第36話 春が来て…

 春が来て…

 あたし達三人は大学を卒業した。


 早乙女君とは、あの桐生院家以降…会う事もなければ見掛ける事もなかった。

 あたしは就職して仕事を覚える事に必死で。

 誓君との時間も思うようには取れなかったけど…

 それでも充実しているように思えた。


 レストランで皿洗いしかしていなかったあたしが。

 クリエイティブな仕事をしてるなんて。



 気が付いたら秋になってて。

 今年の夏こそ海に行こうって言ってたのに行けなかったなあ…って気付いたのは。

 日焼けの後がついた背中の広告を見た時だった。


 まあ…水着になる自信なんてないから、海は夏じゃなくてもいいんだけど。



 就職して半年。

 両親とは…八年会ってない。

 里帰りもしていない。

 電話もしない。

 もう…乃梨子という娘は、あの家にはいない。

 あたし自身、そう思ってしまっている。


 だけど…その考えを改めなきゃいけないと思わされる出来事が…起きた。



「よ。久しぶり。」


 それは突然だった。

 留守電に、早乙女君からのメッセージ。


『早乙女です。話したい事があるから、帰ったら連絡して。』


 いつも帰るのが遅いあたしは…その日の留守電には応えられなかった。

 すると…翌日も。


『早乙女です。どれだけ遅くなってもいいから、電話して。』


 あたしの帰宅が遅いのを察してくれたのか。

 そう…メッセージが入ってた。



「悪いな。昼休みに。」


「ううん。」



 夕べ、日付が変わる少し前に電話をかけると。


『明日の昼休みに会えねーかな。』


 そう言われた。


 早く眠りたかったのも手伝って…


「分かった。」


 あたしはすんなりと…約束をしてしまった。



「話したい事って?」


 待ち合わせた喫茶店。


「ん。」


 早乙女君は、あたしに一枚の封筒を差し出した。


「何?」


 すごく立派な白い封筒に『塚田乃梨子様』って達筆。

 まるで自分の名前じゃないみたい…

 裏を見ると…


「……」


「結婚式、来てくれよ。」


「…早乙女君。結婚…」


「本当なら、もっと早くするはずだったんだけどな。」


「早乙女君。」


「のいちゃんは?まだしねーの?」


「早乙女君!!」


「……んだよ。」


 つい…大声を出してしまって。

 周りのお客さんから注目されてしまった。


「もー、俺の名前がバレバレじゃねーか。」


「…ごめん…」


「…大丈夫。吹っ切ったから。」


「……」


 あの日…桐生院家で。

 早乙女君は…心を寄せている『桐生院さくら』さんに。

『麗ちゃんの事が忘れられない』と言って…泣きついた。


 …そりゃあ…

 本人に…好きとは言えないよね…


 でも…



「…いいの?相手の人の事…好きになれるの?」


「超絶美人なんだぜ?」


 早乙女君はニヤニヤしながら、斜に構えてそう言った。


「あ、そ。」


「おまえこそ、自分の心配しろよ?」


「え?」


「誓と結婚するなら、身辺整理っつーか…ま、のいちゃんの悪い噂なんて聞いた事ねーから心配ないとは思うけど。」


「…どういう事?」


「普通、うちみたいな家柄の結婚っつったら。」


「…つったら…?」


「実家とか親戚とか、そういうの調べられるんじゃねーの?」


「……」


 さーっと。

 あたしの顔から血の気が引いた。


「…あれ。何。何かやべー事でもあんの。」


「……」


「おーい。」


「……」


「のいちゃーん。」


 あたしは、回らない頭をフル回転させようとしたけど…

 フル回転させた所で…何かが変わるわけじゃない。


「…お…お金持ちじゃないけど、両親は輸入雑貨を扱う商売をしてて…」


「ふーん。なら、いんじゃね?」


「は…」


「は?」


「…八年…」


「ん?何が。」


「会って…ない…」


「……」


 カレーを食べかけてた早乙女君が、口に持って行きかけてたスプーンを降ろした。


「…親と八年会ってない…?」


「…(コクコク)」


「それ…なんで。」


「……」


 あたしは…今までなら何かが邪魔して言えなかった事実を…


「…あたしの親…子供欲しくなかったみたいで。」


「……」


「だから…高等部から桜花を勧められて…」


「…桜花に入ってから一度も会ってねーって事?」


「…うん。」


「……」


 早乙女君が無言になった。

 いつも気を使ってくれてるのか、はたまた喋るのが好きなのか分からないけど…

 あたしの顔見たら嫌味言ったり適度に言葉を吐き出す人が喋らないと…不安になる。



「…ま、誓なら何とかするか…」


 あたしが少しヒヤヒヤしてる所に、早乙女君は溜息をつきながらそう言って。

 カレーをパクパクと食べ始めた。


「…何とかできる事なのかな…」


「桐生院は、うちほど厳しくはないと思うから。」


 …そう考えると…

 誓君のお姉さんの結婚はどうだったんだろう。

 義兄さんって…言葉遣いも悪いし…

 有名人だから許されたのかな。


 …って…

 お姉さんと誓君じゃ…全然違うよね。


 …やっぱり…大変な気がしてきた…



「でも…早乙女君ち、お兄さんはギタリストになってるのに…?」


 あたしもスプーンを手に、オムライスを食べ始める。


「…俺と兄貴はさ、父親が違うんだよ。」


「……」


 スプーンを口に入れたまま、早乙女君を見つめた。


 早乙女君は視線をカレーに落としたまま。


「兄貴の父親は有名なギタリストで、うちの母親、駆け落ち寸前だったのに…家の事を思って着いてくのやめたんだってさ。」


「…それ…お母さんが?」


「まさか。でも当時すげー噂になったらしいからな…名家のゴシップなんて根強く残って、面白半分に教えてくれる輩が何人かはいるもんなんだよ。」


「え…っ?それ、いつ知ったの…?」


「ガキの頃だよ。」


「…確かな話なの?」


「ああ。」


 …それにしても…!!

 子供にそんな事を教えるなんて!!


「駆け落ちはやめたものの、腹の中には兄貴が出来てて。俺から言わせたら…その出産をばーさまがよく許したなって思うけどさ。」


「……」


「で、兄貴が産まれた。で、母親は見合いをして…結婚した。」


「…その方が、早乙女君のお父さん?」


「ああ。兄貴がいる事を知ってて婿養子になった。」


「すごいね…」


「ほんとなー…。だから、いくら腕が良くても…兄貴が継いでたら、早乙女にはずっと母親を傷付ける噂が付きまとう事になったからな。」


「……」


 早乙女君…

 お兄さんの夢だけのためじゃない…

 お母さんの事も守るために…



「兄貴がすげー嫌な奴だったら良かったのに。って何度も思ったな。」


「…いいお兄さんだよね…」


「そ。マジで…すげー優しくて面倒見のいい兄貴。」


 本心なんだろうなと思った。

 あたしは一度しか会った事ないけど、なんて言うか…独特の雰囲気を持った人。



「…好きな人の事は…本当にいいの?」


 思い出したようにそう言ってしまうと、早乙女君は水をゴクゴクと飲んで。


「やっぱ気付いた?」


 少しバツの悪そうな顔。


「…うん。」


「気付くよなー。あの時二人きりになりたかったのに、おまえが居座るから…つい言っちまったし。」


 早乙女君は大げさに両手で顔をこすると。


「夏に、会いに行ったんだ。」


 あたしの目を見て、真顔で言った。


「…一人で?」


詩生しおその連れて。」


 それは、早乙女君の甥っ子達。


「未練がましいって思ってんだろ。」


「そ…そんな事ないよ。」


「…ま、自分でも思ったけどな。」


「……」


「すげー楽しかったんだ。」


 それから早乙女君は…

 この夏、誓君のお母さんと、子供達を連れて公園に行って。

 セミの抜け殻を集めたり、めったに出会えないはずのカブトムシを見付けて大騒ぎしたり。

 川でメダカをとったりした…と、楽しそうに話した。


 たった数時間で、長い夢をみたような気分になった…と。



「…いつから好きだったの?」


 食後のコーヒーを飲みながら問いかけると。


「初めて会った時に一目惚れした。」


「…一目惚れ…」


 確かに…誓君のお母さんは若いけど…

 それでも…40歳は過ぎてる…。


「さくらさん、飛んでるセミを捕まえてさ。」


「えっ。」


「ぶっ飛んでるだろ?」


「う…うん…」


 元気なお母さんだけど、まさかそんな事を!?


「あの姿、今でも忘れらんねー。」


 頬杖をついてそう言った早乙女君は、思い出を見つめてるのか…遠い目をしてる。


「おまえ、誓に言うなよ?」


「い…言えないよ。」


「ならいいけどさ。心の声も出すなよ?」


「最近は全然出してない。」


「ほんとかよ。」



 早乙女君とは、それで別れた。

 結婚式は1月。

『誓と一緒に出席して』と言われた。



 手を振る早乙女君を見送って。

 無性に誓君に会いたくなった。




 すごくすごく…


 会いたくなった。

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