第27話 管理人さんにお願いして、駐車場を借りた。

 管理人さんにお願いして、駐車場を借りた。

 管理人さんは『まさかうちの駐車場にBMWが停まる日が来るなんてねぇ』と、何度も言いながらご夫婦で車を眺めて。

 ついでに『車の前で写真撮っていい?』って…ノリノリだった。



「…お邪魔します…」


 桐生院君は…玄関で小さくそう言うと、部屋をぐるりと見渡した。


「ごめんね…狭くてビックリしたでしょ。」


「古いアパートで電話もテレビもないって聞いてたから、色々想像してたけど…」


「想像してたんだ…」


「うん。」


 あたしは座布団…座布団なんてないや…えっと…枕…いやいやまさか…


「…ごめん。人を呼んだ事もないから、お座布団もなくて…」


 申し訳なさそうに手を合わせると。


「全然気にしないよ。それに…想像してたよりずっときれいだ。」


「え?」


 桐生院君は笑顔になって靴を脱いで、小さなテーブルの前にあぐらをかいて座った。


「…あぐらかくんだ。」


「そりゃあかくよ。」


「ずっと正座してるタイプかと。」


「まさか。」


「お茶入れるから待ってね。」


「うん。」



 …さて。


 桐生院君ちで冷たいお茶が出た事がないから…って言うわけじゃないけど。

 何となく勝手に『名家の人は暖かいお茶』みたいなイメージがして。

 あたしは冷蔵庫の麦茶は封印して、棚の奥にある急須を出した。

 今夜は少し涼しいぐらいだし…いいよね。


 カチッとガスコンロの音が部屋に響く。


 あたしは…緊張していた。

 それは、桐生院君を部屋に連れ込んだから…じゃなくて。

 桐生院君に、質問したい事があったからだ。

 これを質問したら…彼はどう答えるんだろう。

 そう考えると…

 連れ込んだ事なんて、なんて事なかった。

 それが…ぐるりと見渡せば、ある程度の生活ぶりが分かってしまう部屋でも、だ。


 あたしの部屋は…女の子の一人暮らしとは思えないと思う。

 シンプル過ぎる。

 まるで気配を消しているかのように。



「お待たせ。」


 あたしがテーブルにお茶を運ぶと。

 それまで少しそわそわしていたのか…桐生院君はハッとした顔で『ありがとう』と小さく言った。



「…あのね?」


「うん…」


「聞きたい事が…あるの。」


「何?」



 ゴクン…


 緊張する。

 緊張すると…のどが渇く…

 あたしはとりあえず、お茶を飲もうと湯のみを手に…


「あつっ!!」


 自分で入れたクセに、熱いお茶に驚いた。


「うわっ!!だっ…大丈夫!?冷やした方が…」


「だっ大丈夫!!手にはかかってないのっ!!驚いただけ!!」


 まだ少しお茶が残ってる湯のみごと、あたしの前から避けようとする桐生院君の手を取ると。


「あっ。」


「えっ…」


 桐生院君の体勢が崩れて…顔が…近付いた。


「……」


「……」


「…ねえ…」


 唇が来る。


 そう思った瞬間。

 あたしは…問いかけた。


「本当に…あたしの事、好き?」


「…え?」


「あたしの事…そんなに…知らないよね…?」


「……」


 近付いてた唇が離れて。

 桐生院君は一度視線を外した。

 そして…立ち上がって台布巾を持って来ると、無言でテーブルを拭いた。


 …答えてくれないの?

 何だかそれが悔しくて…あたしは黙ったまま座り込んでしまった。


 そんなあたしを残して、桐生院君は台布巾を洗ったり…お茶を入れ直してくれてる気配も…

 そして…


「はい。」


 グラスにたっぷりと氷の入ったお茶を入れて戻って来た。


「…え?」


「うちが冷茶飲まないから気を使ってくれたのかもしれないけど…ここは塚田さんちなんだから、いつもやってるようにしてくれていいのに。」


「……」


 桐生院君…声のトーンが…少し低い。

 何か…怒ってる?



「…あのさ。」


 元の位置に座った桐生院君が、視線をテーブルに落として言った。


「うん…」


「塚田さん、自分の事知られるの苦手そうだったよね。」


「……うん。」


「だから、あれ以上聞くのはやめたし…一緒にいる中で、僕が見たまま感じたままの塚田さんを好きになったんだけど…それじゃダメ?」


 ダメ?と同時に…視線があたしに来た。


 桐生院君が見たまま、感じたままのあたし…


「自分の事そんなに知らないのに好きなのかって聞かれたら、僕も同じ事を質問しなきゃいけなくなる。」


「え?」


「だって、僕が話したのは主に身内の事で…僕自身の事じゃないから。」


「……」


「仕事の話は別として、だよ?」


「うん…」


 そう言われたら…確かに…

 今日だって、早乙女君という幼馴染みたいなものって存在、初めて知ったし。

 元々優しい人だとは思ってたけど…今みたいに、あたしの変な気遣いを察してお茶を入れ直してくれるとか…

 新たな発見だって、あった。



「…前に、僕が失恋したって言ったから?」


「え?」


「すごく落ち込んでたし。それで、信じられない?」


「そっ…そうじゃないの。」


 そう言えば、そんな事があった。って言ったら失礼だけど。

 あれはあれでー…

 映画を見て泣いて。

 スッキリしたのかな。って、勝手に思ってた。


 あたしが疑問に思ってしまうのは…



「…桐生院君が見たまま感じたままのあたしがどんなのか、分からないけど…」


「……」


「あたし…ほんと…なんて言うか…」


 うつむいて右手で左手を触る。


「…桐生院君と違って…家族に縁が薄くて…」


 小さく話し始めると、桐生院君が少し距離を詰めた。


 え?と思って見上げると。


「自分の事話すの、苦手なんでしょ?無理しなくていいよ。」


 笑顔ではないけど…優しい口調で言ってくれた。


「うん…そうなんだけど…話しておきたくて。」


「……」


「実は…もう五年会ってないの…」


「えっ?」


 さすがにそれには驚かれてしまった。

 …そりゃそうだよね…


「あたしは…一人っ子で…なんて言うか…昔からうちの両親すごく放任だったから、あたしも早くから自分の事はそこそこに出来るようになって…」


「……」


「それで…一人でも大丈夫になって…そうしたら、友達とか人と付き合うのが億劫って言うか…その前に方法が分からなかったって言うか…」


 もぞもぞと手を触りながら、伏し目がちに打ち明けると。

 桐生院君が、そっと…あたしの手を握った。

 それに…少しホッとする。


「だから…あたし、人と付き合う中で、何がダメで何がいいとか…全然分からない気がするのね?」


「……」


「そんなあたしと…大家族の中で、楽しい事ばかりじゃなかったにしても、色んな事に揉まれて育って来た桐生院君…合うのかなあ…って…」


「…合わない気がする?」


「そっそうじゃなくて。」


 顔を上げると、桐生院君は首を傾げてあたしを見てて。

 え。って顔をしてるあたしの頬に触れたかと思うと…唇が重なった。


「……」


 え…えー…?

 なんで?

 あたし…今、キスしたくなるような事…話したかなあ?



 だけど、すごく…泣きたくなった。

 嬉しいのに…泣きたくなった。


 どうして桐生院君にはわかるんだろう。

 あたしは今…自分の事を勇気を持って…少しだけ打ち明けた。

 だけど、真実までは話せなかった。

 望まれない子だった…なんて、やっぱり言えない。


 言えないクセに…そんな自分に悲しくなった。

 もう諦めたつもりなのに。

 まだ、あたしはどこかで望んでるのかもしれない。って。

 次の週末には帰っておいで。って、連絡がないか…なんて。



 唇が離れて、桐生院君はあたしをギュっと抱きしめた。

 その温もりがすごくすごく優しくて嬉しくて。


「…泣いていい…?」


「うん。泣きなよ。」


「…何で泣きたいか…よく分かんないんだけど…」


「理由なんかなくても、泣いたらスッキリする事もあるから。」


「……」


「…乃梨子…って、呼んでいい?」


「…ふ…っ…う…うん……」


「…乃梨子…」


 桐生院君は、あたしの名前を呼びながら…頭を撫でてくれた。


 理由なんかなくても…って。

 あたしには泣きたい理由があるのに、それを聞かずにいてくれる。

 そして…あたしの名前を呼んでくれる。



「乃梨子…好きだよ…」


 耳元に降って来る声は、優しくて…本当に…とても優しくて。

 あたしは、その優しさに…とてもとても、励まされて。


「…桐生院君…」


「ん…?」


「好き…」


「……」


「…大好き…」


「…うん。」


「あたしの事…好きになってくれて、ありがとう…」


 見つめ合って…唇を重ねた。


 そして…あたし達は…






 一夜を共にした。

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