第10話 「聖。」


「聖。」


「え?あ、親父。久しぶり。」


 ビートランドで声をかけられて振り向くと、親父がいた。


 神 千里。

 姉ちゃんの旦那。


 俺にとっては義兄だけど、ずっと『親父』って呼んでる。


「おまえがここに来るって珍しいな。」


「仕事でね。」


「一人か?」


「深田さんも来るって言ってくれたんだけど、別々に仕事した方が早いから。」


「相変わらず社長らしくねーな。」


「だよなー。深田さんに秘書らしい事させてあげてねーし。」


 並んで歩きながら、ネクタイを緩める。

 今日は俺が来なくてもいいような案件だったけど…外に出たかったから引き受けた。

 ずっと社長室のあの椅子に座ってるのは、ストレスだ。



「昼飯食ったか?」


「いや、まだ。」


香津こうづに行くか?」


「おー、いいねえ。」


 親父お気に入りの、ちょっと豪華な和食店。

 一番奥の個室から見る庭の景色が、なかなかいい。




「インスタ、大盛況じゃん。」


 香津の座敷。

 おしぼりで手を拭きながら言うと、親父は首を傾げながら。


「ポストするだけで見ねーからな…どうなってんのか知らねーんだ。」


 お品書きを開いた。


「えー?マジかよ。」


「華月のは見てる。」


「ああ…最近元気ねーな、あいつ。」


「…おまえ、最近泊まり多いらしいな。」


「え?」


 急に話を振られて、動きを止めてしまった。


 最近泊まり多いらしいな。


 泊まり…

 …多いよ。

 ほぼ、泊まりだ。


「あー…遅くなると帰るの面倒で。」


「その気持ちは分からなくもないが、義母さんがボヤいてるぞ。」


「だよなー…」


「ついでに高原さんも。」


「……」


 父さんの名前が出て、ちょっと瞬きが増えた。

 もしかして…彼女が出来た…って、聞いたのかな。

 まあ、親父になら知られてもいいんだけど。


「親父、まだ『高原さん』って呼ぶんだ。」


 別にどうでもいいんだけど、話を逸らしたくて切り出すと。


「おまえこそ、俺の事を『親父』って。」


 初めて…そんな事を言われた。


「…何。今更。」


「高原さん、本当はおまえに『親父』って呼んで欲しいんじゃねーかな。」


「は…?なんで。」


「おまえが俺に『親父』って呼びかけるたびに、振り返ってる。」


「……」


 き…

 気付かなかった。


「ちなみに、俺もおまえには『にいちゃん』って呼ばれてみてーなー。」


 親父はニヤニヤしながら頬杖をついて、俺を見つめた。


「に…兄ちゃんなんて…」


「知花を姉ちゃんって呼んでるんだ。俺は兄ちゃんだろ?」


「……」


 うちは…複雑だ。

 繰り返し言うけど、俺より年下の甥と姪。

 俺の両親は、その甥と姪から見ると『祖父と祖母』…

 別に歳を取っててもかっけー両親だから文句はない。


 ただ…


 俺の中の問題なんだ。



 * * *


「ただいまー…」


「…おかえりなさい。」


「にゃっ。」


「うにゃにゃっ。」


「ははっ。シロ、クロも。ただいま。」



 今日も優里さんの家に帰った。


 優里さんちには電話もないし、彼女自身携帯も持ってない。

 そんなわけで、俺が帰ると書置きだけが残されてる日もある。

 そんな時は…不便だなー…携帯持ってくれりゃいいのに…って思わなくもない。

 …早くも、一気に盛り上がったツケが来てるのかな。


 いやいや…そりゃ早すぎだろ。

 …疲れてるだけだ…




「…どうしたの?」


「何?」


 晩飯の後、俺はボンヤリとスマホでネットニュースを眺めてて。

 優里さんはシロの爪を切ってる時だった。


 珍しく…優里さんが、俺に言った。


「何だか…元気ないから…」


「……」


 スマホを置いて、少し考える。


 元気がない…?

 自分では気付かなかったけど…

 その変化に…優里さんが気付いてくれた…?

 それは嬉しい気もしたが、すぐに期待を持つことはやめた。



「…来て。」


 両手を広げて、温もりを催促する。

 胸の内を話したい。

 だけど…優里さんは俺の事を知りたがらない。

 …話した所で、解かってもらえるとも思えない…。


 躊躇しながらも俺の腕の中に来てくれた優里さんを、ギュッと抱きしめる。


 …あー…

 俺の事を知らないままでもいいって言う女を、抱きしめるだけで癒される俺。

 …単純なんだろうな。



「…元気になった。」


「ほんと?」


「ああ。」


 チュッ。


「…良かった。」



 親父との昼飯は…美味かったけどモヤモヤした。

 午後からは会社に戻って…ひたすら書類に目を通した。


 俺の…こんな想いなんて、誰にも関係ない。

 むしろ、優里さんにシャットアウトされて良かったのかもしれない。

 自分で解決するしかない…いや、決めた事は貫き通すだけ。



「…聖君。」


「ん?」


「……好き。」


「…ああ。俺も。」


 優里さんは…俺を好きだと言った。

 あれから、毎日…言ってくれる。

 まるで、その言葉で俺を繋ぎ止めようとしてるかのように。

 それでも…それに満足してる俺もいる。


 一ヶ月前、落ちるようなスピードで優里さんに気持ちを持って行かれて。

 今は…単なる逃げ場にしてる俺がいる事に…

 俺自身、気付いていないのかもしれない。


 だけど。


 優里さんは…気付いていたのかもしれない。


 * * *


「いらっしゃいま…あ、こんにちは。」


「こんにちは。」


 少し遅い昼休み。

 取引先の社長と昼飯を食っての帰り。

 俺は一人で表通りの『映華えいか』に立ち寄った。


 この一ヶ月で四度目。

 男がこんなに花屋に通うって、どう思われてるんだろ。



「今日はどうなさいますか?」


 いつもの店員さんが、花がよく見えるように自分の立ち位置をずらして言った。

 …優里さんより年上に見えるけど、優里さんは若く見られるから…

 同じ歳ぐらいの人かな。


「んー…」


 今日は優里さんにじゃなく…社長室に花が欲しくなった。

 いつも立派な花瓶にゴージャスな花が飾られてるが…

 そうじゃなくて。

 シンプルな…その一輪を見てるだけで和むような花が欲しくなった。

 机の上に、そっと置きたい。



「ここって、一輪挿しとかも置いてありますか?」


「花器…ですか?」


「ええ。」


「ございます。奥のコーナーへどうぞ。」


 店員さんに続いて店の奥に歩いて…


「うわっ。」


「あっ…」


 つい、並んだ花の入れ物を蹴飛ばしてしまって。

 店員さんの足元に水がかかった。


「はっ…す…すみません。」


 しゃがみ込んで、ポケットから出したハンカチで店員さんのジーンズの裾を拭こうとしたが…

 …ハンカチで間に合うどころの濡れ具合じゃねーや…これ…


「あっあ、いいんです!!あの、ちゃんと着替えもありますから!!」


 店員さんは俺から後ずさりして。


「お立ち下さい。本当に…大丈夫なので…」


 腰を屈めて、俺の顔を見て言った。


「あー…本当にすみません。」


「いいえ…あたしなんて、自分で引っ繰り返してかぶる事、しょっちゅうですから。」


 店員さんは足元を濡らしたままで、一輪挿しを見せてくれた。

 会社の自分の机に置きたいと言うと、いくつかシックな物をチョイスしてくれたが…


「…これ気に入りました。」


 俺が手にしたのは、しずくの形にも思えるガラスの一輪挿し。


「…机の上は片付いてますか?」


「あっ、時々色んなものが山積みになります。」


「ふふっ…じゃあこれは違うスペースに置かれた方が安全かもしれません。」


 確かに。

 書類に水をぶちまける自分の姿が、すぐに想像できた。


 俺の座ってる位置から斜め右を見た所の棚に、空きスペースがある。

 あそこに飾ろう。


「どんな花を挿したらいいのかな…」


 キョロキョロして花を探す。


「…花じゃなくてもいいなら、アイビーはいかかでしょう?」


 店員さんはそう言うと、ガラスの一輪挿しにアイビーを短くした物を挿した。

 それが、なんつーか…

 すげーしっくり来て。


「あ、それいい。」


 指をさしてまで言ってしまった。


 マジで…

 華月が載ってる雑誌の小物として登場してそうなソレ。

 ありきたりなんだろうけど…今の俺にはグリーンが必要なのか。と痛感した。


「あ…あと…そこの赤いバラを一本…特別な感じでラッピングしてもらえますか?」


 俺は店員さんにそう頼んで、いったん外に出ると。

 誰もが美味いと噂する『エルワーズ』に走った。



 数分後、『映華』に戻ると…


「あー、綺麗だ…」


 バラの花は金色のリボンがあしらってある黒い細長い箱に収まってて。

 一本なのに、すげー豪華に思えた。

 特別な感じでってお願いしたんだから、当然頑張ってくれたんだよな。


「では、こちらが一輪挿しとアイビーになります。バラの方は包装じゃなく紙袋にお入れいたしますね。」


 店員さんが、バラの上箱を閉めながら言った。


「あ、あの…それ…貴女に。」


「………え…っ?」


「水をかけてしまったお詫びです。あと、これ…お店の皆さんで。」


 俺が来る時は、だいたいこの店員さんと店長さんの二人しかいないけど…

 店の前を通る時、三~四人いる時もある。


「あ…え…えっと…」


「本当、ごめんなさい。とにかくお詫びと…これからも俺の花選びにいいアドバイスをお願いします。って事で。」


 途方に暮れてる店員さんにエルワーズの紙袋を渡して、レジで待ってる風な店長さんにカードを渡す。


「いつもありがとうございます。」


「いえ、こちらこそ。」


 カードを受け取って財布にしまうと、商品をもらって店の外に出た。


「あっあの!!」


 背後に大きな声を受けて振り返る。

 そこには店員さんが仁王立ちをしてて。

 俺がキョトンとしてると…一輪のバラの箱を持ったまま俺に駆け寄ると。


「…これ、いただけません…」


 俺に突き出した。


「…え?」


「ごめんなさい…あたし…」


「……?」


「…桐生院…聖さん…ですよね?」


「…俺を…?」


 まあ、新聞とかテレビにも出る事あるしな…って瞬間的に思ったが。


 次の瞬間…


「あたし…笠井かさい絵美えみです…」


「……笠井…絵美さん…」


 その名前は…聞き覚えがあった。


「…華月ちゃんの…マネージャーをしてた…笠井です…」


「…華月の…って…」


「…華月ちゃんを裏切って…苦しめた…女です…」


「……」



 …それは…


 酔っ払った詩生しおが、妊娠させた…

 あの、最悪な出来事の…

 あの、笠井絵美…?



 * * *



「社長に呼び出されるなんて思わなかった。」


 長い髪の毛を後ろに追いやりながら、華月はソファーに座って…


「可愛い一輪挿し。聖が飾ったの?」


 早速…棚に置いたアイビーの一輪挿しに気付いた。


「可愛いなーと思って。」


「わー…うちで一番花に興味ないって思ってたのに。」


「興味ねーよ。確かに。」


 映華で笠井絵美さんに名乗られて…バラを返された。

 だけど、俺としては…それはそれ。

 これは本当にお詫びだから、と。

 半ば無理やり押し付けて帰った。


 そして…午後。


 スケジュールが空いてる華月を呼び出した。



「あのさ。」


「うん。」


「…それ、『映華』って花屋で買ったんだけど。」


「うん。」


「…店員…」


「ああ…絵美さん?」


「…あれ…知って…?」


 もし華月が知らないなら。

 出くわす可能性があると思って…忠告しようとしたのに。


「知ってるわよ。三年前にあの店で会ったから。」


「三年前?」


「ええ。あそこで…絵美さんに背中を押された形で詩生に会いに行って、付き合い始めた感じ。」


「……へえ…」


 意外だった。

 別れの原因になった張本人から、背中を押されたって事が。


「そっか…まだあそこいたんだ。」


 華月は深田さんが出してくれたお茶を一口飲んで、俺が多めに買ってたエルワーズのダックワーズを手にした。


「あれから行ってないのか?」


「行かないわよ。」


「後押しされたのに?」


「……」


 華月は手にしてたダックワーズをテーブルに置くと、立ち上がって窓際に立った。


「…あたし、意外と根に持つタイプ。」


 窓の外に何を見てるのか…

 ここ数年はあまり聞いた事のないような、低い声。


「確かに、後押しされたし…絵美さんも傷付いてるって分かった。」


「……」


「ずっと自分を許せないでいる…って。それでも言わせて欲しいって…詩生を許してくれって。」


「……」


「詩生は…お酒を飲んじゃうと、男女関係なくあたしと間違えてた…って。」


 華月の言葉を黙って聞いて、ここでようやく笑った。


「俺も何回キスされたかわかんねー。」


「…今はもう…お酒やめてるし、いいんだけどね…」


「……」


 後ろ姿だけど…華月が泣いてるように思えた。


「…たった一回…あたしと間違えて寝て、妊娠させてしまった。」


「……」


「詩生の…弱さが、絵美さんも、あたしも、周りをも…傷付けた。」


「華月。」


「…分かってる。詩生だって傷付いた。だから今のあたし達は…何よりも強い絆で結ばれてるはず…って…」


「…華月?」


「…思ってたのに…」


 凛と背筋を伸ばしたまま、華月は窓の外を見ていた。

 だけどその後ろ姿はとても悲し気で。

 それ以上見てるのは…辛くなった。


 お茶を一口飲んで、華月が開けかけてたダックワーズを手にする。


「…絆なんて目に見えねー物を信じるんなら、おまえ、もっと覚悟決めろよ。」


 華月が落ち込んでる理由は分からねーけど…


「あれを乗り越えたんだから最強だっつってたじゃねーか。」


 ダックワーズを一口食べて、華月の隣に並ぶ。


 もうすぐクリスマス。

 街は大げさなぐらい、その日を盛り上げるためのイルミネーションで溢れ返ってる。


「根に持つのもいーけどさ、信じる事も忘れんなよ。片割れ。」


 華月の頭に手を置いてポンポンとすると。


「…双子じゃないし。」


 涙声が聞こえた。


「地を這うような声で言うなよ。こえーな。」


「…うるさい…片割れ。」


「ふっ。双子じゃねーし。」


「……」


「誕生日、一緒にするか?」


「…一緒にする子、見付けてるクセに…」


「……はっ?(汗)」


れつ希望のぞみさんが言ってた。」


「…別に…」


 俺、なんも言ってねーのに!!


「相手は猫飼ってる女だって言ってた。」


「……」





 友達って…----!!

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