第50話 「おかえりなさい。」

 〇桐生院 誓


「おかえりなさい。」


 裏口から帰ると、車の音を聞き付けてたのか…

 おばあちゃまが待ち構えてた。


「…ただいま。何?」


「急に車を買って帰ったし、いよいよ塚田さんのご実家にでも顔を出すのですか。」


「……」



 みんな、漠然と僕と乃梨子が結婚すると思ってるだろうけど…

 おばあちゃまだけは。


金荘園きんしょうえんさんのお嬢さんが、ちかしとお付き合いをしたいそうですよ。」


 昨日…そう言って僕を驚かせた。



「…僕は乃梨子と結婚するつもりだけど。」


「塚田さんのご実家が、何をされてるか知ってるの?」


「…おばあちゃま…調べたの?」


「当然です。」


「……」


「大きな工務店を経営されてるようだけど、ご両親は離婚。」


「…えっ?」


「お父様は事務の女性とお付き合いされていて、お母さまは下請けの会社の方と一緒に住まわれてます。」


「……」


「塚田さんからは、何も聞いていないのですか?」


「…たぶん乃梨子も知らないよ。」


「……」


「明日…一緒に行くことにしてる。」


 僕の言葉におばあちゃまは深い溜息をついて。


「…同情で結婚するのですか?」


 低い声で言った。


「彼女の境遇なんて関係ないよ。僕は…」


「……」


「初めて…自分の嫌な部分を話す事が出来た人なんだ…」


 そして…これからも。

 僕はきっと、乃梨子となら…ずっと抱えて来た自分の醜い部分も。

 消してしまえるんじゃないか…って思えている。



「…そうですか。」


「反対するなら…僕は家を出るよ。」


「誰が反対すると言いましたか。」


「…えっ…でも…実家を調べて…」


「そんなご両親とは縁を切っていただきなさい。」


「……」


「塚田さんは、もう十分傷付いて来られたのではないですか?」


「おばあちゃま…」



 おばあちゃまにそう言われても。

 他人の僕が、乃梨子と両親の縁を切るなんて…って、思ってた。


 だけど…


 その夜、乃梨子が電話で『お父さんの車で来て欲しい』と言ったのを聞いて…僕は乃梨子のアパートに向かった。


 残念ながら、僕は車を買った。

 父さんの車を借りてばかりいるのは、僕のプライドが許さなかったのもある。

 それに…自分のお金で車を買う事は、僕の仕事の評価だと思ったからだ。


 ただ、車に関して詳しくなかった僕は。

 まずはトモに相談して…


『えー?俺は親父の車で十分だけどなー。』


 あ、そう。


 次に、義兄さんに相談して…


「車?そりゃー、2シーターのかっけー車がいいな。」


「え?どうして?」


「助手席との距離が近い。」


「……」


「外観もいいとなると、見栄も張れる。」


 何となく見透かされてる気がしたけど、義兄さんに相談したのは正解だと思った。


「買う気があるなら、ディーラー紹介してやるぜ?」


 そうとも言ってくれて、本当にあれよあれよと…瞬く間に、新車が僕の元にやって来たんだ。


 昔はTOYSの神 千里の一ファンだったけど…

 今は家族として、だけど…男として尊敬する人。

 身近にこんな人がいて、本当に良かった。



 久しぶりに会う両親の事で不安になったのか、乃梨子は僕の胸で泣いた。

 そして…言ったら嫌われるかもしれない。と、気にしながらも…

 両親が、自分の知らない間に離婚していた事を打ち明けた。


 …おばあちゃまの言った通りだったし、僕の思った通り…乃梨子は何も知らなかった。



 …親子なのに…

 どうして勝手に決めるんだろう。

 僕が家に行った時、親の人生に乃梨子は関係ない。って態度を取られたら…

 その時は…


 僕は乃梨子を連れ去ろう。




 〇二階堂 麗


「乃梨子ちゃん、お酒飲めるの?」


 母さんがそう問いかけると。


「就職して飲むようになりました。」


 あたしと双子の誓の婚約者…塚田乃梨子はいつもと違った目で、ハッキリと答えた。


 …いつも少しオドオドな雰囲気が目の隅っこに隠れてて。

 本人は普通のつもりかもしれないけど、どこか自信のなさが垣間見えてる。



 今日は、姉さんと華月と聖の誕生日会。

 桐生院家は勢揃い。

 その場には、誓の婚約者である塚田乃梨子が初参加。



「乃梨子…無理して飲まなくていいから。」


「嗜む程度にしとく。」


「…もう三杯目だよ?」


「ほんと?顔赤い?」


「全然…顔に出ないタイプ?」



 ほんと…全然顔に出てない。

 誓は『三杯目』って言ったけど、それはワインが三杯目。

 その前に乾杯のビールに少し口をつけて…苦そうな顔をしたわりに、少し経つとグラスは空になってた。


 ま、こんな雰囲気の場で飲まないわけにいかない。って、律儀に思ったのかもしれないわね。



 塚田乃梨子とは、桜花の高等部で同じクラスだった。

 卒業して、短大に進んで…あたしは陸さんと結婚した。

 彼女は桜花の大学に進んで、誓と出会ってたらしい。


 誓から塚田乃梨子って名前を聞いたのは…いつだったかな。

 知らない。って即答したけど、卒業アルバムで確認して…思い出した。

 いつも自分の席に座って、一人でいた子。

 そして…クラスの目立つグループの子達に、嫌がらせを受けてた子。


 だけど…それに気付かないという…鈍いのか強いのか…

 とにかく、少し変わった子だったと思う。


 時々視線を感じて顔を上げると、必ずと言っていいほど彼女と目が合ってた。

 だからって笑い合うなんて事はなかったけど。

 なんなの。とは思ってた。



 少し理想が高くて潔癖な所があるはずの誓が…そんな塚田乃梨子を選んだのは、あたしとしては意外でもあったし、ちょっと目を細めたい気分でもあったけど。


 まあ…誓が選んだんだから…

 どこかしら、いい所があるのかもしれない。



「ところで、結婚式はいつなんだ?」


 父さんがそう言うと、誓は首をすくめて。


「あー…まだそこまで決めてなくて…」


 みんなを見渡した。


「あら、そうなの?ある程度の日程を言ってくれないと、こっちにも色々準備があるのに。」


 そうよ。

 誓の結婚式には、とびきりオシャレして行きたいから、肌の手入れももう始めたいし。

 がくを産んだ後、なかなか体系が元に戻らないのも悔しいから、絶対それまでに身体も絞りたい。


「今ならみんな揃ってるし、時期だけでもザックリ決めたらいいんじゃねーか?」


 義兄さんがそう言って、色々スケジュールの立て込む面々は一斉に手帳を開いた。

 あたしの夫である陸さんも、酔っ払っててもそういう時は仕事人に見えてカッコいい。


「土日だよな。」


「平日に親族だけでやる手もあるぜ。」


「そんなのダメよ。」


「春までは土日が空いてない。」


 みんなそんな事を言い合って。

 それぞれが空いてる土日を書き出して、それを姉さんがまとめる。



「式場はどこにするんだ?」


「父さん、仕事上付き合っておいた方がいいホテルがあったりするの?」


「そんなの気にしなくていいから、誓が好きな所にしなさい。」



 みんなが話し合ってる中…

 塚田乃梨子はというと。



「…ふふ…ふふふ…」


 …酔っ払って、怪しく笑い始めた。



「乃梨子さんの親族は何人ぐらい出席されますか。」


 おばあちゃまがそう問いかけても、塚田乃梨子は目をクルクルさせて笑うだけ。


「…乃梨子ちゃん?」


「…はっ、あっ、うちは…その…ゼロでもいいですか!?」


「えっ?」


「あたし、実は両親と八年会ってなかったんですが…」


「八年!?」


 あたしは大きな声で繰り返してしまったけど、みんなは首をすくめただけ。


 え…えっ!?


「八年親に会わないって…えーと…高等部の時はどうしてたのよ…」


 あたしがつぶやくと。


「寮に入ってんだ。」


 誓が小声で答えた。

 もう塚田乃梨子は眠そうな顔で、周りの声も聞こえてない感じ…



「…先月、誓君と一緒にドキドキしながら帰ったら…あからさまにお金目当てって魂胆丸見えな風に出迎えられて。」


「…誓、いいの?乃梨子ちゃん…喋りたくない事喋ってるんじゃ…」


 姉さんが心配して声をかけたけど。


「いいんじゃない?溜め込んでたっていい事ないわよ。」


 あたしは続きを聞こう。と、みんなを見渡した。



「あたしの知らない間に、家を建て替えてたり…離婚してたり…」


「えっ、酷い。」


「そのパートナーに、あたしっていう娘がいる事を話してなかったり…」


「何それ。」


「…そんなのはどうでもいいんです。もう、慣れてたし。」


「どうでもいいって事はないわよ。」


 気が付いたら…あたしは合いの手みたいに言葉を挟んでて。

 みんなは聞かないフリしてるのか…それぞれお酒を飲んだり、手帳を眺めたり、お茶を飲んだり…


「だけど…ずっと傷付いてた事に、知らん顔してたんだな…って気付きました。」


 その言葉が出て来た瞬間、みんなが顔を上げて塚田乃梨子を見た。



「あたしの事で誓君が腹を立てて、あたしの両親にスパッと『あなた達は最低な親だ』って言ってくれて。」


「お。誓、やるな。」


「義兄さんっ。」


「その瞬間、スカッとしちゃったあたしがいて。」


「の…乃梨子。」


「えっ…これ言っちゃダメだったの…?ごめん…あたし…酔っちゃってるね…でも…嬉しかったの…すごく…」


 塚田乃梨子はフラフラさせてた頭を誓の肩に乗せて。


「…あたし、いい子にしてなきゃって思い過ぎてて。一度も口ごたえしなかったけど…たぶん、ずっと言いたかったんだと思う…あたしの事、見て…って。傷付けないで…って。」


 そう言ったかと思うと、首をカクンとさせた。


「…寝たな。」


 義兄さんが、頬杖をついて。


「…誓、今の話は本当か?」


 父さんが手帳を閉じて言った。


「…乃梨子の両親に、最低な親だ…って言った事?」


 誓はバツが悪かったのか、父さんの顔を見ないまま答える。


「そうじゃない。彼女とご両親が八年会ってなかったり、離婚を知らされてなかったり…」


「…本当だよ。」


「……」


 少しの間、沈黙が続いた。

 それを破ったのは、意外にも…おばあちゃまだった。


「…早く日取りを決めておしまいなさい。」


「え?」


 みんながおばあちゃまを見ると、おばあちゃまはお茶を飲み干して立ち上がって。


「乃梨子さんには新しく家族が出来る。それでいいではないですか。」


 みんなを見下ろした。


「私はもう休みますよ。乃梨子さんには中の間にお布団を用意して差し上げなさい。」


「おばあちゃま。」


 誓は肩に塚田乃梨子を乗せたまま。


「…ありがとう。」


 少しだけ…目を潤ませて言った。

 それを見たら…ついあたしも。


「…あたしからも、ありがと。」


 おばあちゃまを見上げて言ってしまった。


 すると、隣にいる陸さんが。


「おまえ、今夜はいつもに増して可愛いな。」


 あたしの頭を抱き寄せて。


「もっもう!!」


 父さんやおばあちゃまの前で何するのよー!!

 そう思って跳ね避けたけど。

 いつも姉さんが義兄さんにやられてるのを目の当たりにしてるからか…憧れもあって、本当は嬉しかった…。

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