第34話 翌日…

 〇塚田乃梨子


 翌日…あたしはいつもより少し早く目が覚めた。


 何の緊張なんだろう。

 誓君に会えるのはもちろん嬉しいけど…

 早乙女君の片想いが、終わりを遂げる事が出来るのか…


 その相手が…


「……」


 人の気持ちなんて、誰にもどうにも出来ないから。

 あたしは、何も気付かなかった事にして…いつもと同じようにしていればいいんだ。



 早乙女君とは、桐生院家の門の前で待ち合わせた。

 お互い時間ピッタリに角を曲がった所で鉢合わせて。


「よお。」


「どうも。」


 首をすくめた。



「プレゼント、何買ったの?」


 思ったより大きな紙袋を持ってる早乙女君に問いかけると。


「なんかあれもこれも可愛くてさー。ついでに誓の弟や甥っ子姪っ子にもって思ったら買い過ぎた…」


 早乙女君は苦笑いしながら首を振った。


 …いい人なんだよね。

 ちょっとわざと悪ぶってる所があるように思うけど…基本、いい人だよ…。



「あたし半分出すから。」


 門の前でお財布を出すと。


「俺が無理矢理頼んだ事だから、いい。」


 早乙女君は大きな門の上の方を見据えて言った。


「でも、それじゃあたしお祝いした事にならないし。」


「心配しなくても二人からって言うって。」


「そうじゃなくて…」


「それなら、今日俺がどんな態度取っても変な顔しないでくれ。」


「…え?」


「あと、心の声も出さない事。」


「……」


「よし。行くぜ。」


 あたしの返事を待たないまま、早乙女君はインターホンを押した。


『はい』


 誓君の声が聞こえて、それと同時に潜り戸の鍵も開いた。


「お邪魔しまーす。」


 明るい声の早乙女君。

 あたしは複雑な気持ちを抱えて、彼の後ろに続いた。



「…子供達、もうあたしの事なんて覚えてないだろうなあ…」


 小さくつぶやくと、前を歩いてた早乙女君が振り返って。


「今のは心の声か?」


 低い声で言った。


「違うわよ。ちゃんと…不安を口にしただけ。」


「不安かー…別に忘れてるのが普通じゃねーのか?俺だって甥っ子にしばらく会わないと忘れて泣かれたりしたし。」


「そっか…それが普通か…」


 分かってても寂しい気がした。

 心のどこかで、覚えてて欲しい。って思ってる自分がいるから。



 玄関までの長い道のりを歩いてると、ふいにガラリと音がして。


「トモくーん。」


「のりちゃーん。」


「おっ…すげーな。成長してる。」


 笑顔の早乙女君が振り返った。


 そこで手を振ってくれてるのは、あたしを『のいちゃん』って呼んでたノン君とサクちゃん。

 もう、背も伸びて…『のりちゃん』って言えてる…

 それより何より…覚えてくれてたの!?

 そう思うと嬉しくて、つい足取りが軽くなってしまった。



「いらっしゃい。」


 二人の後ろから、聖君を抱っこした誓君が現れて。

 あたしは…


「……」


「ん?」


 無言になったあたしに首を傾げる誓君。


「のいちゃん、こんいちあー。」


 聖君にそう挨拶されて、あたしは慌ててみんなにお辞儀をした。


「こっこここんにちは!!塚田乃梨子です!!」


「桐生院華音です!!」


「桐生院咲華です!!」


「きうーいんきよちえす!!」


「みんなすごいなー。こんにちは。早乙女宝智です。」


「あはは。」


 笑う誓君を見上げたノン君とサクちゃんに。


「ちーも言わなきゃ。」


 って言われた誓君は。


「あっ。ごめんごめん。桐生院誓です。」


 あたしと同じように深々とお辞儀をした。

 すると当然、前に落とされそうになった聖君が…


「きゃー!!あははははは!!」


 悲鳴をあげたかと思うと、大喜び!!


「あはは。聖ビックリした?」


「びっくいしたー。」


「……」


 ち…誓君…

 何だか…

 パパに見える!!


 そう思った途端、あたしの中に生まれた感情は…


 早く子供を産みたい。

 誓君にそっくりな、子供を産みたい。


 だった。



 家の中に入ると、廊下の真ん中辺りで座り込んでる華月ちゃんがいた。


「華月、ちーのお友達来たよ?」


 サクちゃんがそう言って、華月ちゃんの手を取る。


 はっ…

『お友達』って言えてる!!



「……」


 そう言われた華月ちゃんは、あたしと早乙女君を座ったまま見上げて…無言。

 そして、誓君に抱っこされてる聖君を見て。


「……」


 無言で両手を差し出した。


「あん、もう…華月は甘えん坊さんね。」


 サクちゃんがそう言って華月ちゃんを抱っこしようとしたんだけど。


「ちー。」


 華月ちゃんは一言、そう言った。


「はは…て言うか、聖も重いから歩いてくれる?」


「やっ。」


 ギュッと誓君に抱き着く聖君…


 あああああ…

 可愛い!!


「三歳になったんだから、もう歩いた方がいいと思うよー?ね?ちー。」


 そう言うサクちゃんも誓君に構って欲しいのか…

 誓君の腰に抱き着いてる。



「あっ、もー。なかなか入って来ないと思ったら。」


 廊下の先から声がして顔を上げると。

 いつも元気なお母さんが笑顔で歩いて来られた。


 ああ…ホッとするなあ…



「いらっしゃい、乃梨子ちゃん、トモ君。」


「こんにちは。お邪魔します。」


 深々とお辞儀すると、あたしの隣で同じようにノン君とサクちゃんがお辞儀をした。


「おめでとうございます。五人目のお孫さんでしたっけ?」


 早乙女君がそう言うと。


「あっ…それ言われると自分の立ち位置を思い知らされるぅ…」


 お母さんは可愛く眉間にしわを寄せた。


「母さん。」


 誓君が苦笑いしながら聖君を廊下に降ろして。

 伸ばしたままだった華月ちゃんの両手を持って、引っ張り起こした。

 そのまま、ぶらんぶらんと揺さぶってると、華月ちゃんが少しだけ笑顔になった。


 う…うわああああ…

 華月ちゃんの笑顔って…最強だわ!!

 麗ちゃんを超えるかも…!!



「もー、まだ来ないの?」


 あたし達が廊下でうだうだしてたのが聞こえたのか。

 大部屋から…何年ぶりかに見る麗ちゃんが出て来た。


「あ…お…おめでとうございます!!」


 深々とお辞儀すると。


「ぷっ。何それ。いいから早く来て。」


「……」


「ごめん。あれでも喜んでるんだよ?」


 誓君がフォローみたいに言ったけど。

 あたしは…

 麗ちゃんが笑顔だった事に驚いた。


 教室ではいつも無表情だった。

 可愛いのに、笑わない子だった。

 だけど今のは…



「麗ちゃん、表情柔らかくなったな。」


 早乙女君の言葉に、激しく頷いた。


「乃梨子ちゃん、赤ちゃん見に行こ?」


 ノン君とサクちゃんに手招きされて、あたしは大部屋に向かう。

 ああ…子供達が可愛すぎる。


「今日、二人が来るのをすごく楽しみにしてたみたいでさ。」


 誓君が華月ちゃんの両手を持って歩きながら、あたしに言った。


「え?サクちゃん?」


「子供達みんな。ノン君とサクちゃんは、さっき幼稚舎から帰って来たんだけど、マッハで着替えてたよ。」


「わあ…何だか嬉しいなあ…」


 ふと誓君の足元を見ると、華月ちゃんがあたしを見上げてて。


「…華月ちゃんの目って、すごくきれい…引き込まれちゃいそう。」


 つい真顔でそう言ってしまうと。


「…のいちゃん…」


 華月ちゃんも真顔のままで…あたしの名前を言ってくれたーーー!!


「う…嬉しい…」


「ふふっ。聖と華月は覚えてないだろうからって、夕べノン君とサクちゃんが必死で教えてたよ。」


「えっ…そうなの?感激……でも、双子ちゃんはあたしを覚えてたのかな?」


 確か…会った時は四歳だった。

 四歳の記憶なんて…あたしにはあるかなあ…

 …あるとしても、大した物じゃないけど。


「乃梨子がうちに来た後、しばらく名前呼んでたし…僕の部屋には写真もあるしね。」


「……」


 部屋に写真がある。

 そう聞いて、ちょっと恥ずかしくなった。

 あたし達は付き合い始めて…何枚か一緒に写真を撮った。

 あたしはそれを部屋に飾りたいけど…何だか恥ずかしくて。

 一人でコッソリ見て喜んでるだけなのに。

 誓君、飾ってくれてるんだ…


 しかもそれを双子ちゃんが見て、『のいちゃん』として覚えてくれてるなんて…

 あたし、今日…帰りたくなくなるかも…!!



「わあ…可愛い……」


 あたしは絶句した。

 麗ちゃんの長男『がく』君は…

 あたしが今まで見た赤ちゃんの中で、一番赤ちゃんだ。


 あ、生まれて間もない。って事。

 聖君と華月ちゃんに初めて会った時、二人は四ヶ月だったかな…

 学君はまだ産まれて12日!!



「ち…小さくて可愛くて食べちゃいたい…」


 つい笑顔でそう言うと。


「食べないでよ。」


 すごく真剣に…麗ちゃんにそう言われてしまった。



 大部屋には、平日だと言うのに…この人の多さ。

 あたしと早乙女君はゲストだけど…

 誓君のお母さんとお姉さんと双子ちゃんと華月ちゃん…

 そして、誓君と聖君と麗ちゃんと…麗ちゃんの旦那さんと…その旦那さんに…


「紅美っ。そんなにギュッとしたら痛い痛い痛い…」


 人見知りなのか、あたしと早乙女君が大部屋に入った途端、お父さんに強く抱き着いた女の子。

 一歳って聞いたけど、大きいなあ…


「紅美、こっちにおいで。みんなでプリン食べよ?」


 お姉さんにそう声を掛けられた『紅美』ちゃんは、泣きそうな顔のままではあったけど…


「紅美ちゃん、一緒に食べよう?」


 迎えに来たノン君とサクちゃんに手を引かれて、一枚板の大きなテーブルに歩いた。


 うーん…成長しても天使のままなんて…

 双子ちゃん、素敵だ…



 そして。

 今日はおばあさんの姿が見えない。

 いい人なんだろうけど…

 ちょっと苦手。

 何でだろう。



「改めて、初めまして。二階堂陸といいます。」


 ふいに、麗ちゃんの旦那さんにそう挨拶されて。


「あっ…は…はじめまして…塚田乃梨子です。」


 あたしは正座したまま、ペコペコと頭を下げた。


「麗と同じクラスだったんだって?」


「えっ。」


「あれ?違うの?」


「いえ…」


 麗ちゃん、あたしを覚えてたのかな?

 あ…誓君が言ったのか…


「同じクラスだったわよね。お互い友達のいない暗い子だったけど。」


 キッチンからお盆を持ってやって来た麗ちゃんがそう言うと、誓君と早乙女君が目を細めた。

 あたしはその言葉の内容より…麗ちゃんがあたしを覚えてた事に驚いた。



「こっち来てお茶にしましょうよ。」


 ノン君とサクちゃんが、紅美ちゃんと聖君と華月ちゃんを中の間とやらに連れ出した所で、お母さんから声がかかった。

 それまで学君を囲んでたあたし達も、テーブルに向かう。


「あ。」


 あたしが麗ちゃんの旦那さんを見て声を出すと。


「うちの旦那さんがカッコいいからって見惚れないでよ。」


 麗ちゃんに真顔で言われてしまった。


「あ、いや…」


 さっきまで気付かなかったけど…正面から見て思い出した。


「高等部の三年の時…水族館でデートしてましたよね。」


 あたしが麗ちゃんと旦那さんを交互に見て言うと。


「え?そんなに前から付き合ってたの?」←お姉さん


「は?三年の時って…」←誓君


「うわー…」←早乙女君


「やっぱり!?怪しいって思ってたのー!!」←お母さん


 四人がそれぞれそんな事を言った。


 二人は一瞬固まった後…


「…見間違いじゃないの。」


 麗ちゃんが少しうわずった声で言った。


「見間違えるわけがないわ。同じクラスでも見た事のなかった笑顔を見て、すごくビックリしたんだもん。」


 つい、正直にそう言ってしまうと。


「ぶっ…」


 早乙女君と誓君が噴き出した。


「あっ…あっ!!違うの!!あの…普通にしてても可愛いのに、笑うと極上に可愛くて…」


 あたしが両手を握りしめて力説すると、麗ちゃんの旦那さんが小さく笑った。


「ほんと、すごく可愛くて…これじゃあみんなが好きになるわけだって思って。」


「…何それ。すごく嫌味に聞こえる。」


「全然嫌味じゃないし!!あたし、あの日麗ちゃんが着てた服の色も全部思い出せるぐらい、見惚れちゃったんだもん!!」


「……」


 あの日を思い出して…しみじみと語ってしまった。

 あの日あたしは…思い知らされたんだ。

 同じ一人ぼっちだなんて思ってた自分のあさはかさを。

 キラキラ眩しかった彼女の笑顔。

 かたや、あたしはガサガサの唇で…輝きも潤いも足りなかった。



「声掛けてくれたら良かったのに。」


 旦那さんがそう言ったけど。


「あんな眩しい笑顔の前に、長靴履いて出て行く勇気はありませんでした…」


 あたしはどんよりと肩を落として答える。

 すると…


「陸さん、さらっと認めちゃったね。」


 誓君がそう言ってニヤニヤして。


「あ。」


 旦那さんは『しまった』って顔をしたけど。

 麗ちゃんは。


「陸さんがどうしてもペンギン見に行きたいって言ったから、付き合ってあげたのよ。」


 少し不貞腐れたような顔をして、羊羹を口にした。


「はっ?おまえが無理矢理誘ったクセに。」


「そうだったかしら。」


 旦那さんとのとぼけたやり取りも可愛くて、羨望のまなざしを向けてしまってると。


「ああ。もしかして、ペンギンのキーホルダーって、そのデートで買ってもらったの?」


 お姉さんが首を傾げて笑顔で言った。

 まるでそれは爆弾投下だったようで。

 麗ちゃんは目元をポリポリとかいて。


「別に、もういいじゃないっ。」


 そばにあった焼きプリンにも手を出した。


「あはは~。麗ったら、照れちゃって。」


 お母さんが麗ちゃんに抱き着く。


「もうっ…照れてないしっ。」


「麗可愛い。」


 お姉さんが頬杖ついて言うと。


「うややちゃん、かあいい。」


 いつの間にか戻って来てた聖君が真似をして。


「…うん。」


 その隣で、華月ちゃんも頷いた。


「…聖、華月、あーん。」


「あーん。」


「あ。」


 聖君と華月ちゃんには、麗ちゃんから、焼きプリンの『あーん』のご褒美があった。


「麗ちゃん可愛い。」


「早乙女君にはない。」


「ちぇっ。」


「旦那さんの前で…トモ勇気あるなあ。」


「のいちゃんも可愛い。」


「…気を使ってもらっても悲しくなるだけなので…」


「誓、もっと褒めて伸ばせよ。」


「何を伸ばすんだよ。」



 あはは…って。

 みんなで笑った。

 早乙女君も、普通に笑ってる。


 笑ってるのに。



 なぜか…



 泣いてるようにも思えた…。

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