第16話 「やだ。あまりにも美人だからって、そんなに見惚れなくてもっ。」

「やだ。あまりにも美人だからって、そんなに見惚れなくてもっ。」


 母さんに肩を叩かれて、我に返った。


「あっ…あ…」


 優里さんはと言うと…少し冷静な顔で。


「…はじめまして。Leeです。」


 軽く…頭を下げた。


『はじめまして』…その言葉に、再び固まってしまう俺。


 はじめまして……はじめましてって言わなきゃいけない状況って事なのか?


「…どうも。息子です。」


 父さんと母さんを、交互に指差しながら言うと。


「もう打ち合わせは終わったんでしょ?このまま四人でご飯食べに行かない?」


 母さんが名案と言わんばかりに、明るい笑顔で言った。


「ご…」


 明らかに戸惑った俺と優里さんをよそに。


「ああ、いいな。Lee、大丈夫か?」


 父さんはジャケットを手にして、優里さんに問いかけた。


「…胸がいっぱいで、食事が喉を通るかどうか…」


「まあ、そんなに固く考えるな。」


「そうそう。一緒に美味しい物食べに行って、もっと幸せになっちゃおう?」


「あ…はい…」


「しー…仕事の話なら、俺は遠慮しとくけど。」


 後ずさりしながら言ってみたが。


「だーめっ。帰っても誰もいないから、一緒に食べようよー。」


 …母さんに捕まった。



「どこに行く?」


「そうだな…」


 エレベーターに乗って、ふと思い出した。

 …優里さん、めちゃくちゃ好き嫌いあるんだぜ…


「あ…あー、俺、ジャンクな物が食いたいな。」


 いきなり提案すると。


「ジャンクな物ぉ?」


 母さんの眉間にしわが寄った。


 …だよなー。

 父さんにジャンクな物食わしたくねーよなー。


「Lee、食べれない物があるか?」


 俺が頭を抱えそうになった所で、父さんが優里さんに問いかけた。


「……」


「ふっ。好き嫌いがあるのは悪い事じゃない。正直に言いなさい。」


 と…父さん!!

 気遣いサンキュー!!


「…ごめんなさい…実は…好き嫌い…多くて…」


「あっ、聞いて良かった。なっちゃんナイスっ。じゃ、何なら食べられる?」


「え…え…と…」


 優里さんが悩んでると、エレベーターが8階で止まって。


「おっ。」


「あっ。」


 …親父と姉ちゃんが乗って来た。


「わー。珍しいね。エレベーターで揃っちゃうなんて。」


 母さんと姉ちゃんは並んで嬉しそうだが…

 …俺は…!!


「イギリス事務所のLeeだ。」


 父さんが優里さんを二人に紹介すると。


「ああ…SHE'S-HE'S同様、メディアに出ねーって噂の。」


 親父がそう言いながら優里さんを見た。


 …メディアに出ない…?


「Lee、こっちは娘の知花。そして、その夫の千里だ。」


「…はじめまして…Leeです…」


「はじめまして。知花です。」


 姉ちゃんと優里さんが握手をする。

 そして…


「おまえは?なんでここに?」


 親父が俺に言った。


「…仕事が早く終わったから寄ったら、飯食いに行こうって。」


 俺がそう答えると。


「どこ行くんすか。」


「今それを考えてた所だ。」


 親父と父さんが相談を始めた。


 …会長室を出てからというもの…優里さんは俺を見ない。

 まあ…俺も直視は出来ない。


 はじめまして…って。

 いつまで通用するんだろう。


 ずっと…嘘つき通す気か…?



「なるほど。そこなら大丈夫そうだな。いいか?Lee。」


「はい…」


 俺が考え事をしてる間に、揃って食いに行くことになったらしく。

 親父と父さんで、店を決めていた。


 そんなわけで…タクシー二台で『あずき』って定食屋に。

 車内で定食屋って聞いた時は、え?って思ったけど。

 着いてみると小奇麗な店構えで。

 親父が予約をしてたらしい座敷に通してもらった。



「感じのいい店だ。」


 父さんがおしぼりで手を拭きながら部屋を見渡す。


咲華さくかのお気に入りっすよ。」


「何それ。あたし知らない。」


「…悪かった。好きな物食え。」


 …わいわいと賑やかだが…

 俺と優里さんは無言。


 座席はというと。

 父さん、優里さん、母さん。

 親父、姉ちゃん、俺。

 真正面じゃなくてホッとしてるけど…胃に悪い…。



「もう、何だろ。すごく可愛い。娘にしちゃいたい。」


 姉ちゃんが優里さんをマジマジと見て言った。


 …姉ちゃん。

 若く見えるけど…32だぜ。

 まあ…16とか17とかで出産してる母さんと姉ちゃんから見れば、そうしたいって思うのも普通かもだけどさ…


「ねーっ。透けちゃうぐらい白い肌。可愛いっ。聖、お嫁さんにどう?」


「……はっ…え…えっ?俺?」


 あまりにも唐突過ぎて、慌ててしまった。


「いやいや、その子にも選ぶ権利がある。」


「ひ…ひでーな、親父。」


「……」


「ん?」


 父さんと母さんの間で、パチパチと瞬きをする優里さんに気付いた姉ちゃんが。


「何か聞きたい事があれば、言って?」


 優里さんの顔を覗き込んだ。


「…あの…」


「うん。」


「……」


 みんなが優里さんに注目。

 …喋りにくいっつーの。


「何々?」


「母さん、そんな風にくっついたら喋りにくいじゃない。」


「知花だって、そんなに顔覗き込んでるクセにー。」


「だって可愛いんだもん。ずっと見てても飽きない。」


「あ…えー…と…」


 みんなが注目する中。

 優里さんが放った言葉は…


「…何を…オーダーすれば…」


「……」


「……」


「だな。まだ選んでなかった。」


 そんなわけで…

 新メニューだとかいう『あずき御膳』の三種類のコースを二つずつ親父が頼んだ。

 有無を言わさず。

 食える物だけ食えばいい。と。



 何か聞きたい事があるか。

 姉ちゃんがそう言った時、俺は何となく…『父さん』と『親父』について…聞かれるのかと思った。

 俺がそう呼ぶたびに、首を傾げてるように思えたからだ。


 …そこまで興味ないか…。



「新曲のデータ、奏斗かなとからもらったぞ。」


 父さんがそう言うと、優里さんは背筋を伸ばして。


「…内容が…理解出来ないって…」


 うつむいたまま小さく言った。


「ははっ。まあ…Leeの世界観はそうなんだろうって事にしてやれとは言っておいた。」


「…ありがとうございます…」


 奏斗…島沢奏斗さん…

 イギリス事務所の代表自らが意見するって…優里さん、いつから歌ってたんだろ。

 俺が関わってるのは、日本のビートランドだけだから…イギリス事務所のシンガーなんて、気にも留めてなかった。



「どんな世界観なの?」


 姉ちゃんが問いかけると。

 父さんと母さんが顔を見合わせて…なぜか苦笑い。


「二枚目のシングルは、ほとんど歌詞がなくて、ヒーリング音楽っぽかった記憶が。」


 …親父は聴いてるんだ。


「新曲は、猫の歌よ。すごく可愛いの。」


 …猫。


「猫?」


 親父と姉ちゃんが同時に問いかけると。

 優里さんはうつむき加減に…


「…もし…あたしが猫なら…」


「猫なら…?」


「…一日中…寝ていられるのになあ…って…歌です。」


「……」



 …歌の世界でも…優里さんは、優里さんなんだな…

 と、思った。





「それじゃ、ちゃんと送るのよ?」


「送り狼にならないようにな。」


「…分かった。」


 タクシーの窓越しに、母さんと父さんが言った。


 …なぜか、俺が優里さん…Leeさんを送る事に。


 親父は少し離れた場所でニヤニヤしてて。

 姉ちゃんは、目をキラキラさせてる。


 無事に飯会が終わったと思ったら…『送ってけ』って。

 まあ…いいけどさ。



「……」


「……」


 動き始めたタクシーの中。

 俺と優里さんはしばらく無言。

 これって…俺が動いた方がいいよな。


「……」


 とりあえず…何も言わずに手を握った。


「……」


 すると、優里さんは無言で…遠慮がちに俺を見た。


 そして…ギュッと。

 握り返してくれた。


 少しだけ…顔を見合わせる。

 優里さんは照れたように笑ってうつむいて。

 それがまた…超絶可愛くて…ヤバいと思った。


 送り狼と思われてもいい。

 帰りたくない。

 そう思ったからだ。


 いや…

 帰らなきゃマズイ。

 俺と優里さんは、はじめまして。だったんだぞ?



「…まさか、ビートランドのシンガーだったなんて…」


「…聖君も…会長さんの家族なんて…」


「…猫の歌、俺も聴きたい。」


「…恥ずかしい…」


 うつむき加減のまま、そんな会話をしてると。


「これ…会長さんに…渡されちゃった…」


 優里さんがバッグから出したのは…スマホ。


「えっ?」


「…今まで…ハガキで連絡をもらってたんだけど…あまりにも…あたしが引っ越したりしたから…」


「急ぎの連絡、取れないしな。」


「…そうなの…」


 優里さんは、スマホを慣れない手つきで触って。


「…どうしよう。使い方、分からない。」


 唇を尖らせた。


 ああ…

 その唇に、今すぐキスしたい…。



「あっ…」


 お互い、仕事や家族が知れた(バレた)って事で…気が楽になったのか。


「聖く…帰らな…きゃ…」


「…帰るよ…後で…」


 二人でタクシーを降りて…家に入ってすぐ…キスして…


「で…も…」


 もつれるように、ベッドに行って…


「知らん顔…疲れた…」


 そう言う俺の頭をくしゃくしゃにしながら。


 優里さんは…


「…もっと…」


 今までで、一番激しかった。



 * * *



「本当に送り狼になってるのかと思っちゃった。」


「………ただいま。」


 裏口の戸を開けると、母さんが腕組みして立ってた。

 予感はしてたが、実際そうだと心臓に悪い。

 少しばかり早くなった鼓動を押さえつつ、俺は家に入った。



「遅かったな。」


 大部屋では、父さんが何やら大きな模造紙を広げて唸ってる最中。


「送った後に、もう一度会社に寄ったりしたから……何それ。」


 冷蔵庫からビールを取り出して、父さんの後ろから模造紙を覗き込む。


「春にフェスを考えてたんだが…」


「ダメなの?」


「アメリカから、夏にしてくれないかって打診があったんですって。はい、なっちゃん。」


「ああ、ありがとう。」


 母さんがお盆に乗せて持って来たのは、ゆず茶。

 あー…俺もそっちにすれば良かった。と思って、まだ開けてないビールをプラプラとさせながら母さんの手元を見ると。


「何?聖もこっちにする?」


 さすが…察しのいい母さん。


「うん。」


 ゆずピールとハチミツ入りで、普通にお茶としても美味いんだけど…

 ほんのりブランデーも入ってて、寒い夜にはこれがたまらない。



「で?これはフェスに参加するアーティスト一覧?」


「今の所な。だが、夏にするとなると…もっと大規模にしたい。」


「へー…」


 会場があちこちに散らばってる中、俺はすでに『Lee』って名前を見付けてた。


 …フェス、出るんだ?

 メディアに出てないのに?


「てか、なんで春?姉ちゃん達がメディアに出る事に合わせて?」


 父さんの企画は、いつも急に決まる。

 スタッフは忙しい事に慣れたからか、それを楽しんでやってる感じもあるけど…

 実際、もっと時間かけたら、それだけの物…今までのより、もっとすげー事が出来るんじゃね?

 って、いつも思う。


「まあそれもある。」


「それも、って。他は?」


 うん。

 ゆず茶美味い。と思いながら、父さんの隣に腰を下ろすと。


「…生きてる間に、観たいと思うからな…」


「……」


「俺は、SHE'S-HE'Sが世界のステージに出る事を、ずっと夢見て来た一人だから。」


 今、こうして元気にしてるから…つい、いつまでも生きてるって気がしてしまうけど…父さんは大病をした。

 いつ、それがまた…とも限らない。


 母さんは俺達に背中を向けてキッチンに立ったまま。

 …聞こえないフリかよ。


「…でも、もう春に合わせて動いてるんじゃ?」


「SHE'S-HE'Sに関しては…春からミュージックビデオを流す。」


「へえ…ついに解禁か。」


「デビュー当時から撮り溜めてたからな。」


「そりゃ楽しみ。」


「スタッフに関しては…意見を聞いたら大半が夏にと…」


「あはは。今までもゆっくりやりたかったんじゃねーの?」


「ふっ。そうだな。無理をさせ過ぎた。」


 しばらく…そうやって父さんと並んでアーティストの名前を眺めた。

 母さんはなぜか…キッチンでそれを遠巻きに見てるまま。


「さて…俺はそろそろ休む。」


 父さんが模造紙を片付けようとすると。


「あ、あたしがする。」


 母さんがそれを手にした。


「そうか。じゃ、任せるとしよう。」


「うん。すぐ行くから。」


「ああ。おやすみ。」


「おやすみー。」


 父さんが大部屋を出て行って。


「…なんでずっとあっちにいたのさ。」


 俺がキッチンを目配せして言うと。


「なんて言うか…貴司さんとお義母さんと一緒に居た気がして…」


「…は?」


「あたしの隣にね、二人が居た気がして。なっちゃんと聖の後ろ姿を見ながら、嬉しそうな顔してる気がして。」


「……」


「だから…一緒にそれを見ながら、もう少し待って。って…心の中で言ってたの。」


「…縁起でもねー事言うなよ。」


「…ふふっ…だよね…」



 いつまでも…生きてるとは限らない。

 分かってる。

 桐生院の父さんだって、突然だった。

 あの時、色々感じたはずだ。

 まだまだ…親孝行してないのに…って。


 だったら…

 俺…

 この壁、壊さなきゃなんねーんじゃ…?


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