第35話 幸い…

 〇塚田乃梨子


 幸い…

 早乙女君が言った『どんな態度をとっても変な顔しないでくれ』の『どんな態度』は発動していない。はず。


 …いったい…何なんだろう。



「乃梨子、晩御飯食べてお帰りって。」


 あたしがそろそろ帰ろうかな…って時計を見てると、ちかし君が言った。


「え…えっ?でも晩御飯まで、まだ…」


 今、時計の針は三時半。

 産後間もない麗ちゃんの体調も気になるし…

 一時間半だって長居だって思ってたのに。



 気が付くと麗ちゃんはいなくて。

 あたしは華月ちゃんを膝に抱えて、一緒にテレビを見てる。



「そうよそうよ。食べて帰って?時間はあるんでしょ?」


 ふいにお姉さんが隣に座ってそう言って…

 あたしは少しだけ背筋を伸ばして。


「あ…でも…麗ちゃん、まだ産後間もないし…」


 小声でそう言うと。


「今部屋で休んでるけど、麗が言ったの。乃梨子ちゃんに晩御飯食べて帰るように言って。って。」


 信じられない言葉が返って来た。


「……え?」


「嬉しかったみたい。」


「え…えっ…でも、あの水族館での笑顔は本当に…」


「ううん。『麗ちゃん』って呼ばれた事。」


「あ。」


 しまった!!

 あたし、親しくもないのに!!

 口に出して言ってしまってたなんてーーー!!


 …って…


「え…?嬉しかった…?」


「笑顔の事も嬉しかったと思うよ。」


 お姉さんの反対側で、誓君も言った。


「麗、女子からは嫌味しか言われてなかったと思うから。」


「……」


「晩御飯には起きて来るから、まだいてやって?」


「…はい…」


 何だか…心の中に、ポッ…と灯りがついたと言うか…

 不思議な気分だった。



 お姉さんが買い出しに行って来ると言うと、誓君が車を出すって言って。

 あたしは子守に徹する事にした。


 麗ちゃんの旦那さんは、家に紅美ちゃんを連れて帰って。

 あたしはテレビの前に子供達(双子ちゃん、聖君、華月ちゃん)と並んで、最近みんなのお気に入りだという外国のアニメを見始めた。


 …が。


「…英語?」


「Yes!!」


 途端に英語を喋り始める四人。


 …え?え?

 す…すごい…

 桐生院家…



 ふと。

 早乙女君がいない事に気付いた。

 もしや…麗ちゃんの寝こみを襲ってるとか…じゃないよね…!?


 不安になったあたしは。


「…ちょっとおトイレ行ってくるね?みんなでテレビ見ててね?」


 四人にそう言うと、大部屋を出た。



 麗ちゃんの部屋は…二階なのかな…

 それとも『中の間』って所で寝てるのかな…


 あたしが忍び足で廊下を歩いてると…


「……」


 裏庭に。

 早乙女君発見。

 だけど…何だか…見てはいけない光景を見てる気がする…

 とは思いつつ、なぜか今まであまり持ち備えてなかった好奇心が発動した。


 あたしは体勢を低くして、少しだけ開いてる窓に耳を傾ける。



「麗ちゃんが幸せそうで良かったです。」


 早乙女君は、笑顔でそう言った。


「今日はお祝いありがとう♡」


 誓君のお母さんも笑顔で答えると…


「…実は俺、麗ちゃんの事…忘れられなくて…」


 早乙女君の告白が始まってしまった…‼︎



 えええええええええ!?

 早乙女君!!

 それ、麗ちゃんのお母さんに言っちゃうー!?


 しゃがみ込んだまま、あたしは気が気じゃなかった。


 だって…

 だって!!



「そ…そうだったの…」


 お母さんは何だか切なそうな声で。


「もしかしてそれで…?ちょくちょく麗に会いに来てくれてたの?」


「…はい…」


 えー!?

 ちょくちょく会いに来てた!?

 いつ!?

 いつの間に!?


 …はっ…

 そう言えば。

 あのスリーショット…


 あたしは頭の中で、食堂で見せてもらった写真を思い返す。


 聖君と華月ちゃんと詩生君のスリーショット。

 誓君は、どの写真もサラッと見てたから気付かなかったかもしれないけど…

 あたしは、あの写真を穴が開くほど見た。


 お兄さんが詩生しお君を抱っこした写真とは、服が違ってたから同じ日じゃない。

 あのスリーショットは…桐生院家で撮られたもの。

 三人が座ってたのは、きっと広縁。

 早乙女君…もしかして、詩生君を連れて遊びに来てたの!?



「そっか…それは…辛いね。」


「…でも、幸せそうだからいいんです。」


「トモ君、絶対モテるはずなのに…もしかして、それで彼女作らなかったの?」


 お母さんの問いかけに、早乙女君は少しはにかんだような顔をして。


「どうしても…比べちゃうんですよね。」


 そう言った。


 …そりゃあ…麗ちゃんと誰かを比べたりしたら…

 勝ち目のある人なんていないよー!!



「…どうしてあたしに?」


 お母さんが首を傾げて問いかける。


 確かに!!

 何でお母さんに告白したの!!


「実は俺…」


「うん。」


「…結婚するんです。」


「…えっ?」


 えっ!?



 危なかった。

 つい…声を出してしまう所だった。


 あたしは両手で口を塞いで。

 ドキドキしながら…覗き見を続けた。



「結婚って…もしかして、トモ君には許婚がいたの?」


「いえ、許嫁じゃありませんが…由緒正しい家のお嬢さんです。」


「トモ君…」


「それで…どうしても麗ちゃんの事、諦めなきゃいけないと思って…」


「……」


 早乙女君は…泣きそうな声だった。

 それは、あたしまでもが泣いてしまいそうになるぐらい…切なかった。


 いつもふざけてて。

 あたしと誓君にちょっかい出して来る早乙女君。

 なのに今、彼は…すごく苦しそうに…



「…トモ君。」


 お母さんが、早乙女君に優しく抱き着いた。

 抱きしめてあげたいんだろうけど…お母さんはあまり大きな人じゃないし、早乙女君は意外と大きい。

 こう言っては悪いけど、木に止まってるセミみたい。



「トモ君。本当にそれでいいの…?麗とは無理だけど…そんな、家のための結婚なんて…」


 お母さんの言葉に、あたしもつい頷いた。


 そうだよ!!

 家のための結婚なんて!!


「…それが俺の道ですから…」


「でも…」


「兄貴には言わないで下さいね。」


「…トモ君…」


「兄貴が輝いてるのは俺のおかげ。って…ちょっと優越感に浸りたいんで…」


「……」


 お母さんは早乙女君の頬を優しく撫でて。


「トモ君。そんなにいい子にならなくていいんだよ?」


 すごく…優しい声で言った。

 それを聞いた早乙女君は…


「…すみません……俺…」


 とうとう…ポロポロと泣き始めて…

 お母さんの肩に頭を乗せた。



 …あたしは…

 どうしたらいい…?



 早乙女君がお母さんの肩で泣いてると、お母さんが。


「知花達が帰って来たわ。」


 そう言って、早乙女君の頭を撫でた。

 早乙女君は慌ててお母さんから離れると、涙を拭いて。


「…すみませんでした。もう…大丈夫です。ちゃんと、吹っ切ります。」


 無理矢理だけど…笑顔でそう言った。


 …ああ…

 切ないよ~…



 あたしは中腰のまま数歩歩いて、何もなかったかのように大部屋に戻った。


 すると…


「のいちゃん、おといえ、ながかった。」


 いきなり…華月ちゃんにそう言われてしまった。

 華月ちゃんが発してくれた、今日一番の長文が『おトイレ長かった』…


 ああ!!


「そ…そうだったね。ちょっと…長かったかな。」


「えっ、大丈夫?お腹痛かったの?」


 あたしの返事に心配してくれたサクちゃんだけど。


「うっううん!!大丈夫!!お茶が美味しくて…たくさん飲み過ぎたみたい。」


 あたしは慌ててそう言うと、みんなの中に座り込んでテレビを見始めた。



 そうこうしてると…


「乃梨子ちゃん、子守りしてもらってごめんね?」


 誓君とお姉さんが、買い物袋と共に帰宅。


「いえ、おかえりなさい。」


 あたしは立ち上がってキッチンへ。


「ただいま。みんなおとなしかった?」


 誓君はテレビに夢中になってるみんなを見て小さく笑った。


「う…うん。あの、英語の勉強って言うか…すごいね。」


「僕も最初に見せられたアニメは、英語だったなあ。」


 桐生院家…そうですか…。



 …あたしは…

 誓君と話してても。

 子供達と笑ってても。

 さっきの早乙女君の涙が頭から離れなかった。


 …結婚…

 家のための結婚…



 またしばらく子供達とテレビを見てると。


「世貴子さんが里帰り中って言うから連れて来た。」


 麗ちゃんの旦那さん…陸さんが、写真で見た早乙女君のお兄さんを連れて戻って来た。


 あれだけいつもだるそうな華月ちゃんが、ダッシュで駆け寄って。


「しお。」


 早乙女さんの足元で恥ずかしそうにしてた『詩生君』の手を取った。

 そして…


「のいちゃん。」


 あたしを指差して紹介してくれた…!!


「あっ…はははじめまして。塚田乃梨子です。」


 あたしが立ち上がって深々とお辞儀をすると。


「誓君の彼女だっけ?宝智ともちかの兄の早乙女さおとめ千寿せんじゅです。息子の詩生です。」


 早乙女さんは、足元の詩生君を紹介してくれた。


 …早乙女さんって…早乙女君より茶道家元臭強いと思うんだけど…

 どうして茶道よりバンドを選んだんだろう…?



「いただきまーす。」


 結局…

 あの後、義兄さんが帰って来て。

 大部屋では…酒盛りが始まってしまった。



「お手伝いします。」


 キッチンに立たれてるお母さんとお姉さんに声をかけると。


「いいのいいの。乃梨子ちゃんは座って食べて?」


「そうよ。誓と会うのも久しぶりなんでしょ?」


 超笑顔でそう言われて…

 でも…って思ったけど、お言葉に甘える事にした。



 だけど…

 義兄さんと陸さんは、音楽の話をされてて。

 誓君と早乙女君とお兄さんは、茶華道の話。


 …うーん…

 あたし、どちらにも入れない。


 って思ってると…


「食べないの?」


 気が付いたら…誓君とは反対側に、麗ちゃんがいた。


「あ…うっううん。食べる…」


「……」


「……」


 う…うわー…

 何だか気まずい…って言うか…

 緊張する。


 麗ちゃんの正面、早乙女君だし…

 あたしはあたしで、話した事ないのに…お祝いに来ちゃって。

 本人がいて欲しいって言ったみたいだから…いるけど…

 本当に良かったのかなあ…なんて。


 色んな事が気になって、正直…食事どころじゃないあたしに。


「誓達は卒業したら結婚するのか?」


 突然…義兄さんが真顔でそう言った。


「え…えっ?」


 あたしと誓君、同時に身体を強張らせて顔を見合わせた。


「そうよ。もうお付き合いも長いんでしょ?」


 お…お姉さんまでー!!


「長いって言っても…二年だよ?」


 誓君が照れた風に答えると。


「俺は半年で入籍したけどな。」


 義兄さんはビールを飲みながらそう言った。


「は…半年…?」


 さすがに驚き過ぎて口をパクパクさせてしまうと。


「陸と麗なんて…」


「あー!!もう義兄さんうるさい!!やめてやめてやめて!!」


 突然、麗ちゃんが立ち上がって義兄さんに向かって叫んだ。

 その様子を見た陸さんと早乙女さんが『神さんに『うるさい』って言えるの、すげーな』なんて笑ってる。


 …確かに…



「誓が結婚ってなったら、あたしの結婚よりすごくすごく大変な事なんだから。そんなに簡単そうに言わないでよ。」


 その麗ちゃんの言葉に、あたしは心なしか…背筋が凍った気がした。


 今まで、漠然と…

 お互いが好きだから。

 いつかこの人と家族になりたい。

 なんて…簡単に思ってた。


 …そうだよ…

 早乙女君も家のために結婚する。

 だとしたら…

 誓君だって、そうしなきゃいけないような事が…?



 つい息を飲んで誓君を見ると。


「大げさに言ってるだけだよ。」


 誓君はあたしの気持ちを察したのか…小声で笑い交じりに言った。



 結婚の話題は…それで終わった。

 そうこうしてると、日帰り旅行に行かれてたらしいおばあさんがお帰りになって。

 子供達がお土産に群がって。

 疲れてるはずのおばあさんは、早乙女兄弟の姿を見て。


「お茶をたてていただけるかしら。」


 って…和室でお茶会が始まった。



 あたしはそれには行かずに、キッチンで洗い物のお手伝いをする事にした。


「乃梨子ちゃん、いいのにー。」


 お母さんにそう言われたけど。


「いえ、いつもごちそうになってばかりじゃ本当…あたしが気が引けるので。」


 あたしはペコペコと頭を下げながら、食器類をテキパキと洗った。


 バイトで鍛えた腕だ。

 料理は得意じゃないけど、洗い物は完璧。


「何だか、みんな中の間に行ったみたいね。あたし達も覗いてみよっか。」


 気が付いたら、大部屋はもぬけの殻…


「そうですね。」


 あたしはお母さんと和室に向かった。



 義兄さんと陸さんが廊下からその様子を眺めてて。

 あたし達も、その隣に並んで見学する事にした。


 和室では、早乙女兄弟がおばあさんとお姉さんと麗ちゃんと誓君にお茶を振舞うらしく…

 まずは、早乙女兄の方がお茶をたてて。

 それはもう…予想通りと言うか…

 すごく美しい所作で、勝手に和装姿を妄想してしまった。


「すごい…きれい…」


 はっ。

 つい、心の声を発してしまった!!


 和室のみんなの視線があたしに向かって、あたしが小さくなりかけてると…


「お母さんと塚田さんも是非。」


 和室から、そう声がかかった。


 …塚田さん?

 今の声は、早乙女君よね?


「えー、作法分からないけど。」


 あたしの両肩に手を掛けて、お母さんがそう言うと。


「大丈夫ですよ。普通に飲んでくださって結構です。」


 早乙女君、何だか…いつもと違ってキリッとしてるんですけど…



 促されるまま、和室に入る。

 義兄さんと陸さんには?って思ったけど…

 麗ちゃんを好きな早乙女君としては、イヤなのかな…なんて勝手に思った。


 早乙女君がお茶をたて始めて。

 あたしは、少しだけ目を見開いた。

 そこに見えた早乙女君の姿が…全然違って見えたから。


 別人!!

 カッコいいとか、そういうのじゃなくて…

 伝統を守る姿…って…すごい。


「……」


 早乙女君を尊敬すると共に、彼の背負ってる大きな物を哀れんだ。

 好きな女の子がいても…気持ちさえ伝えられない。

 …あたしには納得できないけど、彼は…受け入れようとしてる。



 早乙女君のたてたお茶の味は、あたしにはどう表現していいか分からなかったけど。

 ただ…忘れずにいたいと思った。

 この味を受け継ぐために、彼は…諦める道を選んだ。



「…宝智さん、あなた…素晴らしく成長されましたね。」


 おばあさんがそう言うと。


「ありがとうございます。」


 早乙女君は畳に額がすれるほど…深くお辞儀をした。


「すげーな早乙女兄弟。」


 義兄さんはそう言って拍手したけど。


「千里さん。」


「あ、はいはい…」


 言葉遣いをおばあさんに注意された。



 意外にも、飲み直そうって意見がおばあさんから飛び出して。

 気が変わらない内に…って男性陣が大部屋に向かう中。


「あっ、いいよ。ここはあたしが片付けるから、あっちで飲み直して?」


 片付けようとしてる早乙女兄弟に、お母さんが声を掛けた。


「兄貴、いいよ。俺がやっとくから。」


「そんなわけにはいかない。」


「いや、マジで。俺に任せて。」


「…分かった。」


 根負けしたお兄さんが大部屋に向かって。

 ここには早乙女君とあたしとお母さん…


「……」


 チラリ。と…早乙女君があたしを見る。


 ん?


「のいちゃん、ここは俺がやるから、誓んとこ行って。」


「え?あ…ううん。手伝うよ。」


「いいから。」


「……」


 何なら少し『しっしっ』って感じの言い方にムッとする。

 そして少しイライラした風な早乙女君は…あたしの耳元で言った。


「…気を利かせろよ…」


「……」


「早くあっち行け。」


「……」


 気を利かせろ?


「分かんだろ?」


「……」


 よく分からないけど…


「じゃあ…あたしあっちに…」


 恐縮ながら、お母さんにそう言うと。


「うん。のんびりしてて?」


 笑顔が返って来て…ああ…申し訳ないな…って。


 大部屋に向かいながら、和室を振り返る。

 するとそこには…


「……」


 お母さんの後ろ姿を…

 熱い目で見つめてる早乙女君…




「……え?」




『気を利かせろよ』





「…は…っ!!」






 早乙女君の好きな人って…







 お母さんーーーーーー!?

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