第34話 「にゃ~。」
「にゃ~。」
「にゃ~…?」
「……」
あたしは…テーブルに頬杖をついて、ボンヤリとしていた。
…夕べ、聖君に…誕生日と血液型を打ち明けた。
ただそれだけなのに…聖君は、すごく喜んで…
あたしの事、二つも知れた。なんて…言うんだよ…
「…はああああああ…」
バタッ…と、テーブルに突っ伏す。
…あれから…
一緒にお風呂に入って…少し窮屈だけど、向かい合ってバスタブに浸かってると…
聖君…
「急にごめんな…?」
って謝った。
「…何?」
「華月が来て…」
「……」
確かに…ビックリした。
でも、彼女が来てくれなかったら…
あたし…間違いに気付けてなかったと思う。
あたしの過去は聖君に関係なくて…あの思い出の中に聖君はいない事。
その事実って…あたしには大きい。
あたしと拓人の中に、大きく暗い影を落としてる思い出…
もしかしたら、あたしはそれを払拭できるんじゃ…?って気持ちになった。
…聖君を大好きになれたおかげと…
聖君の姪っ子さんの…華月さんのおかげで。
「…ううん、お鍋…美味しいって言ってくれて…嬉しかった。」
あたしが小さくつぶやくと。
「あっ、俺言い忘れてた…ごめん。」
聖君は一度顔をパシャッと洗って。
「美味かった。ごちそうさま。」
…すごく…いい笑顔になって、あたしにチュッて短いキスをした。
「…切って入れただけ…」
「美味しそうに並べてた。」
「…味付けも…市販のお出汁だったし…」
「気持ちも込めてくれただろ?分かったよ。」
「……」
…やだ…!!
すごく嬉しい!!
もう、嬉しさを隠しきれなくて、ブクブクブクって沈みそうになっちゃう。
聖君は笑いながら…あたしを抱えて…向きを変えて…後ろから抱きすくめた。
「…O型とB型かー…」
そんな事をつぶやきながら、あたしの背中に顔をぶつける聖君。
…すごく…嬉しそう…
それから…ベッドで…
あたし、聖君に頭撫でられるのが好き。
気持ちいいな…って。
猫になった気分。
…髪の毛、伸ばそうかな…
そうしたら、もっともっと…撫でてくれるかな…
朝からずーっと、夕べの幸せと心地良さと嬉しさと…色んな感情を堪能してるあたし。
今夜聖君が帰ってきたら…
「……」
幸せに浸ってたあたしの視線が。
ふと…卓上カレンダーに止まった。
今日は…12月22日。
…12月…22…
「はっ…!!」
ガバッと身体を起こして、寝室のサイドボードの引き出しに入れてる封筒を取り出す。
バサバサと、その中から紙を取り出して開くと…
『12月22日 16時~19時の間にビートランド本社に来るように』
「あっ…あっ、わっ…忘れてた!!」
時計を見ると、18時20分!!
きゃーーーーー!!
クビになったらどうしよう!!
あたしは慌てて支度をして、一度玄関を出てもう一度戻って。
『急な仕事で』
「にゃーっ!!」
「あっ…水…水がないんだよね?」
二匹に水をやって。
『聖君今日は家に帰ってまた明日』
って書き置きをして。
ビートランドに向かった。
「し…しまった…」
慌ててたあたしは…封筒を持ってくるのを忘れてしまった。
あの中に、この目の前に立ちはだかるエスカレーターに向かうためのパスカードが入ってたのに…!!
ああ…どうしよう…
インフォメーション…もう誰もいない…
警備の人…
あたしがキョロキョロしてると…
「……」
「……」
あたしの顔を覗き込んだその人は…
「はっ…か…会長…あっあああの、ご無沙汰しております!!遅れてすみません!!」
ビートランドのニッキー会長!!
「ああ…やっぱりLeeか。もしかしてとは思ったが…髪の毛切ると、随分雰囲気が変わるもんだな。コンタクトにしたのか?」
「……」
し…しまった!!!!!!
眼鏡はともかく…
ウィッグーーーー!!
「あ…い…イメチェン…です…」
「そうか。ところで…」
会長はエスカレーターの上を見て、もう一度あたしを見た。
「す…すみません…パスカード…忘れてしまいました…」
うなだれるあたしに、会長は小さく笑って。
「ふっ。じゃあ…とりあえずミーティングルームに行こう。」
あたしを手招きした。
ビートランドは…三社全部が同じ造り。
方向音痴気味なあたしには…ありがたい。
会長の後ろをチョコチョコとついて歩く。
一階の奥にあるミーティングルームに入ると、会長は手にしてた分厚いファイルケースから何枚か紙を取り出して。
「これを読んでサインしてくれ。」
あたしの目の前にそれを出した。
「…はい。」
それは…予定されているフェスの参加同意書だった。
「…あたし…オーディション通ったんですか?」
顔を上げて会長に問いかけると。
「ああ。」
会長は『当然だろ』みたいな顔…
「…色んな配慮もしてもらってるみたいで…ありがとうございます…」
同意書には…
あたしは顔出しはしない事も書いてあった。
ただ、歌う事だけは生出演のこと…と。
あたしはそれにサインをして、会長はあたしに控えをくれた。
「奏斗がイチオシして来たからな。外すわけにはいかない。」
「……」
「あいつの期待に応えてやってくれ。」
「……頑張ります。」
あたしが…誰かの期待に応えるなんて。
何だか、夢みたいだと思った。
歌ってるあたしは、偽物だ。って…
あたしは自分で思ってる。
俳優の拓人が偽物であるのと同じで。
歌ってるあたしも。
『~さん。至急広報に連絡をお願いします』
必死で同意書を読んでたあたしの耳には。
ハッキリと名前が聞き取れなかったけど。
「ちょっと行って来る。」
そう言って会長が立ち上がったのを見て、今の呼び出しは会長だったのかな?と思った。
「ああ、これで最上階の部屋に上がってろ。」
一度ミーティングルームを出掛けた会長は、何か思い出したように戻って来て。
ポケットから『ゲスト』って書いてあるパスカードをあたしに手渡した。
ぶっちゃけ…
仮にもあたしは、『シンガー』として仕事をさせてもらってる…けど…
あまり歌を聴かない。
だから、イギリスでもそうだったけど…
事務所に居るのが苦痛。
だって…ずっと歌が流れてる。
…あたしは…動物の鳴き声とかの方が好きだな…
パスカードを渡されたものの、最上階に行き渋ってるあたしは。
いまだ無人のミーティングルームから出ていない。
ロビーにはたくさんの人。
音楽が流れてても、まだ…無人のここに居る方が落ち着くと思った。
「あっ。」
ふいに声がして、ドアの方を振り向くと…
女の人が、あたしを見て口を開けて立ってる。
「……」
「……」
「もしかして、イギリス事務所のLeeちゃん?」
「え…えっ?」
人懐っこい表情の…その人は…
大きな目であたしを見ながら、ずいずいと近付いて来た。
「今日来るって聴いてたから、楽しみにしてたの。」
「……」
誰か分からない…し…
無言のあたしに、その人は…
「あっ、ごめんね?あたし、ここの会長の妻です。さくらっていいます。」
そう言って、ペコリと頭を下げた。
…会長の…奥さん…?
えー…っと…
すごく…歳が離れてる…感じ?
「ん?」
首を傾げて見つめられて。
あたしは…なんて言うか…
…鳥肌が立った。
この人………隙が無い。
まるであたしは金縛りにあったかのように、動けなくなってしまった。
「…あれ…人違いかなあ?」
足がすくんでるけど…あたしは…
「り…Leeです!!はじめまして!!よろしくお願いします!!」
立ち上がって、挨拶をした。
「あははっ。可愛いっ。」
「……」
な…
何なんだろう…
笑顔なのに…
すごく、笑顔なのに…
この女性から感じる…殺気めいたもの…
初めて…感じる。
訓練でも全然役に立たなかったあたしは、あのままあそこに居たら、きっと殺されていたと思う。
役立たずには死のみ。
そんな…世界だった。
そんな…落ちこぼれだったあたしでも…感じる…
この…女性…
何者…?
「調子でも悪い?」
そう言って…『さくらさん』は…あたしの顔を覗き込んだ。
最上階に行ってろと言われた事を話すと。
『じゃあ一緒に行こ行こ』って…
『さくらさん』は、あたしの手を引いた。
…いい人だよ…?
なのに…なぜ?
…鳥肌が…ずっと出たまま。
「Leeちゃん、きれいな声してるね。」
会長室のソファーに座って、さくらさんが言った。
「…ありがとう…ございます…」
とにかく…この人の隙の無さに恐怖を覚えてるあたしは…
何なら少し冷や汗もかいていた。
「…あの…」
「ん?」
「……」
いちいち…すごく大きく反応されてしまって…そのたびに鳥肌が倍に増える。
…怖い。
この人…本当に怖い…
「…奥様も…歌を…?」
絞り出すように言葉を発すると。
「えっ、奥様って~…照れちゃうな。名前で呼んでもらえる?」
さくらさんは…照れ笑いをして言った。
「…さくら…さん…も…歌を…歌われるのですか?」
「あー…うん。ほとんどリタイアって言うか…ずっと歌って来たわけじゃないんだけどね。」
「……」
いくつぐらいの人だろう…
見た目も…口調も…すごく若い…
…それに…
とにかく、この…隙の無さ。
笑ってるのに…
ゴクン。
つい…生唾を飲み込んでしまった。
何とか…この緊張を取り除きたいあたしは…
「あの…」
さくらさんに、言った。
「何?何々?」
ビクビクしてるあたしが話しかけたのが嬉しかったのか、さくらさんは乗り出してまで…あたしの顔をじっと見る。
「…も…もし…良かったら…」
「うん?」
「……さくらさんの…歌…を…」
聴かせてもらいたい…な…
って、最後まで言おうとしたけど。
さくらさんの爛々とした目に圧倒されて、言えなくなった。
でも。
「あたしの歌?」
さくらさんはキョトンとして身体を退くと。
「えー…あたしの歌…」
唇に指を当てて、んーって悩み始めた。
「……」
「……」
「……」
「……」
部屋をキョロキョロとした後に、片隅にあったアコースティックギターを見付けたさくらさんは。
立ち上がってそれを手にすると。
「じゃ、一曲。」
ドアの横に立って…あたしを見た。
慌てて身体の向きをそっちに向けて…小さくパチパチと拍手をする。
それを見たさくらさんは、嬉しそうにギターの弦の音を調整すると…
「If it's love」
そう言って…ギターを弾き始めた。
朝起きたらさ、あなたが隣に居るの
おかしいな…これはリアルかな?って
毎朝そんな気持ちになるなんて…夢みたいな幸せって事だよね
もしあなたに悲しみが訪れたら、あたしがあなたを殺してあげる
あなたを悲しませない
あたしが苦しむとしても
それは愛なの?って、誰もが言うんだけど
あたしは笑顔で、全力で言うわ
愛よ
ううん
愛以上よ
愛以上なのよ
もしあなたに苦しみが訪れたら、あたしがあなたを殺してあげる
あなたを苦しませない
あたしに罰が与えられるとしても
それは愛なの?って、誰もが言うんだけど
あたしは笑顔で、全力で言うわ
愛よ
ううん
愛以上よ
愛以上なのよ
「……」
目の前でさくらさんが歌ってくれてる『If it's love』に…あたしは…酷く感動した。
出だしの『朝起きたらさ、あなたが隣に居るの』で…聖君を思い浮かべた。
そして…『おかしいな…これはリアルかな?って毎朝そんな気持ちになるなんて…夢みたいな幸せって事だよね』
これ…あたしの気持ちだよね…?って思った。
最初はこんな気持ちじゃなかった。
聖君の事、『飼いたい』なんて思うぐらい…あたしの気持ちは歪んだ物で。
だけどそれがいつの間にか…
そばに居て欲しいって気持ちに変わって。
最近では…
朝起きて隣にいる聖君を、何とも言えない気持ちで見つめちゃう事もある。
どこかギュッとなる…だけどほんわかする気持ち…
…そっか…
それって…
夢みたいな幸せなんだ…。
大事な人に悲しみが訪れたら、殺してあげる…って。
そんな愛もあるんだ…って。
愛のカタチって、一つじゃないんだ…って。
あたしにとっての愛は…まだ手探りな状態で。
言葉には出来ないけど…
さくらさんの歌に、すごく大事な事を教えられた気がする。
初めて…『歌』に感動した。
さくらさんは、すごく…愛の深い人なんだと思った。
そして、とても愛されてる人なんだとも感じた。
誰が作った歌なのか知らないけど…
この歌を、こんな風に歌えるんだもん…
…この歌自体をとても愛してるんだ…って分かったし…
歌う事も…愛してるんだ…って感じた。
…突然、自分の歌を恥ずかしく思った。
あたし、生きていくために歌う…なんて。
たまたま奏斗社長に見付けられて…売れてしまったからって…
…いい気になってるつもりはなくても、調子良過ぎた。
「ご静聴ありがとう。」
さくらさんが照れたようにそう言って。
あたしは感激のあまり拍手も忘れて…少し目を潤ませてさくらさんを見つめて…ると…
ドアが開いた。
「あっ、やだ…聴いてた?」
さくらさんがギターを降ろす。
入って来たのは会長…と…
「父さん、感激して泣いてたよ。」
「ほんと~?」
「相変わらずいい声だ。」
視界の片隅で…会長がさくらさんを抱き寄せてるのが分かったけど…
「…え…」
あたしは…会長の隣にいた人に…目が釘付けになった。
「…え?」
そこにいた…聖君も、あたしに気付いた。
…どうして…?
今…聖君、会長の事…父さん…って…
『高原 聖です』
…ニッキー会長…
確か…
高原…夏希…さん…
親子…!?
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