第24話 「装着。」

「装着。」


 洗面台の鏡で、ウィッグをチェック。


 あたしは基本…この近所以外に出掛ける時は、黒髪のウィッグを着ける。

 ついでに、丸い眼鏡も。

 まあ…軽い変装だ…

 …有名人でもないクセに。



 聖君が川で溺れたあの夜も、このウィッグを着けてたけど…

 家に帰って外した。

 …聖君、覚えてるかな…

 あの時は、何とも思わなかったけど…ちょっと詮索されると嫌だな…。



「シロー、クロー、行って来るねー。」


 二匹ともいないのを知ってて、玄関から家の中に声をかけた。

 だけど慌ててキッチンに戻って。


「買い物中に聖君が来たらいけないからね…念のためね…」


 独り言をつぶやきながら、テーブルの上に『五時頃帰ります』って書置きを残した。

 そして、自分の足元を見て。


「…ダメダメ。こういうのも…直さなきゃ…」


 スニーカーのまま、上がり込むクセ。

 本当…ダメだよね~…

 その場でスニーカーを脱いで、納戸から簡単モップを取り出して、ちゃちゃっと床をなぞる。


「…よしよし。」


 たぶん綺麗になった。



「今度こそ、行ってきまーす。」


 意気揚々と買い物に出かける。



 男の人の部屋着って、どうなのかな。

 拓人は外でキリッとしてるからか、家の中ではあたし同様ずぼらだった。

 穴の開いたスウェット穿いて、もう捨てるよ?って言うと、愛着があるだの何だの…



「……」


 あたし…拓人の事考えても…寂しくなくなったな…

 以前は、拓人に依存し過ぎてて…

 拓人があたしを気にかけてくれない事に腹を立てたり…

 だいたい、風俗で働いたのも、拓人への当てつけキッカケでもあった。


 …若かったな…あたし…



 …だけど。

 今度はそろそろ拓人の方が寂しくなるはず。

 あの子だって、あたしに依存してる。

 今はドラマの撮影があるから忙しくて気が紛れてるかもしれないけど…

 ストレスが溜まったり、時間が空いた時は…ヤバいかも…ね…


 電車に乗って拓人の事考えてると、ちょうど拓人の看板が見えた。


『会いたい人に会えない夜』


 今のドラマのタイトルだっけ…会いたい人に会えない夜…

 拓人は…

 今、一緒に居てくれる誰かを…見付けてるのかな…?





「ただいまー。」


 書き置き通り五時頃家に帰ると、シロもクロも家の中にいた。

 大きな声では言えないけど、裏庭の倉庫の壁に小さな穴が開いてて、猫達が倉庫から納戸に自由に出入りするのにちょうどいい。

 前ここに住んでた人、猫飼ってたんじゃないかな。


「にゃ~。」


「にゃっ。」


「ただいま。お土産あるよー。」


 買い物袋から、カサカサとたくさんのビニール袋を取り出して。


「ほら。ほらほらほらほらほら。」


 二匹の前でワシャワシャと振ると。


「うにゃっ…」


「ふー……」


 二匹とも、低い体勢でそれを狙ってお尻を振り始めた。


「ふふふ…取れるかな~?」


 真ん丸い目が真っ黒になって。

 いまだ!!ってタイミングで飛び掛かる二匹目掛けてビニール袋を投げると、シロもクロも大喜び。

 それぞれ頭を入れてみたり、足に引っ掛けて猫キックをしてみたり。


「うふふ…可愛いなあ…」


 あたしはテーブルに頬杖をついて、しばらくその様子を眺めた。


「あっ…こうしてる場合じゃない…」


 書き置きが置いたままだし、聖君からのメッセージもないって事は…来てないよね。


 …当然だよ。

 社長、そんなに暇じゃないんだろうなー…

 …また昼前に来て、明るい内にセックスしたいよー…

 なんて考えながら、聖君用に買った部屋着とか…下着とか…靴下とか…

 …買い過ぎたかな…

 引かれるかな…


「……」


 まるで、同棲しましょう!!って…言ってるみたいだよね…


 ううん…

 もっと酷いかも…


「…これは…納戸に…」


 シロもクロも、ビニール袋に夢中。

 猫達にさえ見られてないのに、あたしはそそくさと買って来た物を納戸の奥にしまった。


 ウィッグを取って、ぺちゃんこになった髪の毛を水でちゃちゃっと濡らして、ブルブルッて振って…


「…ダメダメ…」


 水の散った鏡を、ゴシゴシと袖で拭く。



 聖君…

 何時頃来るかな…

 鏡を見ながら、ちょっと甘えた唇をしてみたり…

 何の練習なのって感じだけど…

 色々ポージングしてると…


「はっ…」


 大事な事を思い出した!!

 冷蔵庫に何もない!!


「シロ!!クロ!!ちょっとスーパー行って来るね!!」


 あたしはお財布だけを持って。

 けたたましく家を出た。

 そして、全力疾走でスーパーに行って。


「これと…あれと…」


 とりあえず、身体に良さそうな野菜とか…


「これも…あっ、これも…」


 色々、カゴに詰め込んで。


「カードで。」


 レジでカードを差し出すと。


「…うちみたいな小さなスーパーじゃ、使えないんですよ…ごめんなさいねぇ…」


「……」


 現金…ないっ!!


「ご…ごめんなさい…」


「ここから1kmぐらい先にあるスーパーなら、カード使えますけど…」


「…ありがとうございます。」


 あたしはカゴの中の物を、元あった場所に戻すと。

 1kmなら大丈夫かも!!

 また…全力疾走でスーパーに行って。

 だけど、店内の時計を見て…ああああああってなって。

 とりあえず、お弁当と…スープの素みたいな物と…

 タマゴ…走ったら割れちゃうかなあ…って思いながらタマゴと。

 あと、とろみをつける的な物、買って。

 カードで支払って…


「…た…ただいま……」


 うちに帰ると、真っ暗だったけど…

 …聖君が来る前に帰れて…ホッとした。


 久しぶりに走ったから…疲れた。


 聖君の晩御飯…

 晩御飯…


「…このまま差し出すのも…」


 パンパンに張ったふくらはぎを労りながら、あたしはヨロヨロとキッチンに立つ。


 …とりあえず…

 お皿に出して…温めれば…でもせっかくだから…ちょっと盛って…

 丸いお皿に、野菜の彩りがいい感じに見えるように並べて。

 お惣菜もパックを開けてそこに並べて。

 ワンプレートの美味しそうなご飯じゃない…って…


 自己満足…



「…ダメだ…先にお風呂入ろう…」


 そうよ…

 しっかり疲れを取らなきゃ…

 …今夜も、あのめくるめく快感が待ってる…


「……」


 それを考えるだけで、元気になれるなんて。

 ほんと、あたし…病気だよね。


 …いいの。

 病気でも。

 聖君だって、それ目的みたいなとこ…あるはずだし。

 だって、拒まないもん。

 また?とも言わないし…

 いつも…気持ちいいって言ってくれるし…

 …そうだよ。

 うん。


 あたしが病気だとしたら、お互い様だ。

 きっと。


 そう解釈して、バスタブに『疲労回復に』って書いてある発泡剤を入れて、ゆっくりと浸かった。


 ああ~…

 あたし、お風呂好きになりそう…

 これも聖君のおかげだ…

 あんなにずぼらで、どうしようもなかったあたしが…

 …お風呂に入りたい。って。



「ただいま。」


 お風呂から上がって、髪の毛をしゃしゃーって乾かした頃。

 聖君が来てくれた。


「…おかえりなさい。」


 ああ…

 聖君が『ただいま』って言ってくれる…

 嬉しい…


 …嬉し…

 ……すごくうれしいんだけど…

 …眠い。


 疲労回復に一役買ったはずの発泡剤は、効かなかったと言うの?

 この怠さ…そして眠気…

 …あたし…

 あたしのクセに…走ったから…?



「…優里さん?」


「はっ…」


 何とか、晩御飯は…食べた。

 あたしが黙ってたからか、聖君も無言で食べて。


「…眠いんじゃ?」


「そんな事ない…大丈夫…」


 そう言いながらも…カクン。と首を折るあたし…


「…もう眠ろうか。」


 聖君があたしの事、椅子から抱えるようにしてベッドに連れて行こうとする。

 やだやだやだ…って、少し抵抗してみたものの…

 聖君はクスクス笑いながらあたしの頭を撫でて。


「おやすみ。」


 ベッドに横にすると…額にチュッとキスをして…まぶたの上に手を置いた。


 …当然だけど…暗くなって…あたしは…







 ……すー……





「はっ…」


 これが『飛び起きる』って事なんだろうか…


 鳥の鳴き声が耳に入って。

 あたしは、ガバッとベッドから飛び起きた。


「え…えっ…?」


 キョロキョロと辺りを見渡す。

 聖君は…いない。

 それどころか…


「…これ…もうお昼ぐらいだよ…」


 あまりの日の高さに絶望して、もう一度ベッドに倒れ込んだ。


 あーーーー!!もう!!

 あたし、なんて事…!!

 めくるめく快感どころか…夢を見る事もなく熟睡なんて…!!

 もう走らない!!

 二度と走るもんかー!!



「…シロ…クロ…」


 声をかけたけど、二匹とも不在。

 ああ…寝太郎な飼い主に愛想をつかして、出て行ってしまったのね…


 悲しい気分になりながら、ゆっくり起き上がってキッチンへ行くと…


「……」


 テーブルの上に、書き置き。


『おはよう。夕べはごちそうさま。朝ごはん、優里さんの分はオーブントースターに。また今夜』


「……」


 両手でそれを持って、目の高さで読む。


 聖君の書き置き…

 こんな字なんだ…

 なんて言うか…

『清書』って感じ…

 すごいな…

 上からトレースして、真似たいぐらい…


「…朝ごはん…」


 書き置きにある通り、オーブントースターの中に朝ご飯があった。

 そこに『5分』って付箋が貼ってある。


「……」


 おとなしく5分待った。

 チーンって音が鳴りやまないうちに扉を開けると、中からいい匂いが…


「…美味しそ…」


 なんだっけ…

 ココット…?


 一人でいただきますをして。


「…美味し…」


 美味しいんだけど…

 夕べセックスできなかった事が残念過ぎて…

 あまり食欲…


「…ごちそうさまでした…」


 ペロリ…。


 あっと言う間に朝ごはんを平らげてしまって。

 あたしは再びベッドに横になる。

 あー…美味しかったー…

 聖君、あたしの朝ご飯の心配もしてくれるなんて。

 いつ買いに行ったんだろう?

 全然気付かなかったなあ。


 はっ…


 いい女は、ここで横にはならないよね…

 …仕方ないよ…あたし、いい女じゃないし…


「……」


 ふと、自分が食べ終えた食器を出しっ放しにしてる事に気付いて。

 バタバタとキッチンに走ってそれをシンクに置く。


「……」


 洗おう。

 うん。


 食器を洗って、またベッドに仰向けになって。

 また少し考えた、


 …あたし、こういうちゃんとしたのが一時的な物だとしたら…

 本当のずぼらなあたしを聖君に知られる可能性、大だよね…

 今だって、当たり前みたいに食べてすぐ横になった。

 …酷い時なんて、横になったままパンを食べる事あるよ…

 もう習慣付いちゃってるんだ〜‼︎

 何もかも‼︎


 …聖君て…すごくちゃんとしてる気がする。

 あたし、あんまり男の人がずぼらでも気にしないんだけど…

 聖君には、まだそんな一面が見えない。

 本当に…きちんとしてる…


 いやいや…聖君も、一時的な物かもよ…?

 目の前にちょっと好み(と思いたい)の女がいて、いい所見せようって…きちんとしてる風な…


 …んー…


 でも!!

 そう。

 そうだよ。

 この機会に、ちゃんとできるようになればいいのよ!!あたし!!

 ほら…恋は人を変えるって言うし…


「…恋…」


 ガバッと起き上がって、小さくつぶやく。


 …これって…

 恋…なのかなあ?

 だってあたし、セックスの相性がいいから…聖君を『飼いたい』なんて思ったよね。


「……」


 伸ばした足。

 自分のつま先を見ながら、唇を尖らせて考える。


 確かに…身体の相性って大事だ。と、思う。

 お店の子達も言ってた。

『愛があれば』なんてのは火が点いてしばらくは思えるけど、冷静になってくると愛だけじゃ補えない事もある。って。


 その、補えない事って言うのが…

 お金の事とか。

 身体の相性の事とか。

 思いやりとか。

 らしい。


 あたしはー…とりあえずは…

 自分が稼いでるから、お金はなくてもいい。

 でも身体の相性は重要だ。って、すごく思う!!


 思いやり…


「…思いやり……?」


 足の指をグーパーさせながら、思いやりについて考える。


 …思いやりって、自分がしてもらうだけじゃなくて、自分も相手に対してそうしてあげたいって思えないと…結局関係は成り立たないよね…

 あたし、その点で言うと…聖君にしてあげたいって思う事…たくさんある…!!



「…よし。料理しよう。」


 思い立ったが吉日。

 あたしは早速、冷蔵庫の中身を駆使して料理を…


「……」


「……」


「……」


 その出来具合には、いつの間にか帰って来て、そばに座ってたシロとクロさえも無言になった。

 鼻をひくひくさえもしてくれない。

 なんなら猫なのに鼻の息止めてる。


「…あ…あたし…どうしてこう…才能ないの…」


 白菜とトマトのスープを作ってみようと思ったんだけど…

 何がダメだったんだろう?

 吐いちゃいたくなるぐらい、不味い。


 もう…

 もう、こうなったら…


「…素直に…料理できません…って言うしかないよね…」


 トホホ…って顔をして二匹を見下ろすと。

 まるでシロとクロは『うんうん、それがいい』って言わんばかりに『にゃっ』って短く鳴いた。

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