第67話 それからのあたしは…無我夢中で頑張った。

 〇桐生院乃梨子


 それからのあたしは…無我夢中で頑張った。


 自分的には、早くみんなに認めてもらいたい一心で…全然苦痛なんかじゃなくて。

 頑張る事で、自分を盛り上げてた気がする。

 だから…


 家族みんなが、あたしの頑張り過ぎを心配してたなんて…気付かなかった。



「大丈夫?」


「頑張り過ぎじゃない?」


 って、お義母さんと義姉さんが声を掛けてくれても。


「全然大丈夫です!!」


 そう言って、笑っていられるあたしがいた。


 だって…

 あたしには家族が出来た。

 あたしを家族にしてくれた皆さんに…恩返しする意味も込めて、ちゃんと勉強したい。


 …だけど。

 結婚して二年が過ぎると。

 あたしの耳に入るように『子供はまだ?』ってセリフが…家族以外の人から投げかけられるようになった。

 桐生院家の人達は…以前と同様、何も言わない。


 …縁を切った父親に散々言われて、『子供なんて産まない』…そう言ってしまったせいだろうか…なんて。

 自分が口にした言葉なのに、呪いのような気がした。


 その呪縛に囚われたかのように…また、あたしは少し無気力になった。

 もし、子供が出来なかったら…

 あたし、桐生院家の嫁として…認めてもらえないんじゃ…?

 そのためにも、他の事はきちんとやりたいと思うのに。

 桐生院家には出来る女性が、すでに三人いる。

 …あたしの出る幕はほとんどない。



「何暗い顔してんの。」


 今日は…珍しく麗ちゃんが一人で桐生院家に来た。

 いつもは長男の学君を連れて来るのに。


「…学君は?」


「紅美と一緒に本家の道場に行ってるの。」


「あ、そう…」


「…何、ほんと辛気臭い。」


「……」


 …今まで誰にも相談して来なかったけど…

 ちょっと、言ってみる気になった。


「…あの…」


「何。」


「…なかなか…子供が出来なくて…」


「……」


「このままだと…あたし…不良品みたいな気がして…」


 …本当に。

 散々迷惑をかけてきて、そのうえ…子供が出来ないってなると。

 誓君、貧乏くじ引いただけみたいになっちゃうよ…



「子供、欲しいの?」


 ふいに、麗ちゃんが目を丸くしてそう言って。

 あたしは少し…ムッとしてしまった。


「ほ…欲しいに決まってる…」


「あら、そう。全然そんな話しないから、欲しくないのかと思ってたわ。」


「……」


 …そんなわけない。

 桐生院家と麗ちゃんの可愛い子供達を目の当たりにしてると、その気持ちはとてつもなく大きく膨らむ。

 本当に愛しい子供達…


 あたしは望まれない子供だったけど、あたしと誓君の子供は…愛を持って育てたい。

 あたしがして欲しかった事、全部してあげたい。

 本気で…そう思ってる‼︎



「まだ結婚して二年でしょ?焦る事ないんじゃない?」


 麗ちゃんは桐生院家の女性陣が大好きという『稲田』のお茶を一口飲んで。


「それでも早く欲しいなら、病院行ってちゃんと調べるとか。」


 真顔でそう言った。


「…病院…」


「そう。」


 何となく思いがけない事を言われた気がして。

 あたしは、キョトンとしたまま麗ちゃんに問いかけた。


「調べるって、何を?」


「何って…」


 その問いかけが呆れるほどだったのか…

 麗ちゃんは『は?』って顔をした後。


「ねえ、本当に子供『が』欲しいの?」


 少し眉間にしわを寄せた。


「…どういう意味?」


「…なんて言うか…」


 あたしは…なぜか震え始めた手を自分で押さえて。

 次にどんな言葉が出て来るのか、少し怖くなっていた。


 麗ちゃんは無表情にあたしを見たり、誰もいない大部屋をぐるりと見渡したりした後。


「子供が欲しいって言うより…桐生院家の嫁ってポジションを確立させるための何かが欲しいって思ってるように思える。」


 酷くゆっくりと、そう言った。


「……」


 頭の中が真っ白になった。


 世間知らずのあたしは…『子供がなかなか出来ないから、病院に行って調べる』って事すら知らなかった。

 結婚したら、いずれ子供は出来る。

 望んでなかった両親にあたしが出来たように。

 …そう思ってた…


 だけど…自分の居場所のために妊娠したいだなんて…

 そんな風に思われるなんて…



 あたしが言葉も出ないほど落ち込んでしまうと。

 さすがに悪く思ったのか…


「…まあ…すぐ妊娠したあたしなんかに言われても、説得力ないかもしれないけど…まだ二年じゃない。」


 麗ちゃんは、少しバツの悪そうな口調で言った。


「あたしだって…三人目が欲しいけど、なかなか出来なくて。陸さんは二人でいいって言うけど、あたしはもう一人欲しくて。」


 その言葉を聞いて。


「…二人いるならいいじゃない…」


「……」


「一人でもいる人と、全然いないのとじゃ…違うよ。」


 あたしは、咄嗟に低い声でそう言ってしまった。


 …本当に。

 一人どころか…二人もいるんじゃない。

 もし三人目が出来なくても、全然寂しくなんかないじゃない…!!



「…そうね。」


「……あっ…」


 ふと、本音を吐き出してしまった事に気付いて顔を上げる。

 麗ちゃんは少し唇を尖らせて…赤い目をしてた。


「あ…ご…」


「帰る。」


「えっ…あ…あの、麗ちゃん…」


 あたし…何て事…!!

 彼女なりに、励ましてくれようとしたのに…



「麗ちゃん、ごめん。あたし…」


 麗ちゃんを追って玄関に向かうけど、麗ちゃんは立ち止まってくれない。


「ううん。あたしこそ気遣い足りなくてごめん。」


 背中を向けたまま、早口でそう言われて。


「…麗ちゃん。」


 あたしは…やりきれなくなる。



 靴を履いてる麗ちゃんの背中を無言で見つめてると。


「そういうの、誓にちゃんと話しなさいよ。」


 相変わらず…背中を向けたまま、麗ちゃんが言った。


「…え?」


「子供が出来ないと自分が不良品みたいな気がする事とか。妊娠って女にしか出来ないんだから、そんなストレス男は気付いてくれないわよ。」


「……」


「…余計な事言ってごめん。でも今日は顔見てたくないから帰る。」


「麗ちゃん…」


 目の前で、引き戸が閉められた。



 …ああ…あたしって…



 バカ…。




 * * *



「乃梨子。」


 麗ちゃんと気まずくなって数日後。

 ここ最近、また忙しくてあまり会話のなかった誓君が、珍しく夕食前に帰って来て…あたしを広縁に呼んだ。


「…何?」


「ちょっと話そうか。」


「……」


 直感で…麗ちゃんとの事だ…って思った。


「…でも…夕飯の支度…」


 出番なんてあまりないクセに、お義母さんからもらったエプロンの裾を持ってそう言うと。


「母さーん、乃梨子を独り占めしていいー?」


 誓君は大部屋にスタスタと歩いて行ったかと思うと、大声でそう言った。


「なっ…」


 あたしが驚いて目を丸くすると。


「えー!!あたしも仲間に入っちゃダメ!?」


 大部屋から、本気と思われるお義母さんの声がして…小さく笑った。



「麗から聞いた。」


「……」


 広縁に座って…夕暮れの庭を眺める。


「僕も生徒さんから聞かれる事はあるけど…乃梨子の方がストレスは大きいよね。気遣えなくてごめん。」


 誓君はそう言って、あたしに頭を下げた。


「えっ…なっなんで誓君が…」


「ううん。正直…乃梨子がそんなに悩んでるって思ってなくて…」


「……」


「ほんとごめん。」


「……」


 麗ちゃんの言った通りなのかな…って思った。

 でもそれは、悪い意味じゃなくて。

 あたし達…付き合ってた頃より会話が少ない。

 一緒に暮らしてるから…家族だから…何でも分かり合えるとは限らないのに。

 あたしは本音を隠したままだし…

 それを察しろなんて…

 虫のいい話だよね…


 それどころか…

 あたし、最近…誓君の事、ずっと…

 優しいけど気付いてくれない。なんて…



「習い事に行っても言われたりするんだよね?」


「…うん…でもそれは…」


「一人で家にいる時なんて…考えこんじゃうよね。」


「……」


 ああ…本当にあたしダメな妻だ…

 麗ちゃんから聞いたからだとしても、誓君はこんなにあたしの事を考えて思いやってくれる。


 …自分が一番かわいそうな人間だなんて思ってるんじゃないの?

 本当に…バカなあたし。



「…乃梨子、僕と一緒に教室行かない?」


 その突然の申し出に、あたしは伏し目がちになってた視線を誓君に向けた。


「…え?」


「実は…乃梨子に手伝ってもらいたい事や助けてもらいたい事…たくさんあるんだ。」


「…あたしに?」


「うん。」


「あたしに…そんな事出来るの?」


 つい、眉間にしわを寄せてしまった。

 急にそんな事を言われても…

 教室の後ろでチアガールのような恰好をして応援してる姿しか想像できない。


 …いや、そんな事…たぶん望まれてないけど…



「乃梨子、広告代理店でデザインやってただろ?」


「う…うん…」


「そのセンスを生かしてくれたらと思って。」


「……」


「たぶん、一緒に居ると『子供はまだか』って言葉…挨拶みたいに言われる事があるかもしれないけど。」


 誓君はあたしの前髪をそっと触って。


「むしろそれをパワーにするぐらい、前向きでいようよ。」


 笑顔になった。


「…パワー?」


「うん。早く出来るコツを教えてもらうとか。」


「は…早く出来るコツ…っ!?」


「何だか色々あるらしいよ?男が強いと…」


「わわわわわわ!!」


 あたしが両耳を塞いで肩を揺らせると、誓君は手を叩いて笑った。


「どう?」


 首を傾げて、あたしの顔を覗き込む誓君。



 …一緒に働こう…って。

 あたしの少ない仕事経験を活かせられるかどうかは謎だけど…

 助けてって言ってもらえたの…嬉しい…


「…邪魔にならないかな…?」


「なるわけない。僕はずっと一緒に居られる方が嬉しいし。」


「…ほんと?」


「信じないの?」


 肩を抱き寄せられて。

 唇が来た。


 …ああ。

 あたし…なんで忘れてたんだろう。

 誓君は付き合ってた頃からずっと…誰よりも思いやりのある人だったじゃない。

 そして、優し過ぎてダメだなあって…あたしが笑ってしまうぐらい、お人好しだったじゃない。



「…信じる…」


「…良かった。」


 そのまま誓君の肩に頭を乗せて景色を眺めてると。


「仲良し。」


 庭の池のほとりで、あたし達を指差してる華月ちゃんと聖君がいた。






 あたしが誓君の教室に同行する事を、おばあさまは快諾してくださった。

 そのために、あたしと誓君は家でも仕事の話をするようになった。

 家では全然仕事の話をしない義兄さんは、『まさか寝室でもそんな話してるんじゃねーだろーな』って目を細めたけど。

 今は…あたしにとって、それが必要な時期なんだと思って首をすくめてスルーした。



「誓君とおばあさま、本当にすごい…」


 あたしは二人の仕事内容を知って行くたびに、驚きと感動の溜息をついた。

 もちろん、華道が花を生けるだけじゃない事は勉強してたつもりだけど…


 以前誓君が言ってたように、桐生院家は家元と言ってもすでに廃れた流派で。

 だからこそ新しい事を取り入れて、誰もが花を愛でて楽しむ生活が出来るよう、花を幅広くプロデュースしている。

 その働きが地味にではあっても広がって。

 あたしの父親が広めた誓君の悪評で離れていってた生徒さん達も、少しずつ戻って来て。

 さらには、新しい生徒さんも増えて来たそうだ。


 古き良き日本の文化を重んじる生徒さんには、おばあさまが従来のお稽古をつけて。

 その良さを残しつつ、新しい物を取り入れた華道を楽しみたい生徒さんには誓君が。

 そして、なんて言うか…

 独特なフラワーアレンジを試したい人は、お義母さんが担当している。



「母さんのアレンジ、見た事ある?」


「いつだったかな…『まとわりつく木枯らし』ってタイトルの…」


「あはは…あれを見たんだ…」


 お義母さんは…なんて言うか…

 とても不思議な人。

 天真爛漫って言葉がぴったりなんだけど…時々ふっと寂しそうな顔になったり…

 その正体はあたしにも分からないけど、お義母さんのアレンジは見る人全てが首を傾げるという…


 だけど、目を反らせないインパクトがある物ばかりらしい。

 確かに、あたしも目を反らせなかった。

 …まとわりつく木枯らし。



 ともあれ、毎日誓君と共通の話題で盛り上がれる事が楽しかった。

 数週間勉強した後、あたしは誓君と教室に通うようになった。



「えー!?誓先生の奥さん!?」


「本当に結婚してたんだ!!」


「生活臭しないから、結婚指輪も偽物かと思ってたのに!!」



 教室は…以前聞いた時と違って、若い人もいた。

 あたしがチラリと誓君を見上げると、彼は『何かな?』といった風に首を傾げてあたしを見るだけだった。


 そして…当然のように、年配の生徒さん達からは…言われるようになった。

『子供はまだ?』と。

 だけど…予想してたより苦痛じゃなかったのは…

 桐生院家の嫁として、働いている。という自信がついて来たから…だ…と。



 それを認めた時、あたしは…麗ちゃんの事を思い出した。

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