第27話 …気分は晴れないままだけど、玄関を開けて…

 …気分は晴れないままだけど、玄関を開けて…


「ただいま。」


 普通にそう言うと…


「…おかえり。」


 家にいたらしい聖君は、なぜか雑巾片手に…浮かない顔をしてた。


「…優里さん。」


「はい…?」


 手を洗ってると、後ろから遠慮がちな声が来た。

 振り向くと…聖君、何だか…らしくない感じ。

 …何だろう?


 本当なら、聖君が『浮かない顔』してる時点で、何か声を掛けるのが『思いやり』なんだよね…

 咄嗟にそれが出来ないと言うか…

 今まで他人と関わらずに生きて来たあたしには、本当に…全てがハードル高い。

 なのに、恋をしたって喜んだり…

 自分の事を知られたくないって落ち込んだり…

 …あたし、どうしたらいいの…



「はっ…」


 ふと、視線を落とした先には、聖君が手にしてる雑巾…じゃなくて、手の甲…!!


「これ…!!」


 何なの!!

 手の甲!!

 傷だらけ!!


「あ…ああ、ちょっと…シロ達と遊んでたら、こんな事に…」


「ごめんなさい!!」


「…そ…んなに、痛くないし。」


「シロ!!クロ!!」


「いやいやいやいや…」


 あたしはシロとクロを呼んで。


「どうしてー!?」


 聖君の右手を掴んで、その傷だらけの甲を見せながら叱った。

 普段あたしがこんな声を出す事なんてないからか、二匹は耳を後ろにやって…


 ちょっと!!

 聞いてるのー!?



「ゆ…優里さん、いいから。」


「良くない!!」


「……優里さん。」


「だって!!こんなに傷だらけ…!!」


「何かあった?」


「……」


 あたしが、シロとクロに怒りをぶつけてると言うのに…

 聖君は…真顔になって、あたしを見つめて言った。


 …何かあった…?


「…………どうして…?」


 どうして分かるの…?

 どうして思いやってくれるの?

 あたしなんて、聖君が浮かない顔してる…ってかろうじて気付いたけど…

 どうしたの?何かあったの?って…聞きもしなかったのに…



「泣きそうな顔してる。」


「え…?」


「ほんとに。」


「……」


 聖君にそう言われて…あたしは手を放すと椅子に座って。


「…大丈夫?」


「…ごめんなさい…」


 両手で顔を覆った。

 あたしの顔を覗き込む聖君に、顔を見られたくない。

 本当…

 あたし…

 どうして、こんなに情緒不安定なの…?



「…今日、出掛けてたのは、何の用?」


 ああ…

 色々知られたくないけど…


「……仕事…」


 それだけは、答えた。


「優里さん、何の仕事してるの。」


「……言いたくない……」


「……」


「……ごめんなさい…」


 もう…

 もう、あたし達ダメになるかもしれない。

 あたしはテーブルに突っ伏して、この気分の重たさをどうしたらいいのか…って…

 …どうもできないクセに。



 しばらく沈黙が続いた。

 聖君をもっても、この状況はどうしたらいいのか分からないらしい。

 だからって…

 あたしもだけど…

 シロとクロもどうにか出来る状況じゃない。



「…優里さん…」


 しばらくして、意を決したような聖君の声。

 だけどあたしは肩をビクッとさせたまま…顔を上げなかった。

 すると…


 ポーン


 玄関のチャイムが鳴った。


「…誰か来たけど…」


 誰よ!!


「…いい…」


「……」


 ポーン


「…俺、出ても大丈夫?」


「…出ないで…」


「……」


 ポーンポーン


「……」


「……」


 ポーンポーンポーン


 聖君が立ち上がって、玄関に向かった気配がして。

 あたしは慌てて自分のバッグを開くと中を探った。

 ウィッグと眼鏡とHDDと…


 …発信機!!


 拓人ーーーー!!



 あたしは元通り椅子に座って、パタンとテーブルに突っ伏した。


 …くっそ~…拓人の奴~…


 煮えくり返る怒りを鎮めようと、頭の中でふわっふわな白い柔らかい物を想像したけど…

 あたしのバッグに発信機を入れ込む拓人の姿が邪魔をして…


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――!!

 許せない――――!!



「…優里。」


 ふいに、拓人の声が振って来た。

 そんな優しい声を出したってダメっ!!


「…優里。」


 今度は、肩に手を掛けられた。


 パシッ


 あたしはその手を払い除けて。


「…何しに来たの…」


 目を細めて、低い声で言った。


「何しにって…心配して来たに決まってるだろ?」


「…嘘…」


「どうして嘘だよ。」


 聖君が、そこに居るのよ!!

 余計な事、喋らないでよ!?


「…心配なんて要らないから。」


 あたしは勢いよく立ち上がると。


「あたし、この人と一緒に暮らしてるの。」


 聖君の腕に絡みつくようにして言った。


 どうよ!!

 見た目だって完璧でしょ!?


 あたしが威張ったように勝ち誇った目をしてるのが気に入らなかったのか。

 拓人は…


「…弟じゃないのか?」


 は…

 はあ!?


 もう、こうなったら…

 拓人に口で勝つしかない!!


「…結婚前提で付き合ってるの。」


 あたしの言葉に拓人はビクッと眉を動かして。

 聖君の事、上から下まで…舐めるように眺めて。


「いくつ。」


 って…


「…25ですけど。」


 そ…そうよ?

 聖君は25歳。

 あたしと…7つ違うけど…

 それが何よ…


「優里。俺とだって、たかが三つ違いでケンカになるのに、七つ違いと上手くいくわけないだろ?」


 なっ…

 何なのよそれ――――!!


 あたしが口をパクパクさせかけたその時。


「おまえ、優里はめんどくさい女なんだぞ?」


 拓人が畳み掛けるように聖君に話し始めた。


「何かと言うと、歳の差がって泣くし。」


 そ…そんなに何回も言ってないー!!


「今すぐ結婚するって言わなきゃ死ぬって言うし。」


 言った事ないし!!


「仕事を始めたら何日も飲まず食わず寝ず、ついでに風呂にも入らない。」


 きゃああああああー!!

 何でお風呂の事言うのーー!?


「結婚に向いてないのに結婚なんて出来ないって言ったら、すぐ引っ越していなくなる。」


 引っ越したのは、あんたが…あんたが…!!


「ちなみにこの引っ越しは8度目だ。」


 そうだけど!!

 そうだけど、それには毎回いろんな理由があったでしょー!?


「君の事も俺を妬かせるための道具に過ぎない。」


 ば…

 ばっかじゃないのーーーー!?



 ぐっと眉間に力が入った。


 拓人。

 これ以上何か喋ったら…

 あたしだって、あんたの事…

 整形で、好物はトーストにイカの塩辛で、変わった性癖な事…ぶちまけるわよ⁉︎


 聖君の腕を抱きしめる腕に、さらにぐっと力を入れた。


 …お風呂に入らない事…

 話さなくたっていいじゃないのバカーーーーー!!

 汚れ。って思われたかも…

 よ…汚れ…


 …何日もお風呂入らなくても気にならなかったのは…もう、習慣って言うか…

 …習慣…

 自分の汚れ的な部分が習慣って事がショックで、言い負かしてやる!!って勢いはどこへやら…


 あたしがほんのり泣きそうになってしまってると…


「…それが何だよ…」


 聖君が…低い声で言った。


 こんな声…

 初めて聞いた…



「…あ?」


「…聖君…?」


 見上げると…

 これも初めて。

 聖君が険しい顔で…拓人を見据えてる。



「歳の差がって泣く?それはあんたが頼りないからだろ?」


「なっ…」


「今すぐ結婚するって言わなきゃ死ぬ?それほどあんたの事、信用出来ないからだろ?」


「~……」


 拓人が口をパクパクさせてる。

 …拓人のこんな顔も初めてで…

 あたしは、聖君と拓人を交互に見てしまう。



「仕事を始めたら何日も飲まず食わず寝ず、ついでに風呂にも入らない?そんなの、俺だったら無理やり食わせて一緒に寝て、風呂だって連れて入る。」


 …聖君…


「結婚に向いてないのに結婚なんて出来ない?結婚に向いてないって勝手に決めんなよ。」


 ……


「引っ越しだって、あんたがさせた事だ。それに…」


 もう…

 何だか、頭の中がふわふわしちゃって。

 あたし、立ってられるかな…って…

 聖君の事、見上げたまま…もう、死んじゃってもいいって気持ちになった。



「妬かせるための道具?はっ。笑わせんなよ。」


 聖君はあたしの肩をぐっと抱き寄せて。


「あんたはもう、過去の男なんだよ。優里さんは、俺の彼女だ。帰れ。」


「……」


 き…聞いた…?

 ねえ、拓人。

 シロ、クロ。

 今の聞いた?


 あたしの事…

 俺の彼女って言ってくれたーーーーー!!



 心の中では、エンジェルがトランペット吹きながら飛び回ってるんだけど…

 あたしはと言うと、もう…頭に血が上ったみたいになってしまって…


 ああ…

 どうしよう…

 本当…

 聖君、カッコいい…



 拓人はと言うと、両手を握りしめて、しばらく無言だった。

 だけど、シロが聖君の足元に擦り寄って来たのをきっかけに…


「………優里、いいのか?帰るぞ?」


 あたしに向かって言った。


 いいのか?

 いいのかって、何。

 来ないでって言ってたのに、発信機なんか入れて!!


「早く帰れ。」


 文句の一つでも言いたかったけど。

 あまりにも…聖君が頼もしくて。

 そしてやっぱりカッコ良くて。

 あたしはウットリしてしまった。


 これが俗に言う…


 王子様が迎えに来てくれた……ってやつ?



「…優里。」


「…帰って。」


 聖君の胸に頬を寄せて、拓人に言った。


 ああ…

 何だか初めて拓人に勝った気がする。


 いつもいつもあたしの事、上から目線で物を言って…

 どうせあたしはダメ人間ですよーだ。って。

 あたしが拗ねるのを楽しそうに見てた拓人。



 しばらくそうしてると、拓人は無言で出て行った。

 あたしは…

 聖君と二人きりになって、急に恥ずかしくなって…


「……」


「……」


 聖君も何も言わないし…

 どうしよう…って、ちょっと…ドキドキした。


 今までだったら、とびついてキスして…って流れなんだけど…

 …あたし、どうしちゃったのかな…

 今までしてた事、思い出すと…恥ずかしい。



「…聖君…ごめん…」


 意を決して、聖君から離れて頭を下げた。

 あんな事言わせて…

 もしかして、無理させたんじゃないかな…って思ったから。


「変な事…言わせちゃって…」


「……変な事?」


「でも……嬉しかった…」


 うん…

 嬉しかった…

『俺の彼女』…ああ~…どうしよう…照れちゃう…


 何だかニヤニヤしちゃうのを見られるのが嫌で、あたしは控えめに聖君の胸に寄り掛かった。


「…あ…あー…でも…俺こそ勝手に…俺の彼女なんて言って…ごめん。」


 背中に、そっと回って来た聖君の手。


 あああああ…

 今までだったら、速攻でベッドに!!って思ってたはずなのに。

 …今は…

 こうして、ギュッとされてるのが嬉しい…


「…カッコ良かった…」


「…マジで?」


「ん…」


「…そう思って…いいの?」


「…あたし…七つも年上だけど…いいの?」


「関係ないし。」


「……聖君…」


 ギュッ。


 嬉しい…!!

 七つの歳の差も関係ないって!!

 あたしがお風呂に入らない事も、関係ないって!!(ちょっと違うけど)


 …だけど…

 あたし、今まで自分から好きになった事がないから…

 今、こんなに幸せでも…

 何かあると…拓人に頼ってしまいそうで…それが怖い。

 拓人に頼る=元通り。だもん…


 …聖君…

 あたしの事…ちゃんと、繋ぎとめててくれるかな…



「…お願い…」


 あたしは、今の不安な胸の内を言葉にする事にした。


「…お願い?何?」


「…あたしの事、彼に…戻させないで…」


「……え?」


「お願い…」


「……」


 なんて事だろう…

 恋をすると…幸せなだけじゃないんだ。

 今、幸せの絶頂って思ったのに…すぐ不安になる。

 幸せに不安は付き物って事?

 何やらと何やらは紙一重って、これ?



「…一人でいるって…選択肢はないの?」


 聖君が、遠慮がちに問いかけた。


 一人でいるって選択肢…?


 …そうだよね…

 拓人とは一緒に居て…仲良くできる事もあるけど、ケンカになる事も多い。

 それでもずっと一緒にいたから…慣れって言うか…


「…心の支えって言うか…」


 小さく言葉にすると、あたし…拓人の事、心の支えって思ってるんだろうな…って、ちょっと自覚してしまった。

 本当は、拓人が心の支えとは思いたくないけど…

 それでも、あたしにとっては…今となっては、あの辛い時期を一緒に越えて来た存在。

 お互い、憎らしいって思う事も多いと思うけど…助け合って来たのも確か。



「…それだけ好きって事か…」


 好き?

 好きっていう感情とは違うよ…聖君…


「違うの…居て当たり前だったから…」


 そう…居て当たり前だった。

 だけど、拓人があたしの手を引いて『もうやめよう』って言ったあの日から…

 あたし達は、二人きりになって…

 なのに、拓人は整形して俳優なんて始めて…

 …あの時も辛かった。

 あたしの手を引いて逃げたクセに。

 拓人は一人だけ、どんどん違う世界に飛び込んで…


「…もう、本当にどうしたらいいかわからないの…あたし、拓人がいなきゃ生きていけない人生なんて…もう…嫌なの…」


 本当に…。

 あたしだって…

 この世界で、ちゃんと生きていけるって…


「…優里さん。」


 聖君が、あたしの顎を持ち上げて…そのまま頬を撫でた。


「……」


「……」


 何…考えてるんだろう…


 聖君は無言で、だけど…あたしをじっと見つめてる。

 何だか…あたしも聖君から目が離せなくて…お互い見つめ合ってると…


「…好きだ。」


 聖君がそう言って、唇を重ねて来た。


 …胸が…

 胸が、すごくギュッとなった。


 もう、何度もキスしたのに…

 どうしたの…?あたし…

 やだ…

 すごく…ドキドキしてる。


 キスにドキドキしてるの?

 それとも…『好きだ』って言われた事?


 ドキドキしたまま唇が離れて。

 聖君はまたあたしを見つめて…頬を撫でてたけど…


「あ。」


 何かを思い出したように、大きな目をして。


「ごめん…」


 謝った。


「な…何?」


「雑巾を持ってた手で触りまくった。」


「……」


「……」


「あはっ…あはははっ。そんなの…どうでもいいのに…」


「ごめん、ほんと。結構ゴシゴシやった雑巾だったから。」


 聖君は笑いながら…すとん、とあたしを胸に抱きしめて。


「俺、晩御飯作るから、優里さんお風呂入って来なよ。」


 って…あたしの顔を覗き込んで…チュッと頬にキスした。


 ……もう……




 倒れそう…。

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