第38話 翌朝…誓君は、あたしの部屋から仕事に行った。

 翌朝…誓君は、あたしの部屋から仕事に行った。


「ごめんね…朝ご飯、用意出来なくて…」


 まさかの展開だったから…冷蔵庫に何もなかった。

 今日ほど自分の節約ぶりを恨めしく思った事はない。

 いっぱいじゃなくても、せめて開けた時に食料が入ってる冷蔵庫にしなくては。


「大丈夫。急に来た僕が悪いんだから、気にしないで。」


「……」


 玄関を出ようとする誓君に、後ろからギュッと抱き着く。


「乃梨子?」


「…あのね…」


「うん?」


「あたしと両親…もう八年会ってないから…何となく分かるとは思うけど…」


 誓君の背中に、小さく話しかける。


「あまり…仲が良くないって言うか…」


 ああ…

 こんな事話すの、嫌だな…

 でも打ち明けとかなきゃ…


「両親、子供がいらなかったみたいで…だからあたし、小さな頃からちょっと…邪険にされてた所があって…それで桜花の寮生になったの。」


「…早く家を出たかったって事?」


「…出たかった…のかな…桜花は親の勧めで決めたから…」


「……」


「親の方が、あたしを出したかった…って言った方が正解なのかも。」


 もはや…自分があの頃どう思ってたかなんて忘れた気がする。

 認めて欲しくて頑張ってた。

 あたしの存在を、あたしという娘を。

 離れてても、『うちの娘は桜花に行った』って自慢できるような子でいれば…って。

 あたしの努力が両親に伝わってるかどうかなんてわからないけど…

 自分のために。と言い聞かせても、きっとあたしは…今も。

 どこかで『親に認められたい』と…思ってる気がする。



「…もしかしたら、お互い言葉が足りなくて…気持ちが行き違いになってるって事もあるのかもしれないよ?」


 誓君が、あたしの手を握って言った。


「気持ちの…行き違い…」


「うちの家族も、そんな所があった。だから僕は…乃梨子と結婚したら、そんな事にならないよう…」


 握られた手が離されて、あ…って少し寂しくなると。

 誓君はあたしに向き合って。


「乃梨子。」


 目を見て言った。


「…はい…」


「ずっと言えなかった事、話してくれてありがとう。」


「……」


「今度からは、言いたくないって思っても…乃梨子が苦しいとか悲しいとか思う事は、出来るだけ話してくれる?」


「そう…そうだよね…ごめん…」


「謝らなくていいんだよ。」


 誓君はあたしをゆっくり抱きしめると、背中をポンポンとしてくれた。


「僕にそんな力があるかどうか分からないけど…乃梨子の苦痛を少しでも和らげてあげられるなら…って。」


「…たぶんあたし…」


「ん?」


「今更気付いたけど…あたし…プライドが高いんだと思う…」


「……」


「だから…こんなの、カッコ悪くて言えない…って…」


 あたしの告白に、誓君は小さく笑いながら『うんうん。みんなそんな事あるよ。』ってつぶやいた。


 そして…


「もっとこうしてたいし、もっと話もしたいけど…行かなきゃ。」


 名残惜しそうに、あたしの髪の毛にキスした。


「はっ…そうだ!!ごめんっ!!」


 あたしは誓君から離れて時計を見て…


「あー!!もう…本当ごめんなさい…」


 慌てた。

 慌てまくった。

 間に合うのかな。



「乃梨子。来週の日曜空いてる?」


「え?うん。」


「そっか…じゃ、僕も何とかする。」


「え?」


「実家に行こう。」


「…え…っ?」


 誓君、今なんて…


「…来週…」


「うん。」


「そ…そんな急に…?誓君、仕事だって…」


「今日仕事に行って、来週の分をどこかにずらすように段取りして来る。」


「…で…できるの?」


「僕達の将来がかかってるんだ。どうにかしてくる。」


「……」


「お昼に電話するよ。」


「……」


「一応、ご両親の予定も聞いておいてもらえる?」


「…お昼までに?」


「できれば。」


「……」


「じゃ、行ってきます。」


 あたしは…

 手を振って出て行く誓君に『いってらっしゃい』も言えなかった。


 それほど…あまりの急な提案に…

 呆然とするだけだった。





 あたしは…かれこれ二時間。

 電話の前で狼狽えていた。

 実家に電話をして、来週の日曜の予定を聞く。

 ただそれだけ。

 ただ、それだけ。よ。


 なのに…それが出来ないのは…

 その先に、誓君と実家に行く。って行動が待ってる事や。

 両親があたしの結婚について…どう思うのか。

 それが怖かった。



「……」


 ホワイトボードの写真を見つめる。

 早乙女君に撮ってもらった写真。


 …誓君は、優しい。

 いつだって、あたしの気持ちに先回りしてくれる。



 …何なの、乃梨子。

 誰だって、色んな事を抱えて生きてる。

 あたしは両親とは疎遠だけど…それは暴力を振るわれたとか、育児放棄されてた(それに近いかもしれないけど、生きるために必要な環境は与えられてた)とか…最悪な理由が原因じゃない。

 あたしにも歩み寄りが足りなかったんだ。


 夏休みに帰る事も出来たのに。

 近況報告の一つもしなかった。

 両親の身体の心配もしてない。

 向こうから連絡がなくても…あたしからしたって良かったのに。

 結局、あたしは両親と同じ。



 …怖がらなくていい。

 同じ、血だ。



 あたしは息を吸って、実家の電話番号を押した。

 今日は日曜だし…家にいるかな…



『はい、塚田工務店です。』


 ん?


 コール二回で出た女性の声が、そう言った。


 塚田…工務店…?



 昔々、大手ハウスメーカーで働いてた両親は、自分達で事務所を立ち上げて輸入雑貨も扱う店を始めたけど…

 それは『リビングTSUKADA』って名前で…

 あの田舎では、ちょっと浮く存在だった…けど…

 塚田工務店…?



『もしもし?』


「あ…あの、すみません…えっと…」


 母が出るとばかり思ってたのに。

 この人、誰だろう。


「塚田といいますけど…」


 どうしよう。

 母はいますか。って言っていいのかな…


「社長…さん、いらっしゃいますか?」


 結局、しどろもどろとそんな風に言ってしまうと。


『少々お待ちください。』


 はああああああああああ…


 受話器から聞こえて来るオルゴールは、前と違ってた。

 何だか…色々変わったんだな…

 息を整えながら待ってると。


『もしもし、お電話代わりました。塚田です。』


 すごくすごく久しぶりの、父さんの声。


「あ…父さん?乃梨子です。」


『…え?』


「…乃梨子です…」


『あー…ああ…乃梨子か!!いくつになった!?』


 …えっ?

 何、この…妙に高いテンション…


「えっと…23です…」


『そうか。で、今日はどうした?』


「…来週の日曜、父さんも母さんも家にいる?」


『んー…ちょっと待てよ。』


 父さんは受話器を押さえると『あっちで取るから』とかなんとか言って、またオルゴールが聞こえて来た。


 …何なんだろ…


 しばらく待ってると。


『もしもし。』


「…はい。」


 父さんはさっきと違って…困ったような声。


『千恵美に何も聞いてないのか?』


 千恵美。

 ああ…お母さんの名前か。

 久しぶりに聞いた。なんて思った。

 だけどそれは、嫌な予感がしたせいでの現実逃避にも思えた。


「何も聞いてないけど…」


『……』


 父さんは『ん~』とか『あ~』とか小さく唸った後。


『…離婚したんだ。』


 早口に言った。


「…は…?」


 え…え?


 離婚!?


「い…いつ?」


『うーん…二年前か。』


「……」


 どうして…って言おうとして、やめた。

 あたしが聞きたいのは、どうして離婚したか。じゃなくて…

 どうして教えてくれなかったか。だし…

 聞いたところで、ガッカリする返事しかないはず。



「…お父さん、工務店って…」


 あたしは、電話をかけた時の違和感についてを問いかけた。


『ああ。五年前からな。』


「家で?」


『ああ。改築して。』


 じゃあ…あたしが電話した三年前には、もうそうだった…と。

 どうして教えてくれなかったんだろう…



「…お母さんは?」


 離婚したと言っても…両親はあたしがいた時も、夫婦と言うより同志って感じだった。

 もしかしたら、離婚しても一緒に働いているのかもしれない。

 そう思って問いかけると…

 父さんは少し溜息をついて。


『あいつは…下請けの男とデキて、出て行った。』


 低い声でそう言った。


「そ…そうなの…」


 ああ…どうしたらいいの…


『来週何かあるのか?』


「…実はあたし…結婚したいと思ってる人がいて…」


『すればいいじゃないか。』


「……」


 まあ…予想はしてたけど。

 あまりにもその通り過ぎて、ちょっと笑ってしまいそうになった。


「…その人が両親に挨拶をって…」


『別にしなくていい。おまえは一人で立派に生きて来たんだろ?結婚も好きにすればいい。』


「……」


『相手の男にも、面倒な事は省いていいと言われたって言えばいい。』


「……」


 さすがのあたしも…切れそうになった。


 三年前に電話をした時、話したのは母さんだけ。

 父さんと話したのは…八年前…

 だけど、それも挨拶ぐらいのもんだった気がする。


 元々会話の少ない親子だった。

 だから…離婚を知らされなかった事については、そんなもんか。と思えるあたしがいる。


 だけど。

 だけどね?

 結婚よ?

 それについて…あたしに『面倒だから』って言うだけで済むならいい。

 だけど…『相手の男にも面倒な事は省いていい』って…

 …誓君は忙しい人なのに。

 時間を作って、あたしの…人間味の全然ない両親に会おうとしてくれてるのに。



 受話器を握る手が、わなわなと震えた。

 こんなに腹が立ったのは…生まれて初めてだ。



『こっちに戻っても、おまえの荷物ももうないし…俺にそんな報告をされた所でな』


「行くから。」


『…は?』


 気が付いたら、父さんの言葉を遮ってまで口走ってた。


「来週の日曜、行くから。母さんにも連絡とって、並んで待ってて。」


『なっ何言ってる!!』


「あたしのお相手、由緒正しいおうちの方なの。失礼のないようにお願いね。」


『えっ!?なんでそんな人とおま』


 プツッ


 あたしは途中で電話を切った。



 どこまでも自分本位な両親に腹が立った。

 腹が立ったけど…


「…おかげで吹っ切れた…」


 ホワイトボードに貼ったままの、誓君との写真を手にする。

 あたしと誓君は笑顔だ。

 それを見ながら深呼吸をして…怒りを鎮めた。



 …絶対…

 絶対幸せになって…


 見返してやる…!!

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