第37話 誓君と会う段取りがついたのは

 誓君と会う段取りがついたのは、早乙女君に結婚式の招待状をもらって一ヶ月経った頃だった。


 お互い忙しくて、電話もままならない。

 そんな中、やっと明日会える事になった。

 本当に久しぶりだから…

 あたしはすごく待ち焦がれてたし、楽しみにしてた。


 だけど…



「…え?ダメ…?」


『ごめん。おばあちゃまの体調が悪くて、代わりに僕が行かなきゃいけなくなったんだ。』


「……」


『本当にごめん。でも、絶対時間作るから。』


 あたしは日曜日しか休みがない。

 だけど誓君は日曜日こそ忙しくて…

 最後に会ったのはいつだったかな。

 最後に抱きしめられたのはいつだったかな。

 誓君はどんな服着てたっけ。


 そんな事が頭の中をぐるぐる回って、電話の向こうで誓君が謝ってるのに…あたしは言葉が出て来なかった。



『乃梨子?』


「……」


『…今から行っていい?』


「……えっ?」


 急に、言葉が入って来た。


『今から、乃梨子の部屋、行っていい?』


「今からって…」


 あたしは時計を見る。

 もう日付が変わる。


「そんなことしてたら…誓君、明日の仕事…」


『乃梨子の所から行くように支度して行く。』


「…誓君…」


 誓君は、じゃあね。って電話を切った。


 あたしは受話器を持ったまま座り込んで…ハッと我に戻った。

 おばあさんの体調が悪いのに、心配する言葉もかけなかった。

 おまけに…自分だけが残念な気持ちになってしまって…

 誓君だって同じ気持ちでいてくれるはずなのに。

 まるであたしだけが。って…



 情けなくなって、涙が出てしまった。

 あたし…こんなに思いやりのない人間だったのかな。

 仕事が忙しくて、それは充実してるとも思えてたはずなのに。


 会いたい時に会えない恋人。

 それは…そんな人は世の中にはたくさんいて。

 誰もがそんな気持ちを我慢したり、上手くやり過ごしてるはずなのに。



「……」


 涙を拭いて部屋を見渡す。


 どうせ休みの日も誓君には会えない。

 そう思って、今までの休日は…仕事の疲れをとるためにも寝て過ごしてた。

 もう…どれぐらい掃除してないだろ…


 こんな小さな部屋の掃除も出来ないぐらい疲れてた?

 …あたし、充実してる。って思い込んでたのかも。

 すごく…すごく疲れてたんだ。

 そして…すごく、寂しかったんだ。

 その寂しさに気付かないようにするために…必死で働いて…



 掃除機こそかけられないけど、あたしは少しだけ窓を開けて簡単に掃除をした。

 誓君がここに来るのもすごく久しぶりなのに、何年も変わり映えのない部屋。


「……」


 あたしは引き出しから卒業式に一緒に撮った写真を出すと、電話の上にかけてるホワイトボードにマグネットで貼った…けど。

 何だか可愛くない…と思って、目を細めて眺めた。


 ああ…なんであたし、写真立てとか…オシャレなコルクボードとか持ってないの…!!

 そう思ってると…


 コンコンコン


 ドアがノックされた。


「…誓君?」


『うん。』


 思ったよりずっと早い到着に驚きながら、あたしはドアノブに手を掛けた。


 ああ…どうしよう。

 顔見たら泣きそうだ。

 あたし、早乙女君に会ってからこっち…ずっと不安定な気がする。

 玄関先で抱き着いてしまうかもしれない。


 そんな事を考えながらドアを開けると…


「乃梨子…」


「えっ…」


 あたしが動くより先に。

 誓君が…あたしをギュッと抱きしめた。



「会いたかった。」


 耳元でそう言われたあたしは…


「……誓君…。」


 誓君の胸に顔を埋めて…泣いてしまった。

 自分だけが会いたがってたみたいに思えてた。

 我慢してるのは誓君だって同じだったのに。


 ごめんね。

 ごめん…


 そう思いながら、誓君の背中に手を回す。


「もっと早くこうすれば良かった。」


 あたしの頭を撫でながら、誓君が言った。


「こ…すれば…?」


 涙で声がかすれてしまう。


「夜来て泊まって、乃梨子んちから仕事に行くって。」


「……おうち、大丈夫なの?」


 何となく…これはおばあさんの機嫌を損ねるのでは…と心配になって問いかけると。


「毎日じゃなければ大丈夫だよ。乃梨子に気を遣わせるのも嫌だし…乃梨子の休みの前の日だけでも。」


 ああ…

 誓君、どこまであたしの事気遣ってくれるんだろ。

 あたしなんて…


「…ごめんね…」


 涙が止まらなくて。

 誓君のシャツを濡らしてしまうって分かってるけど。

 あたしは抱きしめられたまま…しばらく泣いてしまった。



 あたしの涙が落ち着いた所で…誓君はあたしをゆっくり部屋に座らせると。


「何か不安に思う事があった?」


 あたしの顔を覗き込んで言った。


「…え?」


 どうして分かるの!?

 あたし…心の声出してないよね!?


「最近の電話、無言になる事が多かったから。」


「あ…」


「もしかしたら…こんなに会えない彼氏なんて要らないって言われるんじゃないかって…」


「そんな!!」


 深夜なのに大声を出してしまって。

 あたしは慌てて両手で口を塞いだ。


「…そんな事…絶対ない。会えないのは寂しいけど…でも…要らないなんて…」


「ごめん…変な事言って。」


 誓君は小さく溜息をついて、あたしの頭を抱きしめた。


「…僕は…毎日一緒にいたいって思ってるよ。」


「誓君…あたしだって…」


「…乃梨子。」


「…?」


 誓君はあたしから体を離すと、両肩に手を掛けて…向かい合った。


「…結婚…して欲しい。」


「…誓君…」


「できたら来年。」


「……」


 結婚…

 それは、すごく嬉しい。

 誓君と結婚。

 跳び上がって喜びたい。


 だけど…

 実際問題…

 あたしは就職したばかりで、今…忙しいけど仕事が楽しい。

 来年結婚するとなると…準備で時間が必要になる。


 …あたし達、お互いそんな時間が取れるのかな…


 それに……両親に…



「トモに感化されたとかじゃないよ?」


 あたしがなかなか返事をしなかったからか、誓君は苦笑いしながら言った。


「あっ…そっそんな事思ってないよ?ただ…」


「ただ?」


「…そうすると、色々準備が必要でしょ?」


「うん。」


「そんな時間が…取れるのかなって…」


「……」


 あたしの言葉に誓君はゆっくりとあたしを抱き寄せて。


「乃梨子は…まだ結婚したくない?」


 耳元で言った。


「ううん…結婚したい…」


 うん。

 すごく結婚したい。

 気持ちだけを言ってしまえばそうだ。

 だけど…


「準備する時間を作るためにも、ちゃんと決めよう。」


 誓君の言葉にハッとした。


 そうだ…色々考えてしまってるけど、そんなの言ってたら先に進めない。

 子供だって…三人ぐらい欲しいし…

 そうしたら、結婚も早くした方がいいはず。



「ちなみにさ…」


「ん…?」


「僕との事、ご両親には?」


「……」


 …しまった。

 大問題があった。


「…明日…電話してみる。」


「ははっ…全然話してなかったんだ?」


「ごめん…結局…ずっと会ってないし…」


 ああ…何だか苦しい。

 早乙女君にはサラッと打ち明けたのに。


「この機会に、一緒に実家に行こう。」


 耳元で聞こえたその言葉に。

 あたしは目を見開いて誓君から離れた。


「い…いいいいい一緒に…?」


「うん。」


「…あたしの…実家に?」


「うん。だって結婚だよ?」


「……そ…そうですよね…」


 頭の中がちょっとばかりパニックで。

 あたしは立ち上がると。


「え…えっと…両親に会うって事は…えー…」


 つい…意味もなくウロウロと歩き回ってしまった。

 それだけ…あたしは両親に会うのが…


「乃梨子、落ち着いて。」


 ふいに腕を掴まれて…誓君の腕に引き寄せられる。


「ごめんごめん。焦り過ぎた。」


「…え?」


「今は…キスしたい。」


「…え…っ?」


 誓君は小さく笑って、あたしの頬を撫でたかと思うと…優しくキスした。


 あー……

 キスも久しぶりだし…

 何より…


「会いたかったよ。」


 あたしを落ち着かせようとしてくれたんだ…って分かって。

 誓君の優しさに…また泣きそうになった…。

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