第40話 「えーっ、それ本当の話?」

「えーっ、それ本当の話?」


「本当だって。」


ちかし君、忙しくて妄想が…」


「違うってば。」



 新しい車に乗って、実家へ。

 その道のりは…すごく楽しかった。


 時々手を繋いで。

 信号で停まると、顔を見合わせて笑って。


 八年振り…

 離婚した両親…

 改築したであろう実家…

 あたしの居場所のない…実家。


 それでも、誓君と一緒だと思うと…前ほど嫌だとは思わなかった。



「もうそろそろ?」


「うん。あの角を曲がったら見えて来…」


「塚田工務店…あれかな?」


「…知らない家みたい…」


 角を曲がって見えた建物は。

 シンプルな白い外壁に、オリーブ色の屋根だった、あたしの知ってるリビングTSUKADAとは大きく違ってた。


「大きな家だね。」


 昔あった隣の家の敷地分まで、建物が広がってる。

 ガッチリとしたログハウス。


 玄関の前には枕木で作られたデッキがあって、そこにはテーブルセット。

 そのログハウスに似合わないのが…砂利の駐車場に大きく掲げられてる『塚田工務店』のネオンサイン。


 …どうしてコレ!?

 あたし、両親とは疎遠だったけど…

 センスの良さは昔のままだと思っていたかったのに…!!



「車、そこに停めていいのかな。」


 お客様用駐車場が三台分。

 だけど、この辺はスペースが広くて、どこに停めたって構わない。


「…車が傷付かない所で…」


「大丈夫だよ。」


「……」


 何なら冷や汗ものだった。

 センスの悪いネオンサインと、砂利の駐車場に。


 バリバリと音を立てて車が駐車場に入ると、工務店のドアが開いた。

 一応出る前に『今から行きます』とだけ言って、返事も待たずに電話を切ったから…待ち構えていたのかもしれない。


 シートベルトを外して車から降りると、デッキで待ってたのは…知らない人だった。


「…えーと…」


 あたしがキョロキョロとすると。


「乃梨子さんね。」


 その人は、少し不機嫌そうな声で…あたしを上から下まで舐めるような目で見た。


「…はい。」


孝明たかあきさんから話しは聞いたわ。」


 孝明さん?


「…もしかして…父と再婚される方ですか?」


 あたしがそう問いかけると、その人は腕組みをして。


「その予定だったけど…子供がいるなんて、聞かされてなかったわ。」


 吐き捨てるように言った。


「えっ?」


 誓君が車から降りて、あたしの隣に並ぶ。


「乃梨子、この人は…?」


「…父の再婚相手…らしいんだけど…」


 もしかしてこの人…電話に出た人?


「…ここで働いて…?」


「そうよ。孝明さんがどうしてもって言うから。」


「…そうですか…」


 えーと…どうすれば…


「それで…父は?」


「…あなたの母親を迎えに行ってる。」


「えっ。」


「あたしに留守番してろって。どういう神経よ。」


「……」


 誓君と顔を見合わせる。


 とんだ展開になってしまった。

 何やってんの…うちの親!!


 あたしが少しイライラしてしまうと。


「じゃあ…ちょっとその辺を歩いて来ますね。」


 誓君が女の人にそう言った。


「どうぞご勝手に。」


 女の人はあたし達を睨むようにしてそう言うと、工務店に入って乱暴にドアを閉めた。


「…誓君、その辺って…」


 今までの楽しい時間が汚される気がして、あたしは泣きたくなる。

 だけど誓君は。


「ご両親が帰って来られるのが、見えるぐらいの範囲まで。」


 あたしの手を取って、鼻歌でも始めそうな雰囲気で歩き始めた。



「…何もない所でしょ?」


 足元の小石を蹴飛ばして、あたしは小さくつぶやいた。


 主要道路は小さな県道で。

 それを通る車も少ない。

 あたし達が歩いてるのは、その県道から入ったさらに小さな農道。

 車二台が離合するには、どちらかが停まって待たなきゃいけない。


角野かどの渡町わたりまちって、もっと都会のイメージだったから驚いたけど…景色のいい所だね。」


 誓君はそう言って…本当に楽しそうにキョロキョロしながら歩いてる。


「あっ、乃梨子。クルマギクだよ。」


 あたしは両親が帰って来ないか…県道に目を向けてたんだけど。

 誓君は突然そんな事を言って、あたしの手を握ったまましゃがみこむ。


「可愛いなあ。やっぱり自然に咲いてる花が一番きれいだよね。」


 …質の良さそうなスーツを着て。

 BMWのスポーツカーに乗った、華道の家の御曹司が。

 こんな寂しい集落の田んぼの畔に咲いてる花を…しゃがみ込んで見つめてる。


 そんな誓君の姿を見てると…


「…昔から咲いてたのかな。全然気付かなかった。」


 あたしも、隣にしゃがみ込んだ。


「この辺は変わってない?」


「うん。昔のまま。変わったのは、うちぐらい。」


 ぐるりと近所を見渡すと。


「野崎のおばさんとか、今井のおじいさんは元気なのかな?」


 誓君が、あたしの顔を覗き込んで言った。


「えっ、どうして知ってるの?」


 丸い目をして問いかける。


「ふふっ。いつだったか、心の声を出して言っちゃってただろ?」


「そっ…」


 途端に顔に熱が集まってしまった。


 だ…だって…!!

 誓君…

 それ、あたしが言ってたとしても…覚えてくれてたなんて…。


 嬉しくてニヤニヤしてしまってると…


「…あら…?もしかして…」


 ふいに、声を掛けられた。


 誓君と立ち上がって振り向くと。


「塚田さんちの…お嬢さん?」


 噂してた野崎のおばさん!!


「あっ…野崎さん…」


 あたしがそう言うと、誓君は目を丸くした後…ちょっとだけ後ろを向いて小さく笑った。


「ま~…あんたきれいになって…」


「お久しぶりです。」


「その人は?彼氏?」


 野崎のおばさんは、あたしと誓君をジロジロと見て。


「もしかして、実家に挨拶に来たの?」


 って…距離を詰めて言った。


「はい。」


 誓君の即答に、あたしは嬉しさを隠しきれなかった…んだけど…


「この子はね~、小さな頃はこの辺一帯の年寄の家を回っては小銭稼ぎをしてね。」


 おばさんが、余計な情報を…話し始めた。


「まあそりゃあ、がめつかったよ。友達と遊ぶ事もせずに小銭稼ぎしてたんだから。親もね、こんな田舎であんな大きな工務店建てるぐらいだから、相当がめついよ。親子そっくりだね。」


「……」


 あたしが言葉を失くして呆然としてしまってると。


「僕がお金に無頓着が所があるので、乃梨子さんのしっかりした金銭管理にはとても助かります。」


 誓君が…ニッコリ笑ってそう言った。


 それを見たおばさんは『ああ…そう…そうだね…』とかなんとか言いながら。

 唇を尖らせて歩いて行った。


 …あたし…よくしてもらってたと思ってたのに…

 嫌われてたのかな…

 何も誓君の前であんな事言わなくても…



「乃梨子。」


 あたしが落ち込みかけてると、誓君がギュッと手を握った。


 顔を上げて誓君を見ると。


「あのおばさん、乃梨子をやっかんでたね。」


 少し意地悪そうな笑顔で言った。


「え…えっ?」


「やっかむって事は、羨ましがられてるんだよ。」


 そんな事ってある⁉︎って思ったけど。

 誓君と一緒にいたら…そう思われるのかなとも思った。


「おばさんの言った事が事実でも嘘でも、僕には関係ないから。」


「誓君…」


「あ、車が来た。」


 あたしが感動してると、誓君が県道に目を向けた。

 そこには、何やら猛スピードで走って来るワゴン車…


「…見た事ない車だけど、たぶんうちの親だわ…」


 手を繋いだまま、その車を眺めてると。

 それは猛スピードのままウインカーも出さずに農道に入って。

 工務店の前の砂利道にバリバリと大きな音を立てて入り込んだ。


 そして…

 車から降りて来た父さんは、誓君の車を見てピタッと足を止めて。

 後部座席から降りて来た母さん…と、男の人…も。

 誓君の車を…舐めるように見始めた。


 あたしと誓君はゆっくりと駐車場に向かって歩いて。


「……」


 無言で車を見てる三人に、あたしがなんて声をかけていいか悩んでると。


「はじめまして。」


 誓君が…目が覚めるような声で言った。




「あらためて、はじめまして。桐生院 誓です。」


 あたしと誓君は…工務店の応接室に連れて行かれた。


 父さんと、母さんと…二人の新しいパートナー。

 四人を前に、あたしは変な汗をかいてるんだけど…

 誓君は、とても堂々としてて。

 むしろ、その冷静さに…四人が圧倒されてる感じだった。


「…その、乃梨子と…」


 父さんが口を開きかけた瞬間。


「乃梨子さんと結婚を前提にお付き合いさせていただいています。出来れば、来年ぐらいに結婚したいと思っています。」


 誓君には珍しく…少し早口でそう言った。


「……」


 四人は仲良しでもないはずなのに、顔を見合わせて。


「その事だが…私達はあなたの事をよく知らない。その、よく知らない人に…うちの娘を嫁に出すのはちょっと…」


 父さんが、思いもよらない言葉を口にした。


「なっ…!!」


 あたしは両手を握りしめて立ち上がると。


「何言ってんの!?面倒だから勝手にしろって言ったクセに!!」


 父さんを見下ろして、大声でそう言った。


「まあ、そんな事言ったの?」


「ダメじゃないですか。」


「ば…ばか。あれは…あまりにも突然の事で、頭が真っ白になってな?」


「……」


 無言なのは、父さんの彼女だけ。

 どうも…母さんと彼氏と父さんは…結束してるようだ。

 …何を企んでるの…?


「若いのに、いい車に乗ってるね。」


「何の仕事をされてるの?」


「由緒ある家の人だとか…」


「……」


 う…うちの親ーーーーー!!と、母さんの男ーーーーー!!


 お金だ。

 お金なんだ。

 みんなの目的がそれだと気付いたあたしの顔から、さーっと血の気が引いた。

 ああ…野崎のおばさんが言った通り。

 あたしは…親に似てがめつい女なんだ…!!


 魂の抜けたような状態になってるあたしの隣で、誓君は一通りの話を全部聞いた後。

 首を傾げて小さく笑って。


「僕は…祖母と一緒に華道をしています。」


 話し始めた。


「華道…」


「生け花です。祖母と僕で教えている生徒さんは350人。教室の他に講演や展示会、その他花を扱うイベントの企画や制作もしています。」


「華道…家元さん?」


「一応そうではありますが…うちの流派は一度廃れて名前すら忘れ去られた小さなものです。それならば。と、生け花のみならず、もっと生活の身近な場所に花を置ける提案をすべく、色々な事をしています。」


「あー…家元さんって言っても、本物じゃないって事?」


「かっ母さん!!」


 あたしが大声を出しても、誓君は動じなかった。


「うちの父は、映像も扱う会社を経営しています。」


 少し…斜に構えて言った。


 …あれ。

 何だか…誓君らしくない表情…


「姉と義兄は、世界を股にかけるクリエイティブな仕事をしています。」


「まあ…それは、すごく…お金持ちって事ですか。」


「そうですね。それに僕は本物じゃない家元ですが、外に停めてある車は先日自分で買いました。」


「……」


「現金で。」


 あたしは…目の前の四人と同様…呆然としていた。

 いや、もちろん呆然の内容は違う。

 四人はたぶん…現金でBMWのスポーツカーを買う若僧⁉︎美味しいかも‼︎な感じで。

 あたしは…


 誓君…

 もしかして…

 すごく怒ってる…!?


 って。

 怖くなった。



「乃梨子、やったなあ。こんな立派な人と結婚するとは。」


「そうよ。母さん分かってた。あんたはいつか大きなことをする娘だ、ってね。」


「さすが千恵美さんと孝明さんの娘だ。」


 目の前で…両親が笑顔になった。

 ついでに、母さんの彼氏も。


 今まで…一度でもこんな笑顔をあたしに向けた事があっただろうか。

 だけど…本当なら嬉しいはずのそれは…居心地が悪くて。

 今すぐ…帰りたい衝動に駆られた。



「乃梨子さんは本当に素晴らしい女性です。」


「うんうん。自慢の娘だ。」


「本当に。昔からいい子でした。」


 白々しい両親の娘自慢の最中。


「じゃあ…もちろんご存知ですよね。」


 誓君が言った。


「乃梨子さんの今の仕事。」


「……」


 その言葉が出されると同時に…両親が黙った。


 そりゃそうだ…

 両親はあたしの仕事を知らない。

 何なら…まだ大学生と思ってるかもしれない。



「…あれ?ご存知ないんですか?」


「え…えーと…あれだ。な…えーと…度忘れしたぞ。」


「うちを継ぐ…って建築関係……には、行かなかったのよね…」


 それでもまだ頑張る両親と。


「あー……」


 もうあきらめ気味の母さんの彼氏と。


「……」


 最初から不機嫌そうだった、父さんの彼女。


 誓君は本当に…見た事ないような表情。

 ほんのり笑顔なんだけど…冷ややか…


「確か…八年会われてないんでしたっけ。」


 誓君のその言葉に、両親の背筋が伸びた。


「どうしてですか?何か理由が?」


「……」


 両親は顔を見合わせた後。


「…乃梨子、忙しいからって帰って来なかったし…」


 母さんが小声で言った。


「…自慢の娘の入学や卒業…就職に興味はありませんでしたか?」


「……」


「夏休みに、帰っておいで。って一言…連絡する事もしなかったんですか?」


「……」


 あたしは…どうして誓君が…こんな事を言ってるんだろう…って。

 ただただ、驚いてた。

 あたしが…諦めてた事。

 諦めた事なのに…言葉にされると…


「…あなた達は…」


 聞いた事のない誓君の声に、あたしは隣を見た。

 …誓君は、肩を震わせて…


「あなた達は、最低の親だ…」


 低い声でそう言うと。


「乃梨子、帰ろう。」


 あたしの手を取って、立ち上がった。


「え…っ?」


 拗ねたような顔をしてる母さんと、真っ赤な顔をしてる父さんが視界に入ったけど。

 誰もあたし達を止めなかった。



 あたしは誓君に促されるまま助手席に座って。

 動き出した車の中…なかなか言葉を出せなかった。


 だけど…


「…ごめん、乃梨子…」


 しばらく走った所で。

 誓君が…震える声でそう言って、あたしの手を握った。


「…謝らないで…」


 うつむいたまま答えると。


「ごめん…」


 誓君は…また謝った。


「……」


 無言で誓君を見ると…


「…誓君…?」


 誓君は…涙を我慢してるのか、震える唇を噛みしめてた。


「…ごめんね…嫌な想いさせて…」


 あたしがうつむいてそう言うと、誓君はハザードをつけて車を路側帯に停めた。


「…謝るのは僕だよ…我慢できなくて…」


「…誓君…」


「乃梨子、あの人達と縁を切って…僕と結婚出来る?」


 誓君はあたしに向き直って、真剣な目でそう言った。


 あの人達と…縁を切って…

 …それはすごく簡単な気がした。

 今までだって…縁が切れてたようなものだったし。


「…それでも僕、駄目な事言っちゃったな…」


 誓君は大きくため息をついて、額に手を当ててハンドルに寄り掛かかった。


「駄目な事…?」


「…最低な親だ…って。」


「……」


「僕が言っていい事じゃないよ…」


 …よく分からないけど…

 誓君は何か葛藤してるように思えた。

 あの言葉を誓君が言った時…あたしは…


「…あたし、嬉しかった。」


 あたしがそう言うと、誓君はハンドルから体を起こして。


「…どうして?」


 首を傾げてあたしを見た。


「…あたしの存在をほったらかしたり、隠す事が当たり前で…悪い事だなんて思ってなかったはず。少なからずとも…あたしは認めてもらいたくて頑張ってたし…」


「…頑張ってたし?」


「…傷付いてたから…」


「……」


 そっと…腕が来て。

 あたしは優しく抱きしめられた。

 そして、誓君は。


「…絶対…幸せになろう。」


 耳元で…そう言ってくれた。

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