第51話 「ただいまー。」

 〇二階堂 麗


「ただいまー。」


 あたしが裏口から家に入ると。


「おや、また帰って来たのかい?」


 おばあちゃまが眉をしかめた。


「だって、陸さん、紅美連れて道場に行っちゃってるんだもん。」


「だったら麗もがくを連れて…ああ、ほら。学、鼻水が…」


 おばあちゃまはそう言いながら、あたしの腕にいる学の鼻にティッシュを当てた。


「…来てるの?」


 大部屋の方にひと気を感じて問いかけると。


「乃梨子さんですか?来られてますよ。」


 おばあちゃまは学の鼻水を拭きながら答えた。



 最近、日曜日のたびに桐生院に戻ってしまう。

 お嫁に出たのだから、もう少し控えなさい。っておばあちゃまには言われるけど…

 陸さんと二階堂に行くのは、ちょっと気が重い。


 だって…

 今、二階堂にはご両親が戻ってらして。

 何となく…あたしは歓迎されてない空気があるように思える。

 ハッキリ言われたわけじゃないし、冷たい態度をとられたわけでもないけど。


 …感じるのよ。

『何か』を。



「……」


 大部屋に入ると、そこには塚田乃梨子が一人でいた。

 誓は何かを部屋にでも取りに行ってるのか、姿が見えない。


「…あ。」


 あたしに気付いた塚田乃梨子が顔を上げた。

 その顔を見たあたしは…


「何その顔。」


 真顔で言ってしまった。


 だって…!!



 みんなのスケジュールを照らし合わせて、結婚式は7/15に決まった。

 あと四ヶ月もすれば、この子は誓の妻になる。


 なのに…!!



「何なの、その肌荒れ。」


 あたしが学を降ろしながら言うと、塚田乃梨子は青ざめて両頬を押さえた。


「好き嫌いでもあるの。」


「な…ない…」


「寝不足?」


「それは…あるかも…」


「何。仕事が忙しいの?」


「え…えーと…新人なので、割り当てられた仕事を頑張ってると…」


「残業する事になって、帰りが遅くなって睡眠時間も少ないって事?」


「そ…その通り…です。」


 何それ。

 仕事が遅いんじゃないの?



 間もなく誓がやって来て。


「今から式場に行って来る。」


 って、二人で出掛けて行った。


 入れ違いで帰って来た母さんが、『間に合わなかった~!!』って悔しがってるのを笑いながら…ふと、思い出した。


 そう言えばあの子…高等部の時も、クラスの女子に何かと押し付けられてたっけ…。

 あたしは無関心だったから、さほど気に留めてもなかったけど。

 日直でもないのに、字が奇麗だからっておだてられて日誌書かされたり。

 教材運びは必ずと言っていいほど、彼女がやらされてた。


 …何だろ。

 そうさせたくなる何かがあるのかな。

 あたしはいつも偉そうだ。って嫌われてたけど。

 与えられてた係はちゃんとやってたし、それを誰かに押し付ける厚かましさもなかった。

 体調が悪いから代わって欲しいと言われても。


「知らない。」


 って言ってたから…まあ、嫌われてたわね。



 …あの子。

 職場でもいいように使われてるんじゃないかしら。


 そう思うと…


「…おもしろくない。」


 何だか、そう口にしてしまったあたしがいた。





 SHE'S-HE'Sのレコーディングが始まって。

 陸さんが事務所に入り浸り。

 まあ…結婚した当初から予想はしてたけど、最近のあたしは紅美と学を連れて桐生院に戻りっぱなし。


 おばあちゃまは『陸さんのご実家の手前があるから』って言うけど。

 特殊な家だから、あっちに行く方が気が引ける。



 そんなわけで、今日もあたしは桐生院に遊びに行って。

 だけど母さんが華月と聖を連れて習い事に出掛ける時間になると、結局一人になるから…帰る事にした。



「麗。」


 紅美と学を連れたまま、表通りをのんびり歩いてる所に声を掛けられて振り返ると。


「高原さん。」


 車に乗った高原さんが、あたしに手招きしてる。


「どこに行くんだ?」


「桐生院に行ってたの。」


「そうか。」



 高原さんは…父さんの友人だ。と紹介されたけど。

 姉さんの実の父親だって事は分かってる。


 毎年、桐生院家のイベントには参加してて。

 最初は違和感だったけど…今じゃ居ないとおかしい気さえする。


 あたしは…陸さんと結婚する前、この人にすごくお世話になっちゃったから…

 実は、コッソリとだけど…時々お茶したりもする。

 大きな声では言わないけど、いい具合に甘やかしてくれる人で心地いいのよね。



「送ろうか?」


「ううん。もう少し外に居たいの。」


「外に?」


「んー…何だかモヤモヤする事があって。」


「……」


 高原さんはあたしを見つめたかと思うと車から降りて、後部座席のドアを開けた。


「?」


「気晴らしに付き合う。ドライヴでもしよう。」


「…ありがとう。」



 そうして、あたしは高原さんとドライヴをした。


 紅美は窓の外をおとなしく眺めて、学はすぐに眠ってしまって。

 あたしと高原さんは、他愛もない話で盛り上がった。



「あ。」


 そんな時、窓の外に…見覚えのある顔を見付けて声を出す。


「どうした?」


「あの子。」


 信号で停まった車の中から、二人で通りの向こうに目を向ける。


 そこに…塚田乃梨子がいた。


「乃梨子か。」


「呼び捨てるほど仲良し?」


「乃梨子ちゃんか。」


「…呼び捨てでいいわ。」


 塚田乃梨子は、両手いっぱいに荷物を持ってた。

 それは…高等部での教材運びをさせられている時の姿と同じに思えた。


 …あの子、今もああやって何でも引き受けちゃってるんじゃないでしょうね…



「…あの子、割り当てられた仕事をやってたら、帰るのが遅くなるって言ってた。」


 つい、余計な事とは思いながらも…言わずにいられなかった。


「割り当てられた仕事?」


「この前、桐生院で会ったら酷く肌荒れしてたから聞いたの。そしたら睡眠不足だって。」


「……」


「あの子…学生の時もそうだったけど、やらされてる事に気付かないタイプなのよね…」



 いつの間にか紅美も眠ってしまって。

 あたしは紅美と学の頭を撫でる。


 …誓の大事な子が…いいように使われるの、面白くないあたしがいる。

 だけど、だからって…あたしにどうにかする力なんてない。

 …あー…モヤモヤする。


 そんなあたしの気持ちを…

 高原さんがルームミラーで見て察してたなんて。


 気付くはずがなかった。




 〇高原夏希


 なるべく空いた時間で周子の所に通う。

 それが最近の俺の日課だ。


 事務所は俺がいなくても上手く回るほど成長したし、社員たちも期待以上の働きをしてくれる。

 後は…若手がどこまで伸びてくれるかが楽しみな毎日。


 …思い通りにならないのが人生だ…と、学んだつもりではいる。

 だが、そのせいか…

 周りの奴らには思い通りの人生を歩いて欲しいとも思う。

 いや、それ以上の、だ。



「…歩くか。」


 天気のいい午後。

 久しぶりに歩きたくなった俺は、桜の花が咲く公園のそばに車を停めて、周子の施設まで歩く事にした。


 一日の大半を人に囲まれて過ごす日が多い俺は…

 時々、こうやって一人で空の下を歩く時間を取るようにした。

 …気持ちをフラットにするためだ。



 さくらの事は思い出として封印する事に決めた。

 今もその姿を目の当たりにする境遇。

 それを幸せに思える日もあれば、不幸に思える日もある。

 …それが生きると言う事だ。


 そうして生きると決めたのは、俺だ。


 桜を見ながら歩いて、小さなビル街に差し掛かった所で…


「乃梨子。」


 見覚えある姿に、声を掛けた。


「え…あっ。」


 乃梨子は辺りをキョロキョロと見渡して、最終的にその丸い視線を俺に向けた。


「高原さん。」


 ふっ…

 俺みたいな風貌の者がこの辺にいるのがおかしいのか?

 すぐ顔に出る子だ。


 塚田乃梨子は、知花の弟…誓の婚約者。

 酒に酔って、自分の生い立ちを暴露したが…それはあまりに不憫なものだった。

 同情したわけではないが…傷を負った乃梨子に寄り添いたいと思う気持ちは湧いた。

 …誓の父親の友人として、だ。



「仕事中か?」


「あ、はい…お使いに行ってました。」


「お使い?」


 乃梨子が手にしてる紙袋を覗き込むと、そこには『CHOCOLATE CAKE』の文字。


「三時のおやつか。」


「はい。」


 …ん?と思って、もう一度紙袋を見る。

 これは…娘の瞳が好きな店だ。


「…って、どこまで買いに行ってた?」


「あ、井槌町です。」


「…そんなに遠くまで?」


「限定品らしくて、このお店じゃないと買えないそうなので。」


「限定品な…並んだのか?」


「それなんです。四時間覚悟しなさいって言われてたんですが、二時間で買えちゃいました。」


「……」



 瞳がこの店のロールケーキが好きで、圭司が時々買いに行かされると聞いた。

 そして、圭司はその店で並んでまでロールケーキを買って。

 一つを…周子の所に持って行ってくれた。


「皆さん楽しみにされてるので…三時に間に合って良かったです。」


 …麗が言ってた通りだ…と思った。

 使われてる事に気付いていない。

 しかも、それを一生懸命こなして満足している。


 …麗がおもしろくなさそうな顔をしてたが…

 乃梨子は、これはこれで幸せそうだ。



「あら、塚田さん?もう帰っ………あ…」


 そのままビルの前で乃梨子と他愛のない話をしていると。


「あっ、お待たせしてすみません。今帰って来た所で…」


 乃梨子の上司らしき女性が出て来た。


「え…ええ…あの…こちらは…」


「高原といいます。」


「も…もしかして、高原…夏希さんですか?」


「え?チーフ…ご存知なんですか?」


「塚田さん…本気で言ってるの?高原夏希さんと言ったら…世界のDeep Redのフロントマンで、今や全世界のアーティストが入りたくてウズウズしてるビートランドの設立者よ!?」


「世界の…」


「Deep Redよ。」


「……」


 二人の会話を聞きながら、乃梨子のとぼけた顔に小さく笑ってしまった。


 いつだったか…千里が言っていた。

『誓が彼女を連れて来たんですけど、俺の事全然知らなかった』と。


 そして…俺は余計なお世話だと思いながらも…


「チーフならご存知かもしれないが、この子はね、頑張り過ぎる所があるから。特に新人だからって突っ走ってないか心配で。」


「そ…そうですね…仕事は本当…よくやってくれます…」


「どうか、やりすぎないように気を付けてやってくれないかな。」


「は…はい…」


「頼むよ。」



 何とか…乃梨子の肌荒れが良くなるよう。

 麗のモヤモヤがスッキリするよう。


 乃梨子の上司の髪の毛に触れるなんて、普段はやらないサービスをした。

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