第29話 「よっ。」

「よっ。」


「……」


 今日は乃梨子が早番。

 バイトは四時上がり。

 で、明日は遅番。

 そんなわけで…今夜はデート。


 なんだけど…



「トモ…なんで?」


「誓こそ。」


 乃梨子のバイト先に迎えに行くと、トモがいた。

 入口からよく見える席で、手を振ってる。


「水曜はあそこの豪邸で教室やってんだよ。」


 そう言って、トモは道路を挟んで少し離れた場所にある屋敷を指差した。


「そうなんだ。」


 向かい側に座ると、トモは前のめりになって。


「今日、デートらしいな。」


 声を潜めて言った。


「え?乃梨子に聞いた?」


「いや、家に電話したらお母さんが言ってた。」


「……」


 つい、目が細くなった。



 朝、教室の出掛けに『今夜は晩御飯要らないよ』って言うと、母さんは何度も理由を聞いてきた。



「ねえねえ、デート?ねえ。」


「…そうだよ。」


「塚田さんと?」


「…うん。」


「帰って来る?」


「か…帰るよっ。」


「だって、この前心配だったから~。」


「…それは、ほんとごめん。今夜はちゃんと帰る。」



 まさかそれを…トモに言うなんて。

 …って…


「何。今日もうちに来ようと思ってた?」


 トモにそう言うと。


「うん。双子ちゃんに癒されてーなーと思って。」


「…僕がいなくてもいいなら、行けば?」


「バカか。ただのおかしな奴って思われるだろ?」


「言葉遣いだけちゃんとしてたら、おかしな奴とは思われないと思うんだけどなあ。」


「あー…やっぱ?誓のばーさま、すっげ嫌そうな顔してたもんな。」


「義兄さんだっていまだに叱られてるよ。」


「ぷっ。マジで?」


 他愛もない会話をしながら、トモは目の前のコーヒーゼリーを食べ進めた。


「で?ここで待ち合わせ?」


「ここでバイトしてるんだ。」


「え?塚田さん?」


「うん。」


「えー、マジかよ。俺一回も会った事ないぜ?」


「ずっと皿洗ってるって言ってたから。」


「そっか。納得。」


 何もオーダーせずに座ってるのも悪いかなあ。と思って、僕はコーヒーをオーダーした。

 乃梨子が上がるまで、あと20分あるし。



「この前行った時さ。」


「うん?」


「お母さん、なんか元気なかったな。」


「あー…」


 トモは…頻繁にうちに来る方じゃないけど。

 それでも、母さんがうちに来て三度は会ってるはず。

 初対面した翌日、『誓の新しい母さん、ぶっ飛んでんな!!』って大笑いされたんだっけ…

 確か、飛んでるセミを手掴みで捕った時だ。



「聖を産んで、ちょっと調子崩したんだよ。」


「そっか~…女性はそういうのがあるんだな…なんか、行くたびに元気に迎えてもらってたからさ…気になったんだよな。」


「ありがと…でも、最近は調子がいい日の方が多いよ。」


「みたいだな。今日も電話で『デートの内容って聞かれたくないもん?』って相談されたよ。」


「ばっ…」


 トモの言葉に額に手を当ててうなだれる。


 母さん…!!


「俺ので良ければ話しますよ。っつっといた。」


「トモ、今彼女いんの?」


「いーや。片想い。」


「片想い?トモが?」


「俺だって片想いぐらいするさ。」


「告白したら、すぐ付き合えそうだけど…」


「そんな簡単にいくかよ。」



 その時僕は…トモの片想いの相手が誰かなんて想像もしないで。


「彼女出来たら紹介してよ。」


 のんきに…そんな事を言ってしまった…。





「早乙女君?」


 バイトを上がった乃梨子は、僕と一緒にいるトモを見て目を丸くした。


「おっす。」


「……どうも。」


 いつもは通勤に楽そうな格好の乃梨子だけど…

 今日はデートだからか、いつもよりオシャレ。

 僕のためにそうしてくれたのかと思うと、嬉しくなった。


「えっと…」


 乃梨子は戸惑いながらも僕の隣に座って。


「…三人で出掛ける感じ?」


 小声で聞いてきた。

 でも、この距離でそんな事を口にしたら聞こえるわけで…


「そんな野暮な事するわけねーっつーの。」


 トモは背もたれに腕をかけて、少し大げさにのけぞった。


「…それは失礼…」


 二人のやりとりがおかしくて笑う。


「でも…どうしてここに?早乙女君のおうち、この辺りなの?」


「いーや。毎週水曜はこの先の豪邸で仕事があんだよ。」


「仕事?」


 首を傾げる乃梨子。


「トモはお茶の先生だからね。」


 僕がそう言うと、乃梨子はパッと目を見開いて。


「えっ…そうなんだ…はっ…そう言えば…」


 何か思い当たる事でもあったのか、一人で『そっか…なるほど…』なんてつぶやいてる。


「先週誓んち行った時、どうして二人で行ったか聞いた?」


 トモがテーブルに肘をついて、右手で乃梨子を指差して僕に言った。


「え?ううん。」


 そう言えば、聞くの忘れてたな。


「本屋行ったらさ、彼女がそこにいて。」


「あっ…」


 乃梨子が少し情けない声を出して眉をしかめた。

 それを見たトモは小さく笑って。


「F'sのインタビュー記事読みながら、感想を口に出してやんの。」


 思い出しておかしくなったのか、その小さな笑いは徐々に大きくなった。


「……」


 あれ…

 トモがこんな笑い方するなんて、珍しいな。

 そう思って黙って見てると、乃梨子は真っ赤になってうつむいてて。


「…あたし、そんなに口に出しちゃってるかな…」


 唇を尖らせて、僕をチラリと見た。

 その顔が…ちょっと可愛くて。

 僕もつい、クスクス笑ってしまう。


「そうだね。時々思ってる事口に出してるのに気付いてない事あるよ。」


「あの時もさ、誓の義兄さんと姉さんが一緒に風呂に入ってるってコメント見て、衝撃告白だっつってたぜ?」


「あ…あはは。そっか。まあ…僕も最初はビックリしたけど、もう当たり前になってるからなあ。」


「俺は憧れるね。毎日嫁と風呂。」


「トモんちのお兄さんは?」


「分かんね。あんま人前でくっつくタイプじゃないから。でもいい距離感だなーって、それはそれで羨ましい感じ。」


「トモのお兄さん、雰囲気あってカッコいいよね。」


「それは誓の義兄さんもだろ。ま、こえーけど。」


「見た目は怖いかもだけど、本当はすごく優しいんだよ?」


「いやー…それが分かるほどお近付きになれる気がしねー…塚田さん、兄弟は?」


 ふいに話をふられた乃梨子は、急に自分の事を聞かれた事に驚いた顔をして。


「あっ…えと…一人っ子。」


 早口に答えた。


「えー、そうなんだ。下にいっぱい妹とか弟がいそうなイメージ。」


「えっどっどうして?」


「面倒見良さそうだから。」


「あたしが…?」


 トモにそう言われた乃梨子は少し嬉しそうで。


「面倒見、良さそうかなあ…そう言えば昔、野崎のおばさんにも言われた事があったかな…今井のおじいさんだったかな…」


 なんて…ほらほら。

 それ、口に出して言うつもりだったやつ?

 そんな乃梨子に、僕とトモが顔を見合わせて笑うと。


「…何かおかしかった?」


 乃梨子が僕に言った。


「…野崎のおばさんと今井のおじいさんっていうのは、今乃梨子が頭の中で思ってた事?」


 僕がそう答えると、乃梨子は若干顔を崩して。


「も…もう何も思わない事にする!!」


 そう言って小刻みに頭を横に振った。


 …いや、無理だろ(笑)





 トモと手を振って別れたのは、乃梨子がバイトから上がって一時間経った頃だった。


「ごめん。デートなのに。」


 僕がそう言うと。


「ううん。楽しかったよ?」


 乃梨子は笑顔で僕を見上げた。


「…今日、いつもと少し違うね。」


 首元に光ってるネックレスに触れて言うと。


「あ…デ…デートなんて初めてだから、どんな格好したらいいんだろうって…」


 乃梨子は照れながら優しい笑顔になった。

 …可愛いな…



 初めて乃梨子を見かけた頃には、浮かばなかった感情。

 いつも一人でいる子だな…って。

 それだけだったのに。

 今の乃梨子は、僕の一言に照れたり困ったり…

 その表情の一つ一つが、とても可愛いし…愛しく思える。



「あ、そう言えばさ…」


「ん?」


「…まず、手を繋いでいい?」


「……」


 乃梨子は答えなかったけど、ゆっくりと僕に手を差し出した。


「…ありがと。」


「…ううん…」


 ゆっくりと手を繋いで歩き出す。

 今日も父さんの車を借りようかと思ったけど、何となく…手を繋いで歩きたかったから電車にした。



「この前、うちに電話してくれてありがとう。」


 僕がそう言うと、乃梨子は少し心配そうに僕を見上げて。


「怒られなかった…?」


 小声で言った。


「全然。おばあちゃま、反対なんてしてないって言ってた。」


「……」


「ん?」


 無言の乃梨子を見つめると。


「…おばあちゃま?」


「はっ…」


 あー!!

 乃梨子の前ではトモみたいに『ばーさま』って言おうと思ってたのに!!


「あああああああああ…恥ずかしい…」


 僕が頭を抱えてしゃがみ込むと、乃梨子は同じようにしゃがんで僕の顔を覗き込んで。


「ごめんごめん。全然平気。むしろ、桐生院君らしい気がする。」


 笑いながらそう言った。


「…ガキっぽいよね。」


「でも、おばあさんは言葉遣いに敏感でしょ?」


「まあ…そうだけど。」


「あたしと付き合う事で、悪い方に変わったって思われるのも困るもん。」


「……」


「桐生院君が展示会の企画の話をしてる時、おばあさん…すごく嬉しそうだったって言うか…」


「え?」


「何となくだけどね?何となく…あたしには、自慢の孫って目で見てらっしゃるなあって。」


「……」


「だから、あたしの前でも無理に変えないで。」


「乃梨子…」


「だって…桐生院君も、見たまま感じたままのあたしを好きになってくれたんでしょ?あたしだって…そうだよ…」


 正直…

 誰かと付き合うことがあっても、麗以上に好きになれる存在は現れないと思ってた。

 だけど今、僕は…乃梨子の事をすごく好きだと思うし…


「…乃梨子。」


「ん?」


 立ち上がって手を繋ぎ直すと。

 乃梨子はキョトンとした顔で僕を見た。


「僕…今までこんなに大きな気持ちに包まれた事なかったよ。」


「大きな気持ち…?」


「乃梨子は自分に自信がないって言うかもしれないけど…それでも、僕の事を勇気付けたり強くしてくれる存在だ…って、覚えてて。」


「…桐生院君…」


「ほんとに…僕の事、好きになってくれて…ありがと。」


「……」


 乃梨子が…静かに僕の胸に来た。

 人目がないわけじゃないけど、僕もそうして欲しかった。

 そっと背中に手を回して、ギュッとした。


 五年会ってない両親。

 ずっと一人だった乃梨子。

 初めてのデートの序盤で。

 僕は…

 乃梨子と家族になれたらなあ…なんて。

 思い始めていた。



 * * *



「今日も仲のいい事で。」


 夏休み明け。

 僕と乃梨子が食堂でお弁当を食べてると。

 トモが学食のカレーライスをトレイに乗せてやって来た。


「あれ、トモ学食なんだ?」


「…男は弁当の奴のが貴重だと思うけど。」


「そうかな?」


「うちのお手伝いの弁当、年寄向きでさー。」


 トモの言葉に苦笑いの僕と、『お手伝いさんがいるんだ…』って乃梨子のつぶやき。


「つーか、おまえはいいよなあ。母さんも姉さんも料理上手で。」


 そう言って、トモは僕の弁当を覗き込んだ。



「のいちゃん、自分で弁当作ってんの?」


 トモがスプーンを手にして言った言葉が。

 僕と乃梨子を固まらせた。


 …のいちゃん?


「あれ。何。双子ちゃんに『のいちゃん』って呼ばれてるじゃん。」


 トモは僕と乃梨子にそう言ったけど、だからってそれをトモが呼ぶかなあ…って苦笑い。

 だけどトモは。


「塚田さん、なんて堅苦しいじゃん?かと言って呼び捨ては誓の特権だし?だったら『のいちゃん』かなーって。」


「別に堅苦しいままでいいよ。」


「えー。誓冷てーなー。」


「あたしも堅苦しいままでいい…」


「えーっ、のいちゃんまで!!」


 あはは。と…笑った。



 …トモのお兄さんが、家を出てギタリストになって…

 トモが跡継ぎになった。


「俺が継ぐからギタリストになれって兄貴に言ったんだ。」


 って、トモは『兄貴の成功は俺のおかげ』と自慢する。

 だけど…僕には忘れられない事がある。



 元々…トモと僕は周りからも似た者同士。なんて言われてて。

 お坊ちゃんだし、チビだし。って、初等部の頃はよくからかわれてた。

 でもそれを笑ってやりすごせるほど、僕達はその境遇が嫌いじゃなかった。

 チビって言っても、いつか背は伸びるし。って。

 だけど高等部になってもチビだった僕達は…さすがにちょっと焦ったけどね。


 そんなトモと僕は…言葉遣いも似てた。

 だから、おばあちゃまはトモの事も可愛がってた。

 トモの言葉使いが変わって来たのは…お兄さんが成功した頃からだと思う。


 それにトモは…初等部の頃…

 自分は跡継ぎじゃないから、夢を持てるんだ…なんて言ってた。



「だから、のいちゃん。」


「あなたにのいちゃんって呼ばれるのはちょっと…」


「まだ言うか。それ。」


「双子ちゃんが呼ぶから可愛いのに…可愛さ半減。」


「ちっ。じゃ、おまえが誓の事『ちーちゃん』なんて呼び始めたら、ボロクソに言ってやる。」


「よっ呼ばないわよ!!」



 二人の会話に笑う。

 だけど、頭の中ではトモの昔の夢の事を考えてた。



 トモは…



 昆虫学者になりたい。って…作文に書いてたんだよね…。

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