第30話 「…うん…ありがとう…うん。分かった。じゃ…。」
〇塚田乃梨子
「…うん…ありがとう…うん。分かった。じゃ…。」
カチャッ。
あたしは受話器を置いて…
「は…あああああああああああ~………っ。」
大きく溜息をついた。
なんと。
あたしは…ついに…
電話を買った。
ただ、電話の権利の契約には…両親の承諾を迫られてしまった。
…もう未成年じゃないのに。
そう思うと、二十歳って微妙な年齢なんだなあ…って思った。
「……」
母親と…五年振りに話をした。
だけど、以前と何かが変わった感じはしなかった。
相変わらず事務的な事以外は話さなかったし…
あたしが電話を買う気になった理由も聞かなかった。
…ま、そんなもんか。
とにかく、これで管理人さんの家に行かずして桐生院君と電話が出来る!!
あたしにとっては、とても大きな決断だった。
早速あたしは、桐生院君の家の番号を押す。
『はい、桐生院でございます。』
はっ…この声は…えーと…お母さん?
「もしもし、塚田ですけど…」
『あっ、乃梨子ちゃん!?』
「え…あっ、はい…乃梨子です…」
の…『乃梨子ちゃん』?
あたし、ずっと『塚田さん』って呼ばれてたはずだけど…
『誓、今お風呂なの。』
「あ…そうなんですか。じゃあ…」
また後でかけ直します。
もしくは、電話があった事を伝えていただけますか?
…どっちだろう?
って考えてると…
『誓がお風呂から上がるまで、あたしとお喋りしちゃう?』
「えっ?」
『あっ、でもそれじゃ電話代が乃梨子ちゃんの方に……えっ?……そうなの…?………で……』
あ…あれ?
電話の向こう。
突然手で押さえたみたいになって…声が聞こえなくなった。
「もしもし…?」
『乃梨子ちゃん、今聞いたんだけど、その電話って管理人さんの家から?』
あ。
「いえ…実は電話を買いました。」
『えー!!そうなの!?』
「は…はい…」
『電話買うってすごい!!乃梨子ちゃん、頑張ったんだね!!』
「あ…ありがとうございます…」
『もしかして、その報告!?』
「そ…そうです…」
『わー!!なのに誓お風呂って!!』
「あ…ああの…」
桐生院君のお母さん…あたしよりテンション高い!!
「あの、こんな事で電話してすいません。明日直接報告するので…」
あたしが両手で受話器を握りしめて言うと、電話の向こう…桐生院君のお母さんは急に声を潜めて。
『電話番号、教えてくれる?』
「…え?」
『お風呂から上がったら、すぐにかけさせるから。』
「あ…でも…明日でも…」
『でも報告したくてかけてくれたんだもんね。誓にそう思ってくれたなんて、あたしが嬉しいから。』
「……」
何だか…泣きそうになった。
桐生院君のお母さんの言葉…
…血の繋がりはないって聞いてたけど…羨ましく思った。
「じゃあ…番号は…」
あたしが番号を伝えると。
『うん。うん。分かった。じゃ、少し待っててね!!』
お母さんは、まるで番号をメモした紙を持って踊り出しちゃうんじゃないかって、勝手に想像してしまった。
電話を切って…何となく電話を撫でる。
昔から、あまり電話なんてした事がなかったけど…
こんな風に、話終わって切って…胸がギュッとする気持ちになるなんて、初めてだ。
桐生院君のお母さんの楽しそうな声が、耳の奥に残ったまま。
あたしは誰もいない静かな部屋の中を見渡した。
…今まで一人が寂しいなんて…思った事ないのに。
変なの…あたし。
膝を抱えて座り込んだ所に…
♪♪♪♪♪♪
電話が鳴った。
初めて、あたしにかかって来た電話…!!
「…もしもし。」
『…えっ?』
えっ?
「もしもし?」
『…え?乃梨子?』
「うん…」
あれ?どうしたのかな?
『…ごめん。母さんに、教授から電話があったって言われて…』
「…教授?」
『この番号にかけなさいって、メモを渡されたんだけど…』
お母さん、サプライズのつもりなのかな?って思うと、すごく楽しくて笑ってしまった。
『乃梨子、この電話は?』
「買っちゃった。」
『えっ。本当に?』
「うん。」
『わー。思い切ったなあ。』
「白くて楕円形の電話。」
『明日、帰りに見に行っていい?』
「え?」
『乃梨子の部屋に物が増えたの、見に行きたい。』
「……」
う…嬉しい…
桐生院君がそんな風に思ってくれてるなんて…
「えー。俺も行っていい?」
「……」
翌日。
まだ桐生院君が来てない食堂で。
あたしはうっかり…電話を買った事と、それを桐生院君が今日見に来る事を、早乙女君に喋ってしまった。
「ダメ?」
「ダメ…じゃないけど…」
ううん。
ダメだよ。
だってあたし…
桐生院君に、ギュッとして欲しいんだもん。
最近、一人でいると寂しくなる。
それは…きっと、桐生院君が大好きになってしまった事と…
あたしから、二度…母親に電話をしたせいかと。
相変わらずだったあたしの母親。
あたしが電話を買った事を、自分がプレゼントをもらったみたいに喜んでくれた桐生院君のお母さん。
…優しさに触れ過ぎて、あたし…欲張りになってるのかなあ。
「やっぱりダメ。」
少し考えた後に、顔を上げてキッパリ言うと。
早乙女君は丸い目をして黙った。
そして、少しの沈黙の後。
「…ケチ。」
頬杖ついて目を細めて、唇を突き出してそう言った。
「ケ…」
ケチ!?
「な…なんでそんな事言われなきゃならないのよ…だいたい彼氏が来るって言ってる時に…」
「口から出てるよ。」
「はっ…いっ今のは、ちゃんと口に出して言おうとした事よ。」
「ほんとかよ…ま、いーよ。誓連れ込んでイチャイチャすれば。」
早乙女君はそう言うと。
「俺も女の子の家に遊びに行ってこよーっと。」
うどんの乗ったトレイを持って立ち上がって、どこかに行ってしまった。
あ…あー……
あたし、冷たかったかなあ…
桐生院君の友達なのに…
「あれ?トモ…今日あっち?」
遅れて来た桐生院君が、離れた場所にいる早乙女君を見て言った。
「…ごめん。あたしのせいなの。」
少しうなだれてそう言うと、桐生院君は首を傾げながらあたしの前に座った。
「電話の事話したら…彼も今日うちに来たいって言って…」
「トモが?」
「うん。でも、あたし…ダメって言ったの。」
「……」
「だって…二人でいたかったし…」
「……」
あたしが正直に言うと、桐生院君は少しだけ笑顔になって、テーブル越しにあたしの頭をポンポンとした。
「大丈夫。トモ、拗ねたかもだけど…そんなの根に持たないから。」
「…ほんと?」
「たぶん…」
「もうっ。」
「あはは。大丈夫だって。」
離れて座ってる早乙女君の表情が気になったものの、あたし達は午後の授業が終わると手を繋いであたしのアパートに帰った。
そこで電話を見た桐生院君は、『可愛い電話だ』って大絶賛。
桐生院君ちの電話は…黒電話。
だけど、あんなに広い家だから…色んな場所に子機が置いてあるらしい。
お茶を飲みながら、他愛のない会話を楽しんだ。
桐生院君は『退屈じゃない?』って気にするけど、あたしは彼の仕事の話も好きだった。
花には詳しくなかったあたしも…本屋で花の本を手にするようになったと言うと、桐生院君は笑顔になった。
あたしが手を伸ばすと、桐生院君は小さく笑ってあたしを引き寄せて。
「…毎日…こうして抱きしめたい。」
耳元で言ってくれた。
…毎日…
その言葉に、あたしの気持ちが揺れた。
桐生院君…ここに引っ越してくれないかな…。
* * *
秋になると、キャンパスは学園祭の話題で持ち切りになった。
以前、桐生院君に『今年の学祭は一緒に歩こう』と誘われていた事もあって、今年はバイトも入れず学祭を楽しむ気でいる。
「のいちゃん、ゼミで出し物ないの。」
早乙女君がパックの牛乳を飲みながら言った。
結局…ずっと『のいちゃん』と呼ばれてしまってる。
本当はちょっと嫌だけど…彼はあたしが目を細めても気にしない。
「何か展示でもしようかなって話は出てるけど…」
特に入りたいゼミはなかったんだけど、お世話になってる教授から『うちに来ない?』と言われるがままに入ってしまった。
…ぶっちゃけ…人気のないゼミだ。
教授はいつも眠そうなおじいちゃんだし…
少し離れた研究室なもんだから、みんなからは『孤島ゼミ』って呼ばれてる。
助手は院生の無口な女性。
四年が一人、三年が二人、二年はあたし…の計五人。
飲み会も一切なく、教授の研究室でテーマに沿って正方形のカードに色を付けたり並べたり…
それを教授がチェックして、それぞれがちょっとした発表をする…ぐらい。
主に平面構成や構図について。
こう言っては悪いけど、あたしには都合のいいゼミかもしれない。
プライベートを聞かれる事もないし、連絡先のやり取りもない。
他のゼミはすごく仲良しみたいだけど…うちはどこかですれ違っても気付かないぐらい、みんな印象が薄い。
「俺らんとこ、今年は何かと派手になりそうだな。」
早乙女君がカレーパンを食べながら、桐生院君に言った。
「ん?ああ、そうだね。」
「…派手なの?」
「んー、去年は展示だけだったんだけど、今年はちょっとしたパフォーマンスがね…」
パフォーマンス…
「へえ…それって踊ったり歌ったりするのかな…桐生院君がそういうのってイメージないけど…」
「乃梨子、口に出してるよ(笑)」
「いっ今のはちゃんと言ったのよ。」
パフォーマンスかあ。
桐生院君と早乙女君は、同じゼミ。
日本文化を学ぶ事を主としていて。
早乙女君には誘われたけど、あたしは断った。
だって、二人は仕事があるから免除されてるみたいだけど…
あたしみたいに生活がかかってるバイトでも『ただのバイト』扱いされて、イベント参加への強要がハンパない…って噂に聞いたから。
桐生院君は最初から『乃梨子のペースに合う所を選べばいいんじゃないかな?』って言ってくれてたし。
まさに…在って無いような『孤島ゼミ』は、あたしにピッタリだ。
二人の入ってる日本文化を学ぶゼミ…『星ゼミ』は、星教授の元…大人気のゼミ。
孤島ゼミが五人なのに比べて、星教授が予定していた定員を上回っての35人。
その大半が…女子らしい。
まあ、日本文化を学ぶんだものね。
お茶とお花の先生がいるってなると、入っちゃうよね。
華道や茶道ってサークルもあるんだけど、そこは二人ともおばあさんに止められたみたい。
まあ…ゼミだけでもよく入ったなあ…って、あたしは思ったぐらいだものね…。
「ところでさ、いつまで『桐生院君』って呼ぶんだよ。」
ふいに、早乙女君があたしを見て言った。
「……」
無言で桐生院君を見ると。
「別に、乃梨子の呼びたいように呼んで構わないけど。」
桐生院君は、あたしと早乙女君を交互に見て言った。
「まず、なげーし。」
「ははっ。昔からよく言われたなあ。」
…確かに…桐生院君…って長い。
でも、ずっとそう呼んで来たから、別に…
「誓の事、桐生院君って呼ぶ奴の方が少ねーよな。仲良くない奴まで下の名前で呼んでる気がする。」
「麗がいたからね。」
…そっか。
男子も女子も『さん』付けで呼んでる先生もいたし、反対に『君』付けで呼んでる先生もいた。
「…誓君…かあ…」
「ぷっ。練習かよ。」
「ふふっ…たぶん思っただけだよ…」
「相変わらず怪しい奴だな。誓、ちゃんと直させろよ。」
「別に、面白いだけで害はないよ?」
「今は、だろ?ばーさまの前で『あの夜は激しかった』なんて口に出されたらどーすんだよ。」
「ばっ…」
何となく二人が何か話してるなーって思ってたんだけど。
突然桐生院君が赤くなってテーブルを叩いたもんだから、あたしは肩を揺らせた。
「あ…ご、ごめん。」
小さく謝りながら赤くなってる桐生院君と。
「ったく…おまえの純情ぶり、愛し過ぎっ。」
桐生院君を抱きしめる早乙女君。
あたしはこの時、予感すらしなかった。
これから…あたしの人生にあり得ないような事がおきてしまうことを…。
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