第52話 「もしもし、桐生院でございます。」

 〇桐生院雅乃


「もしもし、桐生院でございます。」


『……』


「もしもし?」


『……』


 最近、無言電話が多いこと。

 私は小さく溜息をつきながら受話器を下ろそうと…


『…し…』


 おや、何か聞こえましたね。



 もう一度受話器を持ち直して、耳にあてる。

 何も言わずに言葉を待っていると。


『…もしもし…』


 女の声が聞こえた。


『…塚田乃梨子の母です。』


 …ああ。

 あの、娘をほったらかして傷付けた…


 誓の言う『最低の両親』か。



 私は塚田乃梨子の母の言葉を待った。

 けれど先方は何も言わない。


「…用件がないのでしたら、切りますけど。」


 つとめて普通の口調で切り出すと。


『あの……その…乃梨子の……事で…』


 母親は面倒なほど、ゆっくりと言葉を出した。


「どういったご用件でしょうか。」


『乃梨子は、本当にそちらに…そちらの…誓さんと結婚…するのでしょうか。』


「……」


 そんな事を聞いて、いったいどうしようと言うのだろう。

 バカバカしくて答える気にもならなかったが、腐っても親。

 一応言い分だけでも聞いておく事にしましょう。と思った。



「ええ。誓のお嫁さんとしてお迎えする予定です。」


『…その…結婚式はいつ…』


「いつ?どうしてお聞きになるのですか?」


『え…っ…それは、あたしも一応親なので…』


「出席はされなくて結構です。両親とは縁を切ったと乃梨子さんもおっしゃってました。」


 私のその言葉を聞いた途端、母親の声が変わった。


『な…何言ってるんですか。あの子は…あたしが産んだ子です!!そう簡単に縁なんて切れるはずがありません!!』


「…では、なぜ八年もお会いされなかったのですか?」


『…それぞれ、家庭には事情という物があります。』


「子供が要らなかったそうですね。」


『……』


「今になって後悔ですか?それとも…お金目当てですか?」


『なんて失礼な…!!』


「縁を切って下さるなら、そちらの工務店で買い物をして差し上げます。」


『…えっ…?』


「それでいかがですか。」


『……』


 金目当て。

 もう、最初からそれでしかない事は分かっていた。

 探偵事務所にお願いして調べた乃梨子さんのご実家。

 もう、ろくでもない情報しか入って来なかった。

 それは誓も知っての通り。


 …だけど…私は誓に言っていない事が一つあった。


 乃梨子さんの、調査の結果。


 アルバイトは無遅刻無欠席。

 学校も全てそう。

 成績も悪くなく、生活も慎ましい。

 本当に…何一つ、悪い所が見つからない女性だった。


 …誓には、人を見る目がある。

 だから…

 私は、乃梨子さんを歓迎したい。

 そのためには…


 乃梨子さんと両親を、何ともしても縁切りさせなくては。



 〇桐生院さくら


「…え。」


 あたしは…目を疑った。

 聖と華月を幼稚舎から連れて帰ると…


「ど…どーしたの?」


 桐生院家。

 リニューアル中。

 家の中を、職人さん達がわらわらと…


「…ああ、もう帰ったのかい。」


「たあいまぁー。」


「おかえり。」


「…お義母さん、何これ。聞いてないよ…」


「ええ。急に決めたので。」


「決めたのでって…」


 聖と華月は行き交う職人さん達を、あたしの足元でキョトンとした顔で見守ってる。


 大部屋のカーテンが大きな花柄になって。

 まあ…それはすごくゴージャスで…カッコいいんだけど…

 前のカーテン、まだ古くなかったよね…?



「お嫁さんが来る事ですし、色々新調しようと貴司に相談して了承を得たので、気が変わらない内にと思ってね。」


「あたしは聞いてないー。」


 唇を尖らせてブーイングすると。


「さくらに相談したら、自分が作るって言うじゃないですか。」


 お義母さんは、少し斜に構えてそう言った。


「うっ…ま…まあ…そうかも…だけど…」


「すいません。二階の確認お願いします。」


 ふいに、階段の方から声がかかって。


「ああ、はい。」


 お義母さんが二階に向かう。


「えっ。二階のも変えてるの?」


「全部ですよ。」


「え…えーっ!?」


 あたしは驚いてお義母さんについて行こうとしたんだけど。

 足元で聖と華月が座り込んで開いた物に躓いて。


「あたっ。」


 転びそうになった。


「あいたた…何開いてるの…」


 二人が開いてるのは、見本帳だった。


「…カーテンカタログ。」


 あたしは二人の隣にしゃがみ込んで、それを閉じてみた。

 すると裏側に…


「…塚田工務店…」


 大きなシールが貼ってある。


「……塚田工務店…?」


 えっ!?

 乃梨子ちゃんの実家!?



 あたしはバタバタと階段を駆け上がって。


「お義母さん!!」


 その姿を見付けると、後ろから抱き着いた。


「なっ…何ですか騒々しい…」


「優しい!!大好き!!」


「…何のことですか。」


「だって、このカーテン乃梨…ふがっ…」


 感激して抱き着いてるあたしの口を、突然お義母さんが塞いだ。


「これで全部ですけど、どうですか?」


「ええ、いいです。」


「ありがとうございます。では納品書は後日郵送します。」


「よろしくお願いいたします。」


 職人さんが階段を下りていくのを見送って。

 お義母さんはあたしに向き直ると。


「職人が全員帰ったら説明します。今は何も言わずにおとなしく見てなさい。」


 少し凄みのある声で言った。


「…はい…」



 それから…

 洗面所や麗の部屋の壁紙も張り替えられてるのを見て…呆気にとられた。

 洗濯物干場のサンルーフにも、新しいサンシェード。

 とにかく…カーテンは全室取り換えで…

 それは…すごくお金がかかるんじゃ…って心配になったけど。

 お義母さんは職人さんが作業を終えた端から片付けを確認して。


「工務店に帰ったらお伝えください。契約通りお願いします、と。」


 めったに見せない笑顔を…職人さん達に向けた。




 契約って…何ー!?



 〇神 千里


「……」


 帰った瞬間から、おかしな匂いが鼻をついた。


 目だけをキョロキョロと動かして辺りを見渡したが…目に見える範囲は何も変化なし。


「…ただい…」


 大部屋に入ろうとして、言葉が止まる。

 目に入った物が、いつもと違っていたからだ。


「あら、千里さん。おかえりなさい。」


 背後からばーさんに追い越されて。


「…ただいま帰りました。」


 首を傾げてその姿を追う。


「…カーテン、変えたんすね。」


「ええ。お嫁さんがいらっしゃるのですから、少し華やかにするのもいいと思って。」


「……」


 昨日までのカーテンは、無地だが質のいい物だった。

 いや…今のこれが悪いと言うわけじゃねーが…

 無地からの大きな花柄は、何となくイメチェンし過ぎた親父さん。みたいに思えた。


「僕、このカーテン大好き。」


 華音がそう言って、カーテンを手にして模様を眺める。


「綺麗な花の模様だな。」


「咲華も好き。ここの下の方にある赤い花が一番お気に入りなの。」


「そうか。」


 見てみると、我が家の子供達(聖含む)四人は、カーテンのそばにスケッチブックを開いて。

 それぞれがカーテンの絵を描いている。


 …相変わらず絵心ねーなー…



 キッチンでは義母さんと知花が料理中。

 俺は背後から知花に近寄ると。


「ただいま。」


 腰を抱き寄せて首筋に噛み付いた。


「きゃっ!!…あっ…もー…驚いた。おかえりなさい。」


「おかえりなさい、千里さん。」


「ただいまっす。あの、あれ…今日いきなり?」


 別にどうって事ねーんだけど…何となく引っ掛かる気がして義母さんに問いかけると。


「あ…あっ、ううううう…うん…今日ね~…桐生院家、リニューアル…」


「……」


「にに二階もすごいのよっ。」


「……どうしたんっすか。」


「えっ、何がっ?」


「いや…」


 知花を見ると、知花も何かおかしく感じてたのか…首をすくめて俺を見上げる。


 俺はおとなしくテーブルについて、子供達が絵を描くのを眺めた。

 そして、ある程度の料理の支度が落ち着いた所で。


「母さん、ちょっと来て来て。」


 知花が、笑顔で義母さんの腕を取った。


「えっ、なあに?」


「あたしの部屋のカーテン見た?」


「あっ、見てないかも~。」


「来て来て。」


「行く行く~。」


 そうして義母さんは知花に連れられて俺達の部屋に入って。


 パタン。


 二人が部屋に入った後、俺もそこに入ってドアを閉めた。


「…はっ…」


 何かを感じ取ったのか、義母さんは眉間にしわを寄せて俺を振り返り。


「あ…あたし、あたし別に何も…だって出掛けてたし…」


 何も聞いてない俺達に、言い訳を始めた。



 〇桐生院知花


 SHE'S-HE'Sのレコーディングも終盤。

 歌入れは全部終わってるから、あたしはちょっと暇になってる。


 いつもより少し早めに事務所から帰ると、うちの裏口に見慣れない車がたくさん停まってた。


「……」


 その車はちょうど帰る所で。

 何となくだけど…あたしは一旦外に出て、その車が全部帰って行くのを見送った。


 ワゴン車や軽トラックばかりが五台。

 職人さんらしき風貌の人達が、ざっと十数人いたと思われる。


 ゆっくりと裏庭に入ると、華月と聖が砂場にいた。



「ただいま。」


 二人の前にしゃがみ込むと、聖は笑顔になって、華月はいつもと変わらない顔であたしを見た。


「おかえいー。」


「お客様来てたの?」


 どちらにともなく問いかける。


「あのね、きーちゃん、かちゅきと、いいこしてた。」


「おうち、しじちゅ。」


「……」


 聖の返事はともかく…

 華月の言った『おうち、しじちゅ』は…『手術』だよね…

 改装でもしたのかな。

 でも、何の相談もなくするかなあ…


 …父さんは華音と咲華が生まれた時に、相談もなくこの庭を工事したんだっけ。



「いい子してたの。偉いね。」


 二人の頭を撫でて家に入って…その嗅ぎ慣れない匂いに目を細めた。


「おかえり、知花。」


 棒立ちしたまま匂いの元が何かを考えてると、おばあちゃまに声をかけられた。


「あ、ただいま。この匂いって…」


「少し改装をお願いしたんですよ。あと、カーテンも変えました。」


「へえ…」


「さくらが帰って来た時も本当は色々新調したかったんですけどね、あの時は急でしたから。」


「そうだね。」


「誓にお嫁さんが来てくれるのですから、思い立ったうちにしておこうと思って。」


「いい事ね。」


 あたしはニッコリとしてそう言ったけど…

 本当は、違和感たっぷりだった。



 だって…

 大部屋のカーテン、おばあちゃますごく気に入ってたのに。



 何となくスッキリしないまま自室に行くと…


「……」


 ドアを開けたまま、何度も瞬きをしてしまった。


 ここのカーテンも…変わってる。

 勝手に決められたとか、勝手に部屋に入られたとか…そんなのはどうでもいいんだけど。

 …おばあちゃまのしてる事が不可解過ぎて。


「…母さん。」


 あたしは、母さんを探した。



 母さんは華音かのん咲華さくかと一緒に二階にいて。


「母さん、ちょっと話が…」


 あたしがそう言うと。


「あっ、知花おかえりー。」


「母さんおかえりー!!」


 華音と咲華に抱き着かれて。


「あら、もうこんな時間。晩御飯の支度しなくちゃ。」


 慌ただしく階下に誘われて。


「このカーテンすごく綺麗。咲華、絵に描くね。」


「僕も描くよ。」


 子供達が大部屋のカーテンを絵に描き始めて。

 何だか…聞きたい事が聞くに聞けない状況に…


 それに…なぜだか、おばあちゃまの目が光ってるような気がする。

 母さん…何かやらかしちゃったのかな…



 しばらく悶々と料理してると…


「ただいま。」


 ふいに腰を抱き寄せられて、首筋を噛まれた…!!


「きゃっ!!…あっ…もー…驚いた。おかえりなさい。」


「おかえりなさい、千里さん。」


「ただいまっす。あの、あれ…今日いきなり?」


 千里!!やっぱり気になるよね!?


「あ…あっ、ううううう…うん…今日ね~…桐生院家、リニューアル…」


「……」


「にに二階もすごいのよっ。」


「……どうしたんっすか。」


「えっ、何がっ?」


「いや…」


 あからさまに様子のおかしい母さんに、千里と顔を見合わせる。

 あたしは、晩御飯の下準備が落ち着いたところで…


「母さん、ちょっと来て来て。」


 母さんの腕を取った。


「えっ、なあに?」


「あたしの部屋のカーテン見た?」


「あっ、見てないかも~。」


「来て来て。」


「行く行く~。」


 我が母親ながら、単純で助かった。なんて思いながら、部屋に入る。

 すると、すかさずついて来た千里がドアをしめて。


「…はっ…」


 何かを感じ取ったらしい母さんは、千里を振り返って息を飲んだ。


「あ…あたし、あたし別に何も…だって出掛けてたし…」


「何も聞いてないっすよ?」


「う…うううん…あたしも、何も…」


「……」


「何も…」


 顔面蒼白な母さんは、仁王立ちしてる千里に言葉を失くして。


「…あたしが帰ったら、お義母さんが…」


 妙に小さな声で、話し始めた。

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