第68話 「……」

 〇桐生院乃梨子


「……」


「……」


 今まであまり味わった事のない、少し重めの沈黙が。

 かれこれ…20分は続いてる。



『今日は顔見てたくないから帰る』と言われて…一ヶ月。

 あんなに頻繁に桐生院に帰って来てた麗ちゃんと、全く会わなくなった。

 いや、あたしが誓君と教室に行き始めたせいもあるんだろうけど。

 それでも…早く帰る日だってあるのに。

 麗ちゃんは、まるであたしを避けてるかのよう。


 …そりゃあ、そうだよね。

 励まそうとしてくれたのに…

 あたしは、三人目が欲しいと言う麗ちゃんに『二人いるならいいじゃない』と言った。


 …一人でもいるならいいじゃない。って思ったのは本音だ。

 ましてや二人もいる。

 なのに、三人目が出来ないって悩むなんて…贅沢過ぎない?って。


 でも…

 あたし自身、病院に行って検査する事すら知らなかった。

 そして、今もそれをしようとはしてない。

 子供は欲しい。

 だけど…誓君との仕事が楽しくなって来た。


 …麗ちゃんに『桐生院家の嫁としてのポジション』が一番じゃないのかって言われた事。

 ショックだったけど、今はそうだったのかも…って認めざるを得ない。



「…紅美ちゃんとがっくんは?」


「…本家の道場。」


「そっか…将来柔道選手になれそうだね…」


「……」


「はは…」


「……」



 今日は…思い切って麗ちゃんの家に遊びに…いや、謝りに来た。

 窪田の羊羹にしようかなと思ってたんだけど…


「麗んとこ行くなら、カステラがいいよ。」


 って…誓君が教えてくれたから…藍屋のカステラを買って。



 だけど、麗ちゃんが好きであろうカステラは、一応目の前には出されてるけど…手は付けられないまま。


 怒ってるのかなあ…

 …怒ってるよね…



「…麗ちゃん。」


 膝に置いた自分の手を、ギュッと握りしめる。


「…何。」


「…ごめん…」


 膝に額がつくほど、頭を下げる。


「…何それ。」


「…子供…二人いるならいいじゃないって…言って。」


「……」


「…みんな、色んな事情があるんだよね…なのに…簡単そうに言ってごめん…」


 膝に額をつけたままでそう言うと、小さな溜息が聞こえた。

 そして…


「何で謝るの。あたしの方が…無神経な事言ったのに。」


 少し拗ねたような口調で、麗ちゃんが言った。


「…え…?」


 ゆっくり顔を上げると。

 そこには、唇を尖らせても可愛いなんてずるい。って言いたくなるような、やっぱり可愛い顔の麗ちゃん。


「…あたしの周りって…ほら。母さんは16の時に姉さんを産んでるし、姉さんだって…ノン君とサクちゃんを19で産んだ。だから…何となく、子供って結婚どころか…恋したら出来ちゃうんじゃないかってぐらいに思ってて。」


「……」


 それは…仕方ない事だと思った。

 あたしだって…似たような事思ってたし…

 あたし自身、子供を望んでない親の間に生まれたんだもん…



「まだ二年って言ったけど、あなたにとってはもう二年かもしれないものね。」


 麗ちゃんが伏し目がちにそう言った。

 あたしは彼女の長いまつ毛の影を、こうなると芸術的に綺麗だ…なんて、少し見惚れた。


「…ううん…確かに…あたし…子供は欲しいけど、麗ちゃんの言った事、正解だと思った。」


「あたしの言った事…?」


 顔を上げた麗ちゃんと目が合って、少し…ドキッとする。

 こんな話してる最中なのに…

 あたし、どうかしてるな…。



「桐生院家の嫁としてのポジション。あたし…焦ってたんだと思う。働きもしないあたしが子供も産めなかったら…って。」


「……」


「だけど、誓君の教室に通い始めて…少し自信が持てて…」


「子供はいなくても良くなった…と?」


「ううん。子供は欲しいよ。でも…前ほど焦ってないかも。だから…麗ちゃんが言った事は正解だったなって…」


 あたしが指をいじりながら言うと、麗ちゃんは少し呆れた風に溜息をついて。


「別にそこは認めなくてもいいんじゃないの?あなたってほんと…バカ素直って言うか…」


 目を白黒させて言った。


「バカ素直…」


 それはバカ正直って言うんじゃ?と思いながらも、麗ちゃんが目の前のカステラにフォークを突き刺すの見て、言うのはやめた。


「ん。美味し。」


「ほんと?じゃ、あたしもいただきます。」


 少しホッとして、あたしもカステラに手を伸ばす。

 すると麗ちゃんが…


「…紅美は、あたしが産んだ子じゃないの。」


 小さくつぶやいた。


「……え?」


 パチ、パチ、と。

 ゆっくりな瞬きをして、麗ちゃんを見た。


 彼女は『美味し』と小さく繰り返しては、カステラを頬張る。


「たぶん…みんなあたし達を気遣って言ってないだろうから話すけど。あたし、一人目死産したの。」


「…し…」


「あたしも死んだと思った。」


「……」


 カステラをペロリと平らげて。

 ゴクッとお茶を飲んだ麗ちゃんは。


「紅美は、そんなあたしの所に来てくれた…奇跡の子なの。」


 天窓を見上げて言った。


「……」


 紅美ちゃんは…五歳にしては大きい子で。

 二つ年上の華月ちゃんと聖君よりも背が高い。


 頭も良くて、桐生院家の子供達が英語のアニメを見てると、誰よりも先にセリフを暗記した。



「あたしが子供を死産した病院で…紅美は生きるか死ぬかの瀬戸際にいた。身寄りのない子で…あたしは紅美を見た時運命だと思った。」


「…運命…」


「あたしに、生きろって言ってるって思った。」


「……」


 その言葉に、あたしは目を細めた。


「麗ちゃん…」


「あの日…もう生きてるのが嫌になって…病院の窓から飛び降りようとしてたの。」


「……」


 そこに運ばれて来たのが…紅美ちゃんだった。

 小さな体に、たくさんチューブを着けられて。

 窓枠から手が離れた麗ちゃんは、それから…ずっと紅美ちゃんの様子を見守った。


 頑張れ。

 頑張れ…って。


 そして…


「陸さんにお願いしたの。あたしが…生きるためには、あの子が必要だって。」


「……」


「みんなには反対されたけど、ほら…あたしって、言い始めたら聞かないから。」


 そう言って麗ちゃんは、優しく笑った。


 …ああ…

 こんな笑顔、初めてだな…


 そう思うと、紅美ちゃんの存在はとても大きいのだと思った。



「死産した時に、もう子供は産めないかもしれないって言われたんだけど…学が生まれた。」


「…紅美ちゃんが奇跡を連れて来てくれたね。」


「あたしもそう思ってる。」


 あたしはずっと手にしたままのフォークをお皿に置くと。


「…あたしに話して…良かったの?」


 遠慮がちに問いかけた。

 すると麗ちゃんは少し意地悪そうに斜に構えて。


「家族には話していいでしょ。」


 ふふんっ…て小さく笑って言った。

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