちゃまと母さんが行っていいって言うから、来ちゃった。」


 そう言った麗ちゃんの後ろから、思いがけずゾロゾロと…女性が…


 その中に、ひときわ目立つ美女がいた。

 もしかして…沙都ちゃんと好美ちゃんのママ?


「…納得の美しさだわ…」


「…乃梨子、口に出てるよ。」


「えっ…」


「ぷっ…」


 あたしの隣で、麗ちゃんが吹き出した。



 結局…

 モニタールームには、あたしと誓君と麗ちゃんと…

 自己紹介された苗字は、朝霧さんと早乙女さん。

 そして、朝霧さんは息子さん連れ、早乙女さんは娘さんを連れて来てる。

 そんな中、あずま えい君って子だけは一人でやって来てた。



しょうは?」


「人が多いのやだって言ってた。」


「バカだなあー。近くで観れるチャンスなのに。」


「映ちゃん、大きくなったらバンドするの?」


「大きくなった時の気分かな…希世きよは?」


「僕はケーキ屋さんになるんだ~。」


「…楽しみ増えた。」


「うん。楽しみに待っててね。」


「希世ちゃん、千世子ちよこも食べてもいい?」


「うん。いいよ。」


「チョコは大きくなったら何になるの?」


「んっとね、生ハムを分ける係の人~。」


「…千世子は生ハム分ける係の人より、もっと違う係がいいと思うけど…」



 あたしは…

 東 映君と朝霧希世君と、早乙女千世子ちゃんの会話にメロメロになっていた。


 8歳の映君はすごくしっかりしてて、6歳の希世君と5歳の千世子ちゃんを上手に面倒見てる感じ。



「生ハム分ける係の人って、世貴子よきこさん。」


 麗ちゃんが、千世子ちゃんのママに笑いかける。


 …なんて言うか…

 バンドメンバーの奥さん達同士、仲良しなのかな。

 麗ちゃん、友達なんていない…って勝手に思ってたけど…

 さっきからみんなと仲良さそうに話してる。


 何だか…羨ましいな…

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