第35話 「イギリス事務所のシンガー、Leeだ。」

「イギリス事務所のシンガー、Leeだ。」


 会長が、あたしを聖君に紹介する。


「息子の聖だ。」


 そして、聖君の事も…あたしに紹介した。


 息子…


 あたしと聖君は、口を開けたまま…無言で見つめ合った。


 聖君…

 会長の息子…って事は…

 社長…って…ビートランドの社長なの?


 そう言えばあたし、イギリス事務所の上層部の事は知ってるけど…

 本社とアメリカ事務所の事は、ほぼ知らない。

 会長の事は…面接されたから知ってるけど…

 …昔歌ってた…って事を知ってても、歌は聴いた事ない。


 て言うか…

 ビートランドの…誰の歌も聴いた事…ない!!


 さっき、さくらさんの歌に感動したばかり。

 あたし…少しは歌を聴こう…



 一人で色々考え込んでると…


「やだ。あまりにも美人だからって、そんなに見惚れなくてもっ。」


 さくらさんに背中を叩かれた聖君が。


「あっ…あ…」


 少し…狼狽えた。


 …聖君、そんな顔するんだね…

 何だかちょっと得した気分…


 聖君が狼狽えたせいか、あたしは…珍しく冷静で。


「…はじめまして。Leeです。」


 軽く頭を下げた。


 …あ。

 はじめまして…って言っちゃった…

 でも仕方ないよね…

 まさか…その人、うちに入り浸ってる彼氏です…とは…言えないもん…!!


 あたしの『はじめまして』が不本意だったのか、聖君は少し硬い表情で。


「…どうも。息子です。」


 会長とさくらさんを交互に指差して言った。


 …会長って、外人さんみたいだけど…

 聖君、ハーフかクォーターなのかな。

 生粋な日本人に見える。

 …さくらさんの血が濃く出たって事…か…


 それから…会長とさくらさんと…聖君とあたしで食事に行く事になった。

 本当は行きたくないって思ったけど…

 …聖君のご両親だもん…

 嫌な顔はしたくないな…って思った。


 …だけど…

 好き嫌いの多いあたし…

 …印象悪くならないかな…



「どこに行く?」


「そうだな…」


 エレベーターに乗ると、聖君と会長がお店を考え始めたけど…


「あ…あー、俺、ジャンクな物が食いたいな。」


 急に聖君が、そう提案した。

 …もしかして…

 ジャンクな物なら、あたしが食べられるから…って?


「ジャンクな物ぉ?」


 さくらさんはブーイングだったけど…

 あたしは聖君の心遣いに、少し緊張がほぐれて来た。

 …本当に優しい人だな…

 あたし、聖君に似合う女になりたいよ…


 …うん。

 どんなお店でも行こう。

 そして、食べられないにしても…飲み込む努力をしよう。


 あたしが心の中で決心していると…


「Lee、食べれない物があるか?」


 会長が、あたしを見て言った。


「……」


 突然の問いかけに、『質問には答えない』クセが出てしまって黙ってしまうと。


「ふっ。好き嫌いがあるのは悪い事じゃない。正直に言いなさい。」


 会長…優しく笑いながらそう言ってくれた。


 …ああ…

 会長…優しい気遣いの出来る人だ。

 やっぱり…聖君のお父さんだ…って思った。


「…ごめんなさい…実は…好き嫌い…多くて…」


 素直にそう答えると…


「あっ、聞いて良かった。なっちゃんナイスっ。じゃ、何なら食べられる?」


 すかさず、さくらさんからの質問。

 …少し…隙が出来た…

 家族と一緒なら…少しガードが緩む人なのかな…


「ん?」


 はっ。


 …な…何なら食べられるか…?


「え…え…と…」


 どう答えよう。

 食べられない物と、食べられる物、どっちを答える方が早いかな…って、余計な事を考えてると…

 エレベーターが停まって扉が開いた。


「おっ。」


「あっ。」


「わー。珍しいね。エレベーターで揃っちゃうなんて。」


 エレベーターに乗って来たのは…

 ワイルド系の男の人と…ふわっとした感じの女の人…


 …揃っちゃう…?


「イギリス事務所のLeeだ。」


 会長に紹介されて、あたしは気持ち背筋を伸ばして…小さくお辞儀をした。


「ああ…SHE'S-HE'S同様、メディアに出ねーって噂の。」


 し…しーず…ひーず…同様…?

 あたし以外にも、メディアに出ない人がいるんだ…


「Lee、こっちは娘の知花。そして、その夫の千里だ。」


 会長に紹介されて、頭の中で繰り返す。


 …ふわっとした人が…会長の娘さん…て事は…

 聖君のお姉さん。

 ワイルド系の人は…その旦那さんだから…

 聖君の義理のお兄さん。



「…はじめまして…Leeです…」


 やっと声にして挨拶をすると。


「はじめまして。知花です。」


 聖君のお姉さんに…手を差し出された。


 あ…握手…?

 本当はちょっと苦手なんだけど…恐る恐る手を差し出すと、優しくギュッとされた。


 …この人…

 何だか…聖君と同じ匂いがする。

 安心するな…



 それから…

 タクシー二台で、お店に向かった。

 出来れば聖君と乗りたいな…って思ったけど…

 あたしは、会長とさくらさんと一緒だった。


「Lee、これを。」


 タクシーの中で、会長に小さな箱を渡された。


「…何ですか…?」


「携帯だ。」


「……」


 め…眩暈がする気がした。

 携帯…


 あたしがそれを手にしたまま無言でいると。


「どうしても持たないと言い張るって奏斗がボヤいてた。これは業務命令だ。仕事の携帯だから必ず電源を入れて持ち歩くように。」


 会長が…ピシャリ。


 …そうだよね…

 あたし…大人なのに…

 ちゃんと約束も守れない…


「…分かりました…」


 その箱をバッグに入れて。

 持たされた事自体は…気が重いけど…

 一番に聖君の番号を登録…しちゃっていいなあ…?って。

 少しだけ…

 浮かれそうなあたしもいた。




「……」


『あずき』という定食屋に到着して…

 綺麗な座敷に通されて…

 座ったのはいいけど…


 会長・あたし・さくらさん…と…

 聖君の義兄・聖君の姉・聖君って並び。


 そして…なぜか…

 聖君の姉が…あたしをじっと見てる…


 …な…何だろう…

 あたし、もしかして…また…寝ぐせ…ついてたかな…



「もう、何だろ。すごく可愛い。娘にしちゃいたい。」


 ふいに…真正面からそう言われて…


「え…えっ…?」


 首をすくめながら姉を見る。


 む…娘って‼︎

 お姉さんとあたし、そんなに歳違わないよね⁉︎


「ねーっ。透けちゃうぐらい白い肌。可愛いっ。聖、お嫁さんにどう?」


 あたしの左隣で、さくらさんがそう言って。


 …お…お嫁さん…⁉︎

 って…あたしの心臓…もう、バクバクしっぱなし…‼︎


「……はっ…え…えっ?俺?」


「いやいや、その子にも選ぶ権利がある。」


「ひ…ひでーな、親父。」


 …親父?


「……」


 あたしは、また…頭の中で関係図を展開した。


 父(会長)・あたし・母(さくらさん)

 義兄・姉・聖君


 …どうして…親父?


 不思議ではあったけど、聞かなかった。

 誰にも…色んな事情がある。

 あたしだって、自分の事は…話したくない事ばかりだもん…



「新曲のデータを奏斗からもらったぞ。」


 オーダーを済ませた頃、いきなり会長がそう言って…

 あたしは必要以上に背筋が伸びた。


 こ…ここでその話題ーー!?


「…内容が…理解出来ないって…」


 伸びた背筋とは反対に…顔はうつむいたまま。

 …ああ…奏斗社長にだけじゃなく…

 サミーにも言われた。

『夢の話?』って…


「ははっ。まあ…Leeの世界観はそうなんだろうって事にしてやれとは言っておいた。」


「…ありがとうございます…」


「どんな世界観なの?」


 姉がそう問いかけると…

 会長とさくらさんが、あたしを挟んで顔を見合わせた。


「二枚目のシングルは、ほとんど歌詞がなくて、ヒーリング音楽っぽかった記憶が。」


 えっ!!

 義兄、あたしの歌、聴いたのーー!?

 義兄の声を拾うも、あたしは顔を上げないまま…冷や汗をかいてた。


 二枚目のシングルは…確かにほぼ歌詞がなかった。

 だって…

 出来た曲が気持ち良過ぎて…

 ハミングしたり…

 好きな物をつらつらと…言ってるだけだもん…

 お花…お日様…猫…草…春…って…


「新曲は…猫の歌よ。すごく可愛いの。」


 さくらさんはそう言ってくれたけど…


「猫?」


 義兄と姉が同時に言った。


 …これ…

 解釈を求められてる…の…?


「…もし…あたしが猫なら…」


「猫なら…?」


「…一日中…寝ていられるのになあ…って…歌です。」


「……」


 ああ…みんな黙ったー!!

 …だけど、聖君だけは…

 ちょっと笑ってるような…気がした。





 思いがけず…聖君のご家族と、すごくヒヤヒヤしたようにも思う食事会が何とか無事終わった。

 嫌いな物も出て来たように思うけど、夢うつつと言うか…

 あたしは、ほぼ喋ってないけど…

 みんなの話を聞いてるだけで…あたし…

 …ちょっと、夢を見てしまった。

 あたし、この人達と家族になれるのかなあ…なんて。


 気が早すぎる。

 何も…まだ、何も確信なんてないのに。



 会話の中で…

 聖君の義兄も姉もビートランド所属のシンガーだって分かった。

 事務所で会ったから、一家でビートランドを支えてらっしゃるのかな…なんて思ったけど。

 …シンガーだったんだー…って。


 さらには、そんな人たちに…

 あたし、猫になれたらなあ…って歌を聴かれたと思うと…

 ちょっと肩身が狭かった。


 そして…聖君は映像会社の社長をしてる…って事も知った。

 ビートランドの社長かな?って思ってただけに…あれ?とは思ったけど…

 ビートランドと提携してる会社だとも聞いて、納得はした。


 …だけど、その話になると…ちょっとあたしには分かりにくい背景がありそうで…

 難しい話は得意じゃないし、元々あたしは他人のプライベート話を聞くのが苦手だから…スルーした。


 でも…あたしと居る時とは違う聖君を見れて…

 それは嬉しかった…かも。

 みんなに愛されてる。

 それを…すごく感じた。


 誉められたり、いじられたり。

 あたしにとっては、すごく頼りがいのある聖君。

 それは…家族の中でも同じなのかもしれないけど…

 可愛がられてるなあ…って、思った。



「あっ…」


 聖君があたしをタクシーで送る事になって…

 会長に『送り狼になるなよ』なんて言われたのに…

 あたし達は、玄関に入ってすぐ…抱き合ってキスをした。


「聖く…帰らな…きゃ…」


「…帰るよ…後で…」


「で…も…」


 もつれるように、ベッドに行って…


「知らん顔…疲れた…」


「……」


 そう…だよね…

 あたし、つい…『はじめまして』なんて言って…

 …だけど、いきなりあの場面で…『恋人です』とも言えないし…


「…聖君…」


 タクシーの中で、会長に持たされた携帯を見せると、聖君はすごく嬉しそうな顔をした。


 …そうだよね…

 やっぱり…それが普通だよね…


 聖君の家族に会った事で…あたしの中に色んな気持ちが湧いた。

 あたし…聖君となら幸せになれるかもしれない。

 …幸せになりたい…

 だとしたら…

 この人を…離しちゃいけない…



 不器用なあたしは。

 そんな風にしか考えられなくて。


「…優里さん…」


 あたしを抱きしめる聖君の背中に。

 激しく爪を立てた。





 会長にもらった携帯で…あたしが誰に一番に連絡をしたかと言うと…

 拓人だった。

 24日は会えない。

 それを伝えるために。


 だけど、連絡をすると…拓人はすぐにうちにやって来て。


「昨日、社長さんに呼び出されたぞ。」


 面白くなさそうな顔で…そう言った。


「…え?」


 意味がよく分からなくて…首を傾げると。


「おまえの男だよ。おまえ、あいつが社長って知ってたのかよ。」


 拓人は椅子を引いて座って。


「コーヒー。」


 足を組みながら、不愛想にそう言った。


「…知ってたけど…何の会社か知らなかった。どうして呼び出されたの?」


 拓人に背中を向けて、お湯を沸かす。

 コーヒーカップ…あたしと聖君のしかないんだよなー…

 あたしのを拓人に使わせて、あたしが聖君のを使おう。


「…仕事の話だよ。結構な長期契約の話をもらった。」


「…仕事…」


 て事は…

 映像の会社…の仕事…?


「ふうん…」


 短く返事をすると。


「おまえの事、聞かれた。」


 ドクン


 胸が…大きく波打った。

 あたしはゆっくり拓人を振り返ると。


「…喋ったの…?」


 自分でも…驚くほど、低い声だった。


 あたしの事…

 あたしの事って…


「…嘘八百並べた。」


「……」


「本当の事を話したのはー…あれぐらいか。事故に遭った事。」


「…他に…何喋ったの…」


 拓人は立ち上がってあたしの背後に手を伸ばすと。

 コンロのスイッチを切った。


「ちょっと大げさに、『絶対知られたくない過去』っぽく話しておいただけさ。」


「……」


「検索したら出て来るって言っておいたけど…出てきやしねーよな。名前も違うし。」


「…拓人。」


「誰も、俺らの存在なんて気付きゃしねーよ。」


「……」


 カップに湯が注がれる音。

 あたしが聖君のカップを使おうと思ってたのに。

 拓人は勝手にそっちを取って椅子に座った。


「…その他は、今までと同じシナリオだ。親戚に預けられたものの愛されず、施設に入れられたおまえは俺と出会って…」


 あたしは…立ったまま、聖君のカップを見ていた。

 夕べ、夢みたいな幸せに包まれたのに…

 今思い浮かぶのは、あの地獄のような三年間…


 …あたしの家族は…拓人だけになった。



「おまえのかわいそうな生い立ちを気にかけてるうちに、男と女になった…ってな。」


「……」



 …あたしと…拓人は…

 腹違いの姉弟。

 …だけど…

 ずっと…恋人か元恋人を演じている。


 家族であっても裏切りが普通にあった、あの世界で…

 身体の関係はなくても…あたし達は意識の中で『恋人』となる事で、絆を深めていたのかもしれない。


 それゆえの…依存…



「こっちの世界では、俺達は異常だ。」


「……」


「そんなおまえを、あいつは受け入れるか?」


 拓人は…あたしを突き放したり、引き寄せたり…そして、結局は…離さない。

 今までも、あたしに言い寄る男がいると…重たい嘘を並べて、遠ざけた。


「…あたしは、拓人に幸せになって欲しいって思うけど…拓人はそうじゃないのね…」


 拓人が入れたコーヒーは冷めてしまったかもしれない。

 だけどあたしは立ったまま…テーブルの脚を見ながら言った。


「初めて…こんなに人を好きになったのに…」


「…俺達はずっと二人だ、って決めただろ?」


「……」


「……あいつと結婚する気かよ。」


「……」


「…俺は認めねーからな。」


 拓人はコーヒーを飲み干して。


「明日、ちゃんと来いよ。」


 そう言って…帰って行った。



 …あたし…


 拓人がいる限り…


 …幸せになれないのかもしれない…。

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