第32話 時々家に帰るものの、最近の聖君は…うちに入り浸りで。

 時々家に帰るものの、最近の聖君は…うちに入り浸りで。

 あたしはそれが嬉しいけど…

 …そうするとやっぱり。

 聖君のいない夜が…寂しい。



「……」


 すやすや眠ってる聖君の寝顔を眺める。

 夕べはずっとくっついて、窓から夜空を見た。

 寒い夜もくっついてると寒さは感じない。

 あたし、感覚がお花畑なのかな。


 今日は…聖君はお休み。

 本当は一日中一緒に居られる日でもあるんだけど…

 …あたし、今はそれが…ちょっと苦痛になって来た。


 て言うのも…

 聖君、あたしが正解に答えるって分かって来たからか…


『優里さん〇〇でしょ』


 って…言い始めた。


 …ずるいよ…

 なんて、言えないし…



 拓人のスケジュールは知らないけど、携帯の番号は知ってる。

 駅まで出て電話をして、予定を聞いたら…会いに行こう。

 クリスマスイヴの事を伝えなきゃだし。

 …この前の、発信機の文句も本格的に言いたいし。


 そんなわけで、出掛ける事にした。

『四時頃帰ります』って書き置きして。



 のんびり駅まで歩いて、公衆電話から拓人に連絡をする。

 出なかったら、諦めて中川衣料品店さんに行こうって思ったけど…


『はい』


 コール二回で、拓人が出た。


「今日何してる?」


『夕方まで撮影』


「ならいいや。」


『何だよそれ。今どこだ?』


「駅…四時頃には帰りたいから、今日はいい。」


『待て。駅までマネージャーに迎えに行かせる。撮影の間、車で待ってろよ』


「えー…」


『猫のごちそう買ってやるから』


「……」


 そう言われると…つい、その気になってしまった。

 あー、途中まで歩いて行くって言えば良かったなあ…

 なんて思いながら、駅で待つ事15分。

 拓人のマネージャーさんが、車で迎えに来てくれた。


「優里さん。」


「いつもお世話になります。」


 何回聞いても、名前が覚えられない。

 拓人より一つ年下の…『いがぐり』みたいな名前の人。

 ガッチリした体系の、柔道してる人っぽい顔の男の人。


 後部座席に座って、おとなしく景色を眺めた。

『いがぐり』さんも無言のまま…おそらく撮影所に到着。


「少しお待ちくださいね。」


「はい。」


 後部座席には、あたしの他に…拓人の台本もあった。

 持って行かなくていいのかな?


 それを手にしてみると…


『会いたい人に会えない夜』


 …拓人が今出てるドラマの台本だった。



 パラパラとめくってみる。


『俺はおまえの全てを知りたいんだよ!!』


 バッ


 そのセリフが目に入って、すぐに台本を閉じた。


 …全てを知りたい?

 全てなんて…知れるわけないじゃない。

 人間なんて、その時を知ったって…いつかは変わる。

 だから、出来る事なら…

 相手の事より…その瞬間二人でいるって事だけを大事にしちゃ…ダメなの?



「……」


 車の窓から景色を眺めてると、見覚えのある青いビルが見えた。

 …あれが見えるって事は…

 ここって、あの花屋さんの近く…?



 あたしはバッグからメモ帳とペンを取り出して。

『一時間ぐらいしたら戻って来ます』

 って書き置きを残して…


 外に出た。




「……」


 近くを散歩しに来たはずのあたしは…また、途方に暮れた。

 あたしんちのベッドでスヤスヤ眠ってたはずの聖君が…

 …花屋さんに来てる。

 そして…女の店員さんと何か会話を交わすと…聖君はスタスタと歩いてどこかに向かい始めた。


 え…どこ行くの…?


 女の人はと言うと…

 聖君の後ろ姿をじっと見つめた後…お店の中へ。


 …どういう関係…?


 あたしはバッグからニット帽を出して、目深にかぶって…聖君の後を尾行した。


 少し歩くと、聖君は『福龍』って中華料理屋さんへ入って。

 あたしは…どうしよう…って悩んで…

 お店の前を通るふりして中を見ると、階段を上がってる聖君が見えて…そのまま二階を見上げた。


 …見えない…


 パタパタと走って、お店の二階が見える場所に移動する。

 幸い、窓が大きいから…中の方に座ってても見えるかも…

 …って事で…


 向かい側のビルの二階にあるカレー屋さんに入った。


「ご注文は?」


「あっ…え…えーと…この、ランチセット…」


 メニューで顔を半分隠して『福龍』の様子をうかがってると…聖君がオーダーを済ませた。

 …て事は…一人で食べるのかな…

 って思った所に、花屋さんが来た。


「……」


 二人は向かい合って座って…何か話してる…

 女の人は深刻そうな顔…


 …もしかして…

 聖君…

 その人と付き合ってたのに…あたしとも…?

 それがバレて…別れ話…?


 聖君は途中でビールを飲み始めて…一人でパクパク何か食べ始めたけど…

 彼女の方は、泣きそうな表情に思えた。



 …聖君…ビール飲むんだ…

 そんな事も知らなかった…


 …ほら。

 知らなくていい事…たくさんあるじゃない。

 どうしてついて来たの?



 目の前に置かれたランチセット。

 あたしは『福龍』の二階が気になりながらも、今はそれを無視してカレーを食べた。


 …あたし、バカ。

 何してんの…。



 それでも、二人がお店を出るまで…あたしも粘ってしまった。

 普段飲まないコーラまでオーダーして。


 いったい…何時間一緒にいるの?

 最初は険悪そうだった二人は、いつの間にか笑顔になってて。

 それがあたしのダメージを大きくさせた。


 聖君…

 あたしといる時とは違う…気がする…

 あんなにリラックスしてない気がする…

 あんなに大笑いしない気がする…


 …どうして…?



 ここにいても、みじめなだけなのに。

 あたしは…そこから動けなかった。

 すると…


「おまえ、ちゃんと待てよ。」


 …拓人が、来た。


「…なんで…?」


「……」


 拓人はあたしの前に座ると。


「…はーん…あそこ見て暗くなってたってわけか。」


「……」


 頬杖をついて、『福龍』を見据えた。

 あたしは…もう、そこを見るのが嫌でうつむいたまま。


「あの男、どこで知り合ったんだよ。」


「……」


「…おまえがこんな事してるぐらいだから、本気で好きなんだろうけど…」


 拓人はため息をつきながら、伝票を手にして立ち上がった。


「……?」


 あたしが拗ねた顔で見上げると。


「出るみたいだぜ。」


 そう言って、外に顎をしゃくった。


 二階を見ると…確かに二人はいなくなってる。

 拓人がお金を払ってくれて…あたしはそれについてカレー屋を出た。


「で?どうしたい?つけるか?」


「……」


 これ以上…知りたくないって思うのに。

 ここまで知ったら…もう少し知りたいって思うあたしもいる。

 だけどそれを拓人に言うのは嫌だった。


 拓人は…いつだって、あたしの事を一番知っていないと気が済まない。

 あたし達は…運命共同体だとかなんとかって…



「…行くぞ。」


 拓人に腕を掴まれる。


「ちょ…」


「気になるんだろ?」


「……」


 拓人はニット帽にサングラスにマスク。

 変装…は、バッチリ…

 でも…


「待って。」


 あたしは、全身で急ブレーキをかけた。

 カクン。と、拓人の身体が一歩戻る。


「…何だよ。」


「…撮影があるんじゃないの?」


「おま…おまえがいなくなるからだろ?」


「だったら、もういいから。先にちゃんと撮影して来て。」


「……」


「後で…本当に行くから。」


「…絶対だぞ?」


「うん…」


 拓人はまだ何か言いたそうだったけど、あたしの手を放して…ゆっくり撮影場所に向かって歩いて行った。



 あたしは…

 聖君と花屋さんが歩いて行った方向に…足を進める。

 バカだよね…って思いながら。


 すると、二人が公園のベンチにいるのが見えた。


 …この寒空に…あんな所で…?



「……」


 ベンチの真裏は茂みで。

 あたしはそこに身を潜めて…聞き耳を立てた。


「…迷惑じゃなかったら、携帯の番号聞いていい?」


「俺も聞こうと思ってたとこ。」


 番号交換…

 何となく、めまいがした。


 …待って。

 普通にある事なのよ…番号交換なんて…

 そう…普通…



「あ…でも…」


「ん?」


「彼女…いるでしょ?連絡とかして大丈夫なの?」


 彼女いるでしょ。


 ドキッとした。

 聖君…どう答えるの?


「大丈夫。」


 …大丈夫。


 それから後の会話は、もう耳に入らなかった。

 大丈夫…って…

 どういう意味なのかな。


 でも…二人は、まだ番号も知らない関係だったんだよ。

 何も…怪しくなんかなかった。


 ……今、交換したじゃない。

 何かの始まりかもしれない…よ?


 あたしの頭の中…



 もう、パンク寸前。






「…遅くなったから、帰ったかと思った。」


 拓人が、後部座席のドアを開けて言った。


 辺りは暗くなってて。

 あたし…四時頃帰るって書き置きしたのになー…って…


「どーする?今夜はうち泊まるか?」


「……」


「って、今俺以外が寝れるスペースないけど。」


「……」


「どこか泊まるか?」


「……」


「……」


「帰る…」


 あたしの出した答えに、拓人は少し不満そうだったけど…


「タクシー拾える通りまで出ようぜ。」


 あたしの腕を取って、車から降りた。



 公園から戻って…色々考えた。


 花屋さんと話してる聖君は…楽しそうだった。

 あたしと話してる穏やかな聖君って感じじゃなくて…

 なんて言うか…


 自分を出してる感じ。


 …あたし…酷い女だな…

 自分の事を知られたくないからって、聖君の事も知ろうとしないなんて。


 今更だけど、酷い自己嫌悪に襲われた。



 拓人とタクシーに乗って、家が近付くにつれて…気分が重くなった。

 あたし…本当に最低。

 聖君は、あたしといちゃいけない。…って…チラッと思うけど…

 もう…離れられないよ…

 だって…大好きになったんだもん…



「ついたぞ。」


 タクシーが停まって、ドアが開いた。

 拓人は運転手さんに『待っててください』って言って、あたしを降ろすと。


「大丈夫か?上までついて行こうか?」


 顔を覗き込んで言った。


「…いい…」


「…あんまり心配かけんなよ。」


「…ごめん…」


 拓人はしばらくあたしを見つめてたけど、あたしが無反応だったからか…タクシーに乗り込んだ。


「連絡しろよ。」


「…うん…」


 ああ…クリスマスの事、言いそびれた…

 そう思ったのは、タクシーが行ってしまった後で。

 あたしは階段を上がりながら、ウィッグつけたままだった事を思い出して…それを取ろうとした瞬間…


「…聖君…」


 道路で…聖君が…あたしを見上げてる事に気付いた。


「…おかえり。遅かったから心配した。」


「……」


 聖君は、立ち止まったままのあたしの背中に手を添えて歩き始めた。


「…ごめんなさい…」


「………」


「…何も…聞かないの?」


 拓人といたの…見たんだよね?

 それに…

 このウィッグも…


「聞いたって、答えないだろ?」


「……」


 花屋さんと…話してた聖君とは違った。

 最近の聖君は…トゲのある言葉が多い。

 だけどそれは…


 あたしが言わせてるんだよね…?



「腹減った。何食おう。」


 聖君はあたしより先に玄関に入ると。


「腹が減ってるとロクな事考えねーからな。」


 何だか…

 自分に言い聞かせてるみたいに…低い声で言った。





『…俺は、知るほどの価値もない男…か…』


 聖君の言葉を思い出して…あたしはバスタブで泣いた。


「…ふっ…うっ…うっ…」


 あたし…なんてひどいんだろう。


 拓人に送ってもらって、晩御飯はすごく…気まずくて。

 聖君は意を決したように『片桐拓人と一緒にいたのか』って聞いてきた。


 そして…

 何も答えないあたしに…

『もっと俺を知って欲しい』『もっと心を開いて欲しい』って。

 …誕生日が…クリスマスイヴ…って事も…言った。


 そんな特別な日を、あたしと一緒に過ごしたいって言ってくれたのに…

 あたし、自分の気持ち最優先して…


 お箸を置かれた時、聖君が出て行ってしまうって思った。

 それで…行かないで…って言ったあたしに…


『…行かないよ。そんな事したら…会えなくなりそうだし。』


 …胸が痛かった…


 聖君も…常に怖いんだ…って思った。


 あたし、謎過ぎるよね…



 あの後、聖君は『だけど…』って言ったまま、何も言わなくなった。


 …何が言いたかったの?

 あたしが…

 あたしが、言わせなくしてる…?


 どうしたらいいの?

 こんなに好きなのに…

 自分を知られるのは…怖い。


 聖君の事を知ったら、あたしの事も話さなくちゃいけなくなるのよ…ね?


 あたし…


「う…っ…えっ…」


 涙が止まらなくて…

 タオルで口元を押さえてるのに、小さく声が漏れる。


『…にゃ~…』


『にゃっ…』


 お風呂のドアの前で…シロとクロが心配そうに鳴いてる声が聞こえた。


「……だ…大丈夫…もう…上がるから…」


 バシャバシャと顔を洗って…そのついでみたいに、一度バスタブの中に頭までもぐった。


 …あの夜…

 あたし…なんで…聖君と出会ってしまったんだろう…

 川なんかじゃなくて…

 ここで溺れても良かったのに…



 ザパッ



 バスタブから顔を出して。

 ゆっくり…身体を拭いて、髪の毛を乾かして…

 鏡を見て…もう泣かないの。って、気合を入れた。



「……」


 ベッドに行くと…聖君はあたしに背中を向けた状態で…夜空を見てた。

 そっとベッドに入っても、聖君の身体の向きは変わらなくて…

 弱いあたしは、それだけで泣きそうになってしまって…


「…~…」


 唇を噛みしめてみたけど…肩が震えてしまう。


「……ごめん。」


 謝らなくていい聖君が謝って…

 謝らなきゃいけないあたしは…何も言わない。


 同じベッドにいるのに…

 すぐ隣にいるのに…



 すごく、すごく…




 温もりが遠かった。

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