第4話 「わー…」

「わー…」


 僕はそのビルを前に、口を開けたまま上を見上げた。


 ビートランド。

 父さんが所属してる事務所。


 会長は、父さんの親友でもあり…同じDeep Redでボーカルをしてた高原たかはら夏希なつきさん。

 小さい頃、すごく可愛がってもらってた記憶はある…ような、ないような……いや、ある。



 成長と共に、僕も父さんと一緒に事務所に来たりする事なくなったし…

 一人で来るのは初めてだから、緊張しちゃうなあ。



 今日、学校から帰ると。

 母さんに頼まれた。


「帰ってすぐ悪いんだけど、事務所に行って来てくれない?」


「…事務所?」


「ビートランド。お父さんが、これを届けて欲しいんですって。」


 そう言って、母さんは足元に置いてあるキーボードを指差した。



 そんなわけで…僕はキーボードを担いで、ビートランドにやって来た。


 少しドキドキしながらロビーに入ると…


「ああ、真斗。待ってた。悪かったな。」


 待ち構えてたらしい父さんが、入口のそばにあった椅子から立ち上がって言った。


「取材?」


「ああ。古い機材でお気に入りを見せて欲しいって言われて。」


「そっか。それならこれだね。」


「久しぶりに上がってみるか?」


 父さんがエスカレーターを指差して、僕はその上を見上げる。


 久しぶりに上がってみるか?って言われても…

 僕はここに来るのがいつぶりなのかも思い出せないほどだ。

 下手したら、初めてな気分でもある。



「…うん。行ってみようかな。」


 少しワクワクしながら父さんを見ると、父さんも心なしか嬉しそうな顔で。


「よし。ちょっと待ってろ。パスもらって来る。」


 インフォメーションでゲストのパスをもらってくれて。

 僕はそれをかざして…エスカレーターに乗れた。



 二階のエレベーターホールに行くと…あー…何だか業界人ぽい人で賑わってる。

 桜花の制服のままの僕は、ちょっと…浮き気味。

 すぐ帰るつもりだったから、このままで来ちゃったけど…

 着替えて来れば良かったなー…



 父さんとエレベーターで八階に。

 そこはスタジオのある階だった。


「おー、まこ。久しぶりやん。」


 広い通路の真ん中にある、丸いソファーに座って僕に声をかけて来たのは…朝霧あさぎり真音まのんさん。

 Deep Redのギタリストで、僕と一緒のバンドでドラムをしてる朝霧あさぎり光史こうし君のお父さん。



「バンド、ええ感じなんやてな。」


 ソファーに座れ。って感じでポンポンとされて。

 僕が朝霧さんの隣に座ると。


「プロ志向なんか?」


 小声で問いかけられた。


「…光史君はなんて?」


「あいつ、なーんも言わへんねん。お年頃やからか?秘密主義で困るわホンマ…」


 光史君は…クールだ。

 僕より三つ年上で、バンドのリーダー的存在でもある。

 両親が同じバンドって事で、幼馴染感覚でもある。

 実際、僕をバンドに誘ってくれたのも…光史君だ。



「で、どんな感じなん?」


 光史君が話してないのに、言っちゃっていいのかなあ…なんて思いながら。


「プロ…目指してます…」


 小さく答える。


「ほお。」


 それには、反対側に座ってた父さんも目を丸くした。


 …て言うか、取材は?



「メンバー、誰々やったっけ?まこと光史と?」


「ボーカルは…女の子で、桜花の同級生です。」


「ギターは?」


「ギターは、光史君の友達で…音楽屋でバイトしてる陸ちゃんって…」


「ああ、二階堂君な。」


「そうです。それと…もう一人増えました。」


 まだ夕べのミーティングに参加しただけで、実際にそのテクニックを知ってるのは…スカウトした知花だけなんだけど…



「誰だと思う?」


 ふいに、隣にいる父さんが含みを持たせた感じで言った。


「…何でナオトが威張って言うねん。」


「俺も今朝愛美から聞いて、誰かに言いたくて仕方なかったんだ。」


「それなら、はよ俺に言えばえかったやんか。」


「おまえずっとギタークリニックだっただろ?」


 …僕、要るかな?



「で、誰やねん。もったいぶんなや。」


 朝霧さんは、もう…完璧、父さんに聞いてる。

 僕は首をすくめて、ガラス張りのスタジオを首だけ伸ばして覗き込んだ。


 …あ、TOYSだ…



「もう一人のギターは…早乙女さおとめ千寿せんじゅだってさ。」


「…はあ?」


 僕も驚いたけど、朝霧さんの驚きはそれ以上だった。


 早乙女千寿…セン君は。

 僕の母さんのお兄さん…つまり、僕の伯父さんの…血を引いた人。

 世界的に有名な、ギタリストの血を引いてる。



「早乙女って…」


しんの息子。」


「…確か…」


「茶道の家元。」


「…茶道…」


「勘当されたらしい。」


「……」


 二人の会話を耳に入れながらも、僕はTOYSのスタジオを眺めた。


 あれが…神 千里かあ…

 音楽雑誌で見るより、カッコいいし…

 思ったより背が高い。



「ベースは聖子やし…なんや楽しみなバンドやな。」


「プロ志向って聞いちゃ、親としては黙ってられない。ナッキーに言ってオーディションだ。」


 それまで黙って聞いてた僕だけど。


「はっ…?ちょっと待ってよ。オーディションって…」


 黙ってられなくなった。

 そんな事、勝手に決められちゃ…


「そんな期待しか出来ひんようなバンド、他の事務所が目ぇつける前にうちが唾つけとかな。」


「そうそう。悪い事は言わないから、ビートランドからデビューしろ。」


「……」


 あまりの…急展開に、僕は言葉を失った。


 これ、みんなに言ったら大騒ぎになっちゃうよ。



 そんなわけで。



 僕は、この話を誰にもしない事に決めた。

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