第5話 「…こ…」

「…こ…」


 あたしは…目の前にドドーンとそびえたつ、立派な門を見上げて絶句した。



「…玄関から入りにくいなら、裏から入る?」


 桐生院君が、『裏』らしき場所を指差してるんだろうけど…

 それは、この大きな門のはるか向こう側に違いない。


 お…お坊ちゃまだったなんて…!!


 て言うか、桐生院って名前でそれぐらい察すれば良かった…!!



「き…桐生院君って…おお…おおお金持ちだったのね…」


「お金持ちは僕じゃないけどね。」


 桐生院君は、小さく『まあいっか』なんて言いながら、門の隣にある小さな扉の鍵を開けた。


「さ、入って。」


「……」


 そこからはまた…別世界だった。

 どこの庭園?っていうような、奇麗に手入れされた庭があって。

 少し緩やかな坂道を上ったその先に…ドーン…と大きなお屋敷が…


 …ゴクリ。


 あたし…築40年のアパートに住んでるのよ…

 こんな場所に…来て…いいの?


 おそるおそる桐生院君の後ろをついて歩く。

 ああ、来なければ良かった…

 そう思いかけた瞬間…


「ちー!!おかえいー!!」


「……」


 玄関が開いて、二人の子供が走って出て来た。


「ただいま。」


 桐生院君が二人の頭を撫でてると、一人があたしに気付いた。


「ちー、およもだち?」


「ははっ。いつまでも上手く言えないなあ。お・と・も・だ・ち。」


「お、よ、も。」


「た、ち!!」


 ど…どうしよう…

 あたし…今…


 天使を見ちゃってるー!!


 わなわなと震えながら、そのかわいらしさに心を奪われてると。


「なんか、人が来るの大好きだから…ごめんね。」


 桐生院君があたしを振り返って言った。


「う…ううん。可愛くて見惚れた…えっと…はじめまして。塚田乃梨子です。」


 あたしが姿勢を正して双子ちゃんに挨拶すると。


「かろんじぇす!!」


「しゃくかじぇす!!」


 二人は何かカッコいいポーズみたいに手を上げて、キメてくれた。


「ふっ…毎日見ても飽きないなあ。ノン君、サクちゃん、中に入っていいかな?」


「いいよ~。」


「おーばーちゃー。ちーのおよもだち、きたー。」


 二人がそう言って、家の中を駆け出そうとすると。


「しー。聖と華月が起きてしまうでしょう?」


 いきなり、着物姿の女の人が…現れた。


 はっ…

 え…ええと…おばあさん…かな?



「はっ初めまして…桐生院君の同級生の、塚田乃梨子と申します。」


 体が90度になるぐらいのお辞儀をすると。


「おや、誓が女の子を連れて帰るなんて。珍しい事。」


 決して…優しくはない声が聞こえて来た。


「……」


 おそるおそる顔を上げると。


「ちょっと裏庭を見せたいと思って。」


 桐生院君がそう言って、あたしをチラリと見た。


「…裏庭?」


 見せたい物があるとは聞いたけど…裏庭とは知らなくて。

 あたしがキョトンとしてると、双子ちゃんがまた出て来て。


「ちー、しゅなばいく?」


 さっき、おばあさんから『しー』と言われたのを覚えてるのか。

 小声でそう言って、桐生院君の手を取った。


 …ああ、ヤバい。

 初めて間近で見る幼児が天使だなんて…


 連れて帰りたい。



 そのまま庭を歩いて裏庭に…と思ってたら。


「中を通った方が早いでしょう。」


 と、おばあさんが言って。


「お…お邪魔します…」


 恐縮ながら、あたしは一度家の中に入った。


 …目まいがしてしまいそうだ。

 何だろう…この広さ。

 玄関から入ってすぐの廊下だけでも、あたしのアパートの敷地ぐらいある気がする。

 左にはただっ広い縁側があって…ズラリと障子が…



「聖と華月は大部屋?」


「いいえ。中の間でさくらと休んでますよ。」


「姉さんは?」


「まだ帰ってませんよ。」


「麗は?」


「式場に打ち合わせに行ってます。」


 桐生院君とおばあさんの話を聞きながら、廊下を歩く。


 麗は?

 式場に打ち合わせに行ってます。


 …式場?


 首を傾げながらも歩いてると。


「鞄、ここに置いて。」


 突き当りの右側に突然現れた大きなリビングダイニングで、桐生院君が言った。


「わあ…すごい…」


 いったい何畳分だろう。

 小学校の時のプールを思い浮かべてしまった。


 大きな一枚板のテーブルは椅子を使わないタイプで。

 床から足元が一段低いタイプで、掘りごたつタイプっていうんだっけ?

 大勢が座って楽しめそう。


 キッチンには、カウンターがあって…そこに腰高の椅子があって、何人かはそこでも…


 …そうか。

 話を聞いてると、ここは大家族だよね。

 いやー…こんな世界があるなんて…



 言われた通り鞄を置かせてもらって、裏庭に向かうらしい桐生院君に続く。

 あたし達の後ろには、可愛い双子ちゃんもついて来てる。


「これ履いて。」


 裏口にも立派な靴箱があって、あたしは出されたピンクのサンダルを履いた。


 …桐生院 麗の…かな。って思うと、少しの罪悪感と、ドキドキ。


「ちー、しゅなばこっちよー?」


 双子ちゃんが立ち止まって言ったけど。


「先に行ってて。僕はこっちに用事。」


 桐生院君は、双子ちゃんにそう言った。


 …庭に砂場があるなんて…と思ったけど、そこには滑り台もあった…

 ちょっとした公園だよ…桐生院君ち、すごいわ…



「ここ、入って。」


「?」


 連れて来られたのは、庭の片隅にあるビニールハウス。


 …温室?


「何?」


「これ。」


「………あ。」


 指差されたのは、鉢に咲いてるピンクの花。


「これ…中庭に咲いてた花と同じ…?」


「そ。レシュノルティア。乾燥に弱いから、外だとあまり長く咲かない花なんだ。」


「詳しいんだね…」


 あたしが中庭で見た花は、地に這うような花だったけど。

 鉢に咲いてるこれは…少し伸びて花もいっぱい咲いてる。


 温室には、他にもたくさんの花があった。

 桐生院君はそれらを見ながら、時々葉っぱを取ったりしてる。


「花、好きなの?」


 レシ何とかに少し感動したまま問いかけると。


「うん。好きだね。」


 即答。


「男の人で花を好きって、珍しい気がする。」


「そうかな。まあ、普通はそうか。でも僕は仕事としてでもあるけど…生まれた時から花に囲まれてるからかな。それが普通になっちゃったよ。」


「…仕事として?」


 首を傾げて問いかけると。


「華道の仕事。」


 桐生院君も首を傾げて答えた。


「…華道…」


「生け花とか。」


「…生け花…」


「うちは、華道の家なんだ。」


「……」


 それは…全くの別世界で。

 あたしは、今まで桐生院 麗を下に見てしまってた事や。

 桐生院君にくっついてここまで来てしまった事を…


 大いに反省した。



「ちー、およもだちと、おはなししゅんだ?」


 あたしと桐生院君が、足元にあるプランターの花をしゃがみ込んで見てると。

 双子ちゃんがドアップでやって来た。


 ああ…

 泣きたくなるのはなぜだろう…!?


「あはは…もう暗くなるから砂場はダメって言われるよ?」


「およもだちと、しゅなばしたいよ~。」


「およもだち…『のりこちゃん』だよ。」


「のいこちゃん!!」


 パッと。

 あたしの目が、パッと見開いた。


 …のりこちゃん…!!


 今まで、あたしの事を下の名前で呼んでくれてたのって…

 近所のおじさんおばさんだけだ…!!

 しかも、ほんの数人…

 下手したら『塚田さんとこのお嬢さん』って。

 名前すら覚えられてなかったんだもん…


 …なんだろ。

 感激。



「のいこちゃん、しゅなばであしょぼうよ~。」


「しゃくもあしょびたいよ~。」


 目をキラキラさせてる双子ちゃんに手を引かれては、断るわけにいかない!!

 そう思って立ち上がると…


「華音、咲華。」


 裏口のドアから、男の人の声が聞こえた。


「あっ!!とーしゃーん!!」


「おかえいー!!」


 途端に駆け出す二人。

 手を離されたあたしの両手は、少し寂しくなってしまった。


 …今まで、こんな気持ちになった事ない。

 今日は何だか…気持ちが忙しいな…


 そう思ってると。


「おう…彼女か?」


 二人を抱えた…何だか少し普通の人っぽくない…ワイルドな男の人が現れた。


「大学の同期。」


「あ…塚田乃梨子です。初めまして。」


 立ち上がって、これまた90度にお辞儀する。


「どうも。誓の義理の兄です。」


 て事は…桐生院君のお姉さんの…旦那さん。

 …ここで暮らしてるのかな?

 て事は…婿養子…?


「しゃくのとーしゃんよー。」


「ろんのとーしゃんよー。」


 双子ちゃんが可愛く紹介してくれて、またあたしがメロメロになってると。


「…塚田さん、あまりテレビとか見ないんだっけ。」


 桐生院君が少し笑いながら言った。


「え?あ…うち、テレビないから…」


 うわー…何だろ…

 今の可愛い紹介、何かテレビで流行ってたりするのかな…

『〇〇のとーしゃんよー』ってやつ。



「…同期って事は、高校も一緒か?麗も知り合いか。」


「同じクラスだったよね?」


「う…うん…話した事はないけど…」


「ふっ。あいつ友達いなさそーだもんな。」


「義兄さん。」


「しゃく、うややちゃんとおよもだちなる~。」


「ろんも~。」


 何だか分かんないけど…

 カッコいいお兄さんと、可愛い双子ちゃんと…

 何だかホッとする桐生院君と立ち話をしてると。


「塚田さん、おうちの方がいいなら、お夕飯一緒にどうぞ。」


 おばあさんが…あたし達を呼びに来た。


「だって。食べて帰りなよ。」


「こら、誓。おうちの方に聞いてからですよ。」


「塚田さん、一人暮らしだから。」


「まあ…そうでしたか。じゃあ、食べてお帰りなさい。」


「え…えっ、あの、あたしの事はお構いなく…」


「麗が遅くなるようなので、一人分余ってしまうのですよ。遠慮しなくていいです。」


「だって。いいじゃん。」


「……じゃあ…いただきます…」


 …ああ…

 大丈夫かな…あたし。

 大人数での食事に慣れてないのに…




 何か手伝った方がいいんだろうか。


『大部屋』と呼ばれるリビングダイニングに通されたあたしは。

 テレビの前に座らされて…『その時』を待っている。


 その時…


 夕食。



 好き嫌いはないけど…作法がちゃんとしてるかどうか、分からない。


 どうしよう。

 こんな大屋敷だから…

 フルコースとか…出て来ちゃうのかな…



「のいちゃん、きーちゃんおきたよ。みてみゆ?」


 カチコチになってるあたしの前に現れたのは、双子ちゃんの…サクちゃんの方。


「きーちゃん?」


 誰の事かな?と思って問いかけると。


「んっとね…しゃくのいもうとの、かちゅきとふたごなの!!」


「サクちゃんの妹と双子って事は…サクちゃんの弟?」


「うん!!」


 バンザイポーズで返事をしてくれたサクちゃんの可愛いこと可愛いこと…

 だけどその言葉に。


「サクちゃん、違うでしょ。」


 クスクス笑いながら、桐生院君がやって来た。


「え~、ちあうの?」


「華月はサクちゃんの妹だけど、聖は僕の弟。」


 あ。

 そっか。

 弟が産まれたって言ってたっけ。


「ん~…ちーとしゃく、きょうだい?」


「僕はサクちゃんの叔父さん。」


「ん~…」


 サクちゃんは首を傾げて過ぎて、今にも転んでしまいそう。

 そんな様子も可愛過ぎて、あたしがメロメロになってると。


「塚田さん、今日はずっと面白い顔してるね。」


 桐生院君がそう言って笑った。


「…面白い顔?」


「うん。普段しないような顔。」


「ま…まあ…普段はこんなにメロメロになるような事、ないから…」


「ははっ。そっか。」


 あたし達がそんな会話をしてると。


「あっ、かちゅきときーちゃん、きたよ~。」


 サクちゃんが、廊下を指差して言った。


 そこには…

 ノン君を先頭に。

 赤毛の女の人と…ボブカットの女の人。

 二人とも、赤ちゃんを抱えてる…


 …ええと…


「桐生院君…」


「あ、姉さんと母さんと…弟と姪っ子。」


「……」


 姉さんと弟と姪っ子は…分かるとして…

 ボブカットの人、お母さん…!?

 若過ぎない⁉︎



「えっ、誓の彼女?」


 その、お母さんにいきなりそう言われて。


「ちっちち違いますが、塚田乃梨子と申します!!初めまして!!」


 あたしは立ち上がって、90度のお辞儀をした。


「誓が女の子連れて来るなんて、珍しいわね。」


 赤毛の女の人は、お姉さん…


 わー…ふわっとして…柔らかいイメージの人…


 決してお母さんとお姉さんがどうって言うわけじゃないんだけど。

 …こうして見ると、桐生院 麗の可愛さは…ダントツだわ…

 みんな整った顔だけど、彼女は本当…信じられない可愛さ。



「温室で何を見てもらってたんですか。」


 おばあさんがそう言うと、桐生院君は。


「レシュノルティア。」


 短く、そう答えた。


「そんな花があったかしら…」


 おばあさんのつぶやきに、お姉さんが。


「ああ、あれね。ピンクの。」


 笑顔になって。


「難しい名前で覚えてるのね。ハツコイソウでしょ?」


 桐生院君に、そう言った。


 ハツコイソウ。


 その名前を聞いて。

 あたしの中で、何か音が聞こえた気がした。


 お兄さんは『ハツコイソウ、な』ってニヤニヤしたけど。

 レシ何とかじゃ覚えられなかった花が。

 あたしの中で、ハツコイソウとしてインプットされた。

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