第18話 「うわっ!!」

「うわっ!!」


「きゃ!!」


 廊下を歩いてると、非常階段からの通路で人にぶつかって…


「あいたた…」


 僕は転んだ。


 まさか、こんな所から人が出て来るなんて…思ってなかった僕も悪いけど…



「ご…ごめんなさい!!大丈夫ですか!?」


 転んだまま、その声を拾って…上半身を起こす。


「……」


「…え?」


 僕の前に跪いて、僕の顔を覗き込んでるその人は…


「な…何かな…」


 つい…マジマジと顔を見入ってしまった。


 この人…


 この声…


「…えっ?」


 つい、僕は…その人を膝立ちして抱きしめてしまった。



「えっ…ええっ!?ちょ…ちょちょ…」


「すみません…」


「…は…はい?」


「…何か…喋って下さい…」


「…は?」


「声を…」


「……」


「声を、聞かせて下さい…」


 この声だ…

 僕が不安な時に、助けてくれた声。

 僕の頭を撫でながら…Deep Redを歌ってくれた。


 …あの声だ…。



 それに…ホームシックだった僕の手を取って、遊んでくれた…あの人だ。



 幼かった僕の記憶が間違いじゃないとは限らないのに…

 不思議と自信があった。


 僕は、この人と会った事がある。



「……まこ…ちゃん…?」


 声の主に名前を呼ばれて、驚いて身体を離した。


「…僕を、覚えてるんですか?」


「…あなたも、あたしを…覚えてるの?」


「ずっと…聞きたかった声だと思って…」


「え?」


「小さい頃…すごく不安だった時に…僕を助けてくれた人の声です。」


「……」


「ずっと、ずっと会いたいって思ってました。」


 本当に。


 僕は感謝の気持ちもこめて…もう一度ハグをした。


 大げさかもしれないけど…

 僕の耳の良さは、この声を確かめるためにあったんじゃないかって思えた。


 ずっと…会いたかった声。



「あの…あのね…?」


「はい…」


「あたし…事故に遭って…昔の事、あまり…覚えてなくて…」


 事故…?


 僕は腕を離して、その人の姿を上から下まで…ゆっくり見た。


「だけど…なんだろ…『まこちゃん』って名前…憶えてる。」


「…父は、島沢尚斗といって、Deep Redっていうバンドのキーボーディストです。」


 Deep Redを歌ってくれた事…覚えてないかなと思って、言ってみると。


「…ナオトさんの、息子さん…」


 意外にも…父さんの名前が出て来た。


 父さんの知り合い?



「はい。」


「…あたしこそ…助けてもらったんだよ…きっと…」


「…え?」


「…大きくなったんだね…」


「僕もバンドで、キーボード弾いてます。」


「そうなの?すごい…聞いてみたいな。なんてバンド?」


「SHE'S-HE'Sっていうバンドです。」


「…え?」


「え?」


 その人が丸い目をしたから、僕も同じように丸い目をしてしまう。


 すると…


「…ボーカルの…知花の母です…」


「…え?」


 え?え?ええーっ?

 じゃあ…じゃあ…この人…高原さんが、ずっと…


「え?」


 僕が少しポカンとしてしまったからか、知花のお母さんは首を傾げて僕と同じポーズになった。


 …なんて言うか…

 知花の『お母さん』なのに…すごく、若くて…

 知花に双子の姉妹が出来たイメージ。



「じゃあ、いつでも会えるんだー。嬉しいなー。」


 僕がそう言って立ち上がると。


「でも…ちゃんと思い出せなくてごめんね。」


 知花のお母さんも、ゆっくりと立ち上がった。


「いいんです。そっか…僕、高等部の時、知花の声聞いたら眠くなっちゃってて…」


「えー、なんで?」


「親子だからなのかな。声、そっくりとまでは言わないけど、どこか似てるかも。」


「……」


 知花のお母さんは、優しい笑顔で。


「まこちゃん、また会おうね。元気で頑張ってね。」


 って、僕の両腕をバンバン叩いた。


 …うははっ。

 ほんと…お母さんって言うより…姉妹だよー。


 僕の大事な知花に、大事な人が増えた。

 そうすると、僕にとっても…大事な人が一人増えた気がして…



 すごく幸せになった。




 知花のお母さんと手を振りあって、ルームに戻ろうとすると…


「あたし、どうしたらいいの?」


 曲がり角の先から…姿は見えないけど、知花の声が聞こえた。


 その剣幕に…何となく、足を止める。


「千里のこと、忘れられない…かと言って、前にも進めないで…」


 ……


 知花…やっぱり、神さんの事…忘れられないんだ…

 って、分かってたけど…

 僕には見守るしかないから…


 …これ…

 誰に打ち明けてるんだろう?


 こっそり覗きたい衝動はあるものの…

 それはルール違反な気も…


 幸い、時間が時間だけに、この階には僕以外うろついていない。



「光史なら…こんなあたしをどうにかしてくれるの?」


 ……光史君…なんだ?


 まあ…一緒に暮らしてたし…不自然じゃないけど…

 僕の中では、何となく…陸ちゃんも知花を好き…だよね…って気がしてて。

 …光史君、陸ちゃんとは仲がいいし…

 それに、知花が神さんを忘れられないのは、みんな察してると思ったから…

 それぞれ、一歩引いてると思ったんだけど。



「知花…」


 光史君の声が聞こえて。

 何かを置くような音も聞こえた。

 もう…そうなると、好奇心が抑えられなくて。

 僕は…そっと顔を覗かせた。


 するとー…そこには。

 散らばった譜面と。

 揃った譜面が床にあって。


 さっきの知花のお母さんと僕みたいに…膝立ちしてる光史君が…

 知花を抱きしめてた。


 …神さんには悪いけど…

 今、目の前でこうしてる二人は…すごく絵になってて。

 それだけの理由だけど…僕は、もうこの二人がくっついちゃえばいいのに。って思った。


 やがて、二人の唇が重なって…


「俺が、忘れさせてやるから…」


 光史君が、知花の耳元でささやいた。



 …覗いてごめん。


 心の中で謝りながら。

 僕は…耳のいい知花にバレないよう、忍び足でその場を離れた。



 ルームに戻ろうとしてたんだけど…スタジオ行こうかな…



 今、僕らはセカンドアルバムのレコーディング中。

 さっきまでセン君が弾いてたんだけど…どうなったかな。



 僕はさっきの二人の残像を頭から消そうとして…だけどまた出て来て…

 エレベーターをやめて、階段でスタジオ階に向かった。

 そして、無人だらけのスタジオの前を歩いて…


「…あ。」


 その中の一つに、神さんを見付けた。


 ドアの上の方にある小窓から、こっそりと中を覗くと…

 神さんは、アコギを手に歌ってた。


 …TOYSが解散して…神さんは少しの間、行方不明になってた。

 その間の事、誰も詳しくは知らないみたいだけど…

 音楽はせずに、旅に出てた…って。

 高原さんから聞いたらしい父さんが、僕にコッソリ話してくれた。


 ついでに『知花は千里とよりを戻す気はなさそうか?』って、探りも入れられた。

 …その時は『そんな話しないから分かんないや』って答えるにとどまったけど…

 実際の所…知花は神さんを忘れられずにいる。

 そして、忘れるために…光史君と…



「……」


 悪循環な気がした。

 知花と光史君はお似合いだと思うけど…



 スタジオの中、神さんが歌うのをやめた。

 少し控えめに覗いてると…神さんはポケットから財布を取り出して…


「…え…っ?」


 僕は今、驚きで目を見開いてる。

 神さんが財布から取り出したのは…ノン君とサクちゃんと…神さんが写ってる写真だからだ。


 え?え…えっ!?


 神さんには秘密のまま…のはず…


 何で!?



 神さんはその写真をまた財布におさめると、歌い始めた。


 …この人の原動力は…やっぱり…今でも知花なんだ。



 しばらく覗いてると、神さんが僕に気付いてしまった。


 あ…あちゃ~…と思ってドアから離れると。


「…使うのか。」


 神さんが、ドアを開けて言った。


「い…いえ、通りすがっただけです。」


「そうか。」


「……あの。」


「……」


 光史君、ごめん。

 僕は、そう心の中で謝りながら…


「…頑張って下さい。」


 神さんに、そう言った。


 神さんは、僕をじっと見た後…前髪をかきあげて。


「何の事か知らねーが、サンキュ。」


 そう言って…


 スタジオのドアを閉めた。

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