第11話 「……ただい…」

「……ただい…」


「……」


「…ま…」


 帰ると、優里ゆうりさんがベッドの中で塊になってて。

 なんだなんだ?と思いながらも、とりあえず…それを眺めながら着替えた。


「うにゃっ。」


「……」


 足元に来たシロを抱き上げて…一緒に塊を見下ろす。

 クロは、縄張りの見回りに行ったのか、姿が見えない。


「…どした?」


 塊を指差して、シロに問いかける。


「にゃ~。」


「そうか…生理か。」


 バッ


「ちがーうっ!!」


 大声と共に、毛布が舞い上がった。

 俺は冷静にそれを見て。

 腕の中のシロに。


「違うらしい。」


 真顔で言った。


 てか、優里さんの大声。

「二度目まして」ぐらいだな。



「腹減ったなー。今夜、何にする?」


 ベッドの上の優里さんは放置したまま、シロを肩に乗せてキッチンへ。

 冷蔵庫の前にしゃがみ込むと、優里さんが無理やり足音を立ててやって来た。


 …俺も慣れたもんだな。


 最近の優里さんは、こんな風に突き放されるのを嫌がる。

 自分から何も知ろうとしないクセに。

 知ってもらおうともしないクセに。

 突き放されると寂しくなる。



「……」


 しゃがみ込んだ俺の背中に、ベッタリと貼り付く優里さん。

 どうした?って聞いても答えないから、聞かない。


 ただ…料理の邪魔にはなりそうだ。


「俺、料理するよ。」


「…うん…」


「優里さんのも作るよ。」


「…うん…」


「少し離れてて。早く作って、出来た時間でくっつきたいから。」


「……」


 俺の言葉に、素直に離れる優里さん。


 ふっ。

 可愛い。

 面倒くさいけど、可愛い。


 普段は聞いても答えないし、自分からも何も言わない優里さんだが…この日は違った。

 料理をする俺の後ろで、唇を尖らせたまま立ってるのが…窓ガラスに映って見えた。

 それでも何も言わないだろうと思ってると…


「…今日、聖君…見た。」


 俺が水屋から皿を出してる時に、いきなり…両手を握りしめて言った。


「……へえ。」


 どこで?って言うと、答えなくなるかなと思って言わないまま。

 鍋ごとテーブルに移動して、蓋を取る。

 シチューのいい匂いに、床にいるシロが顔を上げた。


「…女の人に…バラの花…あげてた…」


「…あー。お詫びのやつだ。」


「一本…」


「お詫びだから。」


「…花を一本だけ…あげるって…愛の告白みたいなものよ……」


「……」


 そうなのか?

 ちょっと眉間にしわが寄ったけど、俺は冷静を装って。


「知らなかったなー。一つ賢くなった。」


 皿にシチューを入れた。


「さ、座って。」


 優里さんの肩に手をかけて、椅子を引いて座らせる。


「腹減ってると、ロクな事考えないからな。食ったらに風呂で温まろ。」


『一緒に』を強調した。


「…やだ…」


 途端に、赤くなる優里さん。

 実は、まだ一緒に風呂に入った事はない。


「一緒に入りたい。」


「そんな…」


「ほら、スプーン持って。」


「…いただきます…」


「……」


「…美味しい…」


「良かった。」



 ……あああああああああ……!!


 優里さん、表通りに何の用事で行ってたんだよ!!

 誰と行ってたんだよ!!

 まさか、片桐拓人に会いに行ってたんじゃねーよな!?


 平気な顔してるけど、内心そんな疑いとヤキモチみたいな複雑な気持ちだった。


 俺には言わせないクセに、自分だけ…こんな時だけ言うなんてさ!!

 ちくしょー!!

 惚れた俺が悪いんだけどさ!!



 飯の後、俺は照れる優里さんと一緒に風呂に入って。


「っ…は…」


 風呂で。

 何回も。

 何も考えなくて済むほど。


 ヤリまくった。



 * * *


「いらっしゃいま……」


 顔を上げて、客が俺だと分かるとフリーズした絵美さんに、軽く会釈する。


 今日は休み。

 だけど…案の定、起きると優里さんはいなかった。

 書置きには『四時頃帰ります』とだけ。


 ぶっちゃけ…

 片桐拓人の存在を知らなかったら、ここまでモヤモヤしなかったかもしれない。

 俺は順応性も協調性もある。

 実際、すでに優里さんからの情報には期待してないし、それとなく優里さんを引き出す事には少しずつだが成功してるようにも思う。


 ただ…

 片桐拓人の事は知ってるのに、俺の事は知らない優里さん。

 好きな人に、自分の事を知ってもらえないって…

 なんつーか…


 空しい。


 ま…本名を名乗らなかった時点で、俺も優里さんと同じ土俵に立っちまったんだけどな…



「お昼休みとか、ありますか?」


「…あたし…ですか?」


「ええ。ちょっとお話が。」


「……」


 絵美さんはしばらく悩んでるようだったけど。


「あたし…今日はあと10分で終わりなんです。」


 小さな声で言った。


「何か予定が?」


「いえ…普通に、午前中だけの勤務で…」


「じゃあ、少しお時間いただいていいですか?」


「…はい…」


「えーと…どこかで昼飯とか…」


「…じゃあ、この裏に中華料理店があるので、そこに行ってて下さい。」


「分かりました。」


 中華料理を指定されたのは意外だったけど、最近中華なんて食ってねーなと思うと空腹に拍車がかかった。

 ビール飲んで待ってよっかな。




「この前、初めて華月から聞きました。絵美さんに後押しされて、詩生しおとよりを戻したって。」


 俺が『福龍』で瓶ビールをオーダーした頃。

 絵美さんがやって来た。

 エプロンを外しただけ。みたいな…何ともシンプルな格好で。



「後押しなんて…」


「でも実際、あれから三年。仲良くやってるし。」


「……」


「華月のインスタとか、見てます?」


「あたし、SNSは全然…」


 俺はスマホを取り出すと、華月のインスタグラムを絵美さんに見せた。


「……」


 ふっ…と、絵美さんの表情が柔らかくなった。


「華月ちゃん…可愛い…」


 それは、絵美さんの本音だと思った。

 花屋で見せるどの顔より…自然と嬉しそうな笑顔になったからだ。



「あたし…あの時どうかしてた。」


 お酒は飲まないって言う絵美さんの前には、餃子と炒飯。

 いただきます。って言ってから一度も、箸は動いてない。

 そんなわけで…

 俺も目の前の天津飯には手付かず。

 …ビールは飲んでるけど。


「華やかな世界の人達を、こっち側から見てるだけのはずだったのに…詩生君に、華月ちゃんの事相談されてる内に…変な錯覚をしちゃった。」


「変な錯覚?」


「…詩生君に、必要とされてる…って。」


「……」


 当時…詩生は自分のファンが華月を傷付けて歩けなくしてしまった事で、酷く落ち込んでたし…悩み続けてた。

 誰にも辛い顔を見せられないまま、常に華月に対しての最善を考えてた。

 そして、その策を唯一相談出来たのが…

 当時、華月のマネージャーだった絵美さんだ。



「あたしみたいな一般人に…自分の胸の内を話してくれてる…そう思うと、詩生君が近い人に思えて…詩生君が酔っぱらうと、誰でも華月ちゃんと間違える…って噂、聞いて…」


「……」


「…バ…バカでしょ…あたしなんて…華月ちゃんの足元にも…及ばないのに…あの時は…あたし、華月ちゃんになれてる気がして…」


 うつむいた絵美さんの目から、ポロポロと涙がこぼれる。

 周りのテーブルから『あらあら、ケンカ?』『女の子泣かしちゃダメだぞー』なんて声が聞こえる。

 その声を拾った絵美さんは、遠慮がちに振り向いて『違うんです、違うんです…』と何度も頭を下げた。


「…ま、食おうよ。腹が減るとネガティヴになるから。」


 最近、こんな事ばっか言ってる気がするなーなんて思いながら、俺がそう言って手にした箸で、絵美さんの前にある餃子を一つ取ると。

『それ、あたしの』と言わんばかりに…絵美さんが俺を見上げた。


 赤くなった目と鼻。


「もう、いんじゃね?」


 俺はあえて…普通に言った。


「……え?」


「絵美さんだって傷付いたんだろ?いつまで自分を許さないつもり?」


「……」


「華月、根に持ってるよ。」


「っ……」


 絵美さんの肩が、ビクッと動いた。


「根に持ってるけど、それを越えようと必死になってる。」


「……」


「絵美さんも、越えなきゃ。」


 俺はー…自分でも分かってるが…お節介だ。

 昔からそうだ。

 そういうので、誤解もたくさん招いたし、最終的に余計なお世話になった事も多々ある。



「ぶっちゃけ、俺…絵美さんの事32歳ぐらいかと思ってた。」


 絵美さんの前から、餃子をパクパクと食べ進める。


「…ど…どうせあたしは…」


「ほら。何も越えようとしてないんだろ?」


「……」


「自分を許せないって、ちょっとカッコいいかもしんねーけどさ…それを理由に自分を諦めるのはカッコ悪いと思わねー?」


「……」


「詩生や華月を『あっち側』って思ってるんだろうけど、あいつらだって俺達と同じように悩んでもがいて、それでも越えようとしてる。」


 あの二人の陰で、上を向けない存在がいる。

 それはー…俺が嫌だ。

 俺の大事な二人に関わる人達には…ハッピーでいて欲しい。



「華月を見返すほどの美女ってのは、なかなか難しいかもだけどさ。」


 通りかかった店員さんに、餃子を追加オーダーする。

 うめーな。

 ここの餃子。


「絵美さん、せっかく花に囲まれてんのに、一人だけ萎れてるってバカじゃね?」


 俺の言葉にワナワナと肩を震わせた絵美さんは。

 ガシッとレンゲを手にすると。

 勢いよく炒飯を食べ始めた。


「…泣きながら食べると、詰まるよ?」


「……るさい…」


 それから絵美さんは、餃子をもう一皿追加して。

『映華』に就職したのは、知った人によく会うからだ。と告白した。

 陰口を言われる事で、自分の罪も軽くなるんじゃないかと思っていた。と。


「すっげーマゾ体質。」


 俺がそう言って笑うと。


「……ほんとだ。バカみたい…」


 絵美さんも…泣きながら笑った。




「はー…食った食った…」


 店を出て、大げさに胃の辺りを触ってると。


「…ありがとう。」


 絵美さんが、小さく頭を下げた。


「…何だか、失礼な事、たくさん言われた気もするけど…スッキリした。」


 そう言った絵美さんは…ほんのり笑顔で。

 相変わらず年相応(27)には見えなかったけど、それでも32歳よりは若く思えた。


「食い過ぎたー…少し歩かねー?」


「うん。」


 表通りには出ずに、そのまま裏通りを歩いてると公園があった。

 こんなに寒くちゃベンチに座るバカもいねーけど、何となく俺達はそこに座った。

 どうやらバカらしい。



「…今更だけど、数々の無礼、ごめん。」


 ポケットに手を入れたまま頭を下げると。


「図星ばかりだから。」


 絵美さんは首をすくめて空を見上げた。


「あのさ…聞いていいかな。」


「ん?」


「…絵美さんは、身体大丈夫なの。」


 どうしても…詩生を寝取った。みたいに言われて悪者になってた絵美さんだけど。

 …流産してる。

 周りから責められ続けて、心身共にまいったはずだ。

 本人だって…そんなつもりじゃなかっただろうに。


「…これも、言葉にするとネガティヴって言われそうだけど…罰が当たったんだなあって。」


「何の罰だよ。」


「…だよね…うん。身体は大丈夫。でも、どんなに初期だったとは言え…生まれるはずだった命をダメにしてしまった事…これだけは自分の罪として抱えていかなきゃって思ってる。」


 自分の罪…

 隣にいるのは絵美さんだけど…俺は詩生も感じた。

 あいつもきっと…色んな罪を抱えたままで華月と向き合ってる。


 越えた。

 幸せそうな二人を見ると、そう思えるが…

 最近の華月を見ると、二人の間に小さな亀裂が見える気がする。


 …気のせいであって欲しいけど…



「俺…華月と同じ日に生まれたから、あいつの事双子みたいに思ってて。」


「……」


「だから、なんつーか…」


「…幸せになって欲しいよね。」


「それは当然だけど…なんつーか…あいつと関わった人達にも、幸せでいて欲しいって欲張っちゃうんだよな。」


 ポリポリと頭をかくと、絵美さんは。


「…優しいんだね。聖君。」


 呼び方が、『君』になった。


「別に…単なるお節介なんだよなー…。あいつとは生まれてからずーっと一緒だったし…」


「えーと…華月ちゃんは姪になるんだっけ。」


「そう。俺には年上の甥と姪もいる。」


「ふふっ。すごい。」


 なんだろ。

 自分の事を話すのが、ちょっと楽しい。

 気が付いたら、絵美さんの鼻が赤くなってる。

 俺は近くの自販機で暖かいお茶を買って、絵美さんに手渡した。


 …もう少し、話したい。



「聖君と話してると…」


 絵美さんは今にも雪がちらつきそうな空を見上げて。


「ん?」


「聖君と話してると、時々華月ちゃんと話してるみたい。」


 意外な事を言った。


「あいつが聞いたら怒ると思うけど。」


「ふふっ…でも、華月ちゃんも…ハッキリ言ってくれる子だったから。」


「……」


「…ありがとう。あたし、今のままじゃ、華月ちゃんに根に持ってもらう価値もない。」


 伸びた背筋。

 この人はこの人で…本当に華月を大事に想ってくれてたんだ。


「…越えるから。」


「…楽しみにしてる。」


 それは…本当に俺の楽しみになった気がする。


「…迷惑じゃなかったら、携帯の番号聞いていい?」


「俺も聞こうと思ってたとこ。」


「あ…でも…」


「ん?」


「彼女…いるでしょ?連絡とかして大丈夫なの?」


 彼女いるでしょ。

 断言されたのは、俺が花を買って帰るから…か。


「大丈夫。」


 俺に興味ないし。


 心の中で少し毒気付きながら。

 俺は絵美さんと番号交換をした。


「絵美さんこそ彼氏に怒られるんじゃ?」


「いないって分かってて言ってるでしょ。」


「物好きがいるんじゃねーかなーって…」


「…見てなさいよ…」


 あー…


 なんか…


 スッキリ。

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