第28話 パチッ。

 〇桐生院 誓


 パチッ。


 何か夢を見た気がする。

 その夢の中の何かに起こされて目を開けると。

 至近距離に塚…乃梨子の顔があった。

 …まだ眠ってる。



「……」


 夕べ、お茶を一杯だけ飲んで帰ってくれ。と、部屋に誘われた。

 たぶん…その時点では、こんな事になるとは思ってなかったはず。

 こんな事…


「……」


 バッ。


 体を起こして時計を見る。


 六時…


「…うっわ……やばっ…」


 慌てて、だけどゆっくりとタオルケットの中から抜け出る。

 静かに服を着て…乃梨子を振り返った。

 出来れば起こしたくないけど…一人で目が覚めた時にパニックになるかな…



「…乃梨子。」


 肩を揺すってみる…けど…起きない。


「乃梨子。」


 今度は耳元で呼んでみる。


「…んー…」


 タオルケットから白い腕が飛び出した。


「僕、帰らなきゃ。朝だ。」


「ん~………えっ?」


 えっ?が合図だったかのように、乃梨子の目が開いて。

 パチパチ、と僕を見た後…時計を見て。


「……朝っ!?」


 飛び起きて…タオルケットも飛んだ。


「はっ…!!」


 それを慌てて体にまとうと、真っ赤になった乃梨子は。


「どどどどどどうしようっ…ここここここんなっ…こんな事にっ…」


 口にした言葉で…今度は青ざめた。


「ごめん…僕もすっかり眠っちゃって…」


 乃梨子の寝ぐせを笑いながら撫でると。


「おこおこ怒られるんじゃ…」


 その僕の手を両手で握りしめて…ますます顔面蒼白。


 …気付いてる?

 タオルケット、下がってるよ?


 僕が肩を揺らして笑うと、自分の胸が丸見えな事に気付いた乃梨子は…


「うっ…あああああああ!!」


 タオルケットを頭から被って丸くなった。


「何も心配ないから。」


 丸くなった塊にそう声をかけると、塊はモゾモゾと動いて。


「…だって…あたしの所に泊まった…って…言うの?」


「うーん。言おうかな。」


「…怒られる…よね…?」


「どうかな。でも嘘つくのもバツ悪いし。」


「……」


「お茶飲んで話してる間に寝ちゃった。って言ってみる。」


 タオルケットから少しだけ顔をのぞかせた乃梨子は、『そんなので通用するの!?』と言わんばかりの目。


「とにかく、帰るね。」


「う…うん…あの…」


「ん?」


「次…いつ会えるかな…」


「……」


 乃梨子の問いかけに、壁にかけてあるカレンダーに目をやる。

 そこには、乃梨子のバイトのシフトが全部書き込んである。

 …予定は何もないのかな。


 両親に五年会ってないって言ってたけど…

 本当に帰省の予定もないのか…。



「…じゃ…」


 僕はカレンダーをじっくり見て、自分の予定を頭の中で開いて。

 そばにあったペン立てから赤いペンを手にすると。

『デート』って言葉を来週の水曜日のバイトの下に書いた。


「書いてから聞くのもあれだけど…いい?」


 振り向いて乃梨子に問いかけると。

 乃梨子は口をあんぐりと開けて、カレンダーを見上げてた。


「デート…」


 その顔は…笑えるほど、真っ赤だった。






「よお。朝帰り。」


 ガレージに車を入れて。

 コッソリと部屋に戻れないかなー…なんて裏庭を歩いてると。

 背後から耳元でささやかれた。


 …あー…今日は義兄さんも朝帰りだったのかー…


「…おはよ。」


「彼女の所か?」


「うん。夕べ送って行って、お茶飲んで話してたらいつの間にか寝ちゃって。」


「…ついてるぞ。」


 ふいに、義兄さんがニヤニヤしながら首元を押さえた。


「何が。」


「キスマーク。」


「そんなわけないじゃん。」


「ちっ。つまんねーな。」


「からかわないでよ。」


「ばーさんや義母さんは平気なのか?」


「さあ…どうかな。」


「口裏合わせてやろうか?」


「え?」


「正直に話したら、彼女と会いにくくなんねーかと思って。」


「……」


 …そうなのかな…


 確かに、僕の朝帰りは初めてで。

 彼女を送って行ったきり、連絡もせずに朝帰りなんて…

 きっと心配してたよね。


 どうしよう。

 と、ちょっと悶々と考え込んでると。

 ふいに、裏口のドアが開いて。


「誓、おかえり。まあ、千里さんも。」


 おばあちゃまが静かな声で言った。


「た…ただいま…」


「…帰りました。」


 義兄さんと横目でアイコンタクトをするも…この状況じゃ…


「さっき、塚田さんからお電話いただきましたよ。」


「…えっ?」


「夕べ、久しぶりに会ったせいで話し足りなくて、引き留めてしまいました、と。」


「……」


「それで、話し込んでしまって、いつの間にか眠ってしまった、と。」


「……」


「先ほどお帰りになられましたが、悪いのは私なので怒らないであげて下さい、と。」


「……」


「うちに電話がないばっかりに、連絡もせずご心配をおかけした事、深く反省しております、と。アパートの管理人さんのおうちから電話をして来てくださいました。」


 の…乃梨子…


「それと…こんな私ですが、誓君との交際をお許しください、と。」


「えっ。」


 驚いてる僕の隣で、義兄さんが小さく口笛を鳴らす。


「千里さん。」


「あー。はい。すいません。」


 おばあちゃまに注意されて、肩をすくめるも…義兄さんは嬉しそうで。


「反対する理由なんてないっすよね。俺なんて、口裏合わせてやろうとしてたのに。そんなバカ正直に謝ってくる女、貴重っすよ。」


 何なら少し斜に構えて、おばあちゃまに言ってくれてる。


 …推してくれてる…んだ?


「…私は最初から反対なんてしてませんよ。」


「えっ?」


 今度は義兄さんと同時に声を出した。


「誓がうちに連れて来た子ですからね。よほど信用できる子なのでしょう。」


「……」


 義兄さんと顔を見合わせた。


「早くお入りなさい。」


 そう言って、歩いて行くおばあちゃまの後ろで。


「…やったな。」


 義兄さんが手を上げた。


「うん。」


 僕はそれにハイタッチで応える。


「で?マジで何もなかったのかよ。」


 義兄さんが僕の胸元を覗き込む。


「もー、何もないって。」


「つまんねーな。夏だぜ?」


「何だよそれ。」


 キスマークなんて、つけられるわけがない。


 乃梨子は…何もかもが初めてで。

 ずっと、僕の腕の中で震えてた。

 …可愛かった。


 僕も経験がないわけじゃないけど…

 守るものができた…って気がして…

 まるで、初めての気持ちだった。

 幸せだった。



 …満たされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る