第33話 「よ。」

 〇塚田乃梨子


「よ。」


 あたしは、その姿を見た時…一瞬、キョロキョロと周りを見渡した。


 だって。

 ここは、あたしのアパートの外。

 そこに立ってたのは誓君じゃなくて…


「どうしてここにいるの?」


 目の前の早乙女君に、首を傾げて問いかける。


「待ってたんだよ。」


「…あたしを?」


「ああ。」


「……」


 な…何だろう。



 元々…あたし達三人は、今年度はあまり学校に行かなくてもいいように単位を選んでた。

 割と暇らしい誓君と早乙女君は、今後学ぶ事はないような授業を受けたり。

 図書館で難しい本を読んだり。

 この四年間で、今年ほど二人がくっついてるのは見た事ない。って言うほど、二人はいつも一緒にいた気がする。


 就職が決まってからはバイト三昧のあたしは、バイトが休みの日に学校に行って誓君とお昼を食べて。

 二人でうちに帰って卒論。か…

 あたしのバイト終わりに誓君が迎えに来てくれて、うちに帰って一緒に卒論…ってパターンだったんだけど。

 そこには早乙女君はいなくて。

 だからなのか、先月も誓君ちで卒論仕上げようって提案してたっけ…



「頼みがあるんだけどさ。」


 あたしの隣を歩きながら、早乙女君は自分の足元を見たままで言った。


 …何だか、いつもと感じが違う…?


「何?」


「卒論。」


「ん?」


「誓んちでやろうって、のいちゃんからもお願いしてくれよ。」


「……」


 足を止めてしまった。


「なんで誓君の家で…卒論?」


 早乙女君を見上げて問いかける。


「…麗ちゃんが男の子産んだの、聞いたか?」


「え?あ、うん…」


「見に行きたくね?」


「……」


 それは…

 ちょっと心くすぐられた。

 あたしが今まで出会った誰よりも可愛い女の子。

 誓君と双子の、桐生院 麗。


 彼女が二人目の子供を産んだ。

 その報告の電話の時、誓君はすごく嬉しそうだった。


『めちゃくちゃ可愛いんだ。みんなが僕に似てるって言うんだけど、それって麗似だよね(笑)』


 写真見せてね。ってお願いしたけど…

 あれからあたしはバイトで学校に行ってないし…



「…それはあたしもお願いしたくなるけど…」


「だろ?」


「でも、あたしと誓君、卒論終わっちゃったのよ。」


「………はっ?」


「ごめん。」


「……」


 早乙女君が口を開けて言葉をなくした。

 その珍しい光景に、あたしまでキョトンとする。


 卒論は…まさに麗ちゃんが出産する前日に終わった。

 おかげであたし達は解放感に溢れてるのだけど…

 その反面、会えないのは寂しい…かな。



「なんだ…終わったんだ。」


 少し唇を尖らせて、小さな声の早乙女君。


 …そんなに誓君ちに行きたいのかな…?



「お祝いに行けばいいんじゃないの?早乙女君、麗ちゃんとも知り合いなんでしょ?」


「…一人じゃ行きにくい。」


「え…ええええええ…」


「心の声は出すな。」


「今のはちゃんと出した声よ。」


「……」


 何だろ…ほんと、早乙女君…いつもと違う。

 あたしは、見慣れない早乙女君の様子に戸惑いながらも。


「何か…あったの?」


 つい、口にしてしまった。

 誓君以外には…たぶん言った事のない言葉。

 だって。

 あたし…誓君と付き合って色んな事を学んだけど…

 それまでは自分にも他人にも興味なかったし。


 あたしの問いかけに、早乙女君は少し何かを考えてる風だったけど。


「…諦めなきゃいけねーなって思う事があってさ。」


 溜息まじりにそう言って、空を見上げた。


「諦めなきゃいけねー事…」


「誓に言うなよ?」


「う…」


「誓の前で思い出すなよ?」


「じ…自信ない…」


「……」



 早乙女君はまた小さく溜息をつくと。


「…桐生院家に行って、俺の目の前で誓とくっついててくれよ。」


 吐き出すように言った。


「……はい?」


 ゆっくりと首を傾げる。


「なんで…桐生院家で、あたしと誓君がくっつくの…?」


「…察しろよ。」


「何を…」


「……」


 早乙女君は目を細めて前髪をかきあげると。


「…おまえが誓と結婚するって実感が湧けば、諦められるだろ。」


 あたしの目を見て言った。


「…え?」


「まだ分かんねーのかよ。」


「実感が湧けば諦められるって…何を?」


 本当に何の事か分からないあたしは、キョトンとしたまま早乙女君に問いかけた。


 すると…


「え…っ?」


 早乙女君はあたしの肩を抱き寄せて。


「おまえの事が好きだっつってんだよ。」


 耳元で…ちょっといい声でささやいた。





『え?トモと二人で?』


「うん…お祝いに…いいかな?」


『ちょっと聞いてみるから待ってて。』


「うん。」


 あたしは…バイトから帰ってすぐ、誓君に電話をした。

 最近、あたしがかける時はなぜか誓君がすぐ電話に出てくれる。

『あたしだって分かるの?』って聞いたら、『誰からかかっても僕が取るようになっちゃったよ』って笑ってた。



 大部屋にいたのか、誓君の後ろでは賑やかな声。

 目を閉じるだけで、あの温かい家族が思い浮かぶ。


 受話器を押さえて問いかけてる誓君。


 …聞こえてるよ?



『いいって。』


「え?ほんと?」


『うん。』


「何時頃なら大丈夫そう?」


『午後からがいいかな……あ、二時がいいって。』


「二時ね。」


『迎えに行こうか?』


「ううん。大丈夫。じゃあ…明日ね。」


『うん。待ってる。』


『待ってる』にジーンとしながら電話を切った。

 耳の奥に誓君の声を残しながら…あたしは今日の出来事を思い返す。



 今日…

 早乙女君に肩を抱き寄せられて『おまえが好きだ』と言われた。

 だけどあたしは…


「そ…それは困る。うん。ここここ困る…」


 そう言って、早乙女君の手を振りほどいた。


「…だろ?だから、桐生院家に一緒に行って、俺を諦めさせてくれ。」


「……今夜、誓君に電話してみる。」


「おう。頼む。」




 そんなわけで…

 あたしは…バイトもお休みだし。って事で…

 明日、早乙女君と一緒に。

 麗ちゃんのお祝いに行くことにした。


 まあ…あたし自身、誓君に会えるのも、あの可愛い子供達に会えるのも…嬉しいし。

 麗ちゃんの子供にも興味津々だったりする。


 …彼女に会うのは、ちょっと怖い気もするけど…



 あの後、早乙女君は…


「じゃ、俺何かプレゼント買いに行って来るわ。」


 そう言って手をあげて帰って行った。

 まだ決まってもないのに。

 時間が決まったら電話して。って、渡された電話番号。

 あたしは…ためらいながらも、その番号に電話した。



『はい。早乙女でございます。』


 はっ…


 早乙女君が出るのだとばかり思ってたけど、出たのは女の人!!


「あ…あああ…えええと…塚田と申しますが…と…宝智さんいらっしゃいますでしょうか…」


 緊張のあまり、怪しくなってしまった!!


『宝智さんですね。少々お待ちくださいませ。』


 あたしがどもった事なんてお構いなしに、女の人の声は消えてオルゴールみたいな音が聞こえて来た。

 あ…これ、実家と同じ曲だ…

 そんな事を思いながら、待ってると…



『はい。』


 早乙女君が出た。


「あ、塚田です…」


『何でしょう。』


 何でしょうって!!


「えーと。明日の事だけど。」


『はい。』


「…二時に誓君ちに。」


『わかりました。では。』


「え?」


 プツッ


「……」


 な…

 何なの。

 別に何かを期待したわけじゃないけどさ。

 でも…!!


 ♪♪♪


 今切ったばかりの電話が鳴って、あたしは肩を揺らせて驚いた。


「も…もしもし…」


 一度深呼吸をしてから受話器を取ると。


『あー、俺。さっき悪かったな。』


「え?」


『家族全員いたからさー。こんな風に話せねーし。』


「……」


 電話をかけて来たのは、早乙女君だった。


 そっか。

 由緒正しい家の人だから…色々大変なんだ。



『明日の件、ありがとな。』


「あ、いえ…うん。」


 今まで…

 誓君の幼馴染みたいなもの。の早乙女君と。

 意外と友達…ううん、親友だよね…な早乙女君を見て来たけど。

 あたしが思ってるよりずっと、早乙女君は…

 たぶん、意外と…いや、ずっとずっと。


 …いい人だ。



『二時な。』


「うん……さっき電話に出られたの、お母さん?」


『いや、お手伝い。』


「あ…そうですか。」


 そうだった。

 もう、何度聞いても家柄の違いに驚く。

 食堂で三人でいる時は…全然そんなの気にならないんだけど。


 二年の学祭で、誓君と早乙女君は袴姿で生け花をして注目を集めて。

 三年の学祭では、二人が着物姿でお客さんの名前を筆でアレンジして書く企画に、長蛇の列が出来た。

 四年の学祭では…後輩の喫茶店に長居して、それだけで宣伝になってた。


 誓君は華道の宣伝としても学祭を使ったけど。

 早乙女君は、それをしなかった。

 それについて誓君は『トモがやってる事は格が違うから』って。


 …そっか。



『のいちゃん、明日誓に会うの久しぶりなんだろ?何着て行くんだよ。』


「え。」


『平日とは言っても、あそこ特殊な仕事人ばかりだから、親父さん以外はいるかもしれないしなー。』


「え……」


『特に麗ちゃんには値踏みされるかもしれねーから、ちゃんとした格好して来いよ?』


「な…っ…」


 何よーーーー!!

 そんなの言われたら、緊張しちゃうじゃない!!


「た…ただでさえ行くのはどうかと思ってたのに…」


 あたしがワナワナと震えながらそう言うと。


『あ、うそうそ。いつも通り、清楚なのいちゃんで来て。』


 電話の向こうから、のんきそうな声。



 あたしは…早乙女君に『おまえの事が好きだ』と言われて。

 なぜか直感的に…

 この人、嘘ついてる。と思った。

 だけど騙されたふりをした。


 何となくだけど…早乙女君が嘘をつかなきゃいけない理由を察したからだ。



 嘘をつかなきゃいけない理由。

 それは…


 もうすでに結婚してしまってる麗ちゃんを好きだから…なのか。

 それとも…



『何色着て行く?ペアルックみたくして誓妬かせてやろ。』


 …好きな相手が…




 同性の誓君だから…?

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