第26話 パチッ
パチッ
すごく…寝覚めが良かった。
その事に自分で驚いた。
夕べは
あたしを泣かせてしまったお詫びにって、洗い物までしてくれて…
お風呂に(別々に)入って…
くっついて…
いちゃいちゃして…
…あたし、ちょっとムキになってたかも。
あたしの事知りたいって言ってくれた聖君。
好きだから知りたいって。
それは…すごく嬉しい気もした。
だけど知られたくない。
何も、知られたくないあたし。
とりあえずは…現状維持…って感じにしてもらえた…と思ってる。
それにホッとしながらも…モヤモヤもした。
『泉』ちゃん。
聖君が、寝言で言ってしまう名前。
きっと、大好きだったんだよね。
…あたしみたいに、何も話せない秘密だらけの女の事…
聖君、本当に好きでいてくれるんだろうか…
寝言で名前を呼んでしまうぐらい好きな女の子の事…
今はもう吹っ切ってるのかな…
今までこんな事がなかっただけに、あたしの中に湧いた色んな感情。
モヤモヤした。
それで…ちょっとセックスも頑張ってしまって…
聖君は、グッタリ。
起きる気配もない。
…頑張らせ過ぎたよね…
「…こうしちゃいられない…」
小さく独り言。
今日はネットカフェに行かなきゃいけない日。
あたしはそっとベッドを抜けて、パパッと着替えを済ませると。
『五時頃帰ります』って書き置きをして。
静かにしてくれてるシロとクロに餌をあげて。
行って来まーす。
口パクして、家を出た。
バッグの中に、ウィッグと眼鏡。
頭の中に…何となーく…作った曲。
歩いて駅に着くと、トイレでウィッグと眼鏡を装着した。
そこから電車に乗って、目的地に。
普段はもう…本当、全然用のない街。
オシャレで若い人達が集まるような…どことなく『人種の違い』を感じてしまうような…街。
あたしはそこへ、いつも着てるようなザックリ編みのセーターを着て来てしまうんだけど…
まあ、知った人に会うわけでもないからいいや。
基本引きこもりのあたしにはー…知った人自体、そんなにいないんだけど。
「いらっしゃいませ。」
駅を出てすぐの場所にある、ネットカフェに入って。
会員証を出して、パソコンのある個室を選択した。
早く仕事終わらせて、帰って聖君とゴロゴロしたいな~。
…って気持ちと…
昨日の今日だから、あたしを知りたい…って色々聞かれるのも嫌だな~…って気持ちと。
…とりあえず、仕事に集中。
じゃないと、また毎日来なきゃいけなくなる。
ここに通い始めた頃は、パソコンを前にすると眠くなってしまって。
六時間パックで入ってるのに、ほぼ寝てた事があって…
翌日も来たのはいいけど、同じパターンで。
あの時は四日通ったっけ…
「えーと…」
まずは…会社に連絡だよねー…
あたしがチャットのアカウントとパスワードを入力してログインすると、イギリス事務所のあたし担当のサミー(35歳男性既婚)がすぐに反応した。
『Lee、頼むから携帯を持ってくれ』
…あああー…
挨拶もなく、いきなりそれ?
でも確かに…サミー、困ってるんだよね?
だから
『えーと…あたしは特に困っていないので…』
『君は困らなくても、こっちは困ってる』
んんー…
『社長が君に甘くするから、こっちでは君が社長の愛人なんじゃないかって噂が飛び交って、社長も迷惑してるんだぞ?』
「えっ。」
つい、声を出してしまった。
社長の愛人!?
ええ~!!それは困るー!!
社長は素敵なオジサマだけど…
『このままのスタンスでやるなら、いっその事本社の世話になればいいじゃないか』
…本社…
『…本社って…』
『日本のビートランドだよ。君の住んでる町からは近いんだろう?』
「……」
えーと…そうだ。
そうだった。
本社は、日本にあるんだった。
それでも、イギリス事務所のシンガーとして出てくれ…って奏斗社長に言われたんだった。
でも本社に行った事ないし、場所も知らないし…
何より、今からまた偉い人と知り合うのは嫌だー!!
『携帯の事は考えておきます。今から曲を作りますのでまた…』
と書いてると…ひょこっと別窓が開いて…
『優里。おまえ、今どこだ』
拓人が入って来た。
…あー。
見つかった。
て言うか、人気俳優…チャットしてる暇なんてあるの?
『元気にしてるからお構いなく』
『そうじゃなくて。どこにいるんだよ』
『ネカフェ』
『そうでもなくて。どこに引っ越したんだよ』
『丘の上』
『住所教えろ』
『やだ』
拓人とのやり取りをしてると…
『Lee、頼むから早急に携帯を持って。それと、新曲が出来たら早めにデータ送って』
サミーから。
『あ…はい…分かりました…本当、いつもごめんなさい。頑張ります』
そう書いて…サミーとの窓を閉じた。
『三時にいつもの所で会おう』
えっ。
『来なかったら、あの事バラすからな』
『待ってよ。あたし仕事なのよ?三時なんて無理』
『出来る。おまえなら出来るから』
……もう。
拓人と三時に待ち合わせ。
家では聖君が待ってる。
…よし。
頑張ろう。
あたしは無言で窓を閉じると。
音楽ソフトを立ち上げた。
どういうわけか…
これが『神様が降りた』って事なのかな。
いつもはダラダラと時間がかかるクセに、今日はあっと言う間に曲を作ってサミーに送信した。
あっ。お昼食べてない。
ここのパスタ、好きなのに。
なんて思いながら、時計を見ると2時45分。
「ありがとうございましたー。」
ネットカフェを出て、外を歩く。
何度来ても落ち着かない街。
みんな、なんでこんなにキラキラしてるんだろう。
少し歩いて、通りの真ん中にある銀色のオブジェの前に立つ。
正直、邪魔なんじゃない?って思う…このオブジェ。
しかも、こんな目立つ所で待ち合わせをしたがる拓人。
どれだけ目立ちたがり屋なの。
十分目立ってるのに。
…あー…
早く来過ぎたかなー…
いつも時間通りに着く事なんてないのに、早く来てしまったから…
…待つのって、長い。
お腹もすいてるし…
そう思うとますますお腹がすいて、あたしはその場にしゃがみ込もうと…すると…
「こんな所でしゃがむなよ…いい歳して…」
ガシッと。
腕を掴まれて、立たされた。
見上げると…
「…拓人?」
「全然気付かなかったな。俺の変装、バッチリか。」
「……」
じっと拓人を見て、コクコクと頷く。
全然分かんなかった。
「いつからいたの?」
「おまえが来た時には、もういたよ。てか、珍しく早いな。」
「…あたしも思った…で、お腹すいた…」
「全く…また夢中になって食べるの忘れてたんだろ。」
「うん…」
「じゃ、飯食いに行こ。」
「あっ…でも…あの、飯って言うより、おやつ程度で…」
「何で。」
「…いいから。」
もしかしたら…
今夜も聖君が料理してくれるかもしれないし。
なんて。
満腹で帰るわけにはいかない。と思った。
「じゃ、その先にあるカフェにでも入るか。」
「あまりオシャレなのは落ち着かない。」
「そうだな…じゃ、裏道にある喫茶店に行くか。」
「そうしよ。」
あたしは拓人と並んで、ビルとビルの間を歩く。
育った環境のせいか…
やっぱり、少し寂れた通りの方が落ち着く。
…何だかなあ…
三つ子の魂百までって日本のことわざ。
上手い事言うなあ。
なんて、ちょっと思った。
「で。どこに引っ越した?」
ホットケーキを食べながら、拓人が言った。
変装のヒゲにシロップがついてる。
「言わない。言ったらすぐ入り浸るから。」
「よく言うよ。おまえが居てくれって泣きわめくクセに。」
「…もう泣きつかないわよ。」
「…男でも出来たのか?」
ピタッ。と。
拓人の動きが止まった。
ホットケーキの刺さったフォークが宙に浮いたまま、その先からシロップがトローッとお皿に落ちた。
「…まあ…そう…」
「……」
拓人はゆっくりホットケーキを口に入れると。
モグ…モグ………モグモグ…
って、ゆっくり口を動かして。
ゴクン。って飲み込んで…フォークを置いた。
「…どんな奴だよ。」
低い声。
「どんなって…」
拓人のこんな様子は初めてで…ちょっと戸惑ってしまう。
今までだって、何となくいい人が出来たかも。って事あったのに。
いつだって…余裕な顔して『頑張れば』なんて言ってたくせに…
「おまえ、騙されてんじゃねーの?」
「な…何言ってんのよ…すごくいい人だもん。」
「いい人って、何で判断したんだよ。」
「……」
何で判断?
えーと…
「…花をくれたり…」
「花?おまえ、花もらっていい人だって判断して付き合ってんのかよ。」
「そ…それだけじゃないけど…」
「他には。」
「……」
腕組みをして、変装したままの拓人に低い声で言われると…
何だか…
「…こんな拓人…嫌い…」
うつむいて小声で言う。
「…何だよそれ。こんな俺って、どんなだよ。」
「あの男みたい。」
「……」
あの男みたい。って言われるのを…拓人は嫌がる。
嫌がるのを知ってて言った。
だって本当に…
「…帰る。」
ゆっくり立ち上がると。
「おい。」
拓人に手首を掴まれた。
「そいつの事…信用していいのか?」
「……」
「俺が品定めしてやるから、相手教えろ。」
品定めって!!
その言葉にカチンと来たあたしは。
「拓人なんて嫌い!!」
大きな声でそう言って、お店の他のお客さんがザワザワし始めた事に拓人が狼狽えた隙に、お店を走り出た。
駅まで走って、トイレに駆け込む。
トイレの個室でウィッグを外して、便座に座ったまま…少し息を整えた。
…拓人が心配するのは分かる。
あたし達は…少し特別な環境で生まれ育った。
だけど今ではそれも…関係ない。
元々あたしは望まれてなかったし、拓人は…整形したし。
それに、俳優なんて…あんなに目立つ事してたら、そう簡単に危害なんて加えられないはず。
個室から出ると、鏡の前にいた数人の若い女の子達があたしを見て小さく笑った。
何かな?と思って鏡を見ると、ウィッグでペチャンコになった髪の毛、右側がピョンってはねてる。
「……」
今までだったら…別にこのままでもいいんだけど…
帰ったら…聖君…いるかなあ…
あたしは若い女の子達を後目に、バシャバシャと頭に水をかけて。
わしゃわしゃっとハンカチで頭を拭いて。
鏡の前を見つめて、ふー…って溜息をついた。
ああ…なんだ…
あたし、美人だなー…って、自分で思ってると。
「今すごい事してたけど…美人…」
ってつぶやきが聞こえた。
そっか。
あたし、まだ美人って思われるんだ。
聖君だけじゃなくて、他の人にもそう思ってもらえるんだ。
見た目じゃ、ずぼらはバレないし。
…あたしには、見た目しかないんだ…!!
「…よし。」
鏡に向かって独り言をつぶやいて。
若い女の子達の間をすり抜けて駅を出る。
髪の毛も乾かさなきゃだし、歩こう。
五時頃帰るって書き置きしたから…それぐらいまでに帰ればいいし。
あたしは空を見上げて、不機嫌な自分をどうにか正そうと思った。
だけど今まで何でも自由だったあたしには、そんな事出来るはずもなくて。
色んな寄り道(あちこちで見つけた動物に声を掛けたり)しながら、家に帰った。
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