第25話 「はあ……」

「はあ……」


 あたしは、その光景を見ながら溜息をついた。


 その光景って言うのは…スーパーのお総菜屋さん。

 料理に失敗したあたしは、とりあえず…やる気だけは見せようと思って。

 冷蔵庫の中をいっぱいにしよう!!って…まずは…現金を、作った。

 ドキドキしながら、銀行に行った。


 それから、近所のスーパーで食材を超適当に買い込んで…冷蔵庫に押し込んだ。

 そして、また急いでスーパーに向かった。

 一応…書き置きを残した。

『七時頃帰ります』って。


 なぜ、再度訪れたかと言うと…

 お総菜屋さんが、ガラス越しにその技を見せてくれてたから!!

 料理!!(ほとんど揚げ物だとしても、あたしには技)


 そうかあ…

 今まであたしが食べてた揚げ物って、ああやって…そうなってたんだ…


 拓人は料理が出来る。

 あの子は本当…無駄になんでも出来る。

 拓人が女の子に生まれたら良かったのに。



 揚げ物のショーが終わって、あたしは心の中で拍手喝采。

 あたし、今度から揚げ物食べる時は、衣も残さず食べます!!

 …好き嫌いも…少し減らしたい…


 それからあたしは、その足で本屋に向かった。

 お料理の本って、たくさんあるよね。


『今井書店』っていう、あまり大きくはないけどレトロな感じの本屋さんに入る。

 お料理の本…あ、ここだ…


「……」


 そこで、あたしが目にしたのは…あまりにもたくさんの、料理本。


 ど…

 どれを…見れば…?

 え…えーと…

 …ああ…ダメだ…

 あたし…あまりたくさん情報仕入れるの得意じゃないし…


 さっきまでの意気込みはどこへやら。

 あたしはヨロヨロと、違うコーナーへと移った。


 ……あ。


 音楽のコーナーで、表紙に『Lee』って書いてある雑誌を見付けた。

 …他にもLeeって人がいるのかな。

 それを手にして、ちょっと開いてみる。


『不思議な世界観をお持ちですよね』


『不思議ですか?不思議とは思っていないんですけど…』


 バッ


 開いたけど、そこに書いてある記事が、自分の事だと分かってすぐに閉じた。


 ああ~!!

 あのチャットの内容って、こんな事になってたの~!?


 あたしは、取材もNGにしてて。

 電話取材ならどうかって言われたけど…それもNGって言ったら…

 チャット取材なら!?と強く言われて…渋々OKした。

 それで、時々…ネットカフェに行って、チャットするんだけど…

 ネットカフェって、薄暗くて…

 …寝ちゃう。


 確か、この時も…後半は寝ちゃったような…


「……」


 そう言えば、奏斗社長から何か送られて来たけど…引っ越しの前だったから読まなかった。

 この雑誌の原稿だったのかも…


 旅行者のあたしをスカウトした社長。

 住処は日本だ。って言ったのに…イギリス事務所からデビューしてくれって言われて…

 まあ…日本に住んで、連絡もほぼ出来なくてもいいなら…なんて…

 すごく適当な契約をしたのに…

 …あたしの事、バンバン売り出して…お金持ちにしてくれた。


 それで時々、ネットカフェに行って、教えてもらった音楽ソフトで適当に曲を作って…

 それをカラオケボックスで歌って録音して…

 社長に送ってる。


 …そんなお粗末な作品が…

 世界中で売れてるなんて、申し訳なさすぎる…



「…はっ。」


 ふと、本屋さんの時計を見ると七時前…!!

 帰らなくちゃ!!





「あっ…」


 本屋さんから帰ってると、これまた…中川衣料品店っていう、個人のお店が店仕舞い寸前だったんだけど…


「あの…まだいいですか?」


 外に出てたワゴンを片付けてるお母さんに声をかける。


「ああ、いいですよ。どうぞ?」


「ありがとうございます。」


 聖君の部屋着…ちょっと派手なの買い過ぎてた気がする…って思って。

 あれはあれで納戸に隠したままなんだけど。

 これ、普通にあたしも着れそうだし…いいよね。


 あたしがトレーナーを広げて見てると。


「お嬢さんには大きいかな?」


 お母さんが隣に来て言った。


「…男物ですか?」


「そっちはメンズよ。こっちが女性物。」


「あ…えーと…」


「あ、彼氏の?」


「…は……はい…」


 彼氏!!

 彼氏の!!


「サイズは?」


「あ…えっと…たぶんこれで…」


「そんなに地味なのでいいの?」


「あ…はい…」


「お嬢さん、初めて見る顔ね。」


「…越してきたばかりで…」


「あら、そう。じゃあお嬢さんの分はサービスしてあげる。」


「えっ?」


 お母さんはそう言うと、女性物の方から色違いのトレーナーを出して。


「これから常連さんになってね~。」


 って…

 聖君に買おうとした物と一緒に袋に入れてくれた。


 えー!!

 なんて優しい!!


「ありがとうございます。また来ます。」


 あたし、ウキウキしながら家に帰……


「……」


 玄関の明かりが点いてる。

 聖君、来てるんだ!!


 慌てて階段を駆け上がって、少し息を整えてから引き戸を開けると…


「にゃっ。」


「にゃ~。」


 シロとクロが迎えに出てくれた。

 …聖君の靴が…ある…

 そっと廊下を歩いてキッチンに行くと、聖君は…冷蔵庫を覗いてる。

 …いっぱいにしてて良かった!!


「た…ただいま…」


「あっ、おかえり……大荷物だね。」


 冷蔵庫の前に立ったまま、聖君はあたしが手に持った大きな紙袋を見た。


「あ…あ、これ……聖君の部屋着…買って来ちゃった…勝手にごめんね…?」


 引くかな…

 実はこれ以外も、納戸に山ほど…


「えっ…マジで?持って来ていい?って聞こうかなって思ってたんだ。」


 …持って来ていい?


 わー!!

 聖君、うちでくつろいでくれる気になってたんだー!!

 嬉しい!!


「ほんと…?良かった。」


 大喜びなんだけど…抑えて言うと。


「冷蔵庫の食材、使っていい?」


 聖君が冷蔵庫を指差して言った。


「え?」


「って…今更だけど。」


「…?」


「晩飯、作るよ。」


「…聖君が?」


「うん。優里さん、休んでて。」


「……はい。」



 それから…聖君は、すごくテキパキと料理を始めた。

 あたしは一段下がった寝室の床に、シロとクロと座ったまま…

 それを呆然と見てた。



「聖君、すごい…」


 あたしは…テーブルに並んだ料理を前に、ワナワナと震えた。


「そんなに感激してもらうほどじゃないと思うけど…」


 な…何言ってるの…?


 これ…

 聖君が…作った…んだよね?

 すごい…すごいよー…


 …はっ。

 もしかして…

 ココットも!?



「いただきます。」


「…いただきます…」


 二人で向かい合って、いただきますをして。

 あたしが買ったのはいいけど、何に使うつもりだったのかっていう野菜たちが…

 何だか、どれも美味しそうに料理されてて…

 実は好き嫌いあるんだけど…

 …無難そうな、シチューを…


「……美味しい……」


「そ?良かった。」


「……」


 つい、がっくりと肩を落としてしまう。


「…優里さん?」


「…実はあたし、お料理全然ダメなの…」


 正直に言うしかない。

 いいイメージ持たれてたら、今までみたいに『思ってた感じと違う』って言われるに決まってる…!!


「…意外。この前、作ってくれたスープ、美味かったけど。」


 うわー!!

 やっぱりー!!

『意外』って言うって事は、料理出来る女って思ってたって事よね!?



「…コンビニで買ったのを温めただけ…」


 ゴツン。

 テーブルに頭をぶつける。

 ああ…なんであたし…


「夜来てくれた時も…あたしが出したのは、スーパーのお弁当をお皿に移しただけ…」


「……」


 聖君は無言。


 …ああ…

 すごく…ガッカリしたんだよね…?

 料理が出来ない女なんて…


「ごめんね…あたし、カッコ悪い…」


 泣きたい気持ちを抑えて、かろうじて…そう言うと。


「……ぷはっ…そんな事ないよ。」


 少し間を開けて、聖君は…笑いながらあたしの頭を撫でた。


「何でも出来る人かなーって、ちょっと思い込んでた所もあるけど…出来ない事があるって、ある意味魅力じゃん?」


 …え…っ?


「…魅力…?出来ない事が?」


「俺はそう思うけど。」


「……」


 あたしの頭の上に乗ってる聖君の手を取って。

 ゆっくり身体を起こす。


 この人…今まで出会った誰よりも…

 心の綺麗な人だ。



「…今度、お料理教えてくれる?」


 この気持ちが、持続するかどうかは分からないけど。

 今、この瞬間は…あたし、本気でそう思ってる。

 聖君の手を握って。

 うん、頑張ろう。って…今の自分に言い聞かせてると…


「…優里さん。」


 聖君が、真顔になった。


「ん?」


「俺…もっと優里さんの事知りたい。」


「……」


 あたしの事…

 …あたしの事って…



「…あたしは…」


「……」


「あたしは……」


 ど…

 どうしよう…

 あたしの事…って?


 今の職業がエセシンガーだなんて、知られたくない。

 その前の仕事なんて…もっと知られたくない。

 あたしの事…あたし、他に何があるの?


 …お風呂に入らない…

 言えない!!



「…俺は」


「待って。」


「…え?」


 もしかして、『高原』じゃない。って言うのかな…って思って。

 あたしは聖君を止めた。


 知らなくていい。

 余計な情報は、ないままでいい。



「…言わないで。」


「…え?」


「何も知らないままでも…上手くいく事もあるかな…って…」


「……え?」


「……ダメ?」


「……」


 あたしの言葉に、聖君は…なんて言うか…

 困ってる…?

 ううん…

『なんで?』って顔してる…?


 しばらく言葉を探してるみたいだった聖君は、意を決したようにあたしの目を見て。


「…俺って…セフレ?」


 真顔で言った。


「……」


 俺って…セフレ?


 …セフレ…?


「…そんな…」


 驚くほど、すごいスピードで。

 あたしの目から涙がこぼれた。


 もしかして…聖君…

 あたしが『飼いたい』って思ってしまってた事…気付いてたのかな…

 だけど、それは本当に最初だけだったの。

 今は違う。

 今は…



「あ…あっ、ごめん…ごめん…ほんと…」


 あたしの涙を見た聖君は、慌てて立ち上がってあたしの隣に来ると…優しく涙を拭いてくれた。


「…ごめん…俺は…優里さんの事好きだから…好きだから知りたいって…なのに、それを拒否られたみたいな気がして…悔しかったんだ…」


「……え…?」


 拭いてもらったのに止まらない涙。

 あたしは、それをそのままにして…聖君を見上げた。


 今…聖君…

 あたしの事、好きだから知りたい…って…

 ……本当に!?



「ごめん…あたし…恋愛慣れしてなくて…自分に自信なくて…この歳になってもお料理出来ないような女なのよ…?嫌われたら…って…」


「嫌われたらって…」


「だって…みんなあたしの事、外見で好きになるから…」


「……」


「何でも出来る女って…だから、見た目と違ったって…」


「……」


「あたしの事、好きって言ってくれた人…みんな…友達として、一緒にいる間に…『やっぱいいや…違った…』って…」


「……」


 確認の意味も込めて、まるで畳み掛けるみたいに…あたしは言ってしまった。

 だって、聖君…

 あたしの事、可愛いとか…何でも出来そうとかって言ったし…

 今までの人と、同じレベルで好きって言われたんじゃ…

 …あたしとは、続かない。



「た…確かに俺は、優里さんの外見も大好きだけど!!」


 両手で頬を挟まれて、ちょっと驚いた。

 驚いた顔のまま…聖君を見つめる。


「外見も大好きだけど…その…独特な雰囲気って言うか…のんびりしてる所とか、その…柔らかい空気をまとってる所とか…」


「……」


「…とにかく、一緒に居たら癒されるんだ。」


「……」


「料理が出来ない?大した事じゃねーよ。他に何が出来ない?出来ない事なんかあって当たり前だろ?」


「……」


「そりゃ…何でも出来る人かなーなんて…ちょっと勝手にイメージした俺も悪かったけど…俺はむしろ、出来ない事がある優里さんの方が…好きだ。」


「……」


 …今までの人達と…違う。

 聖君…

 聖君なら…

 本当のあたしを知っても…嫌わないのかな…


 …って…


 本当の事なんて、言えるわけないけど…



「…俺だって…出来ない事だらけだよ。」


「…何が…苦手なの…?」


 知れば知るほど、完璧な聖君。

 あたしは、その胸に身体を預けて問いかけた。


「…恋愛が苦手。」


「…たくさん…恋愛してそう…」


「たくさん恋愛するのが恋愛上手って言うのかな。俺は…一人の人と長く続く方が、恋愛上手って思う。」


「…じゃあ…たくさんお付き合いしたんだ…?」


「……それは否定しないけどさ。」


「…あたしは…聖君が…」


 ど…どうしよう。

 恋愛は…

 正直言って…

 ちゃんと、ここまで好きになった人は…聖君が初めて!!


 だけど、男の人って…そういうの引くって聞いたような気がするし…

 何よりあたし、32歳。

 それで一人目なんて…ドン引きだよね…!?


「…二人目…」


「………じゃあ、恋愛上手じゃん。」


「そ…そんなわけ…ない…」


「……」


「……」


 聖君は、人数を聞かれたくなかったのか…無言になった。


 …良かった。

 あたしは…聖君が何人と付き合ってても…構わない。

 今は、あたしの事…好きって言ってくれてるんだもん…


「…食べよっか。」


「う…うん…」


 聖君が、あたしの顔を覗き込んで。

 涙もちゃんと拭いてくれて…向かい側に座った。


 若くて…カッコ良くて優しくて…社長で……(あたしにとっては)セックスが上手いとなると…

 きっと、今までもたくさん付き合ったはず。



「…優里さん、好き嫌いある?」


「……分かっちゃうよね…」


「あはは。それ、もらうよ。」


「…ごめん…」


「いいよ。」


 除けてたニンジンを、聖君がパクッと食べて笑う。

 その笑顔を見ながら、ふいに…


『…泉…』


 聖君が、寝言で言った名前を思い出した。


「……」


 あの時は何とも思わなかったのに…



 どうしたんだろ。

 何人と付き合ってても構わないって思ったクセに。

 …アレを思い出すと…



 胸が痛い。

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