第7話 「何かあったの?」

「何かあったの?」


「………えっ?」


 あたしが問いかけると、桐生院君はぼんやりしてた目をあたしに向けて。


「あ…あ、ううん。ちょっと寝不足で。」


 小さく笑った。


 五月に入って…桐生院君は少しぼんやりする事が増えた。

 溜息も増えた。


 あまり他人に興味のなかったあたしだけど…

 何となく、桐生院君の事はほっとけない。気がする。


 だって…お昼はいつも一緒だし…

 初めて、あたしを友達として家に招いてくれた人だし…


 …うん。

 気になるよ。

 溜息なんてつかれると。



「…もしかして、マリッジブルー?」


 バイト先のお姉さんがそうだった事を思い出して、何気に口にしてみた。


「マリッジブルー?何で僕が?」


 桐生院君はそう言って笑ったけど…


「麗ちゃんと双子だから、そういうのも共有しちゃうのかなって。」


 想像でしかないけど、思ったままを言ってみると。

 桐生院君は小さく笑ったものの…それはすぐにまた溜息に変わった。


「…そっかな。そうかも。変な感じだよね…結婚するのは麗なのに、僕がブルーになるとかさ。」


「あたしは一人っ子だからよく分からないけど…でも兄弟が結婚するってなったら、みんな気忙しくなったり胸がざわつくもんなんじゃないの?」


「…そうなのかな…」


「落ち込んでるなら、それでもいいんじゃない?今まで家にいた人がいなくなるって、寂しいはずだもん。」


 …あたしは…

 家を出た時、喜ばれたけどね。


 心の中で自分と比較すると、麗ちゃんが羨ましく思えた。



「…塚田さん。」


「ん?」


「誕生日、何が欲しい?」


「え?」


「誕生日。」


「……」


 口を開けて桐生院君を見た。


 誕生日…

 あたし、確か…桐生院君の誕生日は、レストランのハンバーグセット割引券をあげただけ。

 割引券だから、もちろん無料じゃない。


 だけど律儀な桐生院君は、それを持ってレストランに食べに来てくれた。



「あっあたしの誕生日なんて、そんなそんなそんな…」


 あたしが両手を胸の前でパタパタと振ると。


「僕が何かしたいんだから。何かさせてよ。」


 桐生院君は…いつもの笑顔。


「なっななな…なんで。あたしの誕生日なんて…」


 今まで、祝ってくれた人…いないよ。

 もう、変にドキドキして汗が出てしまった。


「えっ、どうしたの。」


 額の汗をぬぐうあたしを見て、桐生院君が笑う。


「いや、その…こういうの…慣れてなくて。」


 そう。

 本当に…慣れてない。



「…桐生院君のお兄さんがさ…」


「うん。」


「麗ちゃんの事、友達いなさそうだって言ってたけど…それはあたしもなんだよね。」


「……」


「あ、あたしの場合は『いなさそう』じゃなくて、本当にいなかったんだけど。」


 あたしは、指をもてあそびながら話す。


「小学生の時も中学生の時も…桜花の高等部の時だって、あたしは友達がいなかった。って言うか…作らなかったって言うか…作る余裕がなかったって言うか…」


 あ。

 ちょっとカッコつけちゃったかな。

 作る余裕がなかった…なんて。


 作る余裕があったとしても…あたしには勇気がなかっただろうし、友達になってもらえる魅力すらあったかどうか…


 あたしが少し唇を尖らせてしまうと。


「…その理由、聞いてもいい?」


 桐生院君が首を傾げて言った。


「え?」


「友達を作る余裕がなかった理由。」


「……」


 真顔の桐生院君に、あたしは顔が固まった。

 うっかり…自分の事を(しかも少しカッコつけて)話してしまった。

 そして、その理由を聞いていいかと尋ねられてる。

 今、双子の片割れの結婚でブルーになってる彼に、あたしごときの歴史を語るなんて…


「ど…どーでもいいような事なの。」


 首をすくめる。


 うん。

 本当にどうでもいい事だよ。

 家で目立たないようにしてたら、自然と学校でもそうなって。

 存在感ゼロになってしまったんだから。


 それに…コツコツとお金を貯めるために、授業が終わったら真っ直ぐ家に帰って。

 お年寄りの家の庭の掃除とか…代わりに買い物に行ったりとか…

 ああ…あたし、お年寄りには人気あったかも。

『便利な子がいる』って、口コミでバイトもらえてたし。



「…塚田さんさ…」


 今日はいい天気。

 ほとんどの生徒が日向ぼっこにでも出てるのか、食堂にはあたしと桐生院君以外、数えるほどしか人がいない。


「あまり自分の事、話してくれないね。」


「……」


 キョトンとして桐生院君を見る。


 自分の事…


 …でも。

 あたし、バイトしてる事言った。

 だから、桐生院君は食べに来てくれたりもした。

 だけど、桐生院君は自分ちがお金持ちだとか、華道の家だとか言わなかった。



「…えーと…でもそれは桐生院君も同じかと…」


「じゃあ、僕が話したら話してくれる?」


「……」


 あれー…

 どうして?


「…どうして、あたしの事なんて知りたがるの。」


 何となくだけど、モヤモヤして立ち上がる。

 あたしについてなんて知ったって、面白くもなんともない。


 桐生院君みたいに、大金持ちで大屋敷に住んでて、帰ったら可愛い双子ちゃんとかいて、料理上手なお母さんやお姉さんがいて、とびきり可愛い片割れがいて、ワイルドなお兄さんもいて…

 自分は華の道に進む。

 それだけキラキラした事が揃ってたら?

 そりゃあ…あたしだって、少し隠して小出しにでもしたかもしれないよ。


 でも…あたしには…

 …何もないの。



 ガシッ。


 何となく気分が悪くて立ち去ろうとすると。

 腕を掴まれた。


「…何?」


「友達だよね?」


「…う…うん…」


「だったら、座って。」


 桐生院君は、それまであたしが座ってた場所を目配せするんじゃなくて。

 自分の隣の椅子を引いた。


 …隣?

 隣に座れって?


「……」


 少しだけバツが悪くて…唇を噛みしめながらゆっくり座る。

 すると桐生院君は立ち上がって、二人分のお茶を入れて戻って来た。


「…ありがと。」


「僕んち、超幸せ家族に見えるでしょ。」


「……」


 いきなり…桐生院君の告白が始まった。


「でも姉さんがノン君とサクちゃんを産むまで、冷たい家だったよ。」


「…冷たい…?」


「姉さんは赤毛が原因で、ずっと遠くの学校の寮生にさせられてたし。」


「えっ…誰がそんな事を?」


「…今はもう亡くなったけど、僕と麗のお母さん。」


「……」


 そこで…あたしの脳内が、珍しく素早く動いた。


 確か…お姉さんとは親が違うって聞いた。

 でも、今のお母さんは…?

 弟の聖君のお母さんって事?

 つい首を傾げてしまうと…


「複雑なんだ。すごく。」


 桐生院君は…伏し目がちに言った。



 …あの日…

 あたしは愛に溢れた桐生院家を、本気で羨ましいと思った。

 だけどそれは…

 昔からそうだったわけじゃない…と。


 …そりゃそうか。

 家族が増えたり減ったりする中で、環境や状況は変わる。


 …うちの両親は、あたしが産まれて何か変わっただろうか。



「うちは色々特殊だから、僕も麗も『親友』って存在を作った事はないよ。」


「…親友…」


 本当は、その前の『特殊だから』っていうのも気になったけど…

 あえて、『親友』を口にした。

 あたしにも縁のないワード。


「何人か友達を家に連れて帰った事もあるけど、それは本当にテスト勉強だけとかさ。」


「女の子?」


 あ。

 何でこんな事聞いちゃったんだろ。って思ったけど、もう遅かった。

 桐生院君は。


「男だけ。」


 って、あたしの目を見て…なぜか少しだけ嬉しそう。

 …じゃあ、あたしが家に行った女子第一号…だ…。


「それでも、華道の家だって事以外は…話さなかった。」


「…まだ何かあるの?」


 あれだけの家なのに、もっとすごい秘密が…?

 あたしは、この後自分が色々聞かれるであろう事も忘れて、桐生院家の秘密にワクワクしてきていた。


 今まで…他人に興味なんてなかったクセに。



「…父さんは、スプリングコーポレーションっていう会社の社長。」


「スプリングコーポレーション…」


「うん。主に映像を扱ってる会社。CMとか作ってるけど、塚田さんテレビ見ないって言ってたから。」


 あ。

 それで…この前聞かれたのか。


「社長さんかあ…桐生院君も、いずれは継ぐの?」


「いや、僕は華道の方を継ぎたいって思ってる。」


「そっか…それもすごいよね。」


「それから…」


「…まだ何かあるの?」


「義兄さん。」


「…お兄さん?」


 あの、ワイルドだけど子煩悩なお兄さん?


「塚田さんは知らないんだろうけど、実は有名人なんだ。」


「えっ?」


「音楽聴かない?」


「お…音楽してる人なの?」


「うん。ミリオンセラーとか出してるバンドのボーカリスト。」


「……」


 あたしの口が、『あ』の形で空いたままになると。

 桐生院君は手を叩いて笑った。


「それとね…」


「ま…まだ?これ以上…何か…?」


 何となく、膝がガクガクしてる気がして両手で押さえると。

 桐生院君はクスクス笑いながら。


「…姉さんも、シンガーなんだ。」


 小声で言った。


「…あ…あの…ふわっとした…お姉さん…?」


「ふわっと…(笑)うん。」


「シンガー…」


「世界に出てるような人。」


「……」


 もう、膝がガクガクするだけじゃなく。

 腰が抜けた気がした。


 あたし…

 何も知らなくて…


「ゆ…有名人に…とんだ失礼を…」


 震える声でそう言うと、桐生院君は『姉さんは顔も名前も出してないから大丈夫』って笑ったけど。


「義兄さんは『俺もまだまだだな』って言ってたよ。」


 って…

 あたしに冷や汗をかかせた。





「塚田さんは、実家はどこなの?」


 その質問は、突然始まった。

 桐生院家の秘密?を聞いた後、午後の講義の時間になって。

 二人のミーティングは一旦終わった。


 あたしは…あわよくば、そのまま帰ってしまおうと思ってたんだけど。

 そんなあたしの魂胆を見抜いたらしい桐生院君は。

 正門に先回りしてあたしを待ってた。



 残念ながら、バイトは休み。

 あたしは、桐生院君に腕を引かれて『ダリア』というお店に連れて行かれた。



「実家はー…角野かどの渡町わたりちょうっていう…」


「えっ、隣県?」


「…そう。って、桐生院君、よく知ってるね。」


「うん…昔、うちの庭師さんがその町の人だったから。」


 庭師。

 庭師のいる家。

 いや…いるわ…あの庭なら。



「一人っ子だっけ。」


「うん。」


「ご両親は何してる人?」


「えーと…」


 あまりにも。

 あまりにも…突然自分の事を一気に聞かれて。

 あたしは面食らっていた。


 そりゃあ、この一年…あたし達はお昼を共にしてきたけれども。

 その時の会話の中身と言ったら…

 どの講義の先生があんな話をしてた、とか。

 バイト先のメニューが変わった、とか。

 桐生院君の通学路に新しい家が建った、とか…


 なんて言うか…

 ほぼほぼ、自分達自身の事ではなかった。


 なわけで…

 元々自分の事を話すのが苦手なあたしは…


「…あたしにも…何かあればなあ…」


 小さく溜息をつきながら、頭の中で渦巻いてる両親の顔を消し去ろうとした。

 だって、両親の顔…五年前のままだし。

 まあ、そんなに変わんないだろうけど。



「何かとは?」


「桐生院君のお兄さんとお姉さんみたいな隠し玉とか…」


「隠し玉…(笑)」


「あ、ごめん。秘密兵器?」


「ふっ…別にそういうのはなくていいんじゃない?」


「でも、音楽を聴かないあたしでも、その話にはワクワクしちゃったもん。」


「……」


「人をワクワクさせられる秘密って、いいなあって思っちゃった。」


 ほんと。

 あたしは…話したとしても、雰囲気が暗くなるような話題しかない。


「そう言って、結局自分の事は話してくれないんだね。」


 ふいに、桐生院君がテーブルに頬杖をついて…今までにないぐらいの低い声で言った。


「…え?」


「友達の僕にも、話したくない?ご両親の仕事とか、塚田さんがどんな子供だったかとか。」


「ど…」


 どんな子供だったか…!?


「どんな人を好きになって、片想いしてたか…とかさ。」


「……」


 な…

 何…

 何言ってんのー!?


 あた…あたし…あたしは…

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