第44話 「はー、疲れた。」

「はー、疲れた。」


 そう言って、黒紋付き羽織袴姿のままドサリとソファーに座り込んだのは…早乙女君。


 今日は…早乙女君の結婚式。


 あたしは誓君と一緒に、すでにお寺での仏前式にも出席させてもらった。

 今は披露宴までの時間を、お寺の隣にあるホテルのロビーで待ってる。



「のいちゃんの着物姿って新鮮だな。」


「…恐縮です…」


 あたしも出席すると知ったおばあさまが。


「着物になさい。」


 と…

 今日は、朝から桐生院家で着物を着せていただいた。

 誓君も…着物。

 そして当然なのかもしれないけど…仏前式に出席されたほとんどの方が和装だった。


 …さすが。



 実は…生まれて初めての着物。

 成人式も出席しなかったし…特に何も用意しなかった。

 当時は何も思わなかったけど、こうして着物を着てみると…自分のために奮発しても良かったかなあ…って思う。

 着慣れない難しさはあるけど、気が引き締まる心地良さもある。



「そう言えば、おまえらも結婚決まったって?」


 手にした扇子を開いたり閉じたり。

 早乙女君…緊張してるのかな?


「うん。7月15日。」


 あたしと誓君の結婚式は、家族の皆さんの話し合いによって…

 7月15日に決まった。

 麗ちゃんは。


「なんでもっと早くしないの?」


 って不機嫌そうで。

 あたしからすると、色々段取りがあるから…7月でも早い方かなって思ったけど。


「あたしは三月に結婚するって話になって、五月に結婚したわよ。」


 って…

 誓君がマリッジブルーになったあの結婚が、その二ヶ月前に決まった。と初めて知った。



「おー、呼んでくれよ?」


「気が向いたら。」


「ひでーな。」


「冗談だよ。」



 早乙女君と誓君の会話を黙って聞いてると。


「誓君、今日はありがとう。」


 早乙女君のお兄さんが歩いて来られた。


「あ…本日はおめでとうございます。」


 お兄さんに挨拶すると。


「誓君と乃梨子ちゃんも結婚決まったんだってね。おめでとう。」


 ホッとしちゃうような…柔らかい笑顔。


「ありがとうございます。」


 お兄さんの笑顔に癒されてると…


「…あれが…」


「よくもまあ…」


 何だか…少し注目されてる気がして辺りを見渡す。


「…兄貴。」


 早乙女君は顔から表情を消して、お兄さんに近寄ると…

 二言三言、何かを小声で話して。


「…じゃあ、後でね。」


 お兄さんは、苦笑いをしながら…あたし達に手を挙げて歩いて行った。


 …どうしたんだろう。

 さっき仏前式の時に見掛けた人達…それも少し年配の人達が。

 あたし達を遠巻きに見て、何か喋ってる。


 …何だろ。

 感じ悪い。



「…悪いな。頭が固くて古いジジイ達は、これだから…」


「…?」


 早乙女君のつぶやきの意味が分からなくて首を傾げる。

 誓君は辺りを見渡して、該当するであろうオジサマたちを目にとめると。


「…所詮、乗っかってる人達には分かんないよ。僕達が…何かを失くしてでも背負ってる事なんてさ…」


 低い声でつぶやいた。


「……」


 あたしには何も意見出来ない世界の事だ…と思って。

 聞こえなかったことにして、わざと視線をよそに向けた。


 …何かを失くしてでも…

 早乙女君のそれは、恋…なのかな…って思ったけど。

 …誓君は?

 何を失くしたんだろう…



「…俺は吹っ切ったし、割り切ったぜ?」


 ふと…小さく溜息をついた早乙女君が、そう言って両手を上にあげて伸びをした。

 そんな彼を、二人で見つめる。


「生まれる場所は選べない。そこに生まれた事を恨んだり嘆いたりするんじゃなく…そこに生まれた事でしか在り得ない生き方をしてやる。」


「…トモ…」


「確かに失くしたっつーか、諦めた事はあるけどな。でも手に入る物もある。それなら、俺が上に立って好き勝手にやらせてもらうだけだ。」


 そう言った早乙女君に、あの日…お母さんの肩で泣いてた面影が重なる。


 生まれる場所は選べない…確かにそうだ。

 でも、それが不幸かどうかなんて…その人次第。

 あたしは望まれない家に生まれたけど…

 こうやって生きて育って…もうじき好きな人と結婚する。

 現在が幸せなら…過去なんてどうでもいいよ…



「のいちゃん、もう会場見た?」


「え?ううん、まだ。」


 今日、会場の花は…早乙女君たっての願いで、誓君のプロデュースだ。


「見たら腰抜かすぜ?」


「大げさだな…トモは。」


「いや、マジで。俺のイメージ通り。サンキュ。」


「……」


 腰に手を当てて、ロビーをぐるりと見渡した早乙女君は。


「誓のおかげで勇気出た。今日は言いたい事言ってやる。」


 何だか…楽しそうに、そう言った。




「…誓君。」


 披露宴の時間まで、あと少し。

 会場の入口から、『おお…』とか『これは素晴らしい』って声が聞こえてくる。

 みんな誓君の作品を見ての意見らしい。


「ん?」


「誓君は…家のために何を失くしたの?」


「……」


 それは…短かったのかもしれないけど、あたしには長い沈黙に思えた。

 しばらくして誓君は小さく鼻で笑うと。


「…トモはカッコいいな。」


 そう言った。


「僕は…どこか被害者意識みたいなものを抱えててさ。」


「…被害者意識…」


「そ。誰々のせいで…とかさ。こんなはずじゃなかったのに…とかさ。」


 それは…とても意外な気がした。


「例えば…桐生院に生まれて、ゆくゆくは後を継ぐにしても…ある程度は回り道や冒険をしてからでもいいのに、何でだよーなんてさ。」


「…冒険…」


 その言葉だけを聞くと、険しい山を登ったり、ジャングルを駆け巡ったり…あたしの乏しい想像力では、そんなものしか浮かんでこなかった。


「だけどうちは…父さんが全く花に関わらなかったから…」


「あ…」


「…僕は…電車の車掌さんになりたかったんだ。」


「…えっ?」


「ははっ…意外だろ。」


「う…うん…」


「小さな頃、一度だけ…父さんに電車のイベントに連れて行ってもらった事があるんだ。」


 誓君は…

 お父さんと二人きりで出掛けたのが、その一度だけだった事。

 ハッキリ覚えてないほど小さな頃だったけど、その時撮った写真が宝物だった事。

 仕事人間で、家にほとんどいなかったお父さんと距離が出来てしまった事…

 だけど…今、その出来た距離を埋めようとしてくれてる事。

 それらを…初めて話してくれた。


「ま…僕の夢なんて、初等部の中学年には自分の立場が分かって…誰にも言った事なんてないぐらい浅い物だったからいいんだけどさ。」


「そんな小さな頃に…自分の立場を…」


「…トモは、昆虫学者になりたかったんだ。」


「え?」


「初等部の頃、作文に書いてた。将来は昆虫学者になりたいって。夏になるとセミの抜け殻たくさん集めてたな…」


「……」


 セミ…

 それを聞いてすぐに浮かんだのは。

 飛んでるセミを捕まえたお母さんに、一目惚れした…って話。


 …そっか。

 早乙女君…

 まだどこかで…夢をみてたのかもしれないね…



「…でも、トモはもう吹っ切ってるし割り切ってるって言った。あー…ほんと、あいつはカッコいいや。」


 誓君は天井を仰いでついでのように溜息をつくと。


「僕も…いつまでもこんな気持ちじゃいけない。もっと…父さんと話をするよ…」


 少しだけ…晴れた表情を見せた。


「…うん。何も出来ないけど…応援してる。」


 手に触れてそう言うと。


「ありがとう。」


 誓君は笑顔になった。



 もし…それぞれの家に生まれてなかったら。

 昆虫学者と、電車の車掌さんを夢見てた少年たちは…どんなに目を輝かせて、それらを家族に打ち明けられてただろう。



「そろそろ会場入ろうか。」


「うん。」


 着物になれないあたしのために、手を出してエスコートしてくれる誓君。


 …誓君にも色々あったのに…

 いつもあたしの気持ちを優先してくれてたんだ…

 あたし、頑張って誓君を支えられる妻になろう。


 そう心に決めながら、会場に入ると…


「……」


「乃梨子?」


 立ち止まったあたしを、誓君が覗き込む。


 どのテーブルにも小さいながら、目を引く花が竹を横にした花器に飾られてて。

 そして…何より目を引くのが、高砂の豪華さだ。

 決して派手な花じゃない。

 だけど美しさと力強さを感じる、動きのある花々に…

 花の事なんて何も分からないあたしでも、見惚れてしまった。


「…すごい…」


 声にならない声がもれると、誓君がすごく嬉しそうな顔で。


「…ありがとう。」


 ギュッと…あたしの手を握った。




 披露宴は…

 仲人さんによる二人の紹介とか。

 乾杯や来賓スピーチ。

 恐らく…茶道界の偉い人達による、余興。

 あたし達と同世代で、やっぱり…家を継いでらっしゃる名家の皆さんのよる余興。

 …年配の方達の詩吟だったり浪曲だったりは納得なんだけど…

 若い人達も、三味線とか…うーん…世界が違う…

 新婦の友人の余興が最近流行ってる英語の歌だった事に、唯一…何だか少しホッとした。


 早乙女君の隣にいる人は…とても美しい人だった。

 ふみさん…あたし達より一つ年上。

 彼が『超絶美人なんだぜ』って言ったのが…頷ける。


 仲人さんの紹介では、13歳からアメリカに留学して、そのまま向こうで就職。

 両親から結婚を執拗に勧められて、断るつもりで去年帰国した…と。

 なのに、会ってみて早乙女君に一目惚れ。


 …やるなあ。


 新婦の友達も少しはじけてる感じの人もいて、何だか…少し心強かった。

 早乙女君、その人となら…結婚しても色んな事楽しめるんじゃないかなって。



『本日は大変お忙しい中、私たちのためにお越しいただきまして誠にありがとうございます。』


 披露宴はまだ中盤。

 突然、早乙女君が高砂を降りて、マイクを持って喋り始めて…会場は少しだけ騒然とした。


「…まだ歓談の時間よね?」


「何か始まるのか?」


 進行のプログラムを見ながら、ざわつく人達。

 プログラムは…あと、『フィルム上映』と『余興』と『両家挨拶』…

 あたしと誓君も顔を見合わせて…心配そうに早乙女君に目を向けた。


 …言いたい事を言ってやる…って…

 何だろう…


『……』


 お礼を言った後で、早乙女君が無言になった。

 伏し目がちに…何か考えてるような顔。

 みんなが早乙女君に注目してると…


『…かしこまるのはやめて、普段通りに話します。』


 顔を上げた早乙女君は、首を左右に倒しながら…


『早乙女の次男坊に家元が務まんのか。って言ってたオッサン達。俺、忘れねーからな。』


 笑顔でそう言った。

 途端にどよめく年配の方々と、笑いと口笛の上がる若者テーブル。

 親族のテーブルは…驚愕の表情で固まってる…


「だ…大丈夫なのかな…」


 あたしが誓君の腕を持って言うと。


「最後まで聞こ。」


 …誓君は、笑顔だった。

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