第4話 「ここ、いい?」

「ここ、いい?」


 翌日。


 食堂でお弁当を開いた瞬間、前に来たのは…

 桐生院 誓だった。


「…え?」


 あたしは、とても間抜けな顔で彼を見上げたと思う。


 だって…他にも席は空いてるし。

 なんで…あたしの前に?


 そんなあたしの疑問な視線もお構いなしな彼は。

 学食…ではなく、意外と大きなお弁当箱を置いて椅子に座ると。


「これ、塚田さんの?」


 ポケットから、小さな透明の袋に入ったピアスを取り出した。


「…ううん。あたし、アクセサリーしない……」


 はっ。


 そうか!!

 世の女子はアクセサリーをするのよ!!

 リップだけじゃない!!



 別に桐生院 麗を目指してるわけじゃないけど、あの日の彼女を思い出そうとした。


 本当に…可愛かった。

 だけど、そんなファッションやアクセサリーを忘れさせてしまえるほどの笑顔を、彼女は持っていた。


 …笑顔か…

 ほんと、あたしが最後に笑ったのっていつ…



「そっか…レシュノルティアのそばに落ちてたから、塚田さんのかと思った。」


「…これ、あそこで見つけたの?」


「うん。」


「……」


「落とし物で届けよう。」


 桐生院 誓はそう言ってピアスをポケットに戻すと、お弁当を開いた。


 えーと…

 昨日…

 あそこで、こんな小さなピアスを見付けたの!?

 で、ご丁寧にも袋に入れて…持って来た…と!?



 あそこでレシ何とかの観察を始めた桐生院 誓を置き去りにして、あたしは無言でその場を去った。

 まあ、ぶっちゃけ…花にも桐生院 誓にも興味がなかったからだ。


 夕方から夜まではレストランのバイトもあるし、何より…カサカサな唇を見られたくなかった。

 今日はリップをちゃんと塗ってるし、常備もしてる。

 少しずつ女子に近付くためにガンバ……


「…美味しそう…」


 つい、言葉にしてしまった。


 だって…だって!!

 桐生院 誓のお弁当…

 すごい!!


「あ、はは。うん。今日は姉が作ってくれた。」


「姉…姉って…」


「あ、麗じゃないよ。三つ上の姉もいるんだ。」


 三つ上の姉も、って事は。

 この人は双子でも桐生院 麗の弟なのか。


 それにしても…

 弁当箱の中身…!!

 すごく色鮮やかと言うか…それでいて栄養満点としか思えないラインナップ。


 …ああ…

 自分のお弁当、隠したい…

 レストランのまかない、コッソリ持って帰ったやつだし…



「…あの。」


「ん?」


 あたしは、勇気を振り絞って聞いてみる事にした。


「桐生院…君、友達いないの?」


 あたしの、とってつけたような『君』に、一瞬笑いそうになった桐生院…君は。

 友達いないの?に、目を丸くして首を傾げた。


 …やっぱチワワだ。



「どうして?」


「だって…友達と食べたらいいのに。」


 お弁当を目配せして言うと。


「お昼は特に誰とって決めてないし、むしろ一人の方が多いけ……あっ、もしかして邪魔だった?」


 今更のように背筋を伸ばして。


「ごめん。」


 あたしに、頭を下げた。


「……」


 この人、大事に育てられてきたんだろうなあ…

 純真とか純粋とか、そんな言葉しか浮かばない。

 そして、それはとても眩しい。

 桐生院 麗の笑顔みたいに。


 …あたしには…


 痛い。






 それからも…


 なぜか、桐生院君はあたしを見付けると『ここいい?』とお昼を一緒に食べるようになった。

 すると自然と…


「ねえ、誓君と付き合ってるの?」


 そう聞かれる事が増えた。


「まさか。」


 あたしがそう答えると。


「そうよね~。」


 と笑顔をいただく。

 それを疑問にも思わないあたしもいたが、後々『ん?』と少し悔しく感じる事もあった。



 あたしは自分の好きな物を見付けたくて、大学とバイト以外に自分の時間を作る事にした。

 本屋に行って、ファッション雑誌を手にしたり…小説を手にしたり…

 はたまた、勇気を出してデパートの化粧品コーナーでお肌チェックをしてもらったり…


 今までは近所の商店街のセールで『着れれば何でもいい』感覚で買ってた服も、これじゃいけないと気付いて…

 ケチケチとお金を貯めて来たけれど、自分に投資するのは悪い事じゃない。と言い聞かせて、最小限の化粧品と少し明るめな服を買った。


 そこで気付いたのが…

 実は、パステルカラーの明るい色が好きだという事。

 小さな頃から、目立たないように目立たないように…と、黒や紺色、グレーを着て来たように思う。


 手にしたパステルピンクのブラウスにすごく惹かれたけど、自然とそれは桐生院 麗の色だ。と思えて、手から離した。

 だけど、いつかそれが似合うようになりたい…とも思えた。


 …前進だ。



「それ、似合うね。」


 桐生院君にそう言われた時。

 あたしはお箸を口に入れていて。

 そのまま、四、五秒固まった。


 桐生院君の言った『それ』が分からなかったのと…

 似合う…?似合うって…どういう事?と、ちょっと頭が回らなかったからだ。


 そんなあたしの様子に気付いたのか…


「あ、ごめん急に。」


 桐生院君はお茶を一口飲んで。


「最近、明るい色着てるの、似合うなって思ってたんだ。」


 あたしの目を見て、言ってくれた。


「……ほんと?」


 やっと、声が出た。


「うん。モノトーンが好きなのかなって思ってたけど、絶対明るい色の方が似合うのにとも思ってたから。」


「ぜ…絶対明るい色の方が似合う?」


「うん。」


「どうして?どうしてそう思ったの?」


「え…えっ?」


 あたしが早口に質問したせいか、桐生院君は少し面食らったけど。


「どうしてって…塚田さんのイメージは、パステルカラーかなって。」


 真顔で答えてくれた。


「…パステルカラー…あたしが……?」


 ポカンとしたまま、呆然と答える。


 こ…この人…

 あたしのどこがパステルカラーだなんて思ってるんだろう。

 あたしのイメージ…

 イメージって…

 イメージ…


 イメージで言うと…

 桐生院君は…茶色。

 それは、名前に『桐』って木が入ってたり。

 …チワワに似てるから…


 なんて言えない!!


 だから、『あたしのイメージってどんなの?』って聞けない!!

『じゃあ僕は?』って聞かれても困るから!!



 だけど、そんなあたしのイメージとは違っても。

 桐生院君はだいたい青とか…オレンジ系の服を着てる…気がする。

 そして何より…いつも、きちんとしてる。


 お姉さんがお弁当作るんだから、実家暮らしだよね。

 たぶん、お母さんもきちんとした人なんだろうなあ…


 桜花の短大の方に進んで、めったに見かけなくなった双子の片割れ(もはや桐生院 麗の方が片割れ呼ばわりになった)も、いつも清潔感溢れる白いハンカチを持ってたっけ。



 あまり褒められたり、自分についてを言われた事のないあたしは。

 あたしに対して、ストレートに何かを言ってくる人が苦手だ。

 だけど、桐生院君は気付いてもその時じゃなく、少し遅れて言ってくるような人で。

 それはそれで心地良かったのだと思う。


 一緒にお昼を食べたり、気が付いたら帰り道で隣にいたり。

 バイト先に友達を連れて食べに来てくれたり。

 だけど、『塚田さん』『桐生院君』のスタンスは変わらないまま、一年が過ぎたある日…



「塚田さん、今日バイト休みの日だよね?」


 何とか単位を落とす事なく、大学二年生になったある日。

 お昼の食堂で桐生院君が言った。


 相変わらず友達はいないけど、桐生院君はその括りに入れてもいいのかなあ…いや、友達だなんていうのは厚かましいのかな…と思ってた頃だ。



「うん。」


「何か予定ある?」


「ううん。」


「じゃあ、今日終わったら…うち来ない?」


「うん。」


「じゃ、四時でいい?」


「う…って、ちょっと待って。」


「え?」


 勢いで『うん』って答えてしまったけど。

 今、桐生院君…

『うち来ない?』って言った…?



「えーと…」


 頬をポリポリとかいて考える。


 家に行く。

 友達の、家に行く。

 あたし、そんな事…一度もした事がない。


「えーと…あの…この際だから正直に言うけど…」


 あたしは背筋を伸ばして、桐生院君に向き合う。


「…うん?」


「見てたら分かったと思うけど、あたし、友達がいないのね。」


「……」


「それで、今まで一度も『友達の家に行く』っていうのをした事がなくて…」


「……」


「学校帰りに、ふらっと行っていいものなの?」


 恥ずかしい事を聞いてるかもしれない。と思ったけど。

 桐生院君だから、ちゃんと聞きたいと思った。



「…僕は、友達じゃないんだ?」


「……え。」


「まあ…確かにお互いの詳しい事なんかは知らないかもしれないけど…ここ一年、ここで一緒にご飯食べたり、一緒に帰ったりして…僕としては、勝手に友達だって思っちゃっててさ…」


「……」


 あたしの口は『え』と『あ』の中間ぐらいで空いたまま。


 あたし…桐生院君の友達…なの?



「僕も友達は多い方じゃないけど、でも『見てたら分かる』っていうのはないよ。講義の時に隣に座ってる人と話してるの見たら、友達なのかなって思ったりしてたし…って、僕の友達定義が低すぎるって言われるかもしれないけど。」


「……」


「別に見極めてたわけじゃないけど…この一年で塚田さんの事、すごく信頼できる人だと思って。」


「あ…あたしが…?」


「うん。だって、約束はちゃんと守ってくれるし…小さな事でも気にかけてくれたり。」


「…自覚ない…」


「だから、それが塚田さんなんだよ。それで…今日は見せたい物があって。」


「…見せたい物?」


「うん。だから、うちに来てもらえないかなって。」


「……」


 あたしの事、信頼できるって…

 約束を守るのは…当たり前の事だから、当然死守するぐらいの気持ちではいたけど…

 そんな当たり前の事をしただけで、信頼できるって言われるなんて…


 あたしの事、ちゃんと見てくれた人がいる。

 どんなに約束を守っても、両親はあたしを誉めた事すらない。



「学校帰りに、普通に来てくれていいから。」


 桐生院君の言葉に、肩の力が抜けた気がした。


「…おうちの人は、いいの?」


 実家に誰かを連れて帰った事のないあたしには分からないけど、たまに両親が会社の人を連れて来るのが、あたしは好きだった。

 あたしの存在を知られたくて…好きだった。

 だけど『部屋から出ちゃダメよ』と言われ、あたしの存在は知られないままだったけど。



「いいよ。ちょっと…賑やかだけど気にしないでもらえたら。」


「賑やか?」


「…実は、12月に弟が産まれて…」


「……」


 またまた、あたしは目と口を大きく開けた。


「ついでに、姉さんも同じ日に出産したから、赤ちゃんが二人と…四歳の双子の甥っ子と姪っ子もいて…」


「……」


「子供、苦手?」


「う…ううん…実は…あまり小さい子に接した事がなくて…」


 そう。

 本当に、そう。

 レストランや水族館のバイトでは、接客担当じゃないから…


 …正直…

 興味はある。



「苦手だったら、会わないように出来るから。」


「あっ…ううん。大丈夫。」


「そ?じゃ…四時に正門で。」


「うん。」



 こうしてあたしは…生まれて初めて、『友達の家』に行くことになった。


 だけどそれは…



 何かの始まりでもあった。

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