第39話 そんなわけで。

 そんなわけで。

 あたしと誓君は、あたしの実家に行くことになった。

 誓君はその日の予定を他の日をよりハードにする事で空けてくれた。


 …あたしのために無理してくれるんだ。

 何があっても両親に会って、誓君を紹介する。



 それからの一週間。

 誓君は忙しいのに…あたしに二通の手紙を書いてくれた。

 一通目は、当日のスケジュール。

 何時にあたしを迎えに来て、実家に行くか。

 自分はスーツを着て行く事。

 手土産も用意する。

 などなど。


 二通目は…

『ごめんね』から始まってて…ドキッとした。



 乃梨子、ごめんね。

 もっと早く、こうして手紙を書けば良かった。

 お互い忙しくて会う時間も取れなくて。

 電話も、なかなかタイミングが合わないからって…月に数回だなんて。

 結婚の約束をしてる事に安心しきってたわけじゃないけど、黙って待ってくれてる乃梨子に甘え過ぎてたと思う。

 本当にごめんね。


 今、次の教室までの空き時間。

 こうした少しの時間で、出来る事をすれば良かったのに…

 なんて僕は気が利かないんだろうね。


 乃梨子が何年も会ってないご両親に会うのは、僕も緊張するけど…

 きっとそれ以上に乃梨子も緊張しているだろうね。

 苦手な事をさせてごめん。

 だけど、二人の将来のために…一緒に頑張ろう。


 土曜日、ちょっと遅くなるけど…電話していいかな?

 もし寝てるのに起こしたらごめん。


 日曜日は、命をかけるぐらいの気持ちで頑張るよ。

 大げさって笑うかもしれないけど、それぐらいの熱が僕にはあるから。


 じゃあね。

 あ、明日は寒いみたいだから、風邪ひかないように。


 誓




「……」


 二通目を読み返して、胸がギュッとなった。

 誓君…あなたが気が利かない人だったら、あたしなんて鈍感もいいところよ。

 あたしの方が、断然に時間がある。

 なのに…誓君が忙しい人だからって言うのを理由にして、何もしようとしなかった。


 手紙を書いたり、何か…そう。

 誓君のために出来る事、すれば良かったのに。



『もしもし、乃梨子?あんた結婚するらしいわね。しかもいい所の人だって?母さんの所にも顔出してよ。』


 あれから毎日…

 留守番電話にメッセージが入った。

 母さんだけじゃない。


『乃梨子?千恵美から連絡があったと思うが…あっちには行かなくていい。うちにだけ来て、ゆっくり話そう。実は父さんも…再婚を考えててな?』


 父さんまで…しかも再婚って。

 そんな大事な話を、留守電に入れるって。

 あの時は『面倒』って言ったくせに…

 由緒正しい家の人だ。って言ったから、手の平返された気がする。

 …お金に困ってるのかな。



 今日は珍しく電話がなかった。

 さすがにあたしが電話に出ない事…頭にきたのかも。


 だって…

 …今まで、両親はあたしに向かって『母さんね』とか『父さんは』なんて…言った事がなかったのに。

 急に、自分の存在をアピールして来た。


 最初の留守電を聞いて、それに鳥肌をたてたあたしは…

 それ以降の電話に、どうしても出る事が出来なかった。





 その電話は、0時を少し過ぎた頃にかかって来た。


 ♪♪♪


「…はい。」


『…乃梨子?』


「うん。」


『起きてた?』


「うん…今帰ったの?」


『ああ…ちょっとバタバタしてね。遅くなってごめん。』


「お疲れ様…」


 誓君…疲れてるだろうに…


『…今から行っていい?』


「え?今から?」


『うん。』


「……」


 あたしは少し考えて。


「ううん。今日は…誓君もゆっくりお風呂に入って、しっかり疲れをとって?」


 柔らかい口調で言った。


『…乃梨子に会えるなら、お風呂なんてゆっくり入れなくていいんだけどな…』


 誓君の声を聞いて、胸がキュッとなったし…すごく嬉しかったけど。

 あたしは受話器を握りしめて。


「嬉しいけど、明日に備えて…あたしももう休むから。」


 そう言った。


『…そっか。分かったよ。』



 両親が離婚した事は、まだ話してない。

 それは明日の車の中で…ゆっくり話そうと思った。

 そしてあたしは…


「誓君。お願いがあるの。」


 切り出した。


『ん?』


「明日…お父さんの車?」


『……』


 あたしの言葉に、誓君は無言。

 …もしかして、変な風に受け取ったかな…


「…ごめんね。こんな事…どうかと思うんだけど…」


『何?』


「あたし…誓君がどんなに立派な人か…両親に自慢したくて。」


『……』


「…ごめん…ちょっと違う。」


 あたしは受話器を持ち直すと、小さく深呼吸をして…


「…両親を見返したくて…」


 正直に言った。


「誓君の事、あたしにはもったいない人だ…って思ってる。」


『何言ってるんだよ。』


「本当よ?本当に…こんなあたしの事、好きになってくれただけじゃなくて…結婚しようって言ってくれるなんて…」


『それは…僕だって。』


「…なのに、誓君を利用するみたいな事して…ごめん…」


 こんな事、打ち明けなきゃいいのかもしれないけど。

 もう…誓君に嘘はつきたくなかった。

 あたしのドロドロした部分も…


「それとね…明日車の中で、あたし…色々話すと思う。」


『…うん。』


「それを聞いて、誓君…あたしの事、もし嫌いになったら…実家に行くまでに引き返してもいいんだからね?」


 誓君と話しながらも、あたしは両親の事が頭から離れなかった。

 あたしは、あの情けない両親の娘。

 …せっかく持てたはずの自信が…なくなっていくよう気がした。



『…乃梨子。』


 ふいに、聴いた事がないような…誓君の低い声。


「…え…?」


『今度そんな事言ったら、許さないよ。』


「…えっ?」


『嫌いになんか…なるわけないだろ。』


「……」


 あたしは両手で受話器を握って。

 それを…強く耳に押し当てた。


『乃梨子が話したくなかった事だから…いい内容じゃないのかもしれないのは察してたよ。だけど、だからって…それで乃梨子を嫌いになるわけないだろ?』


「…誓君…」


『僕が好きになったのは、僕の目の前でお弁当を食べて、何をするにも一生懸命な乃梨子だよ。』


「……」


『僕達の事は何も心配しなくていいから。』


「…誓君…」


 嬉しい気持ちと。

 どうしてもっと早く打ち明けなかったんだろう…って後悔と。

 本当に、こんなあたしでいいのかな…って不安と。

 だけど…この人と結婚したい…って夢と。

 この人のために…頑張りたい…って覚悟。


 今、あたしの中に色んな感情が入り乱れて…


『…今から行くから。』


 誓君はそう言うと、電話を切った。


 あたしのために無理させたくないのに。

 誓君は…いつもあたしのために無理をする。

 あたしが…そうさせてる。


 涙がついた受話器を拭いて。

 洗面所に行って顔を洗った。

 だけど…涙は止まらなくて。

 しばらく膝を抱えて泣いてしまってると…


 コンコンコン


 ドアがノックされた。


 涙を拭いてドアを開けたけど…

 赤くなってるはずの目は、ごまかせなくて。


「…バカだなあ。」


 誓君は、苦笑いしながらあたしの頭を抱き寄せた。


 誓君の胸の中で、あたしは…涙を止める事が出来なかった。

 あたしが泣いてる理由なんて、分からないはずの誓君は。

 それでも…あたしの頭を撫でながら、泣き止むのを待ってくれた。


「…ごめん…誓君…風邪ひいちゃう…」


 玄関に立ちっぱなし。

 しかも誓君は隙間風の入るドア側。

 自分の気遣いのなさにますます落ち込んで、あたしは誓君の腕を引いて部屋に中に入りながら…唇を尖らせた。


「…最近、泣いてばかりだね。」


 部屋に入ると、また…誓君はあたしを抱き寄せて頭を撫でてくれた。


「…ごめんなさい…」


「僕が泣かせてるようなもんだよなあ…」


 誓君が溜息をつきながら、あたしの頭に顎を乗せる。


 ああ…なんて事…

 誓君のせいじゃないのに。

 ただ…あたしが…情緒不安定というか…


「明日車の中で話して、僕に嫌われるかもって思った事を話して?」


 頭上から聞こえる優しい声。

 あたしはそれに存分に甘やかされた気分になりながら…


「…うちの両親…」


 小さく…話し始めた。


「うん。」


「…離婚してた…」


「……そっか。」


「おまけに…」


「うん。」


「…結婚したい人が…由緒正しい家の人だ…って言ったら…」


「うん。」


「手の平返したみたいに…毎日留守電が入るようになって…」


「…うん。」


 それは…

 すごく腹が立ったのに。

 あたしは、何度も繰り返し…メッセージを聞いてしまった。


『母さんよ』『父さんだ』って…

 小さな頃、全然あたしを相手にしてくれなかった両親が。

 今更だけど…

 あたしに話しかけてくれてるのが…

 あたしを気にかけてくれてるのが…

 どこかで嬉しかったのかもしれない。

 たとえそれが、誓君という…お金持ちに釣られたのだとしても。


 あたしがそれを正直に打ち明けると、誓君はあたしの両肩に手を掛けて。


「聞いても全然嫌いにならない。むしろ話してくれて嬉しい。」


 すごく…嬉しそうな顔で言ってくれた。


「…嬉しい…?でも…誓君の事…」


「ダシに使ったみたいでバツが悪い?」


「…うん…」


「全然。使えるものは使えばいいんだよ。」


「……」


 あたしは…納得いかないのに。

 誓君は笑顔で。

 あたしの頬を撫でて、軽くチュッとキスをして。


「話してくれてありがとう。」


 また…あたしを抱きしめた。


 そして…


「一つ…謝らなきゃいけない事が。」


 誓君は、声のトーンを落とした。


「…何?」


「明日、家の前に横付けする予定の車…」


「うん…」


「父さんの、借りなかった。」


 もう、そんなのどうでも良かった。

 むしろ…見栄を張ろうとした自分が恥ずかしくなった。


「いいの…電車でゆっくり行くのも楽しいよ…きっと。」


 あたしがそう言うと。


「…車、買ったんだ。」


 誓君が、小声で言った。


「え?」


「僕としては、小さな車の方がいいなって思ってたし…」


「…うん。あたしも思ってた。」


「ほんと?」


「うん。距離が近いし…手も繋げちゃうかなあ…なんて。」


 二人で顔を見合わせて笑った。

 笑って…キスをした。

 あんなに嫌だった実家訪問が…軽い気持ちで行ける気がした。



 誓君の力って…本当大きい。

 あたしも、誓君のために…頑張らなきゃ。




 翌朝…少しのんびりと起きて。

 夕べお風呂に入れなかった誓君は、朝風呂をした。

 あたしは泣いて腫れた目を何とか元に戻すべく…蒸しタオルを駆使した。


 朝食とも昼食ともとれる時間の食事を済ませて。

 お互い…余所行きな格好に着替えた。



「そのスーツ初めて見る。」


「うん。まだ新しい。乃梨子も、そのコート初めて。」


「うん…初めて着る。」


 いつかのデートのために…って買ってたコート。

 それがまさか…彼氏を紹介する日に着る事になるなんて。



 どんな車を買ったかは聞かなかった。

 聞いても分からないし。

 でも、小さな車だと聞いてたから、漠然と軽自動車かと思ってた…んだけど…



「……」


 今回も管理人さんの駐車場を借りてた誓君が、管理人さんにお土産の菓子折りを渡してる間。

 あたしは…呆然とその車を眺めた。


 左ハンドル…

 た…確かに…お父さんの車と比べると、座席は二つしかないし、小さいけど…

 これ、BMWの…スポーツカーってやつ…?



「お待たせ。」


 戻って来た誓君は、あたしが呆然としてるのを見て。


「…気に入らない?」


 眉間にしわを寄せた。


「いいいや…そうじゃなくて…これ…」


「何でも良かったんだけど、義兄さんに聞いたらこれがいいって言うから…」


「…た…高かったでしょ…?」


「あっ、結婚費用とか新婚旅行の費用とは別にして考えて買ったから大丈夫。」


「……」


 だ…大丈夫…って…

 金銭感覚が違うんだろうか。

 それとも、あたしが思ってる以上に…桐生院家は相当なお金持ちで。

 誓君自体も…すごいお金持ちなんだろうか。


 数少ないデートは、どれも庶民的だったから…深く考えなかった。

 …お父さん社長さんだし。

 義兄さんもお姉さんも、有名な人。

 …誓君だって…

 生徒さんがたくさんいる、華道の先生…



「さ、乃梨子。乗って。」


「……」


 ちょっと頭がパニックになりかけてたけど。

 乗ってみると…何だかすごくカッコいい車で。


「…すごい…」


 誓君との距離も…前より近くて、嬉しくなった。


「良かった。笑ってくれた。」


「…軽自動車かと思ってたから、ちょっとビックリしちゃった。」


「ごめん。僕も見栄張りたかったんだ。」


「……」


 その言葉に、何だか…肩の力が抜けた。

 誓君にも、そんな所があるんだ…って。

 いつもあたしばかりが気の利かない、見栄っ張り人間みたいに思えて…少し落ち込んでたけど。

 …そっか…


 でも…。

 誓君…もしかして、あたしのために買ってくれたのかな…?

 そう思うと、また泣いてしまいそうなあたしがいた。


 でも…今は泣かない。


「さ、出発するよ。」


「…うん。お願いします。」



 今日は、存分に…見せ付けてやる…!!

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