第66話 あれから…二ヶ月が経った。

 〇桐生院乃梨子


 あれから…二ヶ月が経った。


 当然だけど、ずっと両親の事を引きずってるあたしがいて。

 桐生院家の中でも浮いた存在になってしまった気がする。

 義兄さんが何か言いたそうにした日もあったけど、誓君や義姉さんがそれを止めた。


 あたしは…誰にも心を開けなくなった。

 豊原さんに言われた『過保護に守られて羨ましいけど、どこに行っても受け入れられてないのね』が…

 あたしの胸に刺さったまま。



「乃梨子姉。」


 ある日…一人で留守番をしてると。

 誰かがあたしの名前を呼びながら背中に寄り掛かった。


「…華月ちゃん?」


 この声は華月ちゃん…だと思うけど…

 彼女は自分から来るようなタイプじゃない。


 あり得ない感じがして、確かめようと振り向いたけど…顔が見えない。

 時計を見ると、華月ちゃんと聖君が幼稚舎から帰る時間。



「…どうしたの?どこか具合が悪いの?」


 両手で華月ちゃんをおんぶするみたいにして問いかけると。


「…痛いのとんでけ…」


「……え?」


「乃梨子姉の、痛いのとんでけー…」


「……」


 あたしは、背中にへばりついてる華月ちゃんの手を取って、向き合うと。


「あたし、どこも痛くないよ?」


 目を見て…笑いながら言った。


「……」


 華月ちゃんはいつもの無表情だけど…少しだけ唇を尖らせて首を傾げると。


「…痛そうだった。」


 じっ…とあたしを見て言った。


「……」


 華月ちゃんに何が見えたのか分からないけど…

 あたしを『痛そうだった』と思って…背中に寄り添ってくれた優しさを思うと、涙が出そうになった。


 最近は…子供達と遊ぶ事もしない。

 おばあさまに言われてた、花の勉強もしない。


 あたしは部屋に閉じこもってる事が多くて、誓君の妻としても…桐生院家の嫁としても失格だ。


 いつか出て行けと言われる。

 そんな日を待ってる気がする。


 そんなあたしに…



「…華月ちゃんは…優しいね…」


「乃梨子姉も。」


「…あたしは…優しくなんかないよ…」


「……」


「優しくなんか…」


 そう繰り返すあたしに…


「…華月ちゃん…」


 華月ちゃんはあたしの膝に乗って、ギュッと抱き着いて来た。


「華月、優しくない人嫌い。」


「……」


「でも乃梨子姉好き。だから、乃梨子姉優しい人。」


「……」


 華月ちゃんの『優しい人』の定義、おかしいよ。って思いながら…あたしは華月ちゃんを抱きしめた。

 その可愛らしさと優しさに…自分の荒んだ気持ちを洗われたような気持ちになった。

 なんて…愛しい子なんだろう…


 その気持ちに触れて、あたしは考えた。


 あたしが…離れてどうするの?

 今度こそ、本当の家族が欲しいって願ったのはあたしじゃない。

 誓君と家族になりたいって…



 誓君はあたしを思いやってくれた。

 桐生院家のみんなも、そう。

 なのにあたしは…思いやりの欠片もない。


 自分を棚に上げて、誓君に酷い事を言ったまま…謝ってもいない。



 …今夜、謝ろう。

 そして…今からでも遅くないなら…

 ちゃんと…

 あたし、ちゃんと桐生院家の一員になれるよう頑張るって…

 言葉にして言おう…。



「痛いの、飛んだ?」


 華月ちゃんがあたしを見上げる。


「…うん。飛んだ。ありがとう…華月ちゃん。」


 額を合わせてそう言うと。


「良かった。」


 華月ちゃんは…めったに見せない天使の笑顔を見せてくれた。






 その日の夜。

 子供達が寝て、大人は大部屋に残ってる時間帯。


 …最近、あたしは早々と部屋に引き上げてたけど…

 洗い物をした後…一度部屋に上がって緊張を鎮めて…

 また、大部屋に戻った。



 お義父さんと義兄さんはビールを飲んでて。

 お義母さんと義姉さんは小々森商店さんの注文書を眺めてて。

 おばあさまと誓君が明日の予定を話し合ってる。


 あたしが大部屋に戻ったのを、少しだけ気にしたようにも見えたけど…あえて、みんな知らん顔してくれてるんだと思う。


 …ここまで腫れ物に触らせてしまってた事…

 ちゃんと、謝らなくちゃ。



「あの…」


 あたしは立ったまま、みんなに声を掛けた。

 一斉に…視線があたしに集まる。



「…あたしの…両親がした事……本当にすみませんでした。」


 深々と頭を下げる。


 …誰からも、言葉は返って来ない。

 それは少し怖い気もしたけど…

 仕方ないよ。

 あたし、それだけの事…してきた。

 本当に…


 続いてあたしは…


「そして…あたし自身も…すみませんでした。」


 お辞儀をしたままで…そう言った。


 すると。


「…乃梨子さんは、何について謝っているのですか。」


 おばあさまの冷たい声。

 何だかそれがピリッと背筋を走って。

 あたしは怖くて…顔を上げる事が出来なくなった。


「……」


 唇を噛みしめた。


 ちゃんと謝って、家族にして下さいって言うつもりだったのに…

 いきなり挫けてどうするの…乃梨子…

 このままじゃいけないって…自分でも分かってるでしょ…?


 少し震えてしまってる両手をギュッと握りしめると。


「花の勉強を怠けている事ですか?それとも…一向に行く気がなさそうな習い事の件ですか?」


 ……ん?


 おばあさまの言葉に、あたしは…ゆっくり顔を上げる。


「誓を忙しくさせてしまってるのは私ですから、あなたに対しても申し訳ないと思っています。」


「……」


「新婚旅行もお預けのままで…だからというわけではありませんが、近場で一泊でも良い思い出が出来ればと思ったのに…」


「……」


「あの日から随分とサボり癖がついた事。」


「……」


「こんな事だと、一週間の新婚旅行なんて許可出来ませんよ。」


 あたしはー…キョトンとしておばあさまを見た。


 あたしが謝ったのは…

 隠し事をしてたクセに…勝手に受け入れられてないって被害妄想を膨らませて…自分からみんなを拒絶してしまってた事。

 両親の罪もだけど…あたしの罪も。


 なのに、おばあさま…



「…十日間行きたいって思ってたのに…」


 ふいに、誓君が目を細めてそう言った。


 え…えっ?


 あたしがパチパチと瞬きをしてると。


「十日間?今から乃梨子が花の勉強して、早乙女に通って茶を習って、どこそこの教室で書道や香道を習った所で…ざっと10年先ぐらいにはなるんじゃねーか?」


 義兄さんがビールを飲みながら、そう言って笑った。


「千里さんっ。乃梨子ちゃん頑張り屋さんだから、あっと言う間よ!?」


「さくら、プレッシャーかけるなよ。」


「はっ…」


「乃梨子ちゃん、大丈夫よ。母さんだって、フラワーアレンジメントの先生してるぐらいだから。」


「えーっ!?知花!!何その言い方!!」


「だって、真面目にやったのは資格取る時だけだったじゃない。後はずっと自己流で。」


「ああ…そうそう。さくらは生け花も独特で、昔は母さんと面食らったもんだ。」


「貴司さん!!」


「……」


 何だか…みんな、あたしの謝罪なんて…どうって事ないみたいになってて。


「やだなあ、もう…あたしの事はいいんだってば…」


「あははは。」


 …笑ってる。


 その様子を見てると、唇が尖った。

 涙が…出そうで我慢出来ない。



「あ…あ~…乃梨子ちゃん、どうしたの?千里さんてば酷いよね?ごめんね?」


 あたしの涙に気付いたお義母さんが、ティッシュを持って隣に立った。


「何で俺っすか。」


「あたし…」


 あたしは、お義母さんに涙を拭かれながら。


「あたしの家族は、この…桐生院の皆さんだと…思っていいですか…っ?」


 みんなを見渡して言った。


「……」


 みんなは一瞬の沈黙の後…


「もちろん。」←お義父さん


「えっ?もう、そのつもりだったよ?」←お義母さん


「何も遠慮しないでね?」←お義姉さん


「おー、そうか。じゃあ遠慮なく…」←お義兄さん


「千里さんは今ぐらいでいいです。」←おばあさま


 誓君は…


「……」


 無言であたしの隣に立つと。


「…僕が不甲斐ないせいで、乃梨子に辛い想いをさせました。それでみんなにも…たくさん心配や迷惑かけた事、本当にすみませんでした。」


 そう言って、みんなに頭を下げた。


「どうして誓君が…」


 あたしが誓君の腕に手をあてて言うと。


「…だって、乃梨子は僕の妻だから。」


 誓君は…あたしの目を見て言ってくれた。


「ごめんね…ほんと。僕がもっとしっかりしてたら、乃梨子をこんなに追い詰めなくて済んだのに。」


「……」


 あれから…あたしは誓君が優しくしてくれても、ずっと無気力に返事したり…

 すごくそっけなかった。

 酷い妻だった。

 なのに…


「…誓君…」


 感極まって、みんなの前だと言うのに誓君に抱き着いてしまうと。


「はっ…」


 誓君は少し驚いて肩を揺らしたけど…そっと…頭を撫でてくれて。


「部屋でやれよ。」


 そう言う義兄さんに。


「千里さんが言うかなあ。」


「千里君が言うかね。」


「千里さん。」


「…千里。」


 皆さんの言葉が…面白くて…



 あたしは、誓君と笑った。


 …泣き笑い…した。




 あたし、今日から…桐生院乃梨子になる。

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